私の足跡 173   平安京から 開創1200年の高野山へ歩く Ⅵ  私の足跡 175 平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 8  

2015年03月17日

私の足跡 174  平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 7  

私の足跡 174  


    平安京から 開創1200年の高野山へ歩く  7

 
 v 滝谷不動駅から天見へ 3月 2日

 今回は 前回の天見駅を 9時に出発する

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 二つの班に分かれて出発。

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 出合いの辻を過ぎて 旧街道を通る。

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 国道に出ると ガードレールに守られた歩道を楽しく歩く。

 
紀見峠を越える時 旧国道ではなく 昔の道「み坂」を通る。

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 紀見峠では 旧宿場町の説明や世界的に有名なで橋本市の名誉市民である「岡 潔」が少年時代を過ごした様子をガイドにしてもらう。(ここに 六里石がある)

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昔の面影の残る宿場町跡。

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 慶賀野戎神社に寄り、ここより良く見える 長藪城址の説明を聞く。


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 幕末になり賑わいをあった京・大阪道に 大阪狭山市の二人が発起人になり 堺から高野山迄の13里の道に 一里ごとに道標を建てた。 それが当時の旅人の役にたった。その里程石が 今に残っている。 (橋本市には 紀見峠の六里石から学文路の三里石迄のの四基がある。) 

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 現「御幸駅」の近くにある道標。 現在の高野参詣道は この道を南に直進して橋本経由で高野山へのびているが、平安時代からは ここで分岐して 西に延びていたという資料により、駅名にもなっている「御幸」道を歩くことにした。
 
 菖蒲谷・出塔・一時期鋳物の生産地として栄えた柏原を通り 本日のゴール「紀伊山田駅」へ。


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