葛城修験道
2012年09月15日
私の足跡118 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡118
葛城修験道28宿を歩く 4回目
2005.09.23
文章では どこを歩いているのか分かり難いと思い、見えにくいと思いますが地図を書きました。 いつものようにクリックすると拡大した地図になりますのでご利用ください
前回(三回目)終了したJR笠田駅へ。8:50
そして、バスにのって前回歩き終えた東谷の集落へ。9:12
バス停出発から約30分で文蔵の滝に到着。9:30
滝の飛沫を浴び しばしの涼を楽しみ 味わう。
高度を上げ、前回も通った串柿の里に来た。10:00
そして 更に高度を上げ、尾根道に到着。遥か前方に目指す展望台が見える。10:30
七越峠に到着。11:00
クリックしてください
しばらくは 尾根道の平らな道を行く。
急に山道に入る。11:30
厳しい登り坂が待っていた。12:20
やっと クマザサに覆われた和泉葛城山(866m)に到着。13:20
電波塔が建っていた。
近畿自然歩道に沿って犬鳴山に下りる。
途中、葛城神社があった。
葛城神社の沿革である
道端には優しい顔の仏さんが道案内をしてくれている。
このような細い道にこの看板が。バイクのお兄さん達走って道を痛めるのを止めてほしい。
道は険しい下りに入った。
長い長い下りの連続だったが やっと犬鳴山が近づいたようだ。
お不動さんに迎えてもらう。
修行場がたくさんあった。
泉佐野行きのバスに乗り 無事終了したことを般若湯とともに祝し、解散する。
いつか 一番の加太の友ヶ島まて行くという課題を残し、終了します。
2012年09月01日
私の足跡117 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡117
葛城修験道28宿を歩く 3回目
2005.08.16
今回は 紀見峠からかつらぎ町まで歩く。
今回は 暑い8月に実施する。紀見峠駅を6時40分に出発。
駅を降りて 南海電車のトンネルの上を通る。
すぐに 岩湧山への登り道に入る。
キャンプ場への道との分岐点。我々は右手に。
固い舗装された道から 未舗装の柔らかい土の道に入る。
雨水で荒らされたが 歩きやすいように補修された道を進む。
出発して 約一時間半で標高差約500m登ったことになる。
朝靄の霧に包まれた道を進む。
出発から約2時間後 岩湧山経由で槇尾山迄のダイトレとの分岐点に到着。
ここから 我々は葛城修験道への道だからここでダイトレと別れて左にとる。
出発から約3時間半後 一本杉に到着。昔は大きな杉の大木があったらしいが今はない。
「妙法蓮華経安楽行品第十四経塚」がある。
ここには 小さな祠があり 善女竜王が祀られている。
クマザサに覆われた道を約1Kmを西に登ると葛城修験道28宿修験道の中で第3番目の高所(1番 金剛山 1192m 2番 北葛城山 960m 3番 南葛城山 922m)
この時は ベンチも何もなかったが 2012年6月には整備されていて休憩させてもらった。
季節がら 夏草が生い茂り この道でよいか不安いっぱいだった。
しばらくすると 標識のある上の木が見つかり、ホッとする。
途中 大威徳明王の石碑がある。
出発から約6時間少しで 蔵王権現社に到着。
蔵王権現社は山中にあるが、整備の行きとどいた寺であった。
蔵王峠は 蔵王権現社の近くにあり、かつらぎ町と河内長野市の接点となっている。
途中 串柿の里 四郷地区を通ると 串柿の干場が見える。
次は 堀越の観音さんにお参りに行く。
出発から約6時間半後 蔵王峠から約30分で到着。役小角が母親の腹痛を治したということから 昔からお腹痛等によく効くといわれている。
これから 歩き終える東谷の集落が下に見える。
出発から約7時間半後やっと バス停に到着。暑さと疲労でここで大休止。
その後 バスでJR笠田駅へ。
葛城修験道28宿を歩く 3回目
2005.08.16
今回は 紀見峠からかつらぎ町まで歩く。
今回は 暑い8月に実施する。紀見峠駅を6時40分に出発。
駅を降りて 南海電車のトンネルの上を通る。
すぐに 岩湧山への登り道に入る。
キャンプ場への道との分岐点。我々は右手に。
固い舗装された道から 未舗装の柔らかい土の道に入る。
雨水で荒らされたが 歩きやすいように補修された道を進む。
出発して 約一時間半で標高差約500m登ったことになる。
朝靄の霧に包まれた道を進む。
出発から約2時間後 岩湧山経由で槇尾山迄のダイトレとの分岐点に到着。
ここから 我々は葛城修験道への道だからここでダイトレと別れて左にとる。
出発から約3時間半後 一本杉に到着。昔は大きな杉の大木があったらしいが今はない。
「妙法蓮華経安楽行品第十四経塚」がある。
ここには 小さな祠があり 善女竜王が祀られている。
クマザサに覆われた道を約1Kmを西に登ると葛城修験道28宿修験道の中で第3番目の高所(1番 金剛山 1192m 2番 北葛城山 960m 3番 南葛城山 922m)
この時は ベンチも何もなかったが 2012年6月には整備されていて休憩させてもらった。
季節がら 夏草が生い茂り この道でよいか不安いっぱいだった。
しばらくすると 標識のある上の木が見つかり、ホッとする。
途中 大威徳明王の石碑がある。
出発から約6時間少しで 蔵王権現社に到着。
蔵王権現社は山中にあるが、整備の行きとどいた寺であった。
蔵王峠は 蔵王権現社の近くにあり、かつらぎ町と河内長野市の接点となっている。
途中 串柿の里 四郷地区を通ると 串柿の干場が見える。
次は 堀越の観音さんにお参りに行く。
出発から約6時間半後 蔵王峠から約30分で到着。役小角が母親の腹痛を治したということから 昔からお腹痛等によく効くといわれている。
これから 歩き終える東谷の集落が下に見える。
出発から約7時間半後やっと バス停に到着。暑さと疲労でここで大休止。
その後 バスでJR笠田駅へ。
2012年08月15日
私の足跡116 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡116
葛城修験道28宿を歩く 2回目
2005.11.30
前回 大和葛城山より降りて来た水越峠を7:00に出発し、金剛山へ。車の乗り入れを禁止するための柵がしていた。
登り始めてすぐの所に 昭和59年1月31日の遭難碑が建てられていた。下の名は多分家族だろう。詳しいことは分からないがご冥福を祈ってその場を去った。
登山口に冷たい水飲み場があったが、この時期は寒くて要らない。
整備された登山道を登る。
人工ではなく、自然の残る道で足に優しく楽しく登れた。
振り返ると前回登った大和葛城山は紅葉していて綺麗だった。
登山口から4Km登ったので残り1Km。頑張ろう。
やっと金剛山の尾根道(一般の登山者の通る道)に合流。8:40
右に行けば金剛山の山頂。
法華経の一字一石塔がある。
メインルートから少し離れた「妙法蓮華経陀羅尼品第21経塚」に辿り着く。
第21経塚の説明板があった。
帰りは 今は使われていない旧道を通ったので荒れていた。
後半は クマザサに覆われた道で足下は見えなかった。
やっと 伏見峠に来た。9;10 右に行けば念仏坂 左に行けば久留野峠。我々は久留野峠へ。
大木の根っこが地表に出て歩きづらかった。
寒い季節に向かうためか 粋な服を着せてもらったお地蔵さんが祀られていた。
お地蔵さんの前に含蓄のある言葉が書かれていた。
一つの言葉で けんかして
一つの言葉で 仲なおり
一つの言葉で おじぎして
一つの言葉で 泣かされる
一つの言葉は それぞれに
一つのいのちをもっている
言葉は 心の鏡です
久留野峠に到着。9:40
中葛城山 937m に到着。 10:10 少し過ぎると素晴らしい景色
厳しい下りが始まる。
今度は厳しい登りが始まる
やっと行者杉に到着 11:50
行者杉には いろんな謂れがあり、役の小角に関わる話がある。
また、ここは和歌山県・奈良県・大阪府の県境が集まっている所でもある。
少し歩くと「杉尾峠」がある。地図を見て 進路の確認。
平らな道なのでピッチも上がり 距離もはかどる。
下り坂にかかると 小さな祠があった。
中を覗くと 役 小角の坐像が祀られていた。
苦しい下り坂の連続を終え、フラットな道になる。集落も近づいた。
畑で働いていた婦人にハヤトウリを頂く。獲れたハヤトウリを越冬させ て もう5年ほども続けて栽培しておいしくいただいている。
途中、ここに在住の知り合いに出会い、しばらく談笑。
この後、紀見峠駅に行き、別れて帰る。
2012年08月01日
私の足跡 115 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡115
葛城修験道28宿を歩く 1回目
葛城修験道28宿を歩いてみたくて、計画をたて、4日歩いた。しかし、途中4回目以後道がわからなくなり 後で調べてわかれば歩き終えて、皆さんに見てもらうつもりでいたが数年経過してしまった。年月も経ってしまい、これ以後の歩行が難しくなったので、途中までを書くことにした。
この葛城修験道28宿の道は 大阪と奈良・和歌山の府県境にあるダイヤモンドトレールと同じだと思っている人がいるかも知れません。一部は同じ道だがスタートもゴールも異なります。
葛城修験道28宿の道は 和歌山市の友ヶ島から、奈良と大阪の県境の大和川の亀の瀬までとなっている。
私達は今回28宿の亀ノ瀬から歩くことにした。
一回目 2005.11.28
スタートは 奈良と大阪の県境の大和川の亀ノ瀬の亀石という所というので行ってみたがどこかわからなかった。本日の歩行計画もあるので、不確実のままにしてスタートした。
Mさんが 後日 調べてくれた写真を頂く。(前回行ったところから少し上流らしい)
友ヶ島から始まり 最後の経塚 「妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八塚」です。
これが 亀石です。
紅葉の時期は少し過ぎていたがアップダウンを繰り返して二上山の山頂を目指して歩く。
悲劇のヒロイン 大津皇子の墓所があった。
葛城修験道26宿の経塚がある。正式には「妙法蓮華経陀羅尼品第26経塚」とある。
葛城二上神社(延喜式式内神社)があり、お参りする。
整備され、紅葉の道を気持ちよく進む。
尾根道をアップダウンを繰り返して快調に進む。
史跡「鹿谷寺跡」で楽しい昼食とする。
日本最古の官道「竹の内街道」との交差点。
「妙法蓮華経陀羅尼品第25経塚」とある。
尾根道を歩くので 大阪と奈良を結ぶ道との交差点「峠」が多くあった。
659mの岩橋山の頂上を越えるとまた下り坂となる。
優しい顔のお地蔵さまに癒されながら進む。
葛城山の頂上にやっと到着。
葛城山からの厳しい下りも後少しで、ホットする。
とうとう水越峠に到着。今回も8時間の徒歩を無事歩き終え 般若湯で祝い、各自の家へ。