170 謹賀新年私の足跡 171  平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 4    

2015年01月15日

私の足跡 170  平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 3


私の足跡 170  

                           
     
平安京から 開創1200年の高野山へ歩く  Ⅲ

 Ⅲ 交野市から石切神社まで   12月 8日


  3day切符の3回目を使い、前回 歩き終えた交野市駅に着き、 9時40分に出発。
     交野市は「星」や「川」に関する地名等が多い。
  ホタルの時期には ここ「天の川」も賑わうらしい。

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 しばらく歩くと、「本尊掛松遺跡」に到着。大念仏宗の明上上人が 会得した本尊を松の木に掛けて そのまわりを踊り回ったことから 融通念仏宗の念仏踊り発祥の地と言われている。 


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 昔の高野街道が偲ばれる風情の残る街並みを進む。

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 田んぼの端に「一里塚跡」の石碑が建っている。

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 街道沿いに小さな井戸があり、その傍に「弘法観念水」と刻まれた石碑が建っている。
 この井戸は、いくら日照りが続いても涸れる事は無かったと言われています・
 高野山への往復に 通った人々の喉を渇きを癒したことでしょう。

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 「歴史民俗資料館」  日本最古の下駄の化石が見つかった箇所。

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 この付近には 古くから多くの古墳が存在していました。

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 四条畷神社への参道にある鳥居。本殿まで 遠いので失礼して ここから参拝する。

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 野崎観音さまも お参りはしなかった。

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 メノコ橋の欄干石    弘法大師がこの地に10日程滞在時に 橋の欄干を枕にして寝床にしたと言われている。「ねどこ」が訛って「メノコ」になったと言われている。

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 石切剱箭神社に到着。

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 石切剱箭神社は 地元では「石切さん」と呼ばれ、腫れものを治す神様として知られている。 

 今回は ここで解散し 次回での再会を約して解散する。





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