登山 九州の山
2008年12月01日
私の足跡 22 高千穂登山
2008年5月30~31日
ツア-でK氏・M氏と高千穂登山へ
一日目
16時に家を出 17時難波 3人でかもめフェリ-タ-ミナルへ。
19時30分発のフェリ-で宮崎へ。2等寝台だったのでゆったりし、よく眠れた。
二日目
予定通り、8:20、宮崎港着。すぐにバスで高千穂河原へ。
ここは、2年前、霧島連峰を縦走し、降りてきた所で懐しい。
登山開始前に、これから登る高千穂の峰を登る前に 無事登山を祈る。
ビジタ-センタ-より登山開始、10:30。この鳥居の上の霧島古宮跡へ。ここは以前霧島神宮のあった場所だが何度かの火山爆発等により新しい場所に移されている宮跡です。
最後は急登りだったが一時間足らずで御鉢を覗ける御鉢火口縁に到着。 登ってきた道や火口跡の御鉢もバッチリ見えた。あちこちにミヤマキリシマの花も咲き、綺麗だった。
この後、高千穂峰の頂上との鞍部で昼食の弁当。
鞍部出発、12:45。急登が続いたが頂上(1574m)着、13:10。
頂上に「天の逆鉾」があった。天孫降臨の神話的伝説のある山だけあってその伝説にふさわしい秀麗な山容であった。
頂上発、13:20。
天気は良し、ミヤマキリシマの花の時期も良し等で登山者も多く山は混雑していた。
帰りは道が混雑していたので健脚者用の道を使って下山した。
ビジタ-センタ-着、14:30.宮崎港までの途中、温泉に入る。
温泉の底の足元は泥だ。露天風呂の縁に泥がありそれを身体中にぬりつけるとよいというので皆で塗りつけた。
風呂上りに水分補給。冷たいビ-ルの味は格別だった。
宮崎港着、18:30。 コンビ二で夕食と朝食を買う。
宮崎港発、19:10。2等寝台でゆっくり寝る。
でも、夜中より風雨が強くなり、高知沖では波が高く、船の揺れが大きく何度か目を覚ます。
夜明けと共に船内放送で到着が1時間以上遅れて到着との事。
結局、大阪南港・かもめ埠頭へは一時間半遅れの9:00だった。
この日は帰宅時間も中途半端なので武奈ヶ岳への登山をして帰る予定だったが都合が悪く、「十時頃大阪駅に着く」と考えると遠くへは行けないので一応「山」の名のつく山崎の天王山に行くことにした。
豊臣秀吉軍と明智光秀軍との天下分け目の合戦地を「明智光秀の気持ちは? 豊臣秀吉の行動は?」と思いながらの見学。
頂上、12:00。下山し、駅前で昼食。
難波15:00。帰宅、16:00。
2008年09月01日
私の足跡 16 九重山と由布岳 霧が峰と美ヶ原
2005年5月27~29日
K氏D氏M氏と 夜行船で九重山と由布岳
二日目
昨夜は船の二等寝台だったので、よく眠れた。6時20分、別府着。車で宿泊地へ行き、不要な荷物を置く。途中、ビュ-ポイントで写真を。
牧ノ戸峠より登山開始、9:00。 沓掛山までの急登の坂を上りきると噴煙をあげる山が見えて来た。また、ミヤマキリシマが今が盛りと咲いて私達を迎えてくれている。
西千里ヶ浜付近はお花畑で我々はその中を進む。なんと贅沢な至福のひと時だ。
九住分れから見る周囲の山々の迫力に圧倒されそうだ。そして、九住山の山頂へ。空は快晴。南に目をやれば祖母山。その右に阿蘇の山々。北には中岳とその向こうには、頂上付近はミヤマキリシマの花で真っ赤な大船山が見える。
中岳への鞍部の御池で昼食。そして、九重山の最高峰・中岳(1791m)へ。 頂上からの景色を眺めていると同じ橋本市の人と出会う。
登山者の大部分は登ってきた道を下るが、我々は憧れの地「坊ガツル」へ行くため、法華院温泉へ下りた。
下りは、急坂の連続でマイッタが、私を励ましてくれたのが三つあった。
一つ目は今が盛りと満面の笑みを見せて咲いているミヤマキリシマ。 二つ目は、眼下を見るとテントや山小屋が点々とした「坊ガツル」がだんだん近づいてくる。
三つ目は、頂上付近がまるで山火事のように真っ赤なっている大船山。
この三つが私に元気を与えてくれ、無事下山できた。
「坊ガツル」から 2時間ほどの徒歩で宿舎へ。
水分補給と夕食後、借りたテ-プをラジカセにいれ、山をこよなく愛した男たちの「坊ガツル賛歌」を4人で合唱?した。
三日目
早朝、車で由布岳の登山口へ。最初は緩やかな草原の道を進む。
途中、樹林帯に入る頃より道の傾斜が厳しくなる。
低潅木地帯に入ると一段と傾斜がきつくなり、ジグザグの道になる。
登山開始二時間後、マタエといわれる鞍部に到着。ここは、西峰と東峰の分岐点。
我々は、最高峰の西峰を目指す。早速、鎖場が何箇所かあったが、ミヤマキリシマが咲く馬の背を慎重に進めば頂上、(1583m)。
天気は良く、湯布院の町も箱庭のように見えた。2年前、湯布院の町から見て是非登りたいと思った双耳峰の由布岳に登れた。夢が叶った。
帰りは、やせ細った馬の背を一歩一歩足元を見つめて下る。ここにも、ミヤマキリシマがあちこちに咲いていた。
マタエで湯布院の町を見下ろしながら昼食の弁当を食べる。
下山後、湯布院温泉で4人でコバルトブル-色の露天風呂に入る。
別府へ出て、16:00の列車に乗り、帰宅、21:30。
2005年7月20~21日
兄夫婦と私達でツア-で、霧が峰と美ヶ原へ
一日目
6時前に、家を出る。難波8時発のバス。美ヶ原着、15:30。たくさんの高山植物に癒されながら、王ケ頭のホテルに。そして、荷物を置き、高山植物を見ながら、王ケ鼻へ。少し、ガスっていたがアルプスがぼんやり見えた。
宿舎着、17:00。風呂・夕食を済ませ、三階へ。いつものように、大女将の美ヶ原の話と、美ヶ原の四季の風景のスライドの鑑賞会。その後、ホテルの車で夜景の見学に出かけたが、天気の都合でよくなかった。ホテル着、21:00。
二日目。
3:30、起床。朝焼けの山の撮影に出かけたが、曇っていたので良い写真が撮れなかった。
朝食後、小屋を出発し、四方の山・風景を眺め撮影しながら進む。
王ケ頭からも放牧場を歩く。特に、絶好の場所でのんびり草を食む牛たちが印象的だった。
牛に塩をなめさせる塩クレ場を通り過ぎ、美しの塔へ向かう。塔は高さ6m。美ヶ原のシンボルで、美ヶ原を称えた尾崎喜八の詩が刻まれている。 約一時間で山本小屋へ。天候も良くなり、最高の気分。
次は八島ガ原湿原に移動し、高山植物を見ながら約一時間かけて池を一周し、車山の山頂へ。
車山では ニッコウキスゲが満開の時期で、今年は例年になく綺麗だと言う話で女性軍のカメラもフル活動。予定の時間をフルに使う。素晴らしい景色に未練を残しながらも帰宅。22:00。
K氏D氏M氏と 夜行船で九重山と由布岳
二日目
昨夜は船の二等寝台だったので、よく眠れた。6時20分、別府着。車で宿泊地へ行き、不要な荷物を置く。途中、ビュ-ポイントで写真を。
牧ノ戸峠より登山開始、9:00。 沓掛山までの急登の坂を上りきると噴煙をあげる山が見えて来た。また、ミヤマキリシマが今が盛りと咲いて私達を迎えてくれている。
西千里ヶ浜付近はお花畑で我々はその中を進む。なんと贅沢な至福のひと時だ。
九住分れから見る周囲の山々の迫力に圧倒されそうだ。そして、九住山の山頂へ。空は快晴。南に目をやれば祖母山。その右に阿蘇の山々。北には中岳とその向こうには、頂上付近はミヤマキリシマの花で真っ赤な大船山が見える。
中岳への鞍部の御池で昼食。そして、九重山の最高峰・中岳(1791m)へ。 頂上からの景色を眺めていると同じ橋本市の人と出会う。
登山者の大部分は登ってきた道を下るが、我々は憧れの地「坊ガツル」へ行くため、法華院温泉へ下りた。
下りは、急坂の連続でマイッタが、私を励ましてくれたのが三つあった。
一つ目は今が盛りと満面の笑みを見せて咲いているミヤマキリシマ。 二つ目は、眼下を見るとテントや山小屋が点々とした「坊ガツル」がだんだん近づいてくる。
三つ目は、頂上付近がまるで山火事のように真っ赤なっている大船山。
この三つが私に元気を与えてくれ、無事下山できた。
「坊ガツル」から 2時間ほどの徒歩で宿舎へ。
水分補給と夕食後、借りたテ-プをラジカセにいれ、山をこよなく愛した男たちの「坊ガツル賛歌」を4人で合唱?した。
三日目
早朝、車で由布岳の登山口へ。最初は緩やかな草原の道を進む。
途中、樹林帯に入る頃より道の傾斜が厳しくなる。
低潅木地帯に入ると一段と傾斜がきつくなり、ジグザグの道になる。
登山開始二時間後、マタエといわれる鞍部に到着。ここは、西峰と東峰の分岐点。
我々は、最高峰の西峰を目指す。早速、鎖場が何箇所かあったが、ミヤマキリシマが咲く馬の背を慎重に進めば頂上、(1583m)。
天気は良く、湯布院の町も箱庭のように見えた。2年前、湯布院の町から見て是非登りたいと思った双耳峰の由布岳に登れた。夢が叶った。
帰りは、やせ細った馬の背を一歩一歩足元を見つめて下る。ここにも、ミヤマキリシマがあちこちに咲いていた。
マタエで湯布院の町を見下ろしながら昼食の弁当を食べる。
下山後、湯布院温泉で4人でコバルトブル-色の露天風呂に入る。
別府へ出て、16:00の列車に乗り、帰宅、21:30。
2005年7月20~21日
兄夫婦と私達でツア-で、霧が峰と美ヶ原へ
一日目
6時前に、家を出る。難波8時発のバス。美ヶ原着、15:30。たくさんの高山植物に癒されながら、王ケ頭のホテルに。そして、荷物を置き、高山植物を見ながら、王ケ鼻へ。少し、ガスっていたがアルプスがぼんやり見えた。
宿舎着、17:00。風呂・夕食を済ませ、三階へ。いつものように、大女将の美ヶ原の話と、美ヶ原の四季の風景のスライドの鑑賞会。その後、ホテルの車で夜景の見学に出かけたが、天気の都合でよくなかった。ホテル着、21:00。
二日目。
3:30、起床。朝焼けの山の撮影に出かけたが、曇っていたので良い写真が撮れなかった。
朝食後、小屋を出発し、四方の山・風景を眺め撮影しながら進む。
王ケ頭からも放牧場を歩く。特に、絶好の場所でのんびり草を食む牛たちが印象的だった。
牛に塩をなめさせる塩クレ場を通り過ぎ、美しの塔へ向かう。塔は高さ6m。美ヶ原のシンボルで、美ヶ原を称えた尾崎喜八の詩が刻まれている。 約一時間で山本小屋へ。天候も良くなり、最高の気分。
次は八島ガ原湿原に移動し、高山植物を見ながら約一時間かけて池を一周し、車山の山頂へ。
車山では ニッコウキスゲが満開の時期で、今年は例年になく綺麗だと言う話で女性軍のカメラもフル活動。予定の時間をフルに使う。素晴らしい景色に未練を残しながらも帰宅。22:00。
2008年08月01日
私の足跡 14 冬の上高地 霧島縦走・開聞岳
2004年3月20日
K氏S氏M氏と冬の上高地へ
二日目
前日の夜行バスで平湯へ。4時半着。まだ早く暗いので5時半まで寝る。
6時半出発。防寒用具をしっかり着け、初めはスノ-シュ-を持って釜トンネルの入り口まで行く。
釜トンネルから奥へは4月下旬まで、車は一切通行止めである。
したがって、ここから上高地の駐車場までの車道は、歩行者天国である。
それも、人通りの少ない歩行者天国である。
釜トンネルの入り口の周辺は、でっかいツララが垂れ下がって見事である。
下の道は、部分的に凍っていて、ヘットランプで照らしながら、歩かないと滑って危険だ。
歩けば長く感じたトンネルを抜け出ると山々は真っ白な布を被せたように真っ白だ。
道は、勿論雪が積もっていて、それが凍てているので始末が悪い。
スノ-シュ-をうまく、しっかり使わないと危険だ。
焼岳も見えてきた。
噴煙が上がっているかどうかはここからは定かでない。
大正池で休憩。
焼岳が間近にせまってきて我々を覆いかぶさるようである。
噴煙もかすかに見える。
大正池に映える写真を何枚か撮影した。
ここで、河童橋まで、行く者とこの周辺で散策する者とに分かれる。
我々は河童橋まで行くことにした。
この後、ガイドさんは普段通ることの出来ない所(すべて雪に覆われているので、川さえ気をつければ良い。)を通って案内してくれた。
人が通っていない所なので足が深く入り込み、厄介だ。
河童橋で時間をゆっくりとるということでピッチをあげる。
穂高もだんだん近づいてきた。
色づいた柳の木が並んでいる梓川の堤防を歩いていくと河童橋に到着。
シ-ズンの河童橋の上は、人が一杯だが今は我々の仲間だけだ。 ゆっくりと写真を撮ることができるので、麓から頂上まで真っ白な穂高の写真を何枚も撮った。
橋の近くのみやげ物店の一階部分は完全に雪の中。
私達は二階の部分と同じ高さに立っている。
帰路は帝国ホテルの前を通ったがあとは殆んど同じような道を通って帰る。
帰りに「平湯」に寄り、温泉で汗を流した。勿論、ビ-ルで水分補給を。
夜22:00、帰宅。
2004年5月2~5日
K氏M氏と霧島山縦走と開聞岳へ。
二日目
前日の夜行列車で大阪を発ち、宮崎駅へ。途中、車のハプニングがあつたが、登山口へ向かう。天気は悪く、山に入るにつれて、もやのため、視界が悪くなる。えびの高原の登山口に到着する頃には、雨が降ってきた。
登山口で、雨具をつけて登る。)頂上まで1時間半で先ず硫黄山登山口へ。急登をしのぎ、頂上が近づくにつれ、より視界が悪く、頂上の三角点(1700m)に立っても頂上征服の感じがまったくしない。「頂上からの展望は実に素晴らしく、とくに美しい円錐形をした高千穂の峰が見事。大浪池の神秘的な輝きも目に焼き付けたいものだ」とガイドブックに書いてあったので期待して登ったのに何も見えずサッパリだった。でも、登山では悪天候もあって当たり前だ。次回を楽しみにしょう。
すぐに、高千穂河原を目指して、降り始めたが、ぬかるみの急坂の下りですべってスベッテまいった。獅子戸岳(1429m)を過ぎ新燃岳(1420m)に来ると風が強くなり、火口壁から落ちないように気をつけて歩く。中岳を過ぎた頃より急坂の下りになり、樹林帯に入り、長い長い道のりを歩いてやっと高千穂河原へ到着。すぐに、目的地の鹿児島市へ。そして、駅前のビジネスホテルで宿泊。
今日一日 悪天候のため、登山の様子の写真は良い物ナシ。
実際に自分自身も登った山はわからないので、天気が良ければどんな山かを知りたくて絵はがきを写真に撮った。
三日目
6:30にホテルを出る。鹿児島駅構内の食堂で朝食をとり、弁当を買い、列車で山川駅へ。バスで開聞岳の登山口へ。登山開始、10:00。初めは、展望がきかない道だ。高度を上げてくると視界がきかない霧の中を歩く。5合目あたりで一瞬、霧が晴れ、長崎鼻が見えた。歓声をあげて喜んだが無情にも霧の中に、消えた。7合目あたりから、佐多岬から屋久島等が見えると書いていたのでそれを信じ霧の晴れるのを待ったが駄目だった。岩場の難所を過ぎ、丁度島をらせん状に一周すると頂上(922m)。頂上直下の急登はきつかった。12:30着。昼食後、頂上発13:00。登山口着、15:00。 徒歩で開聞駅へ(16:00)。そして、列者で指宿駅へ。宿舎について風呂に入り、夕食の料理が揃う前にビ-ルのジョッキを一息に。
四日目
4:00に起床し、月食の観測。こんな九州の最南端で偶然観察することができるなんてラッキ-だった。
一度、宿舎に帰り、しばらく待って、5:30より、海から上がる日の出の写真撮影に出かけた。 天気も良かったので何枚も撮った。
朝食後、宿舎を出て、有名な指宿の砂風呂の体験をした。
天気が良いので、昨日登った開聞岳の写真撮影に長崎鼻などへ。 鹿児島に戻り、維新博物館の見学。
鹿児島駅より開通間もない新幹線とリレ-つばめ(超豪華な設備と接客)で博多へ。そして、新幹線で大阪へ。
K氏S氏M氏と冬の上高地へ
二日目
前日の夜行バスで平湯へ。4時半着。まだ早く暗いので5時半まで寝る。
6時半出発。防寒用具をしっかり着け、初めはスノ-シュ-を持って釜トンネルの入り口まで行く。
釜トンネルから奥へは4月下旬まで、車は一切通行止めである。
したがって、ここから上高地の駐車場までの車道は、歩行者天国である。
それも、人通りの少ない歩行者天国である。
釜トンネルの入り口の周辺は、でっかいツララが垂れ下がって見事である。
下の道は、部分的に凍っていて、ヘットランプで照らしながら、歩かないと滑って危険だ。
歩けば長く感じたトンネルを抜け出ると山々は真っ白な布を被せたように真っ白だ。
道は、勿論雪が積もっていて、それが凍てているので始末が悪い。
スノ-シュ-をうまく、しっかり使わないと危険だ。
焼岳も見えてきた。
噴煙が上がっているかどうかはここからは定かでない。
大正池で休憩。
焼岳が間近にせまってきて我々を覆いかぶさるようである。
噴煙もかすかに見える。
大正池に映える写真を何枚か撮影した。
ここで、河童橋まで、行く者とこの周辺で散策する者とに分かれる。
我々は河童橋まで行くことにした。
この後、ガイドさんは普段通ることの出来ない所(すべて雪に覆われているので、川さえ気をつければ良い。)を通って案内してくれた。
人が通っていない所なので足が深く入り込み、厄介だ。
河童橋で時間をゆっくりとるということでピッチをあげる。
穂高もだんだん近づいてきた。
色づいた柳の木が並んでいる梓川の堤防を歩いていくと河童橋に到着。
シ-ズンの河童橋の上は、人が一杯だが今は我々の仲間だけだ。 ゆっくりと写真を撮ることができるので、麓から頂上まで真っ白な穂高の写真を何枚も撮った。
橋の近くのみやげ物店の一階部分は完全に雪の中。
私達は二階の部分と同じ高さに立っている。
帰路は帝国ホテルの前を通ったがあとは殆んど同じような道を通って帰る。
帰りに「平湯」に寄り、温泉で汗を流した。勿論、ビ-ルで水分補給を。
夜22:00、帰宅。
2004年5月2~5日
K氏M氏と霧島山縦走と開聞岳へ。
二日目
前日の夜行列車で大阪を発ち、宮崎駅へ。途中、車のハプニングがあつたが、登山口へ向かう。天気は悪く、山に入るにつれて、もやのため、視界が悪くなる。えびの高原の登山口に到着する頃には、雨が降ってきた。
登山口で、雨具をつけて登る。)頂上まで1時間半で先ず硫黄山登山口へ。急登をしのぎ、頂上が近づくにつれ、より視界が悪く、頂上の三角点(1700m)に立っても頂上征服の感じがまったくしない。「頂上からの展望は実に素晴らしく、とくに美しい円錐形をした高千穂の峰が見事。大浪池の神秘的な輝きも目に焼き付けたいものだ」とガイドブックに書いてあったので期待して登ったのに何も見えずサッパリだった。でも、登山では悪天候もあって当たり前だ。次回を楽しみにしょう。
すぐに、高千穂河原を目指して、降り始めたが、ぬかるみの急坂の下りですべってスベッテまいった。獅子戸岳(1429m)を過ぎ新燃岳(1420m)に来ると風が強くなり、火口壁から落ちないように気をつけて歩く。中岳を過ぎた頃より急坂の下りになり、樹林帯に入り、長い長い道のりを歩いてやっと高千穂河原へ到着。すぐに、目的地の鹿児島市へ。そして、駅前のビジネスホテルで宿泊。
今日一日 悪天候のため、登山の様子の写真は良い物ナシ。
実際に自分自身も登った山はわからないので、天気が良ければどんな山かを知りたくて絵はがきを写真に撮った。
三日目
6:30にホテルを出る。鹿児島駅構内の食堂で朝食をとり、弁当を買い、列車で山川駅へ。バスで開聞岳の登山口へ。登山開始、10:00。初めは、展望がきかない道だ。高度を上げてくると視界がきかない霧の中を歩く。5合目あたりで一瞬、霧が晴れ、長崎鼻が見えた。歓声をあげて喜んだが無情にも霧の中に、消えた。7合目あたりから、佐多岬から屋久島等が見えると書いていたのでそれを信じ霧の晴れるのを待ったが駄目だった。岩場の難所を過ぎ、丁度島をらせん状に一周すると頂上(922m)。頂上直下の急登はきつかった。12:30着。昼食後、頂上発13:00。登山口着、15:00。 徒歩で開聞駅へ(16:00)。そして、列者で指宿駅へ。宿舎について風呂に入り、夕食の料理が揃う前にビ-ルのジョッキを一息に。
四日目
4:00に起床し、月食の観測。こんな九州の最南端で偶然観察することができるなんてラッキ-だった。
一度、宿舎に帰り、しばらく待って、5:30より、海から上がる日の出の写真撮影に出かけた。 天気も良かったので何枚も撮った。
朝食後、宿舎を出て、有名な指宿の砂風呂の体験をした。
天気が良いので、昨日登った開聞岳の写真撮影に長崎鼻などへ。 鹿児島に戻り、維新博物館の見学。
鹿児島駅より開通間もない新幹線とリレ-つばめ(超豪華な設備と接客)で博多へ。そして、新幹線で大阪へ。
2008年07月01日
私の足跡 12 阿蘇岳と祖母山
2003年5月2~5日
K氏M氏と阿蘇山と祖母山へ
二日目
前夜の夜行寝台「なは」で熊本へ。
この寝台列車も利用旅客者が減少したため、2008年3月に廃止されてしまって残念だ。交通機関の発達で止むを得ないが利用した者としては寂しいものです。
熊本着、7:30。
朝食を摂り、レンタ-カ-を借り、両者の運転で阿蘇山へ。
仙酔峡から、阿蘇の噴火口を見上げながら、高度を上げていく。
今回の登山では、ミヤマキリシマを見るのが目的だつたが、花の時期には少し早すぎた。
噴火口と高さが同じになり、その後は見下ろすようになる。
中岳(1506m)で噴火口を見下ろしながら、昼食。
その後、高度を上げて、高岳頂上(1592m)13:30着。
天気はよく、四方の景色はよく見えた。
下山の途中、中岳で休憩していると中学生の団体が登ってきた。荷物の少ないこともあるが、坂道を平気な様子で登ってきた。多分、クラブ活動で毎日鍛えているからだと思うが我々にはその元気がなく、羨ましく思った。
少し下ると、集団から遅れた者が数人いて、先生が無線で連絡をとっていた。昔の仕事柄か、小中学生の団体を見ると気になる。全員、無事登山が終えますように祈った。
下山後、竹田城を見学し、都合で遅れて参加するS氏を待つため、緒方駅へ。
そこで見たS氏の姿に3人はビックリ。我々の山仲間では、最強の男で日常の生活でも足首におもりをつけ鍛えている彼が足を痛めている。それも、山で痛めたとのこと。彼にかける言葉もなかった。
4人になり、車で祖母山の麓へ。
宿泊したのは、以前、尾平鉱山として栄えた頃、大きな集落があり、賑わった頃の学校跡を利用した尾平青少年旅行村だ。
学校を改造した建物だが、広いスペ-スがあり良かった。
夜、風呂に入り明日の登山準備。
三日目
5時前起床。
宿舎発、5:30。
外に出ると、天気はよく、荒々しい祖母山群が我々の登頂を待っていてくれているようだ。
登山口より鉱山跡を過ぎ、つり橋を渡ると登りが始まる。
一時間ほど歩くと、尾根の取り付け付近となる。そこより、急登が続く。
馬の背付近になると祖母山系のパノラマが広がる。
特にけわしい傾山の勇姿が印象的だった。
今回の登山の目的はアケボノツツジの花を見るのが目的だったが今が盛りと満開で我々を迎えてくれている。
九合目にある山小屋は近代的な設備をした山小屋だった。
頂上(1756m)着、10:30。神武天皇の祖母が祀られたことからこの名があるらしい。石の祠がある。快晴で、南には、宮崎・熊本県境の山々、西は阿蘇、北は九重の山々、東は荒々しい傾山というように壮大であった。
頂上発、10:50. 途中、写真を撮ったり、食事をしたりして尾平に下山した(15:00)。登山口より標高差約1200mの山を往復したので疲れた。
休憩後、湯布院へ向け、出発(16:00)
湯布院着、18:00。
由布岳の夕焼けは良かった。
この山も双耳峰で姿もよく、是非挑戦したい山だ。
夜、夕食後、夜の湯布院の町を散策した。
四日目
朝日の由布岳を写真にと思い、待ったが逆光で期待はずれ。
朝食をゆっくりいただく。
改札口もなく、開放的な感じの湯布院の町にピッタリの雰囲気の湯布駅へ。
9時10分発の列車で大分へ。
そして小倉を経由して帰阪。家着、16:30。
K氏M氏と阿蘇山と祖母山へ
二日目
前夜の夜行寝台「なは」で熊本へ。
この寝台列車も利用旅客者が減少したため、2008年3月に廃止されてしまって残念だ。交通機関の発達で止むを得ないが利用した者としては寂しいものです。
熊本着、7:30。
朝食を摂り、レンタ-カ-を借り、両者の運転で阿蘇山へ。
仙酔峡から、阿蘇の噴火口を見上げながら、高度を上げていく。
今回の登山では、ミヤマキリシマを見るのが目的だつたが、花の時期には少し早すぎた。
噴火口と高さが同じになり、その後は見下ろすようになる。
中岳(1506m)で噴火口を見下ろしながら、昼食。
その後、高度を上げて、高岳頂上(1592m)13:30着。
天気はよく、四方の景色はよく見えた。
下山の途中、中岳で休憩していると中学生の団体が登ってきた。荷物の少ないこともあるが、坂道を平気な様子で登ってきた。多分、クラブ活動で毎日鍛えているからだと思うが我々にはその元気がなく、羨ましく思った。
少し下ると、集団から遅れた者が数人いて、先生が無線で連絡をとっていた。昔の仕事柄か、小中学生の団体を見ると気になる。全員、無事登山が終えますように祈った。
下山後、竹田城を見学し、都合で遅れて参加するS氏を待つため、緒方駅へ。
そこで見たS氏の姿に3人はビックリ。我々の山仲間では、最強の男で日常の生活でも足首におもりをつけ鍛えている彼が足を痛めている。それも、山で痛めたとのこと。彼にかける言葉もなかった。
4人になり、車で祖母山の麓へ。
宿泊したのは、以前、尾平鉱山として栄えた頃、大きな集落があり、賑わった頃の学校跡を利用した尾平青少年旅行村だ。
学校を改造した建物だが、広いスペ-スがあり良かった。
夜、風呂に入り明日の登山準備。
三日目
5時前起床。
宿舎発、5:30。
外に出ると、天気はよく、荒々しい祖母山群が我々の登頂を待っていてくれているようだ。
登山口より鉱山跡を過ぎ、つり橋を渡ると登りが始まる。
一時間ほど歩くと、尾根の取り付け付近となる。そこより、急登が続く。
馬の背付近になると祖母山系のパノラマが広がる。
特にけわしい傾山の勇姿が印象的だった。
今回の登山の目的はアケボノツツジの花を見るのが目的だったが今が盛りと満開で我々を迎えてくれている。
九合目にある山小屋は近代的な設備をした山小屋だった。
頂上(1756m)着、10:30。神武天皇の祖母が祀られたことからこの名があるらしい。石の祠がある。快晴で、南には、宮崎・熊本県境の山々、西は阿蘇、北は九重の山々、東は荒々しい傾山というように壮大であった。
頂上発、10:50. 途中、写真を撮ったり、食事をしたりして尾平に下山した(15:00)。登山口より標高差約1200mの山を往復したので疲れた。
休憩後、湯布院へ向け、出発(16:00)
湯布院着、18:00。
由布岳の夕焼けは良かった。
この山も双耳峰で姿もよく、是非挑戦したい山だ。
夜、夕食後、夜の湯布院の町を散策した。
四日目
朝日の由布岳を写真にと思い、待ったが逆光で期待はずれ。
朝食をゆっくりいただく。
改札口もなく、開放的な感じの湯布院の町にピッタリの雰囲気の湯布駅へ。
9時10分発の列車で大分へ。
そして小倉を経由して帰阪。家着、16:30。
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2008年05月06日
私の足跡 8 屋久島の宮之浦岳と縄文杉
1999年8月13~18日
一日目
K氏D氏S氏と九州の最高峰・屋久島の宮之浦岳へ
家を6:30に出、伊丹空港に8:00に着く.そして、同発、9:00.鹿児島空港で飛行機を乗り換え,屋久島空港着12:00着.途中、天気もよく、機内から、桜島の噴煙がよく見えた。 空港で昼食をとった後、ガスは機内持ち込み禁止であったため、再度ガスボンベを購入してもらいグリ-ンホテルへ。
ゆつたりした部屋だったので、我々もよく寛げた。
荷物を置き、千尋の滝の見学。帰って、明日からの登山の準備。
二日目
5:00にホテル発。
登山口より山道へ入り、屋根を超えて下るとそこは淀川小屋。
6時過ぎに着き、朝食。
7:00に出発。
急な斜面を登り、樹林帯に入る。
高山植物も 見られる。
小花之江河を過ぎて、小休止。
しばらくすると花之江河に着く。9:00。
日本庭園を彷彿とさせる景勝地で心身を癒すことができた。雨が降り始める。正面に黒味岳が見える。
でも、周辺の山が見えるので、気分的に助かる。
ヤクシマダケが多くなり、歩くのに苦労する。
岩の露出した山が多く見られる。頂上に豆腐を切ってのせたような山があった。
高度も高くなってから大きなコブを2個ほど超えるとやっと 九州地方の最高峰「宮乃浦岳」1935m に到着。12:00.雨は小雨だが、視界は良くない。晴天なら、種子島は勿論硫黄島まで見えるそうです。焼野三叉路まで、降りて食事をすることにしたが、道が悪く、ヤクシマダケの茂みがひどく、茂みに埋もれながらの下山でマイッタ。
13:00発 平石を過ぎると尾根伝いになり、森林帯に入る。第二・第一展望台を過ぎると森が深くなり、大木も多くなり、屋久島らしくなつた。15:30、新高塚小屋に到着。10~20人位が宿泊できる無人小屋。そこに、関東地方からの若者5人と我々4人だけ。ゆったり、泊まれるのでホツトする。超満員で最悪の場合泊まれなかったら、この雨の中どうするか心配したが良かった。/大>
早速、炊飯の用意をする者と水を汲みに行く者とに手分けして作業開始。
無灯火のため、急いで用意をして、明るいうちに豪華な食事をする。特に、S氏の持ち運んでくれた道具・材料で山小屋では考えられない特別豪華な食事になった。雨天のため、室内で炊飯したので、匂いが室内に充満して他の客に迷惑をかけたので悪かったと反省。片付け後、しばらく、談笑したが、暗くなったので、各自のシュラフの中に入り寝ようとしたが、7時すぎでは、眠れない。雨がはげしくふるようになつた。何度も何度も目を覚ましながらも朝を迎える。
三日目
目が覚めていたが、時間が早いので、じっとしていたが、やっと明るくなったので起床、5;00。昨夜作っておいた朝食を食べ、6:00に出発。雨の中を尾根伝いに約1時間 木の根に覆われた道を滑らないよう慎重に歩いて行くと「高塚小屋」に着く。
まもなく、念願の縄文杉に対面。推定樹齢 7000年で世界最大胸高囲 16mの大きさに感動。
7000年もの長い間、この厳しい自然の中でよくも生き長らえたものだと縄文杉に長時間見とれていた。この貴重な縄文杉を守るため、囲いがしていた。(翌年、ある新聞に 貴重な 縄文杉に傷がつけられたという記事を目にし、憤りを感じたのは 私だけでは なかったと 思います。) 未練を残しながらも縄文杉とも別れ、大杉が次々続く、大株歩道を下る。先ず、夫婦杉・大王杉・ウィルソン株・翁杉と名のつく巨大杉等を見ながら下る。
特に、ウィルソン株の大きさにびっくり。ウィルソンの調査では約3000年の大木と言われている。切り株の中に10人以上は入れる大きさである。秀吉の時代?に切られたと言われているがこんな大木をどんな方法で運んだのかわからない。木の根の張り巡らされた道を約1時間ほどで、大株歩道が終わり、線路の残る森林軌道跡に入る。これまでの木の根の道できつい下り坂も終わり、楽になったので、初めは「線路は続くよ どこまでも・・・・」と鼻歌を歌っていたが、1時間もたつと、うんざりしてくる。枕木の間隔と歩幅の間隔が合わないため、枕木の間の水溜りの中に足を突っ込むようになり、靴の中に水が入ってきた。でも、我々の老人パワ-はすごく、小屋を先に出発した同宿の若者を途中で追い越した。2時間足らずで小杉谷集落跡に着く。屋久杉を伐採していた全盛期には、作業員達の集落がおり、学校もあったらしい。しばらくすると、隙間があり、下を流れる川がよく見える橋(人間の歩く道とは違い、材木を運ぶトロッコの道る橋)を 何度か渡ると、目的の荒川登山口にやっと、到着。13:00着。
靴と靴下を脱ぎ、靴下を絞るS氏の手から、大量の水が流れている。途中、遅い昼食をとる。
ホテルへ帰ると、水分をたっぷり含んだ服を脱ぎ捨て、風呂へ。
夕食前、失った水分をたっぷりとビ-ルで。そして、夕食は、豪華な料理(特産のトビウオ料理)で無事登頂したことを祝う。
四日目
朝食後、屋久杉ランドの見学に出かける。紀元杉を見たりしたが、印象に残っているのは、縄文杉を伐採後、トロッコで運んでいる場面です。雨もなく、昼食もゆったり。
空港へ14:00着。16:45発の飛行機を待っていると、鹿児島空港が大雨で飛行機が最初は遅延するとの放送。それから欠航の放送となる。急遽、不乗証明をとり、船で鹿児島へ。24時発のJRで博多へ。そして、翌日の6:00発の新幹線で新大阪へ、9:15着.
今回の屋久島旅行は、林芙美子さんの言葉に、一ヶ月に35日雨が降るとあるように、雨と縁がある旅行だった。おかげで、帰宅が半日遅れた。
一日目
K氏D氏S氏と九州の最高峰・屋久島の宮之浦岳へ
家を6:30に出、伊丹空港に8:00に着く.そして、同発、9:00.鹿児島空港で飛行機を乗り換え,屋久島空港着12:00着.途中、天気もよく、機内から、桜島の噴煙がよく見えた。 空港で昼食をとった後、ガスは機内持ち込み禁止であったため、再度ガスボンベを購入してもらいグリ-ンホテルへ。
ゆつたりした部屋だったので、我々もよく寛げた。
荷物を置き、千尋の滝の見学。帰って、明日からの登山の準備。
二日目
5:00にホテル発。
登山口より山道へ入り、屋根を超えて下るとそこは淀川小屋。
6時過ぎに着き、朝食。
7:00に出発。
急な斜面を登り、樹林帯に入る。
高山植物も 見られる。
小花之江河を過ぎて、小休止。
しばらくすると花之江河に着く。9:00。
日本庭園を彷彿とさせる景勝地で心身を癒すことができた。雨が降り始める。正面に黒味岳が見える。
でも、周辺の山が見えるので、気分的に助かる。
ヤクシマダケが多くなり、歩くのに苦労する。
岩の露出した山が多く見られる。頂上に豆腐を切ってのせたような山があった。
高度も高くなってから大きなコブを2個ほど超えるとやっと 九州地方の最高峰「宮乃浦岳」1935m に到着。12:00.雨は小雨だが、視界は良くない。晴天なら、種子島は勿論硫黄島まで見えるそうです。焼野三叉路まで、降りて食事をすることにしたが、道が悪く、ヤクシマダケの茂みがひどく、茂みに埋もれながらの下山でマイッタ。
13:00発 平石を過ぎると尾根伝いになり、森林帯に入る。第二・第一展望台を過ぎると森が深くなり、大木も多くなり、屋久島らしくなつた。15:30、新高塚小屋に到着。10~20人位が宿泊できる無人小屋。そこに、関東地方からの若者5人と我々4人だけ。ゆったり、泊まれるのでホツトする。超満員で最悪の場合泊まれなかったら、この雨の中どうするか心配したが良かった。/大>
早速、炊飯の用意をする者と水を汲みに行く者とに手分けして作業開始。
無灯火のため、急いで用意をして、明るいうちに豪華な食事をする。特に、S氏の持ち運んでくれた道具・材料で山小屋では考えられない特別豪華な食事になった。雨天のため、室内で炊飯したので、匂いが室内に充満して他の客に迷惑をかけたので悪かったと反省。片付け後、しばらく、談笑したが、暗くなったので、各自のシュラフの中に入り寝ようとしたが、7時すぎでは、眠れない。雨がはげしくふるようになつた。何度も何度も目を覚ましながらも朝を迎える。
三日目
目が覚めていたが、時間が早いので、じっとしていたが、やっと明るくなったので起床、5;00。昨夜作っておいた朝食を食べ、6:00に出発。雨の中を尾根伝いに約1時間 木の根に覆われた道を滑らないよう慎重に歩いて行くと「高塚小屋」に着く。
まもなく、念願の縄文杉に対面。推定樹齢 7000年で世界最大胸高囲 16mの大きさに感動。
7000年もの長い間、この厳しい自然の中でよくも生き長らえたものだと縄文杉に長時間見とれていた。この貴重な縄文杉を守るため、囲いがしていた。(翌年、ある新聞に 貴重な 縄文杉に傷がつけられたという記事を目にし、憤りを感じたのは 私だけでは なかったと 思います。) 未練を残しながらも縄文杉とも別れ、大杉が次々続く、大株歩道を下る。先ず、夫婦杉・大王杉・ウィルソン株・翁杉と名のつく巨大杉等を見ながら下る。
特に、ウィルソン株の大きさにびっくり。ウィルソンの調査では約3000年の大木と言われている。切り株の中に10人以上は入れる大きさである。秀吉の時代?に切られたと言われているがこんな大木をどんな方法で運んだのかわからない。木の根の張り巡らされた道を約1時間ほどで、大株歩道が終わり、線路の残る森林軌道跡に入る。これまでの木の根の道できつい下り坂も終わり、楽になったので、初めは「線路は続くよ どこまでも・・・・」と鼻歌を歌っていたが、1時間もたつと、うんざりしてくる。枕木の間隔と歩幅の間隔が合わないため、枕木の間の水溜りの中に足を突っ込むようになり、靴の中に水が入ってきた。でも、我々の老人パワ-はすごく、小屋を先に出発した同宿の若者を途中で追い越した。2時間足らずで小杉谷集落跡に着く。屋久杉を伐採していた全盛期には、作業員達の集落がおり、学校もあったらしい。しばらくすると、隙間があり、下を流れる川がよく見える橋(人間の歩く道とは違い、材木を運ぶトロッコの道る橋)を 何度か渡ると、目的の荒川登山口にやっと、到着。13:00着。
靴と靴下を脱ぎ、靴下を絞るS氏の手から、大量の水が流れている。途中、遅い昼食をとる。
ホテルへ帰ると、水分をたっぷり含んだ服を脱ぎ捨て、風呂へ。
夕食前、失った水分をたっぷりとビ-ルで。そして、夕食は、豪華な料理(特産のトビウオ料理)で無事登頂したことを祝う。
四日目
朝食後、屋久杉ランドの見学に出かける。紀元杉を見たりしたが、印象に残っているのは、縄文杉を伐採後、トロッコで運んでいる場面です。雨もなく、昼食もゆったり。
空港へ14:00着。16:45発の飛行機を待っていると、鹿児島空港が大雨で飛行機が最初は遅延するとの放送。それから欠航の放送となる。急遽、不乗証明をとり、船で鹿児島へ。24時発のJRで博多へ。そして、翌日の6:00発の新幹線で新大阪へ、9:15着.
今回の屋久島旅行は、林芙美子さんの言葉に、一ヶ月に35日雨が降るとあるように、雨と縁がある旅行だった。おかげで、帰宅が半日遅れた。