2018年08月16日
私の足跡 208 お宝拝見! 橋本市の文化財の探訪 5
私の足跡 208
お宝拝見! 橋本市の文化財の探訪 5
今回は市内の北西部の文化遺産を探訪することにして、高野口駅に集合。
当日 参加者の人数はいつもの半数近かったのは 朝から少雨だったからである。
でも 約束通り当日7時現在の降水確率は50%未満だったので出発した。
最初は弘法寺の見学。
上中の高台にある弘法寺の梵鐘は鎌倉時代(1221年〔承久3年〕)に鋳造されたもので、県下でも4番目に古く、県の文化財に指定されています。
昼前だったが 雨も降っていたので 小学校を借りて昼食をさせてもらった。(日曜日) ありがとうございました。
次いで 少し坂道を上ると信太神社があり、参拝と見学。
信太神社は九重・上中・田原・下中の氏神とされていますが、由緒などについては詳らかではありません。伝えによると、祭神は泉州の信太の森から勧請されたものともいわれ、5社がお祭されています。地元では土龍(もぐら)封じの神として知られ、この地域にはモグラが絶えていないといわれています。
橋本市高野口町九重の信太神社境内にあるクスノキ
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』には「境内に樟の大樹あり 圍三丈餘輪困陸離たり 社地の古き事知るへし」と記されていて、クスが相当古くから境内にあって意識されていたことが知れます。しかしながら、老樹とはいえ樹上には多くの枝葉を茂らせ、樹勢はそれほど衰えていないようです。本幹の根元の立つ幹周り2.1メートルのクロガネモチの壮齢樹がこのクスの根元に抱合され、完全に癒合状態になっているもの奇観となっています。
次は 大きな谷越えをするため、急坂を下り、そして急坂を上り、山田地区の一言主神社に向かう。
空海が当地を訪れた際、産土神を祀る神宮寺を創立したのが始まりと伝えられており、祭神は一言主大神をはじめ十八の神々を祀っており多くの人々から「一言(いちごん)さん」と呼ばれ崇敬をもって親しまれております。
途中 橋本市では珍しい南北朝時代の北朝年号の残る不退寺に寄る。
延命山普賢寺は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある真言宗の寺院で、隣接する熊野権現社と大夫宮(たゆうのみや)の別当寺と伝えられている。
寺伝によると、天平9年(737年)春、行基菩薩が当地方へ巡錫の際に、この地を浄所と定めて、自ら資材を運び、仏像を彫刻した。
本尊普賢延命菩薩は4頭の白象に乗った二十臂像として表現されており、行基作と伝えられている。4月15日の春の大祭に開帳されているので、参加者全員ゆっくり見せて頂く。大祭での餅まきがあり、たくさん拾わせて頂きましたました。
本尊は、檜材による寄木造り、漆箔(しっぱく)仕上げで、等身大(像高94cm)の像である。
藤原仏(平安時代後期)の典型的な作品であるが、普賢延命菩薩像の現存するものとしては、奈良・法隆寺の像に次いで日本では二番目に古い貴重なもので、平成8年4月に和歌山県文化財に指定されている。
本日の最後の締めくくりとして市立郷土資料館に立ち寄り 市の文化財を見学してとして解散した。
お宝拝見! 橋本市の文化財の探訪 5
今回は市内の北西部の文化遺産を探訪することにして、高野口駅に集合。
当日 参加者の人数はいつもの半数近かったのは 朝から少雨だったからである。
でも 約束通り当日7時現在の降水確率は50%未満だったので出発した。
最初は弘法寺の見学。
上中の高台にある弘法寺の梵鐘は鎌倉時代(1221年〔承久3年〕)に鋳造されたもので、県下でも4番目に古く、県の文化財に指定されています。
昼前だったが 雨も降っていたので 小学校を借りて昼食をさせてもらった。(日曜日) ありがとうございました。
次いで 少し坂道を上ると信太神社があり、参拝と見学。
信太神社は九重・上中・田原・下中の氏神とされていますが、由緒などについては詳らかではありません。伝えによると、祭神は泉州の信太の森から勧請されたものともいわれ、5社がお祭されています。地元では土龍(もぐら)封じの神として知られ、この地域にはモグラが絶えていないといわれています。
橋本市高野口町九重の信太神社境内にあるクスノキ
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』には「境内に樟の大樹あり 圍三丈餘輪困陸離たり 社地の古き事知るへし」と記されていて、クスが相当古くから境内にあって意識されていたことが知れます。しかしながら、老樹とはいえ樹上には多くの枝葉を茂らせ、樹勢はそれほど衰えていないようです。本幹の根元の立つ幹周り2.1メートルのクロガネモチの壮齢樹がこのクスの根元に抱合され、完全に癒合状態になっているもの奇観となっています。
次は 大きな谷越えをするため、急坂を下り、そして急坂を上り、山田地区の一言主神社に向かう。
空海が当地を訪れた際、産土神を祀る神宮寺を創立したのが始まりと伝えられており、祭神は一言主大神をはじめ十八の神々を祀っており多くの人々から「一言(いちごん)さん」と呼ばれ崇敬をもって親しまれております。
途中 橋本市では珍しい南北朝時代の北朝年号の残る不退寺に寄る。
延命山普賢寺は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある真言宗の寺院で、隣接する熊野権現社と大夫宮(たゆうのみや)の別当寺と伝えられている。
寺伝によると、天平9年(737年)春、行基菩薩が当地方へ巡錫の際に、この地を浄所と定めて、自ら資材を運び、仏像を彫刻した。
本尊普賢延命菩薩は4頭の白象に乗った二十臂像として表現されており、行基作と伝えられている。4月15日の春の大祭に開帳されているので、参加者全員ゆっくり見せて頂く。大祭での餅まきがあり、たくさん拾わせて頂きましたました。
本尊は、檜材による寄木造り、漆箔(しっぱく)仕上げで、等身大(像高94cm)の像である。
藤原仏(平安時代後期)の典型的な作品であるが、普賢延命菩薩像の現存するものとしては、奈良・法隆寺の像に次いで日本では二番目に古い貴重なもので、平成8年4月に和歌山県文化財に指定されている。
本日の最後の締めくくりとして市立郷土資料館に立ち寄り 市の文化財を見学してとして解散した。
drecom_yama_ya617 at 11:21│Comments(0)│橋本市の探訪