2013年12月
2013年12月31日
私の足跡 149 謹賀新年
私の足跡 149
旧年中は 「私の足跡」に多数のクリックして頂き、有難うございました。
私のこのブログを始めて 6年目を迎えます。このように続けられるのは皆さまがクリックして頂いてくれるお陰です・
本年度も 街道ウォークを中心に書きますので、よろしくお願いいたします。
2014年1月1日
今年も 55回目の金剛山(1192m)の元日登山をしてきました。(このことについては 私の足跡125をご覧ください。)
今年は 気温も高く、近年にない気温の高さでした。(年末は 平地でも寒く雪も良く降り期待していたがガッカリ。)
気温が高かったが、昨年に比べ、積雪量は多かった。約10cm以上はあった。
牛の像が 布団を着たように 雪に埋もれていた。
今日の天気は 晴れたり、降ったりの天気で幻想的な風景も見られた。
旧年中は 「私の足跡」に多数のクリックして頂き、有難うございました。
私のこのブログを始めて 6年目を迎えます。このように続けられるのは皆さまがクリックして頂いてくれるお陰です・
本年度も 街道ウォークを中心に書きますので、よろしくお願いいたします。
2014年1月1日
今年も 55回目の金剛山(1192m)の元日登山をしてきました。(このことについては 私の足跡125をご覧ください。)
今年は 気温も高く、近年にない気温の高さでした。(年末は 平地でも寒く雪も良く降り期待していたがガッカリ。)
気温が高かったが、昨年に比べ、積雪量は多かった。約10cm以上はあった。
牛の像が 布団を着たように 雪に埋もれていた。
今日の天気は 晴れたり、降ったりの天気で幻想的な風景も見られた。
2013年12月04日
私の足跡 148 滋賀の紅葉を訪ねて
私の足跡 148
滋賀の紅葉を訪ねて
11月19日に「自宅の近くから 観光バスに乗り、湖国の紅葉めぐり」のツアーに申し込み、滋賀へ向かう。今回は 三ヵ所共 初めての紅葉名所なので 期待していた。
好天に恵まれ、車中も楽しく 参加できた。
まず「胡宮神社」の見学。祭神は イザナギノミコトとイザナミノミコト。
一時、天台宗系のお寺もあり、湖東三山のように栄えていたが戦火により、焼失。その後、神社だけが再建されている。
紅葉の時期には 少し早かった。
昼食は 近江牛しゃぶ御膳を頂く。
次は 彦根城内の玄宮園の見学。
玄宮園は、中国唐時代の離宮をなぞらえて命名されたと考えられている
近江八景を模して作成されたといわれる廻遊式庭園です。
彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園。
次は 今回の本命と思う鶏足寺(旧飯福寺)へ。
バスを降りてから 約20分歩いて 鶏足寺へ。
735年 行基が開く。 荒廃する。 799年 最澄が復興。 その後 真言宗になる。
平安時代 五ヶ寺を構え、湖北の比叡山とも言われ、山岳信仰の修験道場の一つ。
中世には、僧兵を擁するほどの大寺だった。
でも、今はその面影は何もない。
帰宅は予定通り、19時30分。
滋賀の紅葉を訪ねて
11月19日に「自宅の近くから 観光バスに乗り、湖国の紅葉めぐり」のツアーに申し込み、滋賀へ向かう。今回は 三ヵ所共 初めての紅葉名所なので 期待していた。
好天に恵まれ、車中も楽しく 参加できた。
まず「胡宮神社」の見学。祭神は イザナギノミコトとイザナミノミコト。
一時、天台宗系のお寺もあり、湖東三山のように栄えていたが戦火により、焼失。その後、神社だけが再建されている。
紅葉の時期には 少し早かった。
昼食は 近江牛しゃぶ御膳を頂く。
次は 彦根城内の玄宮園の見学。
玄宮園は、中国唐時代の離宮をなぞらえて命名されたと考えられている
近江八景を模して作成されたといわれる廻遊式庭園です。
彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園。
次は 今回の本命と思う鶏足寺(旧飯福寺)へ。
バスを降りてから 約20分歩いて 鶏足寺へ。
735年 行基が開く。 荒廃する。 799年 最澄が復興。 その後 真言宗になる。
平安時代 五ヶ寺を構え、湖北の比叡山とも言われ、山岳信仰の修験道場の一つ。
中世には、僧兵を擁するほどの大寺だった。
でも、今はその面影は何もない。
帰宅は予定通り、19時30分。
2013年12月01日
私の足跡 147 伊勢へのウォーキング
私の足跡 147
式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング
第5回 11月12日
相可のホテルで6時からの朝食バイキングを食し、7時前にバスに乗り、前日歩き終えた田丸城跡へ行く。
田丸城を 7時半ごろより、歩き始める。早朝の田丸城。
伊勢に近づき、前日歩いた野中で私達の歩いている伊勢南街道(和歌山別街道)は熊野からの道と合流したが ここ田丸では 大阪・奈良からの伊勢本街道と合流する所で 当時はとても賑わった土地です。また、伊勢参りを終えて熊野への西国まわりの人はここで服装を着替えた所でもあります。
街道筋には、上のような当時の旅館跡の石碑が建っている。
JR参宮線の踏切を渡り、伊勢に近づく。
黙々と歩き、伊勢に近づく仲間達。
政治家尾崎行雄を記念して開設された 伊勢市立博物館。
この近くに 宮川の渡しがあった。水辺には青い柳が繁り、茶屋が軒を並べて賑わっていた。
今は 度会橋という大きな橋がかかり、交通量も多い。
伊勢には 伊勢神宮の社に遠慮して 切妻等の建物が多い。
その家々の門口に 注蓮縄(しめなわ)飾りを年中掲げているのが目に着く。
中央に「蘇民将来子孫家」などと墨書きした木札がつき左右にウラジロ等を飾った太い注連縄(しめなわ)がある。
正月の注連縄飾りは 松の内が過ぎれば外すのが一般的だが 伊勢・志摩では一年間かけたままで過ごす風習がある。
それは「その昔 この地を訪れたスサノオノミコトに貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時 「今後は 門符を門口におけば 子孫代々疫病から免れる」といい残したいう伝説があるからです。そして 蘇民将来の子孫の家である証拠として門符を門口に掲げ無病息災を願うようになったということです。
外宮の境内に入る。
カメラ2台をもち、全6回の伊勢ウォ-クの記録を撮り続けてくれたMさん。
お疲れさんでした。
遷宮後 約一カ月の真新しい本宮です。衣食住・産業の神である豊受大御神を祀っている。
遷宮前の外宮の本宮です。
帰りに 別宮の多賀宮にも参拝してきた。
外宮を出て、内宮に向かう。
途中 古市の町で現在も営業している麻吉旅館に寄る。斜面を利用した6階建ての木造建築で 昔は伊勢参りの客で賑わったとある。
途中 猿田彦神社に寄り、お参りする。交通安全・方位除けの神社。
内宮前の宇治橋前に予定通りの時刻に到着。(この橋は日常の生活から 神聖な世界への架け橋。 外宮に比べ、人の多さにビックリ。
参拝前に「食事・買い物は各自でする」としているので、集合場所と時刻の確認をして約3時間は自由行動とする。
宇治橋を渡り、天照大神の祀る内宮に向かう。外宮は左側通行。内宮は右側通行。参拝者も心得たもの。(参考までに 真中は神様の通る道)
五十川と御手洗場。きまり通り、御手洗川で手を洗っている二人。
木の香も漂う 天照大神の祀る内宮の正宮に参拝。カメラの使用はここまで。
内宮の正宮前で 無事参拝を終え満足気の三人。
遷宮前の内宮の本宮です。 一か月前まで賑わった旧正宮だが、今は写真の通り、淋しい感じがする。
その後、別宮の荒祭宮に参拝し、個人的な願いをお祈りする。
その後、おはらい町で食事をと思ったが、混んでいたのでおかげ横町の奥の店で般若湯を飲み そして食事をして、その後、みやげも買い、集合場所へ。
皆さんの協力で、集合時刻には全員集合。予定通り、15時出発。
伊勢自動車道から西名阪に入り、途中休憩し、予定通り無事帰宅。
今回の遷宮年の伊勢ウォークを企画し実施したが 大過なく終えられたのは皆さんのご協力のお陰だと感謝しています。そして、申込定員一杯の方に参加して頂いたので、多少なりとも返金できたことも良かったです。 ほんとうに有難うございまし。
式年遷宮の伊勢神宮へのウォーキング
第5回 11月12日
相可のホテルで6時からの朝食バイキングを食し、7時前にバスに乗り、前日歩き終えた田丸城跡へ行く。
田丸城を 7時半ごろより、歩き始める。早朝の田丸城。
伊勢に近づき、前日歩いた野中で私達の歩いている伊勢南街道(和歌山別街道)は熊野からの道と合流したが ここ田丸では 大阪・奈良からの伊勢本街道と合流する所で 当時はとても賑わった土地です。また、伊勢参りを終えて熊野への西国まわりの人はここで服装を着替えた所でもあります。
街道筋には、上のような当時の旅館跡の石碑が建っている。
JR参宮線の踏切を渡り、伊勢に近づく。
黙々と歩き、伊勢に近づく仲間達。
政治家尾崎行雄を記念して開設された 伊勢市立博物館。
この近くに 宮川の渡しがあった。水辺には青い柳が繁り、茶屋が軒を並べて賑わっていた。
今は 度会橋という大きな橋がかかり、交通量も多い。
伊勢には 伊勢神宮の社に遠慮して 切妻等の建物が多い。
その家々の門口に 注蓮縄(しめなわ)飾りを年中掲げているのが目に着く。
中央に「蘇民将来子孫家」などと墨書きした木札がつき左右にウラジロ等を飾った太い注連縄(しめなわ)がある。
正月の注連縄飾りは 松の内が過ぎれば外すのが一般的だが 伊勢・志摩では一年間かけたままで過ごす風習がある。
それは「その昔 この地を訪れたスサノオノミコトに貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時 「今後は 門符を門口におけば 子孫代々疫病から免れる」といい残したいう伝説があるからです。そして 蘇民将来の子孫の家である証拠として門符を門口に掲げ無病息災を願うようになったということです。
外宮の境内に入る。
カメラ2台をもち、全6回の伊勢ウォ-クの記録を撮り続けてくれたMさん。
お疲れさんでした。
遷宮後 約一カ月の真新しい本宮です。衣食住・産業の神である豊受大御神を祀っている。
遷宮前の外宮の本宮です。
帰りに 別宮の多賀宮にも参拝してきた。
外宮を出て、内宮に向かう。
途中 古市の町で現在も営業している麻吉旅館に寄る。斜面を利用した6階建ての木造建築で 昔は伊勢参りの客で賑わったとある。
途中 猿田彦神社に寄り、お参りする。交通安全・方位除けの神社。
内宮前の宇治橋前に予定通りの時刻に到着。(この橋は日常の生活から 神聖な世界への架け橋。 外宮に比べ、人の多さにビックリ。
参拝前に「食事・買い物は各自でする」としているので、集合場所と時刻の確認をして約3時間は自由行動とする。
宇治橋を渡り、天照大神の祀る内宮に向かう。外宮は左側通行。内宮は右側通行。参拝者も心得たもの。(参考までに 真中は神様の通る道)
五十川と御手洗場。きまり通り、御手洗川で手を洗っている二人。
木の香も漂う 天照大神の祀る内宮の正宮に参拝。カメラの使用はここまで。
内宮の正宮前で 無事参拝を終え満足気の三人。
遷宮前の内宮の本宮です。 一か月前まで賑わった旧正宮だが、今は写真の通り、淋しい感じがする。
その後、別宮の荒祭宮に参拝し、個人的な願いをお祈りする。
その後、おはらい町で食事をと思ったが、混んでいたのでおかげ横町の奥の店で般若湯を飲み そして食事をして、その後、みやげも買い、集合場所へ。
皆さんの協力で、集合時刻には全員集合。予定通り、15時出発。
伊勢自動車道から西名阪に入り、途中休憩し、予定通り無事帰宅。
今回の遷宮年の伊勢ウォークを企画し実施したが 大過なく終えられたのは皆さんのご協力のお陰だと感謝しています。そして、申込定員一杯の方に参加して頂いたので、多少なりとも返金できたことも良かったです。 ほんとうに有難うございまし。