頑張れ東北
2012年04月01日
私の足跡107 頑張れ 東北 5
私の足跡107
頑張れ 東北 5
第五日 2月13日 前回の続き
きょうの予定は 当初の計画は ここから帰宅する予定だったが、出発前に本州の最北端の「大間」に行くことにした。そして 次の計画に変えて実施した。
朝食後 ホテルを7時40分に出て 弘前駅へ。そして青森駅に。
青森発 9時22分発の「青い森鉄道」の快速で下北駅へ。(途中 野辺地から下北駅迄はJR)
そして、11時発のバスで大間崎へ。
列車を降りた婦人は お友達と別れの合図をしている。
「本州最北端の駅 大畑」の標識があるので、運転手さんに尋ねると 平成3年までここまで鉄道が来ていたが廃線されて 過去の遺物となっているという。バスはここで休憩する。
車中より とらえた防寒服をまとった婦人。
マグロ一本釣りの町 おおまに到着。
憧れの地 「本州最北端の地」の標識。大間と言えば「マグロ」。さっそくマグロ定食をいただく。
でも、釣りたてのマグロではない。ここでマグロの獲れるのは7月から11月までで今はインド洋でいるそうです。お客も我々以外に見たのは一人だけだった。でも、北海道もまじかに見え、ずいぶん北に来たと感じた。
バスの本数も少なく 約40分後に出発。
帰りは下北駅で 約2時間の列車待ち。
いろんなトラブルがあったが 青森駅に20時に到着。21時のJRの夜行バスに乗る。お客は定員の約三分の一でゆったり。好きな席をとれた。勿論、3列シートのリクライニングシートだったがより良かったのはカーテンがありプライベートが守れたことと枕に工夫があり、寝やすかった事です。
例により、般若湯の睡眠薬でグッスリ。
第六日 2月14日
5時過ぎに目覚め 東京駅予定通り6時半に到着。このまま帰ると昼過ぎに家に着くので、夕方家に着く方が良いと思ったので半日東京で時間を過ごすことにした。荷物を預け、少し話題には古いが「男はつらいよ」の葛飾の「虎さん」の故郷を見学に行った。
お馴染の「車 虎次郎さん」の像が立っていた。
柴又の帝釈天にお参りする。笠智衆さん演じる住職さんが出てくる感じがした。
そして、虎さんの実家のモデルにになったという「とらや」さん。帰宅したあくる日に虎さんの「おばちゃん」を演じ続けた三崎千恵子さんの訃報を聞いて寂しくなった。
次は もうすぐ観光名所となる浅草の高さ世界一(634m)の「スカイ ツリー」を見に行った。
雨は降ってなかったが、あいにくの天気で最上部までは見えず残念だった。
5月22日のオープンを目指して、急ピッチの工事。第二展望台(450m)迄登るのに3000円いるそうだが切符はなかなか手に入れにくいとのこと。 この塔に登れる日を楽しみにして、東京駅へ。
新幹線を利用して、大阪駅へ。 帰宅は18時半ごろ。
雪には出あったが、予報通り雨にはあわず そして予定した見学地に全て足跡を残すことができた。
次回からは 本題の街道歩きに戻ります。
2012年03月15日
私の足跡 106 頑張れ東北 4
私の足跡106
頑張れ 東北 4
前回の続き
第四日 2月12日
ホテルを6時に出発
今回の計画は 未経験の北の日本海を通る五能線を利用するため、秋田駅を6時24分に出発。
この五能線は 綺麗な海岸線を通るので有名で 「リゾートしらかみ」という特別装備の快速列車等も走り賑やかだが この時期は列車の本数も少なく、どうなるかが心配だ。
早朝の秋田駅前の町の様子。
東能代駅で五能線に乗り換える。ホームに入って来た列車の前面についた雪の量。
ドアーについた水滴が凍りついて ドアーの開閉が困難になり、やかんの湯で溶かしている。
日本海は冬恒例の北風でしけていた。
全体の三分の一位の所にある「岩館駅」に到着すると約30分程停車するとのこと。理由は 対向列車が遅れているとのこと。単線なのでこの駅でないと対向出来ないとのこと。
今後の予定もあるので、駅舎に行き 駅員の「児玉さん」に話をすると優しい人で いろんな資料を出して説明してくれた。
やっと、列車も走りだし、北上をするがスピードが出ない。相変わらず海はあれている。
綺麗な建物・鰺ヶ沢の駅舎。
五所川原から津軽鉄道のストーブ列車に乗るのも楽しみの一つにしていた。パソコンで調べると 地吹雪で有名な津軽鉄道のストーブ列車とあったので乗りたくて計画に入れた。乗り場に行くと列車が到着していた。
我々の乗る客車も この地方独特の地吹雪で真白です。
列車に乗り込むと 駅員さんがストーブの手入れをして 残り火の上に石炭を入れていた。
ツアーの他のお客さんも 小さい頃を思い出すと言い合っていた。駅員さんに 今年の乗客の様子を聞くと 震災の影響で数が減っているとのこと。
ストーブに火が入ると 早速スルメをのせる。うまい具合にスルメもお酒等も車内販売をしていた。車内はスルメの焼いた匂いが充満する。皆が、ワイワイとスルメを食べる人。酒を飲む人。アッと言う間に30分が経過し、私達一部の客は太宰 治の故郷 金木駅で降りる。
帰りの列車はストーブ列車に乗るのではなく、バレンタインの日が近いからか バレンタイン列車 そして、太宰 治の小説 「走れメロス」の題名からの メロメロスに乗る。風船で飾り付けた列車で 乗務員の女性も楽しく案内してくれた。
五所川原駅に到着後 昼食をとり、再び五能線に乗り換え本日の宿舎の弘前市へ。ここで、とんでもないハプニング。
初めは 見通しの良い雪原を快調に走っていた列車が突然停車した。16:30
車内放送で 車体の下に雪が入り込み 動けないとのこと。運転席に行ってみると地吹雪で前方が殆ど見えない状態。運転手は本部との電話で前進と後進を繰り返したが駄目。今度は近くのJRの社員が車体の下の雪を取り除く作業を何度もやったが駄目。約一時間経過。ディーゼルカーの為か暖房の温度が低くなってきた。
前方は相変わらずの吹雪。線路上でJR社員が何か動いている様子。停車してから約1時間20分後 「車内から出て前方100m先のバスに歩いて移動しいほしい」との放送があった。
約10人位のグループをつくり、列車の前の出口を開けて梯子を使って線路上に降りる。そして、各人に一人一人のJR社員が付き添い列車の前のランプと社員のヘッドランプを頼りに駅員さん達が踏み固めた線路の上の雪の上をバスまで移動。我々は2番目のグループで早く暖かいバスに乗れた。
合計約2時間のロス。
列車はお客を最寄りの主要駅で降ろして行ったので、弘前着3時間遅れの19時過ぎ。でも、弘前駅ではJR社員がバスを待っていて、迷惑をかけたことへの謝罪をきっちりしていたのには感激。昔の国鉄時代には考えられないことです。
運よくこの日の弘前での予定は 夜の弘前城の見学だけだったので、荷物をホテルに預け、弘前城へ。
弘前城の桜は綺麗で 特に夜の桜見物は印象深い。冬の雪灯篭祭の見学も楽しみにしていた。大手門から城内に入る。
ライトアップされた弘前城
雪の壁に穴をあけ 灯りを入れて幻想的だった。
しんとした雪道を 歩く。
雪像と雪灯篭
この雪灯篭祭も、今日が最終日で9時で雪灯篭が消灯してしまうという日です。9時頃より一部消灯が始まった。そして、この見事な雪灯篭をどうするのか係の人に尋ねるとすぐに壊すそうです。まだ、頑丈なのにと思ったが倒れて事故が起こるのが怖いと言っていた。
弘前駅前で夕食をとり、今回の旅行の最後のホテルに入る。
2012年03月01日
私の足跡 105 頑張れ東北 3
私の足跡105
頑張れ東北 3
2012・2・9~14
東日本大震災の復興を願っての旅行を夏には塩釜地方等に行きました(cf 私の足跡 99 100 )。
この冬の旅行も東北と決め、N氏と企画した。今回は 山形・秋田・青森の冬の祭見学を中心にした。この寒い季節に出かけて行ってと思うかも知れないが、この時期にこそ寒い地方の素晴らしさが分かる。そして、観光をすることも観光客が減っている東北を元気づける一つの方法と考えた旅です。
第一日 難波OCAT 20:00発 夜行バス
出発間もない大阪市内。途中 米原から北陸自動車道を通り、賎ヶ岳SAでトイレ休憩をとった後、山形までトイレ休憩もなくバスにかんづめ。客は定員の半分ぐらいで窓際のリクライニング シートでグッスリ。
第二日 山 形 予定より遅れて 8:30頃到着。
外は明るくなり、8時頃の山形の道路状況。
本日の予定は 雪の山寺と蔵王の樹氷見学としている。
先ず 雪の山寺見学をするため、列車で山寺駅へ。雪の量は多く、駅前の建物等も雪に覆われている。
境内にある芭蕉の有名な俳句の碑も半分雪に埋もれている。(文字の白いのは 雪を入れて見えやすくした)
2008年の10月に 「鉄道の日記念 JR全線乗り放題切符」(3日間乗り放題で9180円)を利用して 山形蔵王の最高峰・熊野岳と長野県の北八ヶ岳の登山をした。(詳細は 私の足跡23) その時 紅葉の道を登って 「五大堂」「大仏殿」等迄行っているので、今回は雪に対する装備の心配と時間の都合もあるので 登頂は止めて眺めるだけにした。
帰路 以前行っていない「山寺芭蕉記念館」の見学をする。俳聖松尾芭蕉の遺墨を中心として 門人の遺墨・遺跡 奥の細道の関係資料が展示していた。(館内写真撮影禁止)
遥か前方の山には、建物が見える。
望遠を使うと はっきりと見える。
芭蕉が感動した美しい自然景観に恵まれた山寺。その全山を一望のもとにできるここからの景観はスバラシカッタ。
その後、山形駅の近くのホテルに荷物を預けて 昼食をとる。そして、 山形県の郷土館「文翔館」へコミュニティバスで行く。
この建物は 国指定重要文化財の「旧県庁舎 県会議事堂」だそうです。
建物の中の案内は ガイドに丁寧に案内してもらった。
いよいよ本日の目玉の蔵王の樹氷の見学です。バスで30分 徒歩10分 ロープウェイを乗り継ぎ地蔵山頂駅まで。 ロープウェイの途中より濃霧が出始め、嫌な予感。
山頂到着時には見晴らしがよくない。
最後のロープウェイの駅の気温はマイナス11.5度とあるが外に出ると風もあり体感温度はもっと低かった。でも写真を撮るため外に出る。そして、暖房のしている建物の中に入り、身体を温めてまた外に出て撮影を繰り返す。レンズが曇る等条件が悪い。
樹氷見学のツアー客が ロープウェイで上がってきて混みあって来たので下山開始。
手ごろな食堂が無いので夕食を買いこみホテルで食す。
第三日
横手のかまくら と 男鹿半島のなまはげ
ホテルでの朝食後、7:07の列車で横手駅へ。インターネットで調べると今日から「かまくら」の中で 餅を焼いて食べたり、お茶を飲んだりの体験ができると書いていた。それを 撮影する計画で当初の出発日を一日延期して予定をたててきた。
「 かまくら体験先取り 貸切中」の標識がある。一度はこの中で食事をしたいという希望を取り入れた企画で人気があり、12個のかまくらは全て予約済みだった。
そして、このかまくらは 安全第一にということで かまくら作りの職人がつくったということです。
今までは かまくらを見るだけが多かったがこのかまくらで体験した家族はどんなに楽しく過ごせ そしていつまでも思い出に残ることでしょう。これを 企画した人達は素晴らしいと思う。
中には水神様が祀られ、お神酒も供えられていた。そして、何と運がよいというか「予約をしたが都合で一人になった。良かったら一緒にいかがですか」との誘いがあったので甘えて我々二人は中で餅を焼いてたべたり、ミカンやお菓子を頂き思わぬ体験をさせてもらった。秋田のAさん本当にありがとうございました。
昼近くになると周辺が混みあって来たので 横手から秋田へ向かう。秋田着後、荷物をホテルに預けて、列車で男鹿駅へ。1時間後 今度はバスで真山神社へ。(2009年8月 岩手山等の登山後 立ち寄っているが季節外れで人影はまばらだった。cf 私の足跡 42)
「なまはげ」は古くから伝わる民俗行事で、12月31日に男鹿市内の約60の集落において行われている。「なまはげ」は年に一度、各家々を巡り、悪事に訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えて去っていきます。「怠け者はいねが、泣く子はいねが」と練り歩く姿はよく見られます。
この行事は 昭和53年に「男鹿のなまはげ」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定されている。
この上の写真の建物の中で「男鹿のなまはげ」について鬼も登場して、30分間詳しく解説している。
家主が 来てくれた鬼にお酒とご馳走で もてなしている所。
鬼が家のなかを走りまわり、。「怠け者はいねが、泣く子はいねが」と探し回っている。
なまはげ館で 鬼も参加した太鼓の演奏があった。
そして、最後の真山神社では 松明をかざしたなまはげが神社の奥の闇の中から降りてくる姿は勇壮だった。そしてなまはげが見学者の群れの中を通ってくれたが見学者が多すぎて撮影が難しかった。関係者も本日の観客が多くてビックリしていた。帰りも 人ごみで混みあい駅までの時間も予定より遅れた。ホテル着 10時半頃
今回は ここまで。
2011年12月20日
私の足跡 100 頑張れ 東北 2
私の足跡 100 頑張れ 東北 2
第4日 2011.8.13
ランプの宿を早朝に出発し、新青森駅へ車を走らせる。
駅に到着後、レンターカーを返却し、朝食をとる。
駅構内には、弘前のユースホステルで出会った高校生達の高校総体の看板や青森ねぶたの飾りも残っていた。
新設なので、スッキリした感じの駅であった。
そして、新設なった東北新幹線に乗り、一路一関駅へ。
一の関駅に到着後、レンターカーを借りて一路栗駒山へ。
途中、山肌には2008年6月の岩手・宮城内陸地震の傷跡が残っていた。
そして、当時、被害が大きく、気になっていた駒の湯温泉等はいまだ復活なっていないという。この地区のランプの宿が早く回復できたらもう一度来てみたい所です。
でも、一部う回路を通ったがやっと「いわかがみ平」へは通じたお陰で この地に来れたことを感謝している。
駐車場を後にして、栗駒山(1627m)の頂上を目指す。
40分足らず登ると栗駒山(1627m)の頂上が見えてきた。この頃より一昨日の臀部の痛みが強くなり、このままだと頂上を極めるのが難しいと感じて来た
しばらくして、「初日にバスの遅れで中尊寺を行っていない。このままだと栗駒山登山も中尊寺も両方行けなくなる。」いろいろ考えながら歩いた結果、M氏に相談してみた。
私の為に、ここで登山を中止してしまうが、急ぐと初日に行けなかった中尊寺へ行けるのではと提案し、M氏に了承してもらう。
早速下山し、車を中尊寺へ向けて走らせる。
初めは、毛越寺へ。寺伝によると ・・・850年 慈覚大師がこの地を訪ねると白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建てて霊場にせよと告げました。大師は、老人は薬師如来の化身と感じ,一宇を建立したのが始まりとされている。
本堂 本尊薬師如来(平安時代作) 脇仏 日光・月光菩薩
毛越寺の正門南大門。礎石12個が完存している。
この池には二つの橋があったという。
大泉が池の中心とする壮大な浄土庭園が配されていた。
残り時間が気になって来たので、中尊寺は私が以前行ったことがあるので、M氏は中尊寺に一番近い所の路上で降り見学に行く。私が車に残り、駐車場ではなく、路上で待っていたので短い時間で見学をすませることができた。そのため、予定の時間に駅に着くことができた。
本年 登録されたばかりなので 喜びがよくわかる。
一の関駅から仙台へ。在来線で
仙台着 7時前。
本日の宿舎に7時20分着。ユースホステルと言うが旅館であった。値段はユースホステルなみ。この旅館も東北大震災の被害が建物の一部にみられた。
夕食は近くの食堂で済ませて、ゆっくり、寝る。
5日目
早朝6時過ぎに宿を出て、駅前で朝食。
仙台駅からJR仙石線に乗り、塩釜へ。
石森章太郎の出身地ということで彼の作品が描かれた列車
本塩釜駅に到着。塩釜神社にお参りにいく。途中倒壊したり、半壊の家も見えた。
8時に到着。まだ早く境内には参拝者がまばらだった。
境内も広く、厳粛な感じのする神社である。
中に入っていくと より厳粛な感じのする雰囲気がある。
境内から海の方を見ると町の向こうに海が見えた。津波の被害を受けなかったのは高台にあったからだ
駅のホームの自動販売機には『節電にて販売中」とある。買ってみると少しも冷やされていませんでした。
日本三景の一つ松島へ。この時期観光客はすごく多かった。
松島の駅。
先ず松島瑞巌寺へ行くことにした。観光客も多くいた。
中に入ると、あちこちに洞窟が多くある。
昭和34年国宝 庫裡(庫裏) 禅宗寺院の台所 大屋根の上にさらに煙り出しが載っている。特別公開されていた。(ここでは、写真撮影禁止のため、写真なし)
大書院でも 本来本堂にある御本尊・大位牌等が特別公開されていた。
博物館でも伊達正宗公の遺品や歴代藩主の画像も展示されていた。見学は時間を十分にとってゆっくり見学した、
本堂は 28年3月まで修理のため、非公開。
見事な杉並木が続いている。
多くの洞窟がある洞窟群。
五大堂へ見学に行く。
807年 坂上田村麻呂の創建とされている。後に伊達正宗公が再建し 東北地方最古の桃山建築である。
のれんを見て 東北ガンバレと声援を送る。
列車の中から がれきや打ち上げられた船の残骸が見える。
仙台に12時前に着き、仙台発12:17分の新幹線に乗り、東京で乗り換え、新大阪駅に17:30到着。
次回は 近在の伝統的文化の残る町を訪問します。
2011年12月10日
私の足跡 99 頑張れ 東北 1
私の足跡 99 頑張れ 東北 1
今回の東北旅行の目的
本年の最大事故と言えば何と言っても「東日本大震災」に違いない。それには、私は義援金を出しただけでボランティア活動にも行けずに何かをと思いつつ月日がたってしまった。
ところが、夏頃になると東北の地元から元気になった地区へ来てほしいと言う記事を目にするようになった。
今年の大震災にあった人々に少しでも元気になってほしい。 世界遺産めぐりをしたい。
登山もしてみたい。 2008年6月の岩手・宮城内陸地震での栗駒山周辺の復興はどうなっているかも確かめたい という目的をもってM氏とナンパを夜行バスで出発した。
3週間前に計画をたて、すぐに切符の購入にとりかかったが、東北三大祭と重なり、切符が獲れない。次にと思うと帰省客と重なったので夜行バスの切符も2枚が残っていただけ。現地でのレンターカーを借りるのも5~6軒の店でやっと手に入れたとの事。今回は、やむをえなかったが出発の月日が問題だった。
第一日 2011.8.10 ナンパOCAT発 20:20。OCATを出て10分後の大阪市内。
予定では満員のバスだったが 幸運なことに京都を過ぎても6席ほど空いたままだったので、我々2人は互いに近くの席をとることができ、仙台までユッタリ グッスリ眠れて行くことができた。
第二日 2011.8.11
仙台着 8:27の予定だったが約40分近く遅れたため、一関行きのJRに乗り遅れ、今後の計画(本日中に平泉の見学を終えてしまう)に狂いが生じた。
これから、仙台から青森まで青春切符を使っての旅だから乗り継ぎ乗り継ぎの連続だった。仙台発 9:42.に乗り、小牛田、一関、盛岡、好摩、大館と乗り継ぎ青森着19:58
乗り継ぎ駅で時間があれば、外に出て、駅前の見学をする。
一関駅では、世界遺産に登録されたばかりの平泉を列車の車体に描いて走らせていた。
一昨年も岩手山登山のおり、立ち寄った駅だ。
待ち時間も多くあったので外に出てゆっくり見学。ここは、啄木の故郷・渋民村の近くで岩手山もくっきり。一昨年の岩手山登山の思い出が湧いてきた。
大館は秋田犬の故郷。駅構内には、ハチ公神社もあった。
青森駅に着くなり、レンターカーを借り、一路弘前の町へ。
弘前ユースホステルに到着し、近くの食堂で夕食をとり、帰って2階の6人部屋に3人で宿泊。私達はべットで。
少し古いが、ユースホステルの雰囲気のある宿舎。
この宿舎に、ある高校の剣道部の生徒男女約20人が高校総体に参加するため宿泊していた。感心したのは礼儀のよいこと。そしてそれ以上に感心したのは、食後 食堂で もくもくと各自勉強していたことです。「先生は?」と聞くと」「先生たちは町に出かけている」という。あたかも 当たり前のように。何と近年稀な素晴らしい高校生に出会えて感激。 私達は「頑張れ」と応援して、別れた。
第三日
宿舎を 7時に出発。一路前方に見える岩木山を目指して車を走らせる。この旅行のドライバーはM氏一人にしてもらう。
近づくにつれて、頂上に厚い雲が。 不吉な予感。
到着すると、強風のためロープウエイが休止とのこと。再開時刻は相当遅れるとのこと。
二人で相談して、本日のもう一つの目的地・白神山地を先に見学することにする。
一路車を津軽峠へ。2年前は日本海側の白神岳の途中の「まて山」に行ったが今度は南側の、「アクアグリーンビレッジANMON」を経由して津軽峠からにする。
車を駐車場へおき、細い道を進む。
ブナの巨木を見る。太古からのブナの木の原生林が世界遺産に認定されている。その中で一番古い木で推定400年と言われているのがこの木である。
白神山地は、1993年に世界遺産に認定された。ブナは1300平方キロメートルに広がる日本固有の広葉樹で7年おきに大量の種を落とし、約300年ほど生きるという。
木に耳をあてると地中から水分を吸い上げる音が聞こえるということで挑戦したがだめだった。
帰路、「アクアグリーンビレッジANMON」に寄り、休憩する。
ここには、過去2回来ている。1度目は紅葉の頃「ブナ林散策道」を約1時間ほど歩き、2度目は暗門の滝歩道コースを約2時間かけて歩き、3つの滝を見て、さわやかなしぶきとマイナスイオンを味わってきた。
第三の滝 落差42m (前回撮影したもの)
楽しみにしていた世界遺産「白神山地」に4回訪れたがまた訪れたい所だ。
白神山地の見学を終え、午前中の岩木山へ。
途中、岩木神社があったので安全を祈願してお参りをする。
正面の岩木山神社の楼門は 1628年建立で重要文化財に指定されている。
本殿も重厚な構えで 昔から地元の神様として信仰されていたのが良くわかる。
この神社で 多分狛犬さんだと思うが変わっていて珍しいので写真におさめた。
駐車場に着くと ロープウエイが動いていたのでホットする。でも、風が強くて頂上は霧で包まれていたので心配だ。
相変わらず がれ場でガスがかかって視界が悪かったがそれよりも頂上に近づくと強風で吹き飛ばされる感じの風だった。その時、強風でバランスを失いスリップしてお尻を地面で強打した。痛かったが我慢をして頂上を目指す。(こんな気象・岩場で転ぶとは後期高齢者の年齢になったからかなと悲しくなった。しかし、この現実を受け入れなければと痛感した。)
やっと、頂上に到着。視界が悪く、残念だった。岩木山奥宮が祀られていた。
帰り道、一瞬ガスも晴れた時の風景。相変わらず片側が断崖で 足場はがれ場の連続が続いた。
「この近くで、学生達が遭難して、多数の犠牲者を出した」とある。後輩たちが寄金を集めて先輩達の冥福と遭難防止のため、建てたとある。私は 犠牲者の冥福を祈り、避難小屋を後にした。
M氏の運転で車を走らせ、今回の旅行の目玉であるランプの宿「青荷温泉」に向かう。
(今回の旅行は4泊だが、1泊は夜行 2泊はユースホステル そしてもう1泊はこのランプの宿「青荷温泉」である。)
ユースホステルは 夜遅く到着して 朝早く出発するので素泊まりにしたが、ここでは旅の中頃になるので身体を休めるためにもゆったりとした時を過ごしたくて私達にとっては早くて4時過ぎに到着した。
駐車場に車をとめ、谷川の近くまで降りて「青荷温泉」に到着する。
建物はいくつもあったが、ここは本館の建物です。
夕食前に4つの温泉のうち2ヶ所の湯につかった。
散策をしながら次の湯へ。ヒバの香りに包まれて、自然と溶け合った温泉であった。
そして、楽しい夕食です。ランプの宿の名の通り、照明器具は全てランプである。
夕食は 近くの山で採れた山菜に近くの谷川で獲った魚など盛り沢山であった。
フロントです。
廊下です。
そして、何よりも素晴らしく楽しかった経験をさせてもらった。それは、滞在中 電気のない生活が送れたということです。(勿論 宿舎には 電気が来てないのではなく、宿として必要なもの(洗濯機・冷蔵庫・電話等)以外の電気製品は意図的に私達には何も目に触れさせないだけです。したがって、部屋にもどっても、テレビもない ラジオもない 電燈もない一夜を過ごした。私達が電気として見えるものは廊下の非常口の青色の電燈だけです。したがって、滞在中は、社会から完全に隔離された状態になったということです。
貴重な体験をさせてもらった。
夕食後、外に出ると静寂な暗闇に谷川の瀬音が聞こえる素晴らしい宿だった。
今は夏だが 紅葉の秋、すべてが雪に覆われた冬、新緑の木々の下に群生するカタクリの花。それぞれの季節を思い浮かべて一人で楽しいひとときを過ごした。