2016年10月
2016年10月30日
私の足跡 192「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加遺産
私の足跡 192
「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加遺産が加わる。 1
2004年 7月 7日にユネスコの28回世界遺産総会で 「紀伊山地の霊場と参詣道」が 世界遺産に登録された。
それから 12年後の今年2016年10月24日 パリでの世界遺産総会で「紀伊山地の霊場と参詣道」に新しく次の地域が追加登録され、追加遺産として 登録された。
高野地域
黒河道
三谷坂
不動坂
女人道
私たちは この登録を進めるため 道普請や地域の人達へ広報などをボランティアで協力してきました。その念願がかない 24日の18時過ぎに振興局に集まり、パリでの会議の結果を報道関係の人達と待ちました。
予定通り、朗報を得て 万歳や歓声で各自の喜びを表現しました。もちろん、この後の酒宴もにぎやかに。
今回は 高野地域の追加遺産の「黒河道」を書きます。
1 黒河道 私の住んでいる橋本市の清水の「定福寺」を出発地となります。
橋本市に世界遺産ができたのは 初めてで とても誇りに思います。周辺の高野
町やかつらぎ町には 12年前に登録された遺産があるので とても嬉しいです。
黒河道については、既に 私の足跡141 に記していますので、再掲します。
高野山への
七つの登り口 (高野七口) Ⅴ
黒 河 口 - Ⅱ
今回の 黒河口-Ⅱの一部は 長い間使用されずに眠っていた道を一昨年ぐらい前から刈り開かれた道もある。そして、今までの地蔵等の石仏が歴史的に貴重な物とわかり、最近 脚光を浴び始めた道である。前回の「私の足跡140」よりも この黒河道が本当の高野参詣道ではないかと思われ 調査して報告された道です。
この記録は 世界遺産センターに勤務して 調査をしていた入谷氏に案内を依頼し、2012年11月に この道を案内してもらった記録です。
出発点は前回と同じく、賢堂の定福寺から 出発する。
定福寺については、「私の足跡140」で説明済み。
小さなお堂や石仏が祀られている。近在の人々の信仰の深さがわかる。
明神ヶ田和で小休止。今回は是より 最近まで廃道になっていた道を再開発された「わらん谷」を経由して市平に下る。(現在の地図では、わらん谷は消えている。)
ここからしばらくは 埋もれていた道を切り開いたばかりの道を進む。
造られて間もない丸太橋を進む。濡れていたので 滑らないように注意をした。
平らな道もある。
岩をえぐりとった道もあった。
険しい道を下り切り やっと車道に到着。これから トイレ休憩のできる丹生川キャンプ場迄歩く。
トイレのある丹生川キャンプ場にやっと到着。各自昼食とする。
昼食後 車道を通って先ほどの市平への登山口へ。
しばらく前回と同じ道だか、途中で別れて左の道を通り、久保小学校の北側で合流。
当時は倒木もあり、険しい道。
また、細い道もあった。
猪除けのトタン板で囲まれた田んぼの周囲を通る。
やっと 人家が見えてきた。
前回 お世話になった休校中の久保小学校。
久保小学校から今回は道標に従い、右の道を通る。(前回は左の道) しばらくすると、茶堂跡に到着。江戸時代に遡る茶堂が近年まであったが老朽化に伴い解体され、今は縮小された小堂が再建されている。この跡から鉄製の茶釜が発見されいる。ここの弘法大師像は花崗岩製で享和元年(1801年)・・・・の銘がある。また、木製の不動明王も残っている。
昭和の初めごろまで営業していた高野豆腐をつくっていた建物の跡。(コンクリート製の水槽の一部) 他に直径約50cmの石臼も残っている。
この跡地から 室町時代の在銘の五輪塔や無銘の宝筺印塔の一部も残っている。
旧峻な坂道を登って行く。
子継峠の地蔵石仏。
この石仏は 昔から子授けの信仰のあった石仏で 子宝を願う人達の奉納したよだれかけが何枚もかけられていた。峠名の子継から来たのでしょう。
つい最近 詳細な調査の結果 単に子授けの地蔵ではないことがわかった。
緑泥片岩製の一石彫成の地蔵菩薩立像の石仏です。高野周辺では最大級の石仏です。
向かって右側に「十三年 検校重任」 左側には 「香舂峠 永正九 八月廿二日」と明記されている。
前回は三本杉に出たが、今回は一本杉の傍を通り、高野町役場前に出て、帰る。
注 今は子継峠(粉撞峠とも粉突峠とも)が普通だが、室町時代は「香舂峠」と標記されていたことがわかる。
この記録は 少し古いですが 新しいマップもでき 標識も増え 登りやすくなっています。