2015年03月
2015年03月26日
私の足跡 175 平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 8
私の足跡 175
平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 8
8 紀伊山田駅から丹生都比売神社へ 3月 16日
出発後 奈良時代に建てられたと言われる「神野々廃寺塔跡」に到着。
礎石は巨大なもので 心柱を建てた穴は 直径80cm以上もあり 相当大規模な塔だったと推定されている。
「延喜式神名帳」に記されている 「小田神社」に到着。
戦火により荒れていた旧本殿の跡に 石の宝殿を建て「小田神社」と刻して後世に伝えさせたのが ご神体となり現在に至っている。
清涼寺に到着 伝承によると 昔は4町(約400m強)四方の寺域を有し 深く皇室の保護を受けていた。
高野御幸の際 旅程の最後の宿泊をされた大寺であった。
世界遺産に登録されている「慈尊院」にお参りする。
816年 弘法大師(空海)が 高野山開創に際し 高野山参詣の表玄関として伽藍をつくり 政所等の場所とされたと言う。
弥勒堂(国の重文)に祀られている秘仏の弥勒菩薩(国宝)が 4月2日より (高野山開創1200年祭の間) 御開帳とのこと 楽しみです。
大日如来を祀っている多宝塔。
丹生官省符神社を過ぎた勝利寺の下で 昼食休憩。
その後 町石道を登って行く。
北を見れば 紀の川 南を見れば高野山の見える絶景の場所。展望台からの眺め。
(天気が良ければ 高見山も)
弘法大師坐像。目的地まで無事に行けますようにお願いする。
六本杉で 休憩。
天野の展望台が見えて来た。
二つ鳥居に到着。
この地点より上は 次回にして 八丁坂を降りて 丹生都比売神社に参拝。
丹生都比売神社に参拝し、宮司さんより丁寧な説明を受け、バスで各自の家へ。
。
平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 8
8 紀伊山田駅から丹生都比売神社へ 3月 16日
出発後 奈良時代に建てられたと言われる「神野々廃寺塔跡」に到着。
礎石は巨大なもので 心柱を建てた穴は 直径80cm以上もあり 相当大規模な塔だったと推定されている。
「延喜式神名帳」に記されている 「小田神社」に到着。
戦火により荒れていた旧本殿の跡に 石の宝殿を建て「小田神社」と刻して後世に伝えさせたのが ご神体となり現在に至っている。
清涼寺に到着 伝承によると 昔は4町(約400m強)四方の寺域を有し 深く皇室の保護を受けていた。
高野御幸の際 旅程の最後の宿泊をされた大寺であった。
世界遺産に登録されている「慈尊院」にお参りする。
816年 弘法大師(空海)が 高野山開創に際し 高野山参詣の表玄関として伽藍をつくり 政所等の場所とされたと言う。
弥勒堂(国の重文)に祀られている秘仏の弥勒菩薩(国宝)が 4月2日より (高野山開創1200年祭の間) 御開帳とのこと 楽しみです。
大日如来を祀っている多宝塔。
丹生官省符神社を過ぎた勝利寺の下で 昼食休憩。
その後 町石道を登って行く。
北を見れば 紀の川 南を見れば高野山の見える絶景の場所。展望台からの眺め。
(天気が良ければ 高見山も)
弘法大師坐像。目的地まで無事に行けますようにお願いする。
六本杉で 休憩。
天野の展望台が見えて来た。
二つ鳥居に到着。
この地点より上は 次回にして 八丁坂を降りて 丹生都比売神社に参拝。
丹生都比売神社に参拝し、宮司さんより丁寧な説明を受け、バスで各自の家へ。
。
2015年03月17日
私の足跡 174 平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 7
私の足跡 174
平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 7
v 滝谷不動駅から天見へ 3月 2日
今回は 前回の天見駅を 9時に出発する
二つの班に分かれて出発。
出合いの辻を過ぎて 旧街道を通る。
国道に出ると ガードレールに守られた歩道を楽しく歩く。
紀見峠を越える時 旧国道ではなく 昔の道「み坂」を通る。
紀見峠では 旧宿場町の説明や世界的に有名なで橋本市の名誉市民である「岡 潔」が少年時代を過ごした様子をガイドにしてもらう。(ここに 六里石がある)
昔の面影の残る宿場町跡。
慶賀野戎神社に寄り、ここより良く見える 長藪城址の説明を聞く。
幕末になり賑わいをあった京・大阪道に 大阪狭山市の二人が発起人になり 堺から高野山迄の13里の道に 一里ごとに道標を建てた。 それが当時の旅人の役にたった。その里程石が 今に残っている。 (橋本市には 紀見峠の六里石から学文路の三里石迄のの四基がある。)
現「御幸駅」の近くにある道標。 現在の高野参詣道は この道を南に直進して橋本経由で高野山へのびているが、平安時代からは ここで分岐して 西に延びていたという資料により、駅名にもなっている「御幸」道を歩くことにした。
菖蒲谷・出塔・一時期鋳物の生産地として栄えた柏原を通り 本日のゴール「紀伊山田駅」へ。
平安京から 開創1200年の高野山へ歩く 7
v 滝谷不動駅から天見へ 3月 2日
今回は 前回の天見駅を 9時に出発する
二つの班に分かれて出発。
出合いの辻を過ぎて 旧街道を通る。
国道に出ると ガードレールに守られた歩道を楽しく歩く。
紀見峠を越える時 旧国道ではなく 昔の道「み坂」を通る。
紀見峠では 旧宿場町の説明や世界的に有名なで橋本市の名誉市民である「岡 潔」が少年時代を過ごした様子をガイドにしてもらう。(ここに 六里石がある)
昔の面影の残る宿場町跡。
慶賀野戎神社に寄り、ここより良く見える 長藪城址の説明を聞く。
幕末になり賑わいをあった京・大阪道に 大阪狭山市の二人が発起人になり 堺から高野山迄の13里の道に 一里ごとに道標を建てた。 それが当時の旅人の役にたった。その里程石が 今に残っている。 (橋本市には 紀見峠の六里石から学文路の三里石迄のの四基がある。)
現「御幸駅」の近くにある道標。 現在の高野参詣道は この道を南に直進して橋本経由で高野山へのびているが、平安時代からは ここで分岐して 西に延びていたという資料により、駅名にもなっている「御幸」道を歩くことにした。
菖蒲谷・出塔・一時期鋳物の生産地として栄えた柏原を通り 本日のゴール「紀伊山田駅」へ。