登山 関東の山
2008年11月15日
私の足跡 21 根子岳と四阿山登山
2007年10月19~20日
ツア-でS氏M氏と根子岳と四阿山へ
一日目
8時に難波でM氏とあい、バスに乗る。京都でS氏も乗り込む。
バスは黒斑山(浅間山)行きの人たちと同じなので混み合っていた。
二日目
バスの中ではよく眠れた。予定通り、5時に登山口着。
トイレ、洗面、朝食後登山の用意。不要な荷物をバスに残す。菅平高原牧場を6時出発
出発後、牧場の近くの道を登る。熊笹と白樺に覆われた道だ。
乳牛がそれぞれ朝露のついた草をおいしそうに食べていた。
しばらくすると森林限界を過ぎ、下界の景色も見え始める。うれしい事に雲もなく、良い天気らしい。
アップダウンの道を登っていると目指す頂上が見えてきた。そして、根子岳頂上(2207m)着、8時。
頂上は広い山頂の石垣の上に祠が祀られ、ここからの眺望も素晴らしかった。また、「花の百名山」なのでシ-ズンはとても良いだろうと思う。
天気も良いので見晴らしも良かったので、予定の20分間はアット言う間にすぎた。
これから、頂上はぼんやりしてはっきり見えないが四阿山へ出発。
すぐに急下降が始まる。ガレ場で滑りやすいので足元に気をつけて降る。
根子岳と四阿山の最低鞍部が見えて来た。
最低鞍部からの登り返しが始まる。熊笹に覆われた急登だ。
もくもくと登っていて、ふと横を見ると笹の葉の上に雪があるのに気がついた。「アッ、雪だ。」と言うと皆もビックリ。さすが信州の2000mの高さになると10月中旬でも雪があるのだ。
急坂を一時間足らず登ると明るく緩やかな道になり、しばらくすると木造の階段が見えるとその前方に頂上らしきものが見え、ホットする。
四阿山頂上(2354m)着、10:00。ガスが出て、視界も良くなかった。 リ-ダ-の判断は皆が揃って昼食と思っていたが身体が冷えるので到着した者から食べさせてもらうようにした。そして、寒いからできるだけ早く下山するようにした。頂上発、10;20.
下山を始めるとガスも薄くなり、見晴らしが良くなってきた。
下界の樹木が紅葉し、足元の草木も赤くなる草紅葉も綺麗で、気分良く下山する。
ふと振り返って右の方を見ると高斑山(浅間山)の頂上は真っ白な帽子を被っていた。 途中、中四阿山頂上にも寄り、菅平高原牧場の近くに下山。
20分足らずでバスの停車している場所に到着。13:00。
近くの道の駅の風呂に入り、14:00発。
難波 21:48の電車に乗る。
ツア-でS氏M氏と根子岳と四阿山へ
一日目
8時に難波でM氏とあい、バスに乗る。京都でS氏も乗り込む。
バスは黒斑山(浅間山)行きの人たちと同じなので混み合っていた。
二日目
バスの中ではよく眠れた。予定通り、5時に登山口着。
トイレ、洗面、朝食後登山の用意。不要な荷物をバスに残す。菅平高原牧場を6時出発
出発後、牧場の近くの道を登る。熊笹と白樺に覆われた道だ。
乳牛がそれぞれ朝露のついた草をおいしそうに食べていた。
しばらくすると森林限界を過ぎ、下界の景色も見え始める。うれしい事に雲もなく、良い天気らしい。
アップダウンの道を登っていると目指す頂上が見えてきた。そして、根子岳頂上(2207m)着、8時。
頂上は広い山頂の石垣の上に祠が祀られ、ここからの眺望も素晴らしかった。また、「花の百名山」なのでシ-ズンはとても良いだろうと思う。
天気も良いので見晴らしも良かったので、予定の20分間はアット言う間にすぎた。
これから、頂上はぼんやりしてはっきり見えないが四阿山へ出発。
すぐに急下降が始まる。ガレ場で滑りやすいので足元に気をつけて降る。
根子岳と四阿山の最低鞍部が見えて来た。
最低鞍部からの登り返しが始まる。熊笹に覆われた急登だ。
もくもくと登っていて、ふと横を見ると笹の葉の上に雪があるのに気がついた。「アッ、雪だ。」と言うと皆もビックリ。さすが信州の2000mの高さになると10月中旬でも雪があるのだ。
急坂を一時間足らず登ると明るく緩やかな道になり、しばらくすると木造の階段が見えるとその前方に頂上らしきものが見え、ホットする。
四阿山頂上(2354m)着、10:00。ガスが出て、視界も良くなかった。 リ-ダ-の判断は皆が揃って昼食と思っていたが身体が冷えるので到着した者から食べさせてもらうようにした。そして、寒いからできるだけ早く下山するようにした。頂上発、10;20.
下山を始めるとガスも薄くなり、見晴らしが良くなってきた。
下界の樹木が紅葉し、足元の草木も赤くなる草紅葉も綺麗で、気分良く下山する。
ふと振り返って右の方を見ると高斑山(浅間山)の頂上は真っ白な帽子を被っていた。 途中、中四阿山頂上にも寄り、菅平高原牧場の近くに下山。
20分足らずでバスの停車している場所に到着。13:00。
近くの道の駅の風呂に入り、14:00発。
難波 21:48の電車に乗る。
2008年06月15日
私の足跡 11 高見山 と 至仏山・日光白根山 と 八甲田の大岳
2002年7月21日
K氏D氏S氏M氏と高見山へ
8時に自宅の近くで、車に乗せてもらい、下市へ。そこで、Sと合流。大峠・小峠を経て、2時間足らずで頂上へ。
そこより、曽爾高原など四方が見渡せ、さすが関西のマッタ-ホルンと言われている山だ。
展望台で冷たいビ-ルで昼食。
樹氷のできる冬の高見山に是非挑戦しょうと思う。
帰る途中、風呂に入り、5時ごろ帰宅。
2002年8月10~12日
K氏D氏S氏M氏のフルメンバ-で夜行寝台列車「銀河」で、至仏山と日光白根山へ
この寝台列車も交通機関の発達と世相の変化で、「なは」と共に2008年の3月で姿を消してしまった。我々の世代はと言うより私は寝台列車や寝台バスを長く利用してきた。その理由は夜眠っていて、目が覚めれば目的地に着いていて次の1日を有効に使えるという利点があるからだ。
今でも、関東方面への旅行では夜行列車「ながら」をよく利用している。ひどい時には夜行列車で移動をし、次に旅行、そして夜行列車で移動し見学ということも最近したこともある。
二日目
東京に早朝着き、上毛高原駅経由で鳩待峠へ。
11:30に登山開始。昨年とコ-スを変え、小至仏山経由で至仏山頂上へ。
この山は、昨年 雷雨のため、無念にも撤退した山で、今年はリベンジの山だ。滑りやすい蛇紋岩が多かったが、今年は天気は良かったので、頂上近くの尾根道からの景色は素晴らしく、苦にもならなかった。正面には、燧岳、眼下には尾瀬ガ原の上をどこまでも続く木道が延々と延びている。また、足元には高山植物ガ咲き乱れ、昨年宿泊した「ロッジまつうら」の親父さんに聞いたとおり、ウスユキソウ等の花が咲いていた。
予定より、時間がかかり、最後は急ぐ。
鎌田まで行くと約束通り、宿の車が迎えにきてくれていて、丸沼高原へ。
本日の宿舎はペンション「雪だるま」で、子どもを国体のスキ-選手に育てあげ、今は ペンション経営をしているとのこと。
気さくで、人のよい夫婦だった。
客も少なかったので、私達に何の束縛もなく、自由にさせてくれたので有難かった。
三日目
早朝に宿を出、関東地方第一の高峰「日光白根山 (2573m)」をめざす。
しばらく、ガレ場もあったが、高山植物も咲き乱れ、特にハンゴウ草が印象に残った。
頂上着、11:00。天気に恵まれ、頂上からの景色は周囲の山がよく見え、堪能。
下山した後、「雪たるま」で風呂に入り水分の補給後、昼食をとり、鎌田まで送ってもらい、帰宅、22時過ぎ。
私の登山は、こだわりを持って山登りをしていると一番初めに書いていますが、 この日光白根山の登山で、日本の地方別の最高峰に登ったことになる。
北海道地方 旭岳・・・・・・・・2290m
東北地方 燧岳・・・・・・・・・2356m
関東地方 日光白根山・・・2578m
中部地方 富士山・・・・・・・3776m
近畿地方 八経ヶ岳・・・・・1915m
中国地方 大山・・・・・・・・1711m
四国地方 石鎚山・・・・・・・1982m
九州地方 宮之浦岳・・・・・1985m
2002年10月10~12日
ツア-で、Wと紅葉の東北旅行
一日目
大阪空港発で、大館能代空港着、13:00着。小雨が降っていた。バスで八幡平へ。バスを降りると雨は止んでいたが、頂上では、霧と風。気温、マイナス1度。ナナカマドの撮影を期待していたが、駄目だった。下山し始めると、空も晴れ始め、遠くに岩手山もぼんやり見え始める。
宿泊は、冬はスキ-客用のホテルで、シ-ズン外は普通の観光客を収容する大規模なホテル。夕食は、バイキング。
二日目
ホテル発、7;30。一路、八甲田へ。10:30、登山開始。天気は良く東北の山々を眺めながら、赤倉岳・井戸岳・大岳へ登り、鞍部に下り、昼食。13:00発。 しばらくすると、上毛無岱で木道が敷かれていてそこを歩いていくと一段下に下毛無岱の草紅葉が突然現れ、その素晴らしさは今までの最高の原風景だった。
絵はがきでは見ていたが、それは上空から撮影したものと思っていたので自分の目で直接見ることができる景色とは思っていなかった。
今度は、その下毛無岱の中の木道を足元の見事な草紅葉を、そして、遠くの山々の紅葉した木々を眺めながら一時間少し歩く。 次は、紅葉した原生林の中を野鳥の声を聞きながらアップダウンを何度も繰り返し、やっと酸ヶ湯温泉に15:30着。天気も良く、気温も高かったので汗もしっかり出た。
早速、仙人風呂に入り、汗を流す。お湯の味は、名の通り酸っぱかった。
温泉前のナナカマドは、木の数は少なかったが、最高だった。
バスで奥入瀬へ。17:00着。徒歩区間は約30分だった。その間写真撮影をした。休屋で買い物。外は真っ暗。ホテルからの夜景は最高だった。
三日目
宿を 7:30発。白神着、8:00。往は、紅葉真っ盛りのブナの原生林の森をアップダウンを繰り返しながら行く。
復は、谷川に沿って歩く。そして、橋も何度か渡る。暗門の滝まで行きたかったが台風で荒れているので駄目ということで、残念だった。
紅葉が川の水面に映え、綺麗だった。
10::00過ぎにバスが出発し、空港へ。秋田空港発 13;15発。
機上から、鳥海山の勇姿に心が惹かれれながら帰阪。難波で食事をし、帰宅。17:30。
今回の旅行の目的の一つは、ナナカマドの撮影だったが、これは不十分だった。
K氏D氏S氏M氏と高見山へ
8時に自宅の近くで、車に乗せてもらい、下市へ。そこで、Sと合流。大峠・小峠を経て、2時間足らずで頂上へ。
そこより、曽爾高原など四方が見渡せ、さすが関西のマッタ-ホルンと言われている山だ。
展望台で冷たいビ-ルで昼食。
樹氷のできる冬の高見山に是非挑戦しょうと思う。
帰る途中、風呂に入り、5時ごろ帰宅。
2002年8月10~12日
K氏D氏S氏M氏のフルメンバ-で夜行寝台列車「銀河」で、至仏山と日光白根山へ
この寝台列車も交通機関の発達と世相の変化で、「なは」と共に2008年の3月で姿を消してしまった。我々の世代はと言うより私は寝台列車や寝台バスを長く利用してきた。その理由は夜眠っていて、目が覚めれば目的地に着いていて次の1日を有効に使えるという利点があるからだ。
今でも、関東方面への旅行では夜行列車「ながら」をよく利用している。ひどい時には夜行列車で移動をし、次に旅行、そして夜行列車で移動し見学ということも最近したこともある。
二日目
東京に早朝着き、上毛高原駅経由で鳩待峠へ。
11:30に登山開始。昨年とコ-スを変え、小至仏山経由で至仏山頂上へ。
この山は、昨年 雷雨のため、無念にも撤退した山で、今年はリベンジの山だ。滑りやすい蛇紋岩が多かったが、今年は天気は良かったので、頂上近くの尾根道からの景色は素晴らしく、苦にもならなかった。正面には、燧岳、眼下には尾瀬ガ原の上をどこまでも続く木道が延々と延びている。また、足元には高山植物ガ咲き乱れ、昨年宿泊した「ロッジまつうら」の親父さんに聞いたとおり、ウスユキソウ等の花が咲いていた。
予定より、時間がかかり、最後は急ぐ。
鎌田まで行くと約束通り、宿の車が迎えにきてくれていて、丸沼高原へ。
本日の宿舎はペンション「雪だるま」で、子どもを国体のスキ-選手に育てあげ、今は ペンション経営をしているとのこと。
気さくで、人のよい夫婦だった。
客も少なかったので、私達に何の束縛もなく、自由にさせてくれたので有難かった。
三日目
早朝に宿を出、関東地方第一の高峰「日光白根山 (2573m)」をめざす。
しばらく、ガレ場もあったが、高山植物も咲き乱れ、特にハンゴウ草が印象に残った。
頂上着、11:00。天気に恵まれ、頂上からの景色は周囲の山がよく見え、堪能。
下山した後、「雪たるま」で風呂に入り水分の補給後、昼食をとり、鎌田まで送ってもらい、帰宅、22時過ぎ。
私の登山は、こだわりを持って山登りをしていると一番初めに書いていますが、 この日光白根山の登山で、日本の地方別の最高峰に登ったことになる。
北海道地方 旭岳・・・・・・・・2290m
東北地方 燧岳・・・・・・・・・2356m
関東地方 日光白根山・・・2578m
中部地方 富士山・・・・・・・3776m
近畿地方 八経ヶ岳・・・・・1915m
中国地方 大山・・・・・・・・1711m
四国地方 石鎚山・・・・・・・1982m
九州地方 宮之浦岳・・・・・1985m
2002年10月10~12日
ツア-で、Wと紅葉の東北旅行
一日目
大阪空港発で、大館能代空港着、13:00着。小雨が降っていた。バスで八幡平へ。バスを降りると雨は止んでいたが、頂上では、霧と風。気温、マイナス1度。ナナカマドの撮影を期待していたが、駄目だった。下山し始めると、空も晴れ始め、遠くに岩手山もぼんやり見え始める。
宿泊は、冬はスキ-客用のホテルで、シ-ズン外は普通の観光客を収容する大規模なホテル。夕食は、バイキング。
二日目
ホテル発、7;30。一路、八甲田へ。10:30、登山開始。天気は良く東北の山々を眺めながら、赤倉岳・井戸岳・大岳へ登り、鞍部に下り、昼食。13:00発。 しばらくすると、上毛無岱で木道が敷かれていてそこを歩いていくと一段下に下毛無岱の草紅葉が突然現れ、その素晴らしさは今までの最高の原風景だった。
絵はがきでは見ていたが、それは上空から撮影したものと思っていたので自分の目で直接見ることができる景色とは思っていなかった。
今度は、その下毛無岱の中の木道を足元の見事な草紅葉を、そして、遠くの山々の紅葉した木々を眺めながら一時間少し歩く。 次は、紅葉した原生林の中を野鳥の声を聞きながらアップダウンを何度も繰り返し、やっと酸ヶ湯温泉に15:30着。天気も良く、気温も高かったので汗もしっかり出た。
早速、仙人風呂に入り、汗を流す。お湯の味は、名の通り酸っぱかった。
温泉前のナナカマドは、木の数は少なかったが、最高だった。
バスで奥入瀬へ。17:00着。徒歩区間は約30分だった。その間写真撮影をした。休屋で買い物。外は真っ暗。ホテルからの夜景は最高だった。
三日目
宿を 7:30発。白神着、8:00。往は、紅葉真っ盛りのブナの原生林の森をアップダウンを繰り返しながら行く。
復は、谷川に沿って歩く。そして、橋も何度か渡る。暗門の滝まで行きたかったが台風で荒れているので駄目ということで、残念だった。
紅葉が川の水面に映え、綺麗だった。
10::00過ぎにバスが出発し、空港へ。秋田空港発 13;15発。
機上から、鳥海山の勇姿に心が惹かれれながら帰阪。難波で食事をし、帰宅。17:30。
今回の旅行の目的の一つは、ナナカマドの撮影だったが、これは不十分だった。
2008年06月01日
私の足跡 10 大山 と 谷川岳・燧岳
2001年7月22日
D氏S氏M氏と大山へ
5時に家を出、6時に金剛駅でM氏の車に乗せてもらい、大山寺登山口着、9:00。
9:30発。天気もよく、視界がよく最高の気分だった。但し、森林限界を越えたあたりから暑くて汗ビッショリだった。 中国地方の最高峰・大山の頂上(1711m)着、12:00。
頂上でのM氏が持ってあがってくれた冷たいビ-ルの味は、頂上からの四方の景色の素晴らしさと相まって最高の味がした。
40年ほど前に登った記憶は殆んど残っていない。
崩壊危険のため、実質的な最高峰・剣ケ峰(1729m)には今は行けなくなっていたのは残念だった。
頂上発、13:30。帰りは、有名な大山の北壁を見ようということで、登りと道を変えて元谷に降りた。
そして、大神山神社と大山寺ヘ寄って見学したりしたので16:30着。
そして、車で中国自動車道を通り、帰阪。
帰宅、21:30。
2001年8月1~4日
S氏と谷川岳・至仏山・燧岳へ。
二日目
前日は夜行バスで大阪を発ち、早朝に東京に着く。
そして、上毛高原駅よりバス等を乗り継ぎ、谷川岳の登山口へ。
約1時間ほどはゆるやかな登りだったが、その後の1時間半は、樹林帯を抜け出て岩が露出した急登の尾根。やっと避難小屋前に到着。
この山は双耳峰で最初はトマの耳(1963m)へ。そして、約30分足らずでオキの耳(1977m)へ。
天気はよく、四方の景色は抜群だった。
下山して、バスで戸倉へ。そして、[ロッジまつうら」で宿泊。宿の主人は気さくで好々爺の人だったが 当地方の観光協会の会長さんで、山渓の雑誌に投稿したり、TVにも 出演している山のベテランとわかる。私達の山の計画を話すと至仏山は下るより登る方が良いとのアドバイスを受け、当初の計画の変更をして燧岳を先に登ることにした。その夜は 親父さんの尾瀬の話をゆっくり聞かせていただいた。
三日目
3:00、起床。3:30、主人の車に乗せてもらい出発。大清水着、4:00。
最初は暗くて、ヘッドランプをたよりに歩き始める。
明るくなった三平峠で朝食。峠を越え、尾瀬沼へ。
やっと、目指す燧岳が姿をあらわした。ここで水の補給をするつもりだったがうまく出来なかった。利尻山の悪夢にならぬよう心がけた。
最初はゆるやかな登りだったが最後の2時間ほどは急登と暑さで苦労した。
途中、急に視界が開け、眼下に尾瀬沼が姿を見せてくれた。眼下の景色を見てここまで上がってきたのかといつもホットし、後少しだと自分を元気づけている。
この燧岳も谷川岳と同じように双耳峰で初めは柴安ぐら(2356m)、そこから約30分足らずで巨岩多く三角点のある俎ぐら(2346m)へ。祠もあった。11:00、着。
いつものように、無事登頂を携帯電話で報告。天気は快晴。頂上からの風景は尾瀬ケ原から至仏山までは箱庭のような景色だった。宿泊地の下田代までは樹林帯の中の長い長い急な下り坂。朝からおいつ追われつの若い登山者は水不足で困っていたがどうすることも出来ない。14:30、着。約30後、若者も無事下山。小屋前の水飲み場で美味しそうに飲んでいる姿を見て、ホットし、昨年の利尻山の悪夢を思い出した。
携帯電話はここでは通じなかった。第二長蔵小屋に泊まる。散策をしたりしたが、2年前の春とは景色はぜんぜん違い別世界のようだった。ゆっくり過ごす。
夜、川崎の男性が登山が終わってホットしたのか酔っ払って、何度も起きて動くので、眠れず睡眠不足でマイッタ。
山小屋で酔っ払って仲間に迷惑をかけるとは言語道断。許せない。
四日目
4:50に小屋を出たが、天気は悪く山の鼻の手前から雨が降り出す。
山の鼻の小屋の従業員の人達の話では、降り続くかもしれないが、たいしたことはないだろうと言う意見があったので、少しでも早くと思い、急ピッチで登る。
途中何人かを追い越す。森林限界を越えるあたりから足元は蛇紋岩であるので滑りやすくて登り難くなった。雷鳴も遠くから聞こえるようになった。足元を水が激しく流れるようになった。
頂上まで、後1時間ぐらいという所まで来ると雷鳴が頭上で聞こえるようになつた。雨は我慢できるが、雷は生命にかかわるので、登山を中止し下山することにした。道は川のように水が流れている。とにかく、樹林帯まで急ぐことにしたので、途中何人かを追い越す。そして、山の鼻の小屋へ。出発の準備を終え、雨のため様子をみている団体のり-ダ-やその他の人たちに様子を聞かれ、相談を受けた。
小休止をした後、75分かかると書いてある鳩待峠までの上り道を、登山者をごぼう抜きに追い越して45分で登った。S氏と自分達の老人パワ-にビックリ。
戸倉で、一昨日の宿『ロッジまつうら」に寄り、風呂を借り、新幹線で帰宅。
D氏S氏M氏と大山へ
5時に家を出、6時に金剛駅でM氏の車に乗せてもらい、大山寺登山口着、9:00。
9:30発。天気もよく、視界がよく最高の気分だった。但し、森林限界を越えたあたりから暑くて汗ビッショリだった。 中国地方の最高峰・大山の頂上(1711m)着、12:00。
頂上でのM氏が持ってあがってくれた冷たいビ-ルの味は、頂上からの四方の景色の素晴らしさと相まって最高の味がした。
40年ほど前に登った記憶は殆んど残っていない。
崩壊危険のため、実質的な最高峰・剣ケ峰(1729m)には今は行けなくなっていたのは残念だった。
頂上発、13:30。帰りは、有名な大山の北壁を見ようということで、登りと道を変えて元谷に降りた。
そして、大神山神社と大山寺ヘ寄って見学したりしたので16:30着。
そして、車で中国自動車道を通り、帰阪。
帰宅、21:30。
2001年8月1~4日
S氏と谷川岳・至仏山・燧岳へ。
二日目
前日は夜行バスで大阪を発ち、早朝に東京に着く。
そして、上毛高原駅よりバス等を乗り継ぎ、谷川岳の登山口へ。
約1時間ほどはゆるやかな登りだったが、その後の1時間半は、樹林帯を抜け出て岩が露出した急登の尾根。やっと避難小屋前に到着。
この山は双耳峰で最初はトマの耳(1963m)へ。そして、約30分足らずでオキの耳(1977m)へ。
天気はよく、四方の景色は抜群だった。
下山して、バスで戸倉へ。そして、[ロッジまつうら」で宿泊。宿の主人は気さくで好々爺の人だったが 当地方の観光協会の会長さんで、山渓の雑誌に投稿したり、TVにも 出演している山のベテランとわかる。私達の山の計画を話すと至仏山は下るより登る方が良いとのアドバイスを受け、当初の計画の変更をして燧岳を先に登ることにした。その夜は 親父さんの尾瀬の話をゆっくり聞かせていただいた。
三日目
3:00、起床。3:30、主人の車に乗せてもらい出発。大清水着、4:00。
最初は暗くて、ヘッドランプをたよりに歩き始める。
明るくなった三平峠で朝食。峠を越え、尾瀬沼へ。
やっと、目指す燧岳が姿をあらわした。ここで水の補給をするつもりだったがうまく出来なかった。利尻山の悪夢にならぬよう心がけた。
最初はゆるやかな登りだったが最後の2時間ほどは急登と暑さで苦労した。
途中、急に視界が開け、眼下に尾瀬沼が姿を見せてくれた。眼下の景色を見てここまで上がってきたのかといつもホットし、後少しだと自分を元気づけている。
この燧岳も谷川岳と同じように双耳峰で初めは柴安ぐら(2356m)、そこから約30分足らずで巨岩多く三角点のある俎ぐら(2346m)へ。祠もあった。11:00、着。
いつものように、無事登頂を携帯電話で報告。天気は快晴。頂上からの風景は尾瀬ケ原から至仏山までは箱庭のような景色だった。宿泊地の下田代までは樹林帯の中の長い長い急な下り坂。朝からおいつ追われつの若い登山者は水不足で困っていたがどうすることも出来ない。14:30、着。約30後、若者も無事下山。小屋前の水飲み場で美味しそうに飲んでいる姿を見て、ホットし、昨年の利尻山の悪夢を思い出した。
携帯電話はここでは通じなかった。第二長蔵小屋に泊まる。散策をしたりしたが、2年前の春とは景色はぜんぜん違い別世界のようだった。ゆっくり過ごす。
夜、川崎の男性が登山が終わってホットしたのか酔っ払って、何度も起きて動くので、眠れず睡眠不足でマイッタ。
山小屋で酔っ払って仲間に迷惑をかけるとは言語道断。許せない。
四日目
4:50に小屋を出たが、天気は悪く山の鼻の手前から雨が降り出す。
山の鼻の小屋の従業員の人達の話では、降り続くかもしれないが、たいしたことはないだろうと言う意見があったので、少しでも早くと思い、急ピッチで登る。
途中何人かを追い越す。森林限界を越えるあたりから足元は蛇紋岩であるので滑りやすくて登り難くなった。雷鳴も遠くから聞こえるようになった。足元を水が激しく流れるようになった。
頂上まで、後1時間ぐらいという所まで来ると雷鳴が頭上で聞こえるようになつた。雨は我慢できるが、雷は生命にかかわるので、登山を中止し下山することにした。道は川のように水が流れている。とにかく、樹林帯まで急ぐことにしたので、途中何人かを追い越す。そして、山の鼻の小屋へ。出発の準備を終え、雨のため様子をみている団体のり-ダ-やその他の人たちに様子を聞かれ、相談を受けた。
小休止をした後、75分かかると書いてある鳩待峠までの上り道を、登山者をごぼう抜きに追い越して45分で登った。S氏と自分達の老人パワ-にビックリ。
戸倉で、一昨日の宿『ロッジまつうら」に寄り、風呂を借り、新幹線で帰宅。