2013年11月15日
私の足跡 146 伊勢へのウォーキング
私の足跡 146
式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング
第5回 11月11日
今回より 歩き始める地点まで、乗り物の所要時間が約4時間必要だとバス会社の話なので、出発時刻を約20分早めた。乗り物もマイクロバスから中型バスにして出発。
橋本から京・奈・和道路に乗り、郡山から西名阪道に入る。途中「上野SA」で休憩をとり、一路伊勢へ向かう。久居経由で「勢和多気IC」で降りる。
前回歩き終えた、JA勢和支店へは 予定より30分早く 9時30分到着。
トイレを済ませ 好天の下で準備運動をする
交通量が少なく 山野草を眺めながらの楽しい歩行がしばらく続く。
丹生大師の近くの集落に近づくと過去に栄えたという雰囲気の残る町に到着。今はひっそりとした家並みだが、一時は 宿屋や茶屋・酒屋・餅屋等の商家が点在していたとある。
現在でも 格子戸・切り妻屋根のある民家が美しい家並みを残し、家々には昔の屋号を掲げて雰囲気を出してくれている。うれしいことだ。
丹生大師に到着すると勢和語り部の中西会長初め数人の語り部さんに迎えてもらい、早速大門の説明を受ける。勇壮な山門で享保元年(1287年前)に再建された。正面には仁王様が、背面には持国天と多聞天が安置されている。
境内の絵地図 空海ゆかりの寺で 歴史も古く774年に創建とある。
境内の建物の説明板。(文字が小さいので拡大してください)
境内の樹木も色づいていた。
語り部さんの案内で 大師堂への階段下に到着。50段あるそうです。
石段の左は 廻廊です。
石段左の廻廊です。 石段を登らずに此の廻廊を通り、身をさらさずに大師堂へ参る事ができるように造られています。
階段を登りきると正面に大師堂がある。
大師堂に着いて、お参りすると大師42歳の時、池の水に自分の姿を映して造ったと言われる自作の木造が安置されています。天正12年の大火の時、時の住僧が抱えて外に出し、無事だったと伝えられています。
細かい説明で 案内をしてもらった後、お茶や・ミカンなどのオモテナシを頂き、暖かい太陽の下で各自昼食。そして、語り部さんに見送ってもらい丹生大師を後にした。語り部さん ありがとうございました。
今回 時間の都合で 見学できなかったが下見の時に撮影した水銀坑道跡と近長谷寺の車田の写真を載せます。ツアーの皆さん写真だけで申し訳ありません。
文字が小さいので 拡大して見てください。
この水銀坑道跡は、左が古代のもので、右は昭和19年から掘り始められた水平抗道です。
昭和19年から掘り始められた水平抗も輸送費のコスト高、公害対策などで昭和48年閉山し
ています。このような坑道跡が付近40か所ほどあるらしい。
今は勿論立ち入り禁止です。
昭和時代の水銀精錬装置です。 今は博物館のように遺してくれている。
水銀の歴史は古く 奈良・平安時代より水銀産地と知られ、丹生水銀は質量ともに卓越しており、奈良東大寺の大仏にも使用されたと記録に残っている。
長谷の集落にある円形の田。近長谷寺の祀られている十一面観音の十一にちなみ、半径11メートルあります。田植えの頃や収穫の頃人が集まり賑わうらしい。
ここから 元に戻り ツアーの皆さんと歩いた道標や石像の多く残る古道を歩いた記録です。。
道標地蔵 右伊勢 左相可の道標。
この地像は昔から首がなく、首欠け地蔵とも呼ばれた。
盗賊に襲われた旅人の身代りになったといわれる。その後、地元の人が首の代わりに手ごろな石をすえたとある。
弘法大師像
今回は時間の都合で参拝しなかった佐那神社の前を通りすぎる。
佐那神社には 「天岩戸神話」で 天照大神が隠れた天岩戸を開けて世界に光を取り戻した力自慢の手力男命を祀る神社です。
野中の永昌寺。現在 改修中。
境内に童顔の石地蔵が祀られている。その名は「眠り地蔵さん」
昔 この近くを紀州の殿様の行列が通った時、一人の若い旅人が行列に出くわした。それで道端に長時間土下座しているうちに旅の疲れからつい居眠りをしてしまいました。
「殿の行列に無礼な奴」と旅人はその場で打ち首になり、若い命を果てました。
それを見ていた村人たちは哀れに思い、「旅人の霊よ安らかに眠れ」とこの地蔵さんを祀ったということです。
ここ野中は 西国三十三ヶ寺参りや熊野三山まいりへの道と高野山・和歌山への道の追分(別れ道)で当時賑わった所です。上の写真はその道標です。
西国巡礼観音堂や道標・石像の多く残る古道を通り、田丸をめざす。
本日の最終地点 田丸城址には4時半頃到着。江戸時代は和歌山藩55万石の一部「田丸城」 外に「松阪城」「白子城」なども和歌山藩。
上の写真は 城跡にある中学校の生徒の帰宅風景。
その後 伊勢芋をトロロにした伊勢芋料理を佐奈駅近くの夕食場所で 各自の好みで注文して食す。自分を含め、一部の人は 般若湯を頂いたことは言うまでもありません。
食後、相可のビジネスホテルへ。6時半頃到着。各自の部屋へ。部屋は小さいが一人なので十分プライベートの時間がとれた。
私は 入浴後 仲間の部屋をまわり、酒を酌み交わし、雑談で興じた。(その他の人の過ごし方は一切判らず)
式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング
第5回 11月11日
今回より 歩き始める地点まで、乗り物の所要時間が約4時間必要だとバス会社の話なので、出発時刻を約20分早めた。乗り物もマイクロバスから中型バスにして出発。
橋本から京・奈・和道路に乗り、郡山から西名阪道に入る。途中「上野SA」で休憩をとり、一路伊勢へ向かう。久居経由で「勢和多気IC」で降りる。
前回歩き終えた、JA勢和支店へは 予定より30分早く 9時30分到着。
トイレを済ませ 好天の下で準備運動をする
交通量が少なく 山野草を眺めながらの楽しい歩行がしばらく続く。
丹生大師の近くの集落に近づくと過去に栄えたという雰囲気の残る町に到着。今はひっそりとした家並みだが、一時は 宿屋や茶屋・酒屋・餅屋等の商家が点在していたとある。
現在でも 格子戸・切り妻屋根のある民家が美しい家並みを残し、家々には昔の屋号を掲げて雰囲気を出してくれている。うれしいことだ。
丹生大師に到着すると勢和語り部の中西会長初め数人の語り部さんに迎えてもらい、早速大門の説明を受ける。勇壮な山門で享保元年(1287年前)に再建された。正面には仁王様が、背面には持国天と多聞天が安置されている。
境内の絵地図 空海ゆかりの寺で 歴史も古く774年に創建とある。
境内の建物の説明板。(文字が小さいので拡大してください)
境内の樹木も色づいていた。
語り部さんの案内で 大師堂への階段下に到着。50段あるそうです。
石段の左は 廻廊です。
石段左の廻廊です。 石段を登らずに此の廻廊を通り、身をさらさずに大師堂へ参る事ができるように造られています。
階段を登りきると正面に大師堂がある。
大師堂に着いて、お参りすると大師42歳の時、池の水に自分の姿を映して造ったと言われる自作の木造が安置されています。天正12年の大火の時、時の住僧が抱えて外に出し、無事だったと伝えられています。
細かい説明で 案内をしてもらった後、お茶や・ミカンなどのオモテナシを頂き、暖かい太陽の下で各自昼食。そして、語り部さんに見送ってもらい丹生大師を後にした。語り部さん ありがとうございました。
今回 時間の都合で 見学できなかったが下見の時に撮影した水銀坑道跡と近長谷寺の車田の写真を載せます。ツアーの皆さん写真だけで申し訳ありません。
文字が小さいので 拡大して見てください。
この水銀坑道跡は、左が古代のもので、右は昭和19年から掘り始められた水平抗道です。
昭和19年から掘り始められた水平抗も輸送費のコスト高、公害対策などで昭和48年閉山し
ています。このような坑道跡が付近40か所ほどあるらしい。
今は勿論立ち入り禁止です。
昭和時代の水銀精錬装置です。 今は博物館のように遺してくれている。
水銀の歴史は古く 奈良・平安時代より水銀産地と知られ、丹生水銀は質量ともに卓越しており、奈良東大寺の大仏にも使用されたと記録に残っている。
長谷の集落にある円形の田。近長谷寺の祀られている十一面観音の十一にちなみ、半径11メートルあります。田植えの頃や収穫の頃人が集まり賑わうらしい。
ここから 元に戻り ツアーの皆さんと歩いた道標や石像の多く残る古道を歩いた記録です。。
道標地蔵 右伊勢 左相可の道標。
この地像は昔から首がなく、首欠け地蔵とも呼ばれた。
盗賊に襲われた旅人の身代りになったといわれる。その後、地元の人が首の代わりに手ごろな石をすえたとある。
弘法大師像
今回は時間の都合で参拝しなかった佐那神社の前を通りすぎる。
佐那神社には 「天岩戸神話」で 天照大神が隠れた天岩戸を開けて世界に光を取り戻した力自慢の手力男命を祀る神社です。
野中の永昌寺。現在 改修中。
境内に童顔の石地蔵が祀られている。その名は「眠り地蔵さん」
昔 この近くを紀州の殿様の行列が通った時、一人の若い旅人が行列に出くわした。それで道端に長時間土下座しているうちに旅の疲れからつい居眠りをしてしまいました。
「殿の行列に無礼な奴」と旅人はその場で打ち首になり、若い命を果てました。
それを見ていた村人たちは哀れに思い、「旅人の霊よ安らかに眠れ」とこの地蔵さんを祀ったということです。
ここ野中は 西国三十三ヶ寺参りや熊野三山まいりへの道と高野山・和歌山への道の追分(別れ道)で当時賑わった所です。上の写真はその道標です。
西国巡礼観音堂や道標・石像の多く残る古道を通り、田丸をめざす。
本日の最終地点 田丸城址には4時半頃到着。江戸時代は和歌山藩55万石の一部「田丸城」 外に「松阪城」「白子城」なども和歌山藩。
上の写真は 城跡にある中学校の生徒の帰宅風景。
その後 伊勢芋をトロロにした伊勢芋料理を佐奈駅近くの夕食場所で 各自の好みで注文して食す。自分を含め、一部の人は 般若湯を頂いたことは言うまでもありません。
食後、相可のビジネスホテルへ。6時半頃到着。各自の部屋へ。部屋は小さいが一人なので十分プライベートの時間がとれた。
私は 入浴後 仲間の部屋をまわり、酒を酌み交わし、雑談で興じた。(その他の人の過ごし方は一切判らず)