ウォーク 伊勢南街道

2013年12月01日

私の足跡 147  伊勢へのウォーキング    

私の足跡  147


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング

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 第5回  11月12日

 相可のホテルで6時からの朝食バイキングを食し、7時前にバスに乗り、前日歩き終えた田丸城跡へ行く。

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 田丸城を 7時半ごろより、歩き始める。早朝の田丸城。

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 伊勢に近づき、前日歩いた野中で私達の歩いている伊勢南街道(和歌山別街道)は熊野からの道と合流したが ここ田丸では 大阪・奈良からの伊勢本街道と合流する所で 当時はとても賑わった土地です。また、伊勢参りを終えて熊野への西国まわりの人はここで服装を着替えた所でもあります。

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街道筋には、上のような当時の旅館跡の石碑が建っている。

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JR参宮線の踏切を渡り、伊勢に近づく。

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黙々と歩き、伊勢に近づく仲間達。

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 政治家尾崎行雄を記念して開設された 伊勢市立博物館。

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この近くに 宮川の渡しがあった。水辺には青い柳が繁り、茶屋が軒を並べて賑わっていた。
今は 度会橋という大きな橋がかかり、交通量も多い。

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 伊勢には 伊勢神宮の社に遠慮して 切妻等の建物が多い。
 その家々の門口に 注蓮縄(しめなわ)飾りを年中掲げているのが目に着く。
中央に「蘇民将来子孫家」などと墨書きした木札がつき左右にウラジロ等を飾った太い注連縄(しめなわ)がある。
 正月の注連縄飾りは 松の内が過ぎれば外すのが一般的だが 伊勢・志摩では一年間かけたままで過ごす風習がある。

 それは「その昔 この地を訪れたスサノオノミコトに貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時 「今後は 門符を門口におけば 子孫代々疫病から免れる」といい残したいう伝説があるからです。そして 蘇民将来の子孫の家である証拠として門符を門口に掲げ無病息災を願うようになったということです。  

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 外宮の境内に入る。

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 カメラ2台をもち、全6回の伊勢ウォ-クの記録を撮り続けてくれたMさん。
 お疲れさんでした。

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 遷宮後 約一カ月の真新しい本宮です。衣食住・産業の神である豊受大御神を祀っている。

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 遷宮前の外宮の本宮です。
 
 帰りに 別宮の多賀宮にも参拝してきた。
 
 外宮を出て、内宮に向かう。

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 途中 古市の町で現在も営業している麻吉旅館に寄る。斜面を利用した6階建ての木造建築で 昔は伊勢参りの客で賑わったとある。

 途中 猿田彦神社に寄り、お参りする。交通安全・方位除けの神社。


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 内宮前の宇治橋前に予定通りの時刻に到着。(この橋は日常の生活から 神聖な世界への架け橋。 外宮に比べ、人の多さにビックリ。
参拝前に「食事・買い物は各自でする」としているので、集合場所と時刻の確認をして約3時間は自由行動とする。

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 宇治橋を渡り、天照大神の祀る内宮に向かう。外宮は左側通行。内宮は右側通行。参拝者も心得たもの。(参考までに 真中は神様の通る道)

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 五十川と御手洗場。きまり通り、御手洗川で手を洗っている二人。

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 木の香も漂う 天照大神の祀る内宮の正宮に参拝。カメラの使用はここまで。

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内宮の正宮前で 無事参拝を終え満足気の三人。

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 遷宮前の内宮の本宮です。 一か月前まで賑わった旧正宮だが、今は写真の通り、淋しい感じがする。
 その後、別宮の荒祭宮に参拝し、個人的な願いをお祈りする。

 その後、おはらい町で食事をと思ったが、混んでいたのでおかげ横町の奥の店で般若湯を飲み そして食事をして、その後、みやげも買い、集合場所へ。
 
 
 皆さんの協力で、集合時刻には全員集合。予定通り、15時出発。
 伊勢自動車道から西名阪に入り、途中休憩し、予定通り無事帰宅。

 今回の遷宮年の伊勢ウォークを企画し実施したが 大過なく終えられたのは皆さんのご協力のお陰だと感謝しています。そして、申込定員一杯の方に参加して頂いたので、多少なりとも返金できたことも良かったです。 ほんとうに有難うございまし。


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2013年11月15日

私の足跡 146  伊勢へのウォーキング  

私の足跡  146


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング

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 第5回  11月11日

 今回より 歩き始める地点まで、乗り物の所要時間が約4時間必要だとバス会社の話なので、出発時刻を約20分早めた。乗り物もマイクロバスから中型バスにして出発。
 橋本から京・奈・和道路に乗り、郡山から西名阪道に入る。途中「上野SA」で休憩をとり、一路伊勢へ向かう。久居経由で「勢和多気IC」で降りる。

 前回歩き終えた、JA勢和支店へは 予定より30分早く 9時30分到着。

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トイレを済ませ 好天の下で準備運動をする

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交通量が少なく 山野草を眺めながらの楽しい歩行がしばらく続く。

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丹生大師の近くの集落に近づくと過去に栄えたという雰囲気の残る町に到着。今はひっそりとした家並みだが、一時は 宿屋や茶屋・酒屋・餅屋等の商家が点在していたとある。
現在でも 格子戸・切り妻屋根のある民家が美しい家並みを残し、家々には昔の屋号を掲げて雰囲気を出してくれている。うれしいことだ。

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丹生大師に到着すると勢和語り部の中西会長初め数人の語り部さんに迎えてもらい、早速大門の説明を受ける。勇壮な山門で享保元年(1287年前)に再建された。正面には仁王様が、背面には持国天と多聞天が安置されている。

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境内の絵地図 空海ゆかりの寺で 歴史も古く774年に創建とある。

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境内の建物の説明板。(文字が小さいので拡大してください)

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境内の樹木も色づいていた。

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語り部さんの案内で 大師堂への階段下に到着。50段あるそうです。
石段の左は 廻廊です。

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石段左の廻廊です。 石段を登らずに此の廻廊を通り、身をさらさずに大師堂へ参る事ができるように造られています。

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 階段を登りきると正面に大師堂がある。

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大師堂に着いて、お参りすると大師42歳の時、池の水に自分の姿を映して造ったと言われる自作の木造が安置されています。天正12年の大火の時、時の住僧が抱えて外に出し、無事だったと伝えられています。

細かい説明で 案内をしてもらった後、お茶や・ミカンなどのオモテナシを頂き、暖かい太陽の下で各自昼食。そして、語り部さんに見送ってもらい丹生大師を後にした。語り部さん ありがとうございました。

今回 時間の都合で 見学できなかったが下見の時に撮影した水銀坑道跡と近長谷寺の車田の写真を載せます。ツアーの皆さん写真だけで申し訳ありません。

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文字が小さいので 拡大して見てください。

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この水銀坑道跡は、左が古代のもので、右は昭和19年から掘り始められた水平抗道です。
昭和19年から掘り始められた水平抗も輸送費のコスト高、公害対策などで昭和48年閉山し
ています。このような坑
道跡が付近40か所ほどあるらしい。

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今は勿論立ち入り禁止です。

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昭和時代の水銀精錬装置です。 今は博物館のように遺してくれている。
水銀の歴史は古く 奈良・平安時代より水銀産地と知られ、丹生水銀は質量ともに卓越しており、奈良東大寺の大仏にも使用されたと記録に残っている。 


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長谷の集落にある円形の田。近長谷寺の祀られている十一面観音の十一にちなみ、半径11メートルあります。田植えの頃や収穫の頃人が集まり賑わうらしい。

 ここから 元に戻り ツアーの皆さんと歩いた道標や石像の多く残る古道を歩いた記録です。。 

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道標地蔵 右伊勢 左相可の道標。
この地像は昔から首がなく、首欠け地蔵とも呼ばれた。
盗賊に襲われた旅人の身代りになったといわれる。その後、地元の人が首の代わりに手ごろな石をすえたとある。

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弘法大師像

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今回は時間の都合で参拝しなかった佐那神社の前を通りすぎる。
佐那神社には 「天岩戸神話」で 天照大神が隠れた天岩戸を開けて世界に光を取り戻した力自慢の手力男命を祀る神社です。 

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 野中の永昌寺。現在 改修中。

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境内に童顔の石地蔵が祀られている。その名は「眠り地蔵さん」
昔 この近くを紀州の殿様の行列が通った時、一人の若い旅人が行列に出くわした。それで道端に長時間土下座しているうちに旅の疲れからつい居眠りをしてしまいました。
「殿の行列に無礼な奴」と旅人はその場で打ち首になり、若い命を果てました。
それを見ていた村人たちは哀れに思い、「旅人の霊よ安らかに眠れ」とこの地蔵さんを祀ったということです。

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ここ野中は 西国三十三ヶ寺参りや熊野三山まいりへの道と高野山・和歌山への道の追分(別れ道)で当時賑わった所です。上の写真はその道標です。


西国巡礼観音堂や道標・石像の多く残る古道を通り、田丸をめざす。

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本日の最終地点 田丸城址には4時半頃到着。江戸時代は和歌山藩55万石の一部「田丸城」 外に「松阪城」「白子城」なども和歌山藩。
上の写真は 城跡にある中学校の生徒の帰宅風景。


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その後 伊勢芋をトロロにした伊勢芋料理を佐奈駅近くの夕食場所で 各自の好みで注文して食す。自分を含め、一部の人は 般若湯を頂いたことは言うまでもありません。



食後、相可のビジネスホテルへ。6時半頃到着。各自の部屋へ。部屋は小さいが一人なので十分プライベートの時間がとれた。
私は 入浴後 仲間の部屋をまわり、酒を酌み交わし、雑談で興じた。(その他の人の過ごし方は一切判らず)



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2013年11月02日

私の足跡 145  伊勢へのウォーキング  

私の足跡  145


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング

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 今回 パソコン 体調 不良  しばらく入院治療していたので更新が遅れました



 第4回  10月29日


  橋本を予定通り、6時半出発。しかし、途中道路工事のため、迂回して、約30分ロスする。
 

  今回は 前回の終了地点・水屋神社よりスタートする。トイレを借用した後、お参りし、境内の大クス等の見学。

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水屋神社の本殿。大和の春日大社の安在所として祀られた由緒ある神社。

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 ご神木の楠木。  約1000年の楠木。樹高35m 根回り29m 樹幹12mの県内有数の大木で 県の天然記念物に指定されている。

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この神社の二番目に大きい楠木です

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桂の木の根らしい。

いよいよ 珍布峠越えに出発。その峠までに神話に出てくる「礫石」の所に行く。

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川の中に見えるのは 天照大神が投げ込んだ「礫石」(つぶていし)。 ここから小石を投げて この石に当たれば男児が生まれると言われているので 石を探して投げる人もいる。 しかし、石を投げる人が多いのか 適当な大きさの小石は なかった。   

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礫石の説明 言い伝えだが、加波・波瀬・舟戸の集落等は現存し、現に三重県と奈良県の県境は高見山になっている。

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見学後、峠まで近道を通るため、細い山道を登って、珍布峠に向かう。

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 やっと、天照大神と天児屋根命が出合ったという珍布峠に到着。小高い山を登って行かねばならぬ所で このように「掘割」を造ってくれているので昔の旅人も助かった事でしょう。

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可愛いお地蔵さんが私達の安全を見まもってくれている。

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 この道路の道端には上のような説明板がたくさんあった。

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 霊符山への道標 紀州みちよしの こうや なら はせの文字の見える文政二年の道標

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道標から間もなく、花岡神社に予定通り11時に到着。

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境内を借りて昼食を摂る。昼食後 出発の用意。

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この神社のご神木はこのイチョウの木。もう少しで 見事な紅葉を見せてくれるでしょう。

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この付近は 宮前の宿として 本陣・代官所・伝馬所等があり、旅籠等が立ち並び、賑やかな所であった。  

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雨も降り続き、終日辛いウォーキングです。

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 粥見神社で休憩をさせてもらう。ここは街道の分岐点(追分)で、松阪へは、和歌山街道を 伊勢へは 桜峠を越える和歌山別街道を通る。勿論 我々は和歌山別街道を通る。(参勤交代の時は 和歌山街道を通る)

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本日の最終目標地「JA勢和支店」へ 予定通り16時着。

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次回は ここより北方の丹生大師へ。

今日一日 雨にいじめられたが 帰りのバスの車中は明るかった。


 途中 飯高駅で15分休憩をとり、橋本へは 予定より 10分遅れの19時10分。




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2013年10月15日

私の足跡 144  伊勢へのウォーキング  

私の足跡  144


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング

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 第3回  10月8日


  
今回は 前回歩き終えた高見山登山口ではなく、三重県の波瀬から出発する。
  (高見山越えの道は 3年前の紀伊半島の豪雨で 破壊され、高見山越えの道は通行不能になっている。)
 
    いつものように 橋本は6時半出発。波瀬には8時過ぎに到着。

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元気よく、スタート

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 江戸時代の面影の残る 波瀬の町並み。


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  江戸時代の紀州徳川家が参勤交代の時使用した「本陣」であった建物。現在も生活をしているため、内部の見学はできなかったのが残念。

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本陣跡の倉。

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よく整備された道を快調に進む。この後、しばらくすると小雨が降りだす。


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この地は 村を上げて 「はぜゆり」づくりに取り組み 花の時期にくると見事でしょう。

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 途中 乙栗子でトイレ休憩。その時食べたアイスは美味しかった。

黒瀧神社の境内を借りて昼食。 
当神社は 正元元年(1256年)の創建であることが棟札にある。 
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 当社のご神木とされている夫婦杉


 しばらく歩くと 川俣小学校跡地に 江戸時代には見事であった松並木の一部が残っていて当時の面影が偲ばれる。

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今回の歩行は 次回との関わりで 赤桶の水屋神社迄とす。
 

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 赤桶から道の駅 「飯高駅」まで バスで行き、30分のトイレ休憩。30分間で駅の温泉風呂に入った人もいた。 今日は、一日中 雨具と共に歩き通した旅でした。

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家族へのお土産を買った人もいて、バスに乗り込み、30分早く、4時に出発。バスもスムーズに流れ、6時に橋本着。



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2013年10月01日

私の足跡 143  伊勢へのウォーキング  

私の足跡  143


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング


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 第2回  9月30日


  
今回は 前回歩き終えた大和上市駅から高見山登山口迄の24kmを歩く。
       
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       大和上市駅から少し下ると旧伊勢南街道があり、その道を古い家並みを見ながら東進する。


  妹山叢林を右に見ながら、方向を北東にとり、豪邸の残る竜門郷の町を更に進める。

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  山口・高鉾神社に到着。今は この周辺の村社として祀られている。

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  神社の由来が記したもの

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    この狛犬一対は 当時紀州藩主であった徳川吉宗公が江戸への参勤交代の道中安全祈願のため寄進したと記してある。 

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   道中 珍しい花を教えてもらう。「アケボノソウ」 リンドウ科 センブリ属の多年草。
   今回 他にも 黄色と白色のミズヒキも教えてもらう。花博士さん アリがトウ。

    
   その後、昼食場所である「三茶屋」で40分昼食と休憩。ここ 三茶屋は 江戸時代賑わったらしいが 今はすたれて、私達の休んだ所も もうすぐ更地になるそうです。    

   昼食後 小名峠を越え、鷲家に到着。

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   そこで 東吉野村の観光ガイドをしている上村さんに鷲家について詳しく案内していただきました。有難うございました。
   
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     また 禅寺 龍泉寺にもお世話になりました。

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  滅多に見せていただけない県指定文化財の平安期の作・木造如来像を見せていただきました。
   
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  広大な庭一杯に 住職さん一代で収集した貴重な「岩松群」も見事であった。


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    国道の木津トンネルではなく、旧街道の木津峠を越えて。目の前に聳える関西のマッターホルンと言われ、私達の町・橋本からも良く見える高見山の雄姿に歓声を上げ、集合写真を。

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    そして、木津八坂神社で小休止。

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   しだれ桜で有名な宝蔵寺を左手に見て疲れた足を引きずるようにゴールを目指す。

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   やっと本日のゴール 高見山登山口に到着。予定より30分早い。

         


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2013年09月16日

私の足跡 142  伊勢へのウォーキング



私の足跡  142


式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング

  

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  私の所属している橋本観光ガイドては主に橋本市内の名所への案内が主だが 今年の伊勢は遷宮で賑わっている。 この時期に 伊勢南街道を通り、約120kmを徒歩でお参りをしょうという企画をたてた。メンバーで話し合い、メンバーだけでなく知り合いにも声をかけるとマイクロバスの定員(25名)に達したので〆切り、説明会もして、やっと初日を迎えた。

(私は この伊勢街道歩きは 4年前に経験し、私の足跡 39・40・41に掲載しています



  第1回  9月17日

 前日の台風一過 天気は快晴に恵まれ 橋本市の東端の駅「隅田駅」に7時10分に25人集合。セレモニーを行い、集合写真を撮り、出発する。本日の目的地 大和上市駅迄の約25kmを歩く。

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 25名のメンバーは 出発地で遥か伊勢を思いながら写真におさまる。
 この後、エイエイ オーの掛け声で気勢を上げ、予定通り 出発。  
    

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 雲一つない青空のもと、和気あいあいと足を進める。そして、万葉集でも有名な真土山を越えて、大和(奈良県)に入る。


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 この地蔵さんは 嵯峨天皇が命じて建てたのがはじまりです
 
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正式には生蓮寺と称し、蓮の花がたくさん植えられている。
山号の寄足山から「よらせの地蔵さん」と親しまれ、晴れ乞い・雨乞いと子安安産の祈願所であります。

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  江戸時代の情緒漂う街並み・新町通り。漆喰造りの壁や虫籠窓、格子の家々の連なる通りを歩いて、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。近年「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、特に有名なのは 国の重要文化財に指定されている「栗山邸」です。棟札には慶長12年(1607年)の銘があり、建築年代の判っているのでは日本最古の民家。

 「まちなみ伝承館」に入り、説明を聞かせて頂く。

 この後、天誅組に因縁のある桜井寺 そしてむかしの家並みの残る街道を通り、栄山寺傍で休憩。予定通りの時刻で進行していく。

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 吉野川の畔で昼食休憩。

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 吉野川は昨日の18号台風の影響で 水かさが増し、濁流となり流れていた。

 途中、トイレ休憩をお願いしていた「神前寺」に寄るとトイレを貸していただくだけてはなく、冷たいお茶を各人に用意をしてくれていた「お・も・て・な・し」には感謝・感謝。  皆が元気を頂き、後半の徒歩に元気が出たのは言うまでもない事です。本当に 有難うございました。

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 美吉野橋の南にある「柳(六田)の渡し」跡。吉野神宮参拝時 橋のない時代には 3つの渡しがあって、これがその一つ。対岸の北には 柳の木が植えられた「柳(六田)の渡し」跡がある。

 本日の到着地 「大和上市駅」には一時間近く早く到着。予定通り16時11分発の列車に乗り 橋本には17時30分頃に到着。何はともあれ 事故もなく、終えられた事に感謝。感謝。


  


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