ウォ-ク 熊野街道 雲取越
2009年03月01日
私の足跡 29 熊野古道 大雲取越
2005年11月12日
NO 2 大雲取越
6時前に起き、朝食をしっかりいただき、弁当をいただく。
宿舎の「小口少年自然の家」を6時45分に出発。
玄関前で記念撮影。
高倉橋を渡ると郵便局がある。
しばらくすると、舗装された道の右に
細い登山道があり、本格的な登山開始。
初めは、石の階段だったり、木の階段だったりの道でよく整備されている。
左の写真のように、石畳の道を歩くこともある。
石の上に苔が生え、古さが感じられ、江戸時代の人もこの上を歩いたと思うと何ともいえない感じになる。足も軽くなり、着実に歩を進める。
7:20.円座石(わろうだいし)に到着。
苔むした何百年前の石仏がわたし達何万・何千人の旅人の安全を守ってくれている。また、何万・何千人の旅人が旅の安全を祈ったことでしよう。
途中、楠の久保旅籠跡を過ぎたあたりから「洞切坂」と呼ばれる急坂を登ると越前峠に到着。
登山開始後、約2時間。
このような石畳の道や木や石の階段を登ったり、下ったりを繰り返していると、石倉峠に到着。
出発からの距離 約6Km。
そして、約15分で地蔵茶屋跡に。
しばらく歩くと林道と合流したり、離れたりを繰り返す。
地蔵茶屋跡から約1時間歩くと船見峠に到着。ここではその名の通り雄大な熊野灘ガ見え、船の浮かんでいるのが見えてきた。雄大な景色に酔いしれると共に海に近づいたと思いホットする。
船見峠から船見茶屋跡・登立茶屋跡と急坂の連続の道を約1時間下ると那智高原休憩所に着く。ここから那智の二の滝・三の滝等への入り口を通り、よりひどい急坂を下るとやっと熊野那智大社・青岸渡寺に到着、二時半。
両社寺に無事に大雲取越えを終えたのでお礼のお参りをして、大門坂を下る。
そして、JR那智駅の近くの潮垢離の
聖地として有名な浜の宮神社、補陀洛
渡海上人や平維盛入水の秘話が残る
補陀洛山寺に参る。
最後は那智の浜で太平洋の
水をペットポトルに入れ、これ
を鯖街道を歩き終えたら日
本海に 注ぐ計画を立てる。
那智大社で、うっかりして余計なことをしていて、時間が遅れ、それが列車も一列車遅れるという結果になり、勝浦で夕食。
家着、10時40分。
これで、高野山から那智の海までの距離約100Kmを6日間で歩いたことになる。
2009年02月15日
私の足跡 28 熊野古道 小雲取越
第二部 本宮から那智 総延長 30km 日数 2日
2006年11月11日
K氏M氏と熊野街道の南端 本宮から小雲取越・大雲取越を通り那智まで
N0Ⅰ 小雲取越
一日目
六時に家を出、和歌山でK氏M氏と合流し田辺まで。タクシ-で請川まで
(交渉して一万円)。
請川を11時に出発。
すぐ登山道に入る。
雨は降っていないが予報ではよくない。
今日は標高差約500mを越えなくてはいけない。
天気予報の通り、霧雨が降り始め、石畳の石が滑りやすくなる。
遠くの景色も見えにくくなってきた。
傘を出して使う。
小雲取越の最大の名所「百間くら」だが天気が悪く、いまひとつ。
後方に見える山々は前回(昨年の10月10日)越えた果無山脈か?
この付近には、写真のような句碑がいくつもあり、私達を楽しく歩かせてくれた。
少しの間 降っていた雨もやみ、視界もよくなってきた。
少し歩くと、大きな広場に出た。そこは 桜木茶屋跡で当時相当賑わったことでしょう。 この小雲取越には、三ヶ所の茶屋跡がある。それぞれの茶屋はいろんな工夫をして、経営していたことでしょう。
この桜木茶屋は峠の近くなので、はるか下方の小和瀬集落に白装束の団体が見えると急いで餅をつき、団体客が茶屋に着くころにつきたての餅を出していたと上の標識に書いている。つきたての餅で美味しく よく売れたことでしょう。
(ほとんどの峠には、餅屋がある。中山道を歩いた時 碓氷峠・和田峠には
今も餅屋が営業していた。峠を登って疲れた時の美味しさはたまらなかった。疲れも消えた感じがした。)
はるか下方に小和瀬集落が見える。
標高差約400mを約一時間かけて下る。
石の階段も所々にあり、とにかく急な坂道でマイッタ。
道が濡れて滑るので慎重に下る。
やっと小和瀬集落に到着。赤木川にかかる小和瀬橋を渡ると「小和瀬渡し場跡」がある。(16:00)
16時半、予定通り宿舎の「小口少年自然の家』に着く。
廃校の元学校を改良した建物で教室が部屋になっている。
校舎の前は運動場で多目的広場になっている。
風呂もあり、三食つきで8000円だった。
2006年11月11日
K氏M氏と熊野街道の南端 本宮から小雲取越・大雲取越を通り那智まで
N0Ⅰ 小雲取越
一日目
六時に家を出、和歌山でK氏M氏と合流し田辺まで。タクシ-で請川まで
(交渉して一万円)。
請川を11時に出発。
すぐ登山道に入る。
雨は降っていないが予報ではよくない。
今日は標高差約500mを越えなくてはいけない。
天気予報の通り、霧雨が降り始め、石畳の石が滑りやすくなる。
遠くの景色も見えにくくなってきた。
傘を出して使う。
小雲取越の最大の名所「百間くら」だが天気が悪く、いまひとつ。
後方に見える山々は前回(昨年の10月10日)越えた果無山脈か?
この付近には、写真のような句碑がいくつもあり、私達を楽しく歩かせてくれた。
少しの間 降っていた雨もやみ、視界もよくなってきた。
少し歩くと、大きな広場に出た。そこは 桜木茶屋跡で当時相当賑わったことでしょう。 この小雲取越には、三ヶ所の茶屋跡がある。それぞれの茶屋はいろんな工夫をして、経営していたことでしょう。
この桜木茶屋は峠の近くなので、はるか下方の小和瀬集落に白装束の団体が見えると急いで餅をつき、団体客が茶屋に着くころにつきたての餅を出していたと上の標識に書いている。つきたての餅で美味しく よく売れたことでしょう。
(ほとんどの峠には、餅屋がある。中山道を歩いた時 碓氷峠・和田峠には
今も餅屋が営業していた。峠を登って疲れた時の美味しさはたまらなかった。疲れも消えた感じがした。)
はるか下方に小和瀬集落が見える。
標高差約400mを約一時間かけて下る。
石の階段も所々にあり、とにかく急な坂道でマイッタ。
道が濡れて滑るので慎重に下る。
やっと小和瀬集落に到着。赤木川にかかる小和瀬橋を渡ると「小和瀬渡し場跡」がある。(16:00)
16時半、予定通り宿舎の「小口少年自然の家』に着く。
廃校の元学校を改良した建物で教室が部屋になっている。
校舎の前は運動場で多目的広場になっている。
風呂もあり、三食つきで8000円だった。