私の足跡 176 平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 9 私の足跡 178 山陰の島根へ一泊二日の旅

2015年04月30日

高野山開創1200年祭に参加


 高野山開創1200年祭に参加

   弘法大師空海が816年に高野山に真言密教の道場を開いて 今年で1200年。4月2日から5月21日まで高野山内で盛大に催しが行われている。
 今回 地元の私は 初日の六日に 参加した。

 初日の注目は 再建なった中門前で 横綱の土俵入りが行われる。大勢のファンか詰めかけると思って 駐車場がなくなると思い 車で行くのを止めて早朝に
 電車に出かけた。
 しかし、現場に到着すると大勢のファンで一杯。

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 しかし、現場に到着すると大勢のファンで一杯。上のような写真を撮りたかったが報道関係者がほとんど。
 何とかしなければと思い 以前から 何箇所かの撮影場所を考えて 下調べをしていたのでその場所へ行き、撮影した。

  
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 道路側から 北の中門を見る。朝6時頃から待っている観客が中門の向こうに見える。

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高野山座主が到着。


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横綱 白鵬が 露払いと太刀持ちを従え 到着。

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 横綱 白鵬の土俵入り。
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 続いて 横綱 白馬富士の土俵入り。




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 土俵入り終了後 バスに向かう途中 ファンに取り囲まれる。

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今 人気者の関脇・照の富士も見られた。

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バスの窓から ファンに手をふ白馬富士

 
江戸時代の天保14年(1843年)に焼失していた中門の再建が行われた。そして 四天王像もこの日 お披露目された。
 両眼をカット見開き、奮怒の表情ながらも 慈悲深さを漂わせている。「強さを表す
四天王の顔は怒るばかりでは駄目。見つめられたら うそをつけない。そう思わせる顔に。」にとの思いで造ったと仏師の弁。
 

 四体の四天王像を見て頂きたい。
 
 今回 
中門焼失時に焼失していた広目天と増長天は 今回 仏師 松本明慶により新しく造られた。
 持国天と多聞天は 
中門焼失時に救い出されていたものを修復した。  



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広目天の役目は 広く見渡すのが役目 胸にセミがとまっている。
 

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 増長天が槍を持っているのは 悪なものから守るため。 その象徴として 胸の甲冑にトンボを表した。「トンボは前にしか飛ばない。決して退却しないという強い意志を表したかった」とある。

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 修復された「持国天」

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 修復された「多聞天」


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 講堂(金堂)での 長い法会が終わり 管長さんが出てこられた

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 法会を終えた高僧たちの列

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 つかの間のくつろぎ

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 今度は 奥の院での法会に出発

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 人々に見送られ 御廟に向かう。

 この日は 高僧たちにとっては 長い一日だった事でしょう。
 お疲れさまでした。
     


drecom_yama_ya617 at 17:27│Comments(0)TrackBack(0)ウォ-ク 高野街道 

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