私の足跡 170  平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 3私の足跡 172 平安京から 開創1200年の高野山へ歩く Ⅴ  

2015年01月26日

私の足跡 171  平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 4    

 私の足跡 171  


    平安京から 開創1200年の高野山へ歩く  Ⅳ

 
 Ⅳ 新石切駅から道明寺駅へ 1月19日

 朝 家を出る時 雨が降っていたが 出発地の石切駅に着くと 晴れ間ものぞく天気だった。

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 早速、駅前の石切藤地蔵にお参りし、「今日の旅の無事」をお願いして出発。

 東高野街道を通って 一路南下していくと大きな四差路に通りかかる。
 この辻は 東高野街道と攝津から暗峠越えの大和街道の交差点

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 次に 左手に 大きな鳥居が見える。途中で 接いでいる。これは、20年前の神戸・淡路大震災の被害の跡らしい。

 途中に 弘法大師堂があり、高野への参詣の道中、旅の安全を祈った事でしょう。

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 瓢箪山近くで 珍しくアーケイのついた商店街の参詣道を通った。近頃では こんなに賑わっている
商店街は珍しいと思う。 
 

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瓢箪山駅を越え 商店街を過ぎるころの左に上の鳥居が見える。瓢箪山稲荷神社です。
 この神社は秀吉が 大阪城の巽の方向の守り神として勧請したので 鳥居の下の小さな橋は 太閤橋と言うらしい。
 この鳥居の辻は、古来から俗称「みこの辻」と言われ、神霊の降る所として辻占い「占場」になつており、往来者の言動、外見などから占われていた。このことから「
辻占総本社」と言われている。

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 瓢箪の形をしていた六世紀に造られた古墳の西斜面に稲荷神を祀り築造したので「瓢箪山稲荷神社」と言うらしい。
 
 





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 京都と高野山を結ぶ東高野街道は平安時代から鎌倉時代に上皇や公家たちが往来した重要な道筋でしたので 一里塚が整備されました。正保元年(1644)の「河内の国絵図」には11ヶ所の一里塚が描かれています。現在 残っているのは これを入れて2ヶ所だけである。
 

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 恩智駅の近くに 標記の石碑が残っていた。

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大和川を越え 藤井寺市に入る。ここが「河内の国」の国府(奈良・平安時代の中央政府の出先機関である河内国府が設置され河内の国の政治的中心)の有った場所。

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国府跡遺跡の近くに 旧石器時代の人骨等を含む遺跡が発掘されている。



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