登山 東北の山
2009年09月15日
私の足跡 42 東北の三山へ登る
前回の最後に 次回からは「四国遍路ひとり歩きを書きます」と記しましたが 先日登山もしたのでそれを先に記し、四国は次回からにします
東北の三山に登る 8月17~22日
夏の暑い時期は やっぱり街道歩きより登山が良いと思い、K氏M氏とで 岩手山・秋田駒ヶ岳・白神岳(マテ山)を目指した。
一日目
夜行列車「ながら」の指定席がとれないため、夜行バスを利用する。
OCAT発 仙台行きの夜行バスに乗り、約12時間後、仙台に着き、青春切符を使い、列車で盛岡へ。
レンタ-カ-を借り、以後の行動をする。
先ず 渋谷村の石川啄木の記念館に寄り、彼が代用教員として勤めた小学校跡や記念館を見る。 次に、小岩井農場の見学。広い農場を車で回り、美味しいクリ-ムを食す。夏休みの期間なので、ファミリ-での客が多かった。
終了後、盛岡のビジネスホテルに宿泊。昨夜の夜行バスでの睡眠不足をここで補う。
二日目
4年前、Wと八甲田に登った時、それに、次の年、兄夫婦達と東北の櫻の見物に行った時、雪を被った岩手山をいろんな角度から見せてもらい、その山容に惚れ込み、一度は登りたいと思っていた。今は雪はないが、念願の登山が実現した。
早朝、ホテルを後にしてレンタ-カ-で登山口へ。そして、6時半、登山開始。一合目、7時30分。近年、登山といえば中・高年者の多い登山客の中に若い大学生数人と二人の先生の登山者に出会う。北海道の利尻山もそうだったが信州のアルプスでは見られない光景だ。非常に親しみを覚え、先生の的確な助言ももらえるし、以後、彼等を意識して行動を共にする。3合目で登山道は新旧に分かれている。先生の助言では新道の方が急だというので、それを登りに使う。山容からも判るが、どんどん傾斜がきつくなる。若いバワ-に負け、距離をあけられるが7合目で追いつく。(10;30)。先生の話では、もうすぐとのこと。
高山植物も綺麗な花を咲かせ、我々を迎えてくれている。
気合を入れ、出発。傾斜もゆるくなり、意外に簡単に八合目の避難小屋に到着。(10:40)
避難小屋といっても立派で数年前まで営業していたらしい。以前、ここに測候所があって年中勤務していたとの話。グル-プの人達は「御成清水」を飲んでいる。我々もその後に続く。冷たくておいしいのでたくさんの水で喉を潤す。以前、利尻山で水不足で苦しい思いをしたが、今回はガイドブックによると湧水が3ヶ所あると記していたので助かる。特にここの湧水は量は多く、冷たくておいしかった。先生達は、荷物を置き、出発したので、我々もそれに見習う。
不動平に到着。(11:00)。この頃より、天気は回復。ガスもとれ、視界がよくなる。
先生達に何か手助けをしてお礼をしたいと思い、全員の集合写真を頂上でと思い、仲間の二人より速く歩く。そして、彼等の後を追う。なんと険しい歩きがたい道だと思いながら歩き、頂上で彼等に追いつく。(2037m)
シャッタ-を押してあげる。みんなが喜び、カメラ持参の者全員のカメラのシャッタ-を押してあげた。少しは恩返しが出来たと自画自賛していた。
そこへ、語り部の仲間からのメ-ル。早速、その返事のついでに頂上での写真を送付。(後日 ビックリしたと言っていた。自分も便利になったと自分も感心)
先に、彼等より頂上を後にしたが彼等はお鉢の中へ降りて歩いている。何故かと思っていると神社跡がある。我々も急いで御鉢に降り、合流。またも、見落とす所を助けてもらった。もう一つ、後で判ったことだが先ほど歩きがたい道で彼等の後を追っかけたがそのお陰で岩手山の御鉢を一周したことになった。感謝・感謝。四国一人歩きの体験からか他人に話しかけるのに慣れてきているのが 今回もいろいろ助けてくれたと思っている。
荷物を置いてある避難小屋で休憩後、彼等より先に出発。(13:00) 7合目で旧道をとる。傾斜が緩やからしいが体感的にはとんでもなくキツイ。それも長いこと。膝が痛くなり、何度も、何度も小休止。大学生の彼等とは4合目ぐらいで追いつかれる。若いパワ-にはかてない。
やっと、駐車場に到着したのは、16:30。暑かったこともあるが、往復、10時間を要した。標高は低いが、標高差が約1500mあるので、思っていた通り、手ごわい山だった。無事、下山。感謝、感謝。
車で、本日の宿泊所・蟹場温泉へ。本日の疲れを癒すため、温泉につかり、水分の補給を。そして、グッスリと寝る。
三日目
宿を早朝に出発。車で駒ヶ岳登山口のバス乗り場へ。7:45分のバスに乗る。8:20頃登山開始。最初は男岳(1623m)を目指す。曇っていたが視界も良く、火山の跡や高山植物が見えた。しかし、途中より、ガスが出て視界が悪くなり、小雨も降りだす。小雨はすぐ止んだが視界が利かず、男岳の頂上はまだかまだかと思いながら歩く。くやっとガスが取れた。頂上の近くにいた。 次は、男女岳を目指して男岳を下山。阿弥陀池があったが一瞬しか姿を見せてくれなかった。階段のような登山道を登ると男女岳の頂上(1637m)。
視界がよくないので、すぐ下山。次は横岳(1583m)の頂上を経由して下山。途中、雨が振り出し雨具をつける。バス停につくと雨が上がった。天気が悪かったので短時間ですんだ。
天気は悪かったが、花の百名山だけあって、いろんな花に出会えて癒してくれた。 車で日本海に出て、青森県へ一路北上。「はたはた館」へ。18時前。
風呂も新式だし、料理も良いし、寝室も良いし昨日とは比べ物にならないぐらい良かった。(値段は殆んど同じ)
四日目
白神岳の頂上を予定していたが、所要時間が意外にかかるのと体調等を考え、白神岳の頂上を諦め、手前のマテ山(841m)に変更。
駐車場より少し歩くと登山口。8:15出発。しばらくすると急な登りが続くようになる。ロ-プを使っての上りもあった。やはり、ここにも水場があり、美味しい水で喉を潤す。やはり、ここの登山者は少なく殆んどは若者だった。約2時間で頂上。そこには、ぶなの原生林があり、きれいな木肌を見せてくれていた。(白神山地には過去2度来ているが、いずれも中央部の「暗門の滝」への歩行である。)
世界遺産のコアゾ-ンに入りたかったが今回も夢は叶えられなかった。
帰路、険しい下り道をスリップしないよう慎重に降りる。
めずらしいキノコがあちこちで見かけた。
下山後、昨夜の「はたはた館」へ行き、風呂に入り汗を流して、13時半頃一路日本海にそって、秋田市へ。途中、干拓された八郎潟では延々と続く一直線の道を車を走らせ、寒風山へ。
若者達がパラグライダ-を楽しんでいた。
その後、「なまはげ」で有名な真山神社に寄る。
秋田の駅前で、夕ご飯を。22時の夜行バスで東京へ。東京発の列車に乗り、青春切符で約10時間を要して大阪へ。
帰宅、18時頃。
東北の三山に登る 8月17~22日
夏の暑い時期は やっぱり街道歩きより登山が良いと思い、K氏M氏とで 岩手山・秋田駒ヶ岳・白神岳(マテ山)を目指した。
一日目
夜行列車「ながら」の指定席がとれないため、夜行バスを利用する。
OCAT発 仙台行きの夜行バスに乗り、約12時間後、仙台に着き、青春切符を使い、列車で盛岡へ。
レンタ-カ-を借り、以後の行動をする。
先ず 渋谷村の石川啄木の記念館に寄り、彼が代用教員として勤めた小学校跡や記念館を見る。 次に、小岩井農場の見学。広い農場を車で回り、美味しいクリ-ムを食す。夏休みの期間なので、ファミリ-での客が多かった。
終了後、盛岡のビジネスホテルに宿泊。昨夜の夜行バスでの睡眠不足をここで補う。
二日目
4年前、Wと八甲田に登った時、それに、次の年、兄夫婦達と東北の櫻の見物に行った時、雪を被った岩手山をいろんな角度から見せてもらい、その山容に惚れ込み、一度は登りたいと思っていた。今は雪はないが、念願の登山が実現した。
早朝、ホテルを後にしてレンタ-カ-で登山口へ。そして、6時半、登山開始。一合目、7時30分。近年、登山といえば中・高年者の多い登山客の中に若い大学生数人と二人の先生の登山者に出会う。北海道の利尻山もそうだったが信州のアルプスでは見られない光景だ。非常に親しみを覚え、先生の的確な助言ももらえるし、以後、彼等を意識して行動を共にする。3合目で登山道は新旧に分かれている。先生の助言では新道の方が急だというので、それを登りに使う。山容からも判るが、どんどん傾斜がきつくなる。若いバワ-に負け、距離をあけられるが7合目で追いつく。(10;30)。先生の話では、もうすぐとのこと。
高山植物も綺麗な花を咲かせ、我々を迎えてくれている。
気合を入れ、出発。傾斜もゆるくなり、意外に簡単に八合目の避難小屋に到着。(10:40)
避難小屋といっても立派で数年前まで営業していたらしい。以前、ここに測候所があって年中勤務していたとの話。グル-プの人達は「御成清水」を飲んでいる。我々もその後に続く。冷たくておいしいのでたくさんの水で喉を潤す。以前、利尻山で水不足で苦しい思いをしたが、今回はガイドブックによると湧水が3ヶ所あると記していたので助かる。特にここの湧水は量は多く、冷たくておいしかった。先生達は、荷物を置き、出発したので、我々もそれに見習う。
不動平に到着。(11:00)。この頃より、天気は回復。ガスもとれ、視界がよくなる。
先生達に何か手助けをしてお礼をしたいと思い、全員の集合写真を頂上でと思い、仲間の二人より速く歩く。そして、彼等の後を追う。なんと険しい歩きがたい道だと思いながら歩き、頂上で彼等に追いつく。(2037m)
シャッタ-を押してあげる。みんなが喜び、カメラ持参の者全員のカメラのシャッタ-を押してあげた。少しは恩返しが出来たと自画自賛していた。
そこへ、語り部の仲間からのメ-ル。早速、その返事のついでに頂上での写真を送付。(後日 ビックリしたと言っていた。自分も便利になったと自分も感心)
先に、彼等より頂上を後にしたが彼等はお鉢の中へ降りて歩いている。何故かと思っていると神社跡がある。我々も急いで御鉢に降り、合流。またも、見落とす所を助けてもらった。もう一つ、後で判ったことだが先ほど歩きがたい道で彼等の後を追っかけたがそのお陰で岩手山の御鉢を一周したことになった。感謝・感謝。四国一人歩きの体験からか他人に話しかけるのに慣れてきているのが 今回もいろいろ助けてくれたと思っている。
荷物を置いてある避難小屋で休憩後、彼等より先に出発。(13:00) 7合目で旧道をとる。傾斜が緩やからしいが体感的にはとんでもなくキツイ。それも長いこと。膝が痛くなり、何度も、何度も小休止。大学生の彼等とは4合目ぐらいで追いつかれる。若いパワ-にはかてない。
やっと、駐車場に到着したのは、16:30。暑かったこともあるが、往復、10時間を要した。標高は低いが、標高差が約1500mあるので、思っていた通り、手ごわい山だった。無事、下山。感謝、感謝。
車で、本日の宿泊所・蟹場温泉へ。本日の疲れを癒すため、温泉につかり、水分の補給を。そして、グッスリと寝る。
三日目
宿を早朝に出発。車で駒ヶ岳登山口のバス乗り場へ。7:45分のバスに乗る。8:20頃登山開始。最初は男岳(1623m)を目指す。曇っていたが視界も良く、火山の跡や高山植物が見えた。しかし、途中より、ガスが出て視界が悪くなり、小雨も降りだす。小雨はすぐ止んだが視界が利かず、男岳の頂上はまだかまだかと思いながら歩く。くやっとガスが取れた。頂上の近くにいた。 次は、男女岳を目指して男岳を下山。阿弥陀池があったが一瞬しか姿を見せてくれなかった。階段のような登山道を登ると男女岳の頂上(1637m)。
視界がよくないので、すぐ下山。次は横岳(1583m)の頂上を経由して下山。途中、雨が振り出し雨具をつける。バス停につくと雨が上がった。天気が悪かったので短時間ですんだ。
天気は悪かったが、花の百名山だけあって、いろんな花に出会えて癒してくれた。 車で日本海に出て、青森県へ一路北上。「はたはた館」へ。18時前。
風呂も新式だし、料理も良いし、寝室も良いし昨日とは比べ物にならないぐらい良かった。(値段は殆んど同じ)
四日目
白神岳の頂上を予定していたが、所要時間が意外にかかるのと体調等を考え、白神岳の頂上を諦め、手前のマテ山(841m)に変更。
駐車場より少し歩くと登山口。8:15出発。しばらくすると急な登りが続くようになる。ロ-プを使っての上りもあった。やはり、ここにも水場があり、美味しい水で喉を潤す。やはり、ここの登山者は少なく殆んどは若者だった。約2時間で頂上。そこには、ぶなの原生林があり、きれいな木肌を見せてくれていた。(白神山地には過去2度来ているが、いずれも中央部の「暗門の滝」への歩行である。)
世界遺産のコアゾ-ンに入りたかったが今回も夢は叶えられなかった。
帰路、険しい下り道をスリップしないよう慎重に降りる。
めずらしいキノコがあちこちで見かけた。
下山後、昨夜の「はたはた館」へ行き、風呂に入り汗を流して、13時半頃一路日本海にそって、秋田市へ。途中、干拓された八郎潟では延々と続く一直線の道を車を走らせ、寒風山へ。
若者達がパラグライダ-を楽しんでいた。
その後、「なまはげ」で有名な真山神社に寄る。
秋田の駅前で、夕ご飯を。22時の夜行バスで東京へ。東京発の列車に乗り、青春切符で約10時間を要して大阪へ。
帰宅、18時頃。
2008年12月15日
私の足跡 23 乗り放題切符で 熊野岳と縞枯山
今年1年間にわたり、約50年前の私の少年時代からの登山歴を記してきました。
この年齢になると山登りも終わりだと思い、かねてから登りたいと思っていた富士山より高いギナバル山(4095m)をツア-での登頂計画に申し込んだが いろんな事情で無理だといわれ断念した。
今年中に何か記憶に残る旅をしたいと思った。それで独身時代に良く利用した一人旅で、他人の気持ちを気にしない気楽な旅行をしたいと思った。国外旅行では言葉の問題があるが、国内旅行であれば、自分で計画を立てれば何の支障も無いと思い、青春切符より割高だが(青春切符は5回で11500円 この切符は3回で9180円) 、 好季節の秋に使用できる「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を購入した。そして、三日間で出来るだけ遠くへ(乗り放題というこの切符の特性を生かすため)、そして自分の未踏峰の山と考え、「時刻表」と睨みっこして考えたのが次のプランです。そして、計画ができたので早速実行した。
(当初は、栗駒山の登山を計画したが、震災の復帰が充分でないので都合がつかず変更した。)
2008年10月 8 ~11日
一日目
10月8日(水)を出発日にした理由は三日目に乗る「ム-ンライト信州」は10月10日までの金曜日に「新宿」を出発する列車で本数の少ない列車です。それで、この計画ではこの日に出発しなければいけない。
早くから行動に移ったがが、関東の人達は秋の信州の山を楽しむため人気があり、指定席券が発売と同時に売り切れたとのこと。私の良く利用する「ム-ンライトながら」では考えられないことです。(「ながら」の指定席券の場合は同じ日でも、窓際の席が良いですかと聞いてくれた。)「ム-ンライト信州」の指定席券を手に入れることはできなかったので最寄の窓口に日を変え、何度も尋ねたが駄目。ただ、考えられることは私は一人旅なので一枚ぐらいのキャンセルはあると思い、それに2日間の時間があるので、時間があれば窓口で聞いていればチャンスはあるかも知れないと思った。しかし、駄目な場合の案も考え、出発した。(これが 人に迷惑をかけない一人旅のよさである。)
家を夜八時に家を出、新今宮・新大阪の切符売り場でを聞くも駄目。次に大垣で聞くとあるとの事。やはり、23時頃キャンセルした人がいてラッキ-と思い購入。これで、第一案で旅行できる。早速、第二案の宿泊所のキャンセル。
大垣発、11:19の「ム-ンライトながら」に乗る。意外に空いていてホットする。名古屋ぐらいで、私の隣の席も詰まると思っていたが、東京まで空いたままだったので2人分使用でき、ゆっくりできた。
二日目
東京駅に予定通り、5:05着。上野発、5:47で出発。宇都宮、黒磯、郡山で乗り換える。郡山に近づく頃より、同年輩の一人旅の人と話し友達になる。今は宇都宮だが、かつて勤務した所が東北で、その東北は好きで年に2~3回はくるとの事。「塔のへつり」とか「大内宿」「喜多方」等東北の名所のことで話が盛り上がる。彼は、地酒を求めての旅行らしい。私は山登りが趣味で違いがあったが楽しいひとときを過ごす。
車窓より、乳首に見える特長のある安達太良山の山頂が見え、登山した3年前を思い出す。
この日は列車の都合で(福島・山形間の奥羽本線は特急の本数が多いが私の「乗り放題 きっぷ」では乗れない。 )仙台経由で山形へ。
おかげて、仙山線に初めて乗ることができた。
山形の手前の山寺の見学。
一度来たことがあるが、暑かったので頂上まで行っていなかったので紅葉には少し早かったが約一千段以上の階段を登り、最高所の奥の院まで登り、素晴らしい下界の景色と遠景の山々を見る。 門限の5時まで寺で。その後、周辺の見学。
山形に行き、インタ-ネットで調べた記念のために格安だというホテルで一昨夜の夜行列車の疲れを癒す。
三日目
朝、早く起き、6時にホテルを出、一番のバスで蔵王へ。以前、苅田岳へは登っているが最高峰の熊野岳へは行っていないので挑戦するため山形まで来たのだ。バスの次はロ-プウェイで樹氷高原駅へ。ロ-プウェイから見る景色は今は盛りと紅葉した木々で素晴らしかった。また、冬になると木々に樹氷がつき、それがここでしか見られないモンスターになるらしい。一度は見たいものだと思った。
頂上に登るには もう一つロ-プウェイがあり、これを使うと早く頂上に行けるがそれを使わず頑張り歩くことにする。ロ-プウェイに乗る客と別れ、一人で登山開始。
一人旅なのでピッチも上がる。途中、また悲しい遭難碑がたっていた。
木曽駒での遭難事故を思い出し遭難者のご冥福をゆっくり祈った。岩の多い道を二時間少し登りつめれば熊野岳の頂上(1841m)へ。
頂上には熊野神社があり、斉藤茂吉の歌碑もあった。
天気は良く、頂上は遮るものはなく、360度の展望が得られた。
ここで、初めて登山者と出会い、言葉を交わす。約2時間少し、一人歩きの登山だったので彼との話が弾む。深田久弥の百名山を登っている途中で昨日も一昨日も雨だったが今日やっと晴れたと喜んでいた。
私も時間があるし、良い天気なので苅田岳まで行くことにした。 急いで頂上から20分程下ると真っ青な「お釜」が見えてきた。馬の背付近まで来ると観光客が多くなる。そこから、30分ほどで苅田岳の頂上(1758m)。
ここは、バス停・ロ-プウェイが近いのでお客さんの多いことにビックリ。
急いで、元来た道を引き返し、ロ-プウェイ・バスを乗り継ぎ、山形へ。
列車の都合で、仙台経由で福島・郡山・黒磯等で乗り換え、東京へ。夜、九時半ごろ着。すると、「中央本線人身事故のため列車の到着が約一時間遅れる」との報あり。茅野駅に早く到着するので「まあ いいや」と思い、新宿の町へ出、牛丼を食す。十一時過ぎにホ-ムへ。すると、遅れが半時間の報になり、最後は十分遅れで、憧れの「ム-ンライト信州」が到着。
やっとの思いで取れた指定席券で列車に乗る。乗客の九割は大きなリュックを背負った登山客だ。超満員かと心配したが新宿ではそうではない。大月を過ぎても席はうずまらず、私の隣も空いたままでラッキーだつた。多分指定券は510円なので都合で不要になったがキャンセルしなかったのだと思う。
四日目
さて、列車は 茅野に到着したが早すぎる(3:39分着)のでそのまま松本駅まで(4:32分着)乗る。これも 予定通り。乗客の八割はリュックを背負い、松本電鉄の方へ。多分、上高地方面だろう。今回の私の旅行の日程では無理だ。羨ましいが仕方がない。
今回 北八ヶ岳にしたのは 時間的ということもあるが14年前Wと蓼科山から横岳へ歩いているのでその続きを歩いて特徴のある縞枯山に登ってみたいと思ったからだ。
松本駅前の食堂で朝食を。
松本発、5:42。茅野、6:25着。バスで麦草峠へ。乗客途中より6人。横岳方面へは私と横浜の若い男子だけ。彼も「乗り放題きつぷ」を使ってきているとの事。
二人で行こうと思ったが彼の若さについて行くのが不安になり、先に出発。
頂上に近づくにつれガスが出て、見通しも悪くなり、カッパを着けないと服が濡れるようになった。
茶臼山の頂上(2384m)では 車で寝泊りしながら歩いているという男性に出会い、しばらく話を交わす。一人旅での登山者に出会うと話が長くなる。(今、街道歩きを4人でしているが出合った人が一人であっても挨拶程度だが、一人で歩いていて一人で歩いている人に出会うと必ず立ち話をするのと同じと思う。)
その後、縞枯山の頂上(2403m)では3人の女性パ-ティに出合っただけだ。
結局、気になっていた若い男性に会えなかった。自分の脚力に自信ができたように思う。
予定通りの計画で通過。列車も計画通りに乗れ、大阪駅に20時前に着き、家着、21:30分頃。
今回の旅行は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を9180円で買い、約2000kmの距離(但し、私鉄のバス・ロ-プウェイ等の距離・代金は除く。)
を3日間乗り、登山するという自分のたてた計画が無事終了し、満足している。
この年齢になると山登りも終わりだと思い、かねてから登りたいと思っていた富士山より高いギナバル山(4095m)をツア-での登頂計画に申し込んだが いろんな事情で無理だといわれ断念した。
今年中に何か記憶に残る旅をしたいと思った。それで独身時代に良く利用した一人旅で、他人の気持ちを気にしない気楽な旅行をしたいと思った。国外旅行では言葉の問題があるが、国内旅行であれば、自分で計画を立てれば何の支障も無いと思い、青春切符より割高だが(青春切符は5回で11500円 この切符は3回で9180円) 、 好季節の秋に使用できる「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を購入した。そして、三日間で出来るだけ遠くへ(乗り放題というこの切符の特性を生かすため)、そして自分の未踏峰の山と考え、「時刻表」と睨みっこして考えたのが次のプランです。そして、計画ができたので早速実行した。
(当初は、栗駒山の登山を計画したが、震災の復帰が充分でないので都合がつかず変更した。)
2008年10月 8 ~11日
一日目
10月8日(水)を出発日にした理由は三日目に乗る「ム-ンライト信州」は10月10日までの金曜日に「新宿」を出発する列車で本数の少ない列車です。それで、この計画ではこの日に出発しなければいけない。
早くから行動に移ったがが、関東の人達は秋の信州の山を楽しむため人気があり、指定席券が発売と同時に売り切れたとのこと。私の良く利用する「ム-ンライトながら」では考えられないことです。(「ながら」の指定席券の場合は同じ日でも、窓際の席が良いですかと聞いてくれた。)「ム-ンライト信州」の指定席券を手に入れることはできなかったので最寄の窓口に日を変え、何度も尋ねたが駄目。ただ、考えられることは私は一人旅なので一枚ぐらいのキャンセルはあると思い、それに2日間の時間があるので、時間があれば窓口で聞いていればチャンスはあるかも知れないと思った。しかし、駄目な場合の案も考え、出発した。(これが 人に迷惑をかけない一人旅のよさである。)
家を夜八時に家を出、新今宮・新大阪の切符売り場でを聞くも駄目。次に大垣で聞くとあるとの事。やはり、23時頃キャンセルした人がいてラッキ-と思い購入。これで、第一案で旅行できる。早速、第二案の宿泊所のキャンセル。
大垣発、11:19の「ム-ンライトながら」に乗る。意外に空いていてホットする。名古屋ぐらいで、私の隣の席も詰まると思っていたが、東京まで空いたままだったので2人分使用でき、ゆっくりできた。
二日目
東京駅に予定通り、5:05着。上野発、5:47で出発。宇都宮、黒磯、郡山で乗り換える。郡山に近づく頃より、同年輩の一人旅の人と話し友達になる。今は宇都宮だが、かつて勤務した所が東北で、その東北は好きで年に2~3回はくるとの事。「塔のへつり」とか「大内宿」「喜多方」等東北の名所のことで話が盛り上がる。彼は、地酒を求めての旅行らしい。私は山登りが趣味で違いがあったが楽しいひとときを過ごす。
車窓より、乳首に見える特長のある安達太良山の山頂が見え、登山した3年前を思い出す。
この日は列車の都合で(福島・山形間の奥羽本線は特急の本数が多いが私の「乗り放題 きっぷ」では乗れない。 )仙台経由で山形へ。
おかげて、仙山線に初めて乗ることができた。
山形の手前の山寺の見学。
一度来たことがあるが、暑かったので頂上まで行っていなかったので紅葉には少し早かったが約一千段以上の階段を登り、最高所の奥の院まで登り、素晴らしい下界の景色と遠景の山々を見る。 門限の5時まで寺で。その後、周辺の見学。
山形に行き、インタ-ネットで調べた記念のために格安だというホテルで一昨夜の夜行列車の疲れを癒す。
三日目
朝、早く起き、6時にホテルを出、一番のバスで蔵王へ。以前、苅田岳へは登っているが最高峰の熊野岳へは行っていないので挑戦するため山形まで来たのだ。バスの次はロ-プウェイで樹氷高原駅へ。ロ-プウェイから見る景色は今は盛りと紅葉した木々で素晴らしかった。また、冬になると木々に樹氷がつき、それがここでしか見られないモンスターになるらしい。一度は見たいものだと思った。
頂上に登るには もう一つロ-プウェイがあり、これを使うと早く頂上に行けるがそれを使わず頑張り歩くことにする。ロ-プウェイに乗る客と別れ、一人で登山開始。
一人旅なのでピッチも上がる。途中、また悲しい遭難碑がたっていた。
木曽駒での遭難事故を思い出し遭難者のご冥福をゆっくり祈った。岩の多い道を二時間少し登りつめれば熊野岳の頂上(1841m)へ。
頂上には熊野神社があり、斉藤茂吉の歌碑もあった。
天気は良く、頂上は遮るものはなく、360度の展望が得られた。
ここで、初めて登山者と出会い、言葉を交わす。約2時間少し、一人歩きの登山だったので彼との話が弾む。深田久弥の百名山を登っている途中で昨日も一昨日も雨だったが今日やっと晴れたと喜んでいた。
私も時間があるし、良い天気なので苅田岳まで行くことにした。 急いで頂上から20分程下ると真っ青な「お釜」が見えてきた。馬の背付近まで来ると観光客が多くなる。そこから、30分ほどで苅田岳の頂上(1758m)。
ここは、バス停・ロ-プウェイが近いのでお客さんの多いことにビックリ。
急いで、元来た道を引き返し、ロ-プウェイ・バスを乗り継ぎ、山形へ。
列車の都合で、仙台経由で福島・郡山・黒磯等で乗り換え、東京へ。夜、九時半ごろ着。すると、「中央本線人身事故のため列車の到着が約一時間遅れる」との報あり。茅野駅に早く到着するので「まあ いいや」と思い、新宿の町へ出、牛丼を食す。十一時過ぎにホ-ムへ。すると、遅れが半時間の報になり、最後は十分遅れで、憧れの「ム-ンライト信州」が到着。
やっとの思いで取れた指定席券で列車に乗る。乗客の九割は大きなリュックを背負った登山客だ。超満員かと心配したが新宿ではそうではない。大月を過ぎても席はうずまらず、私の隣も空いたままでラッキーだつた。多分指定券は510円なので都合で不要になったがキャンセルしなかったのだと思う。
四日目
さて、列車は 茅野に到着したが早すぎる(3:39分着)のでそのまま松本駅まで(4:32分着)乗る。これも 予定通り。乗客の八割はリュックを背負い、松本電鉄の方へ。多分、上高地方面だろう。今回の私の旅行の日程では無理だ。羨ましいが仕方がない。
今回 北八ヶ岳にしたのは 時間的ということもあるが14年前Wと蓼科山から横岳へ歩いているのでその続きを歩いて特徴のある縞枯山に登ってみたいと思ったからだ。
松本駅前の食堂で朝食を。
松本発、5:42。茅野、6:25着。バスで麦草峠へ。乗客途中より6人。横岳方面へは私と横浜の若い男子だけ。彼も「乗り放題きつぷ」を使ってきているとの事。
二人で行こうと思ったが彼の若さについて行くのが不安になり、先に出発。
頂上に近づくにつれガスが出て、見通しも悪くなり、カッパを着けないと服が濡れるようになった。
茶臼山の頂上(2384m)では 車で寝泊りしながら歩いているという男性に出会い、しばらく話を交わす。一人旅での登山者に出会うと話が長くなる。(今、街道歩きを4人でしているが出合った人が一人であっても挨拶程度だが、一人で歩いていて一人で歩いている人に出会うと必ず立ち話をするのと同じと思う。)
その後、縞枯山の頂上(2403m)では3人の女性パ-ティに出合っただけだ。
結局、気になっていた若い男性に会えなかった。自分の脚力に自信ができたように思う。
予定通りの計画で通過。列車も計画通りに乗れ、大阪駅に20時前に着き、家着、21:30分頃。
今回の旅行は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を9180円で買い、約2000kmの距離(但し、私鉄のバス・ロ-プウェイ等の距離・代金は除く。)
を3日間乗り、登山するという自分のたてた計画が無事終了し、満足している。
2008年10月15日
私の足跡 19 東北の名峰 鳥海・出羽三山・苅田岳
2006年9月15~18日
M氏と東北の名峰 鳥海山・出羽三山・蔵王山へ
一日目
大阪発の夜行寝台列車「日本海」で出発
二日目
寝台列車なのでよく眠れ、身体を横にしていたので楽だった。
夜明けと共に、太陽も見え天気もよさそう。
象潟着、7:39。タクシ-の値段交渉をし、矢島の登山口へ。
皇太子殿下もこの登山道を使い鳥海山に登ったと運転手に聞く。
9:00,登山開始。
最初は高山植物の咲き乱れる湿原の木道を歩くがすぐに急登の連続となり、後方に見える頂上を目指す。 一時間ほど急坂を登っていくと、さすが、豪雪地帯にそびえる山なので高度は低いが途中に雪渓が多くあったのでその上を歩くが、夏の終わりなので解け始めていたので足元に充分に気をつける。
急登があったり、緩やかな登りがあったりした登山道だった。
火山の山だけあって、頂上に近づくと火山岩や火山礫ばかりで気をつけて登る。
天気も晴れて自分達の登ってきた道や下界の景色が良く見えたり、ガスって見えなかったりだった。
標準より速く、3時間半で頂上(2236m)に着いた。
この鳥海山は飛行機で何回も見て一度は登りたいと思っていた憧れの山です。10月の末か11月にこの上を飛行機で飛ぶと頂上付近が真っ白で、独立峰なのですぐわかる素晴らしい姿の山です。
頂上からはガスで駄目な時もあったが、時々見せてくれる景色は素晴らしかった。
帰りも、同じ道を3時間で下山。
予定より一つ早い列車に乗れたので、宿泊地の鶴岡にも早く到着し、明日からのレンタカ-についての話ができた。(昨年の反省から)
宿舎に電話をして迎えにきてもらう。
お客は二組でおかみさんともゆっくり話せた。
三日目
早朝、主人に駅まで送ってもらい、昨日交渉しておいたレンタカ-を借り、8:00にM氏の運転で出発。月山の登山に向かう。大きな鳥居をくぐり、登山口へ車を走らす。
9:00、登山開始。
初めは高山植物の咲き乱れる湿原の木道を歩くがすぐに急登の連続となる。
途中の仏生池小屋付近には、山岳信仰の山らしく石仏がたくさんあった。
行者返が終わるまでは急登だったが後は割りに緩やかな道で気持ちの良い登山道だった。
出羽三山の主峰・月山(1984m)の頂上には12:00に到着。
立派な月山神社があり、我々も健康と登山の無事の祈祷してもらった。
頂上からの景色は、昨日と同じくガスが多かったが、時々見せてくれる景色は素晴らしかった。
登山口着、15:00。
鶴岡までの帰途、出羽三山の二番目・羽黒山に参る。ここには、月山・湯殿山・羽黒山の三社を合祀した出羽三山神社がある。冬季には月山・湯殿山に登ってお参りできないのでここにお参りすると三神社にお参りしたことになるとのこと。それで、この神社のスケ-ルの大きさにびっくり。
少し離れた所ある国宝の五重の塔の見学。当時は白木作りで、釘一本も使用していないそうです。明治の廃仏毀釈の時、仏像のかわりに神様を祭り、難を免れたとも書いてあった。
その後、連泊したので昨夜の宿舎へ。部屋に置いてあったお酒を冷蔵庫に入れて冷やしておいてくれた。
明朝の出発は早いので宿泊料の支払いを済ます。
四日目
6時に宿舎を出発。出羽三山最後の山・湯殿山にむけ出発。
早く出すぎたので有料道路は係員はいなかった。湯殿山の境内に入るのも早すぎて入れなかったが交渉して入れてもらった。
ここでも、祈祷料を払い健康と安全をお願いした。
ご神体は 小山の岩からお湯の出る岩山で素足になれば登らせてくれた。
ご神体ですので、写真撮影禁止。あまり詳細を記してはいけないそうなのでやめておきます。
台風が接近しているので、急いで蔵王の刈田岳へ向かったが頂上の駐車場では雨がひどく降ってきたので登山を中止し、台風の来ぬ間に帰ることにした。
山形でレンタカ-を乗り捨て、山形発、15:05分発の新幹線で東京へ。
そして、新幹線を乗り継ぎ新大阪へ。帰宅、21:00前。
2008年09月15日
私の足跡 17 東北の名峰 磐梯・吾妻・安達太良・早池峰山
2005年8月26~30日
S氏M氏T氏と3人 大垣発の夜行「ながら」で、東北の名峰「早池峰」 「安達太良」「吾妻山」「磐梯山」へ。
二日目
東京に早朝に着き、東北新幹線の一番で新花巻駅に着く。バスとの接続時間 が無かったので4人で仕事の分担をして慌てたが充分間にあった。
乗客は途中から 私達4人ともう一人の登山者だけ。約1時間はバス停 ノンストップで河原坊の登山口へ。
初めは、樹林帯の中の道だったが、1時間もするとガレ場になり急登が始まる。 ジグザグの急登を3時間少しで頂上(1914m)へ。 途中、高山植物の花に癒されたからなのか、標準時間より早く頂上に到着。天気は良く、見晴らしは最高。
急斜面を登ってきたので登って来た道も下山する道も良く見えた。
登頂より下山の方が傾斜がゆるく楽なようだ。
登頂を祝しS氏持参のお神酒をグラスで乾杯した。
そして、頂上周辺を散策した。
頂上には 宝剣がたくさんあった。
また、立派な避難小屋もあった。
帰りは、道を変え小田越に降りた。初めは、良かったが途中より長い梯子がいくつもあったり、よく滑る蛇紋岩の連続だったので精神的に疲れた。
でも、頂上で、「あの程度の傾斜なら登りに比べ、楽だ。スキップで踏んで降りられる」と言ったばかりに無理にスキップで降りたりして、楽しんだ。
早池峰と言えば「ハヤチネウスユキソウ」だが、この時期はもう盛りが過ぎていたが、他の高山植物は綺麗な花を見せてくれていた。
下山後、いつものことだが山に向かって「素晴らしい景色を見せてくれて有難う」と声を出し礼を言う。
帰りも、標準時間より早く下山したので、時間を費やし、午前中と同じく4プラス1の5人の乗客で出発し、遠野物語で有名な集落を過ぎ、新花巻駅へ。
そして、新幹線で一路郡山へ。本日の登頂を祝し乾杯後、予約の駅前のビジネスホテへ。各自の部屋で明日からのドライブのため熟睡。
三日目
早朝に、駅前のホテルを出て、レンタカ-を借りる。それに、予定以上に時間がかかり、出発が約1時間以上遅れる。
万葉集にも詠われ、民謡でも有名な磐梯山の登山口 八方台にも遅れて到着。車を駐車し、そこから、弘法清水までピッチを上げ歩いたので標準時間より早く着く。天気は良好。景色を楽しみながら湧き水で冷やしたビ-ルを。
そして、30分足らずで頂上へ。頂上で早めの昼食。(コンビ二の弁当) 眼下に見える桧原湖等の展望を楽しんだ後、急いで八方台まで下山。
そこから、レンタカ-で奥岳温泉へ。登り始めて、しばらくすると「智恵子抄」で有名な安達太良山の頂上の乳首山もきっちり見えた。周辺の景色も良く見えた。初めだけは、傾斜もゆるい登山道で樹林帯だった。頂上近くで傾斜もきつく、ガスってきた。安達太良山への歩行もピッチを上げ朝の遅れを30分にした。少しガスがかかった時もあったが安達太良山の標識の所に到着。荷物を置き頂上へ。頂上(1699m)からの下りに時間がかかった。くろがね温泉小屋の主人に連絡をと思うも携帯電話は圏外で駄目。二人は別行動で、急いで降り小屋へ連絡。5:30着。
到着後、山小屋では珍しい温泉の風呂に入り汗を流しサッパリした後いつものように水分補給を。小屋は客は少なく10人足らずだったので部屋をユッタリ使わせてもらう。
この「くろがね温泉小屋」は 山を愛する男女が大晦日にここで宿泊し、餅をつき、翌日の元旦をみんなで祝すという伝統があり、「臼」があつた。私も一度は体験したいものです。
四日目
4時半起床。 6時に小屋を出る。ピッチを上げ7時半奥岳温泉へ。駐車していたレンタカ-で白布温泉へ。そして、今回4ツ目の山・西吾妻山(2035m)へ。樹林帯はなく傾斜もゆるく良かったが、後半はガレ場で傾斜もきつくマイッタ。
山頂は樹林帯で、視界が利かないとは珍しい。下山後、レンタ-カ-を返し、時間が遅れることもあったが今回の旅行も無事終えたので、最後の揃っての食事ということでこの旅行の最高の昼食を昼遅くとった。そしてバスで空港へ。
そこで、とんでもないハプニング。初め、飛行機整備の都合で遅れると連絡。しばらくすると欠航するとのこと。これは大変。どうしてくれるのか聞く。答えは他社の飛行機で大阪へ行って欲しいとのこと。大阪着の時刻を聞くと遅くて我々には乗って帰る電車がない。大阪市のどこかで泊まらなければならない。
これでは駄目だと言い寄る。とにかく、応対はカウンタ-の女子社員。事務所内の男性は出てこない。しばらくしての答えは「郡山でもう一泊してほしい。費用は会社持ちで」とのこと。4人で相談。一人は明日勤務なので、連絡をとり、O・Kとなったのでそれに決定。会社のタクシ-で静寂な所に建つ超豪華なホテルへ。食事も超豪華であったが我々は昼遅くとった昼食のためお腹が大きく残念だった。
五日目
早朝、ホテル周辺を散策。朝食後、8;45の専用バスで空港へ。
関空着、昼前。家着、14:00。