2013年06月
2013年06月17日
私の足跡 136 今年の町石道の案内
私の足跡 136
今年の町石道の案内
高野山町石道の案内を講習を受け、約10年近くやっているが 今年は珍しく6月現在4回も案内する機会を得たので、その様子を書きます。
この約10年間 北は北海道の夫婦が四国霊場を歩いて 無事満願できたお礼を 北海道に帰る前に高野山町石道を歩いて 弘法大師に報告するため 案内をさせてもらった。また、南は沖縄の若き教師が 京都での研修会終了後、奈良や京都の世界遺産は知っているが「紀伊山地の霊場とその参詣道」を知りたいという願いで案内させてもらった。その他 新潟の山岳同好会の皆さん等日本各地の人々に 世界遺産「高野山町石道」の自然や歴史を話しながら何十回と歩いています。また、 地元や周辺の小学生も案内しています。次回は この世界遺産「高野山町石道」の自然や歴史を詳しく書きます。
バス会社斡旋の14~20名位のグループを案内するのも楽しいが、私は 小人数の人達を案内するほうが 皆なと話せ、楽しい一日となり、その後の便りもうれしいです。
一回目
私は 3年前 四国遍路を徒歩で巡礼して、結願したことを この「私の足跡44~53」に書いてあります。それを知っていた元同僚女性3人組は 自分達3人も 春になれば四国遍路を徒歩で巡礼したいので 遍路歩きの心得等聞きたいということになった。それで、四国を巡礼するなら弘法大師に無事結願てきるようにお願いするため高野山へ歩いて登ろうということとになった。(四国遍路を始めれば 毎日 高野山町石道のような道を歩かなければならないという体験をする意味もあった。)
4人での約束の日時は前日からの雨天になった。日程の変更かコースの変更かとなった。3人組の判断はコースの変更となったので、紀伊細川駅から徒歩で約一時間で矢立(花坂)へ。そこから町石道を通って高野山へ登るというコースを短縮した。
紀伊細川駅から矢立まで、雨具を付け、雨中を歩く。途中の東屋の展望台で昼食。その後、雨は小雨になる。
大門に到着したころは 殆ど雨も止んでいた。3人とも元気なので徒歩で奥の院まで行き、無事に四国遍路が出来るよう祈願してきた。合計 約15Kmの歩行だった。
二回目
某会社の仲間が退職後、年に何回か集まり、10年以上も楽しんでいるグループの案内。( 2年前 学文路から高野山へ登る道を案内したグループ 5名 その登頂後 今度は表参道の高野山町石道だねと冗談に言っていたのが現実となった。)
真田庵に立ち寄り 約20分の見学。慈尊院の見学後、180町石より 1町石を目指す。
少し、早いが120町石の展望台で昼食。予定より、少し遅れ気味。ピッチをあげる。
60町石の矢立で ペースはもどしたが、前半の遅れは残っている。
残りの3分の一の60町は 疲れのひどい人もおり、予定のペースより遅れ、大門着も遅れた。しかし、幸運に恵まれ、大門からの夕日百選の景色をカメラにおさめて、高野山で宿泊する5名と別れて帰る。
三回目
関西の某銀行の互助会のような組織が主催して、高野山町石道の出発点・慈尊院から約7km先の丹生都比売神社までの案内です。
予定より 少し早く到着。約40名のお客さん。二つの班に分けて、二人のガイドと案内する。思った通り、子ども連れのファミリーや友達同志 それに年配の人もいたので 話の内容や歩く速さにも気をつける。
慈尊院の見学後、石段を登り、町石道に入る。子どもは 元気な初めは 案内人を追い越したり、途中の話を聞かなかったりする。それで、最初にきまりと問題を言っておくと良いので今回もして成功した。
大人には 町石道の歴史等の話をした。女性も多かったので道端の花の話をしながら登る。
丹生都比売神社には 予定より少し遅れたが無事到着。バスで九度山に戻り、解散。
四回目
6月3日 東京都江東区の岩田さん御夫妻と娘さんの三人の案内。よくあるパターンで難波周辺のホテルに宿泊し、翌日電車で九度山又は細川駅で待ち合わせをして案内する。今回は11時に紀伊細川駅で待ち合わせだったが、私の乗る電車と同じで途中より一緒になり共に行動する。
駅から矢立(花坂)まで約1時間。東京では見られない珍しい風景だと喜んでくれた。特に女性達はこの時期さかりの「うつぎの花」や「花いかだの葉」に喜んでくれた。
うつぎの花
花いかだ
矢立で昼食。休憩後、60町の町石から1町石までがんばろう。
途中、「二人静」や「一人静」の花にも喜んでくれた。
ふたりしずか
ひとりしずか
大門下の厳しい登り坂を過ぎれば突然現れる壮大の大門に感激。写真をたくさん撮っていた。
数日後 写真付きのお礼のお便り有難うございました。未熟な案内にかかわらず、心のこもったお便りでありがとうございました。
今年の町石道の案内
高野山町石道の案内を講習を受け、約10年近くやっているが 今年は珍しく6月現在4回も案内する機会を得たので、その様子を書きます。
この約10年間 北は北海道の夫婦が四国霊場を歩いて 無事満願できたお礼を 北海道に帰る前に高野山町石道を歩いて 弘法大師に報告するため 案内をさせてもらった。また、南は沖縄の若き教師が 京都での研修会終了後、奈良や京都の世界遺産は知っているが「紀伊山地の霊場とその参詣道」を知りたいという願いで案内させてもらった。その他 新潟の山岳同好会の皆さん等日本各地の人々に 世界遺産「高野山町石道」の自然や歴史を話しながら何十回と歩いています。また、 地元や周辺の小学生も案内しています。次回は この世界遺産「高野山町石道」の自然や歴史を詳しく書きます。
バス会社斡旋の14~20名位のグループを案内するのも楽しいが、私は 小人数の人達を案内するほうが 皆なと話せ、楽しい一日となり、その後の便りもうれしいです。
一回目
私は 3年前 四国遍路を徒歩で巡礼して、結願したことを この「私の足跡44~53」に書いてあります。それを知っていた元同僚女性3人組は 自分達3人も 春になれば四国遍路を徒歩で巡礼したいので 遍路歩きの心得等聞きたいということになった。それで、四国を巡礼するなら弘法大師に無事結願てきるようにお願いするため高野山へ歩いて登ろうということとになった。(四国遍路を始めれば 毎日 高野山町石道のような道を歩かなければならないという体験をする意味もあった。)
4人での約束の日時は前日からの雨天になった。日程の変更かコースの変更かとなった。3人組の判断はコースの変更となったので、紀伊細川駅から徒歩で約一時間で矢立(花坂)へ。そこから町石道を通って高野山へ登るというコースを短縮した。
紀伊細川駅から矢立まで、雨具を付け、雨中を歩く。途中の東屋の展望台で昼食。その後、雨は小雨になる。
大門に到着したころは 殆ど雨も止んでいた。3人とも元気なので徒歩で奥の院まで行き、無事に四国遍路が出来るよう祈願してきた。合計 約15Kmの歩行だった。
二回目
某会社の仲間が退職後、年に何回か集まり、10年以上も楽しんでいるグループの案内。( 2年前 学文路から高野山へ登る道を案内したグループ 5名 その登頂後 今度は表参道の高野山町石道だねと冗談に言っていたのが現実となった。)
真田庵に立ち寄り 約20分の見学。慈尊院の見学後、180町石より 1町石を目指す。
少し、早いが120町石の展望台で昼食。予定より、少し遅れ気味。ピッチをあげる。
60町石の矢立で ペースはもどしたが、前半の遅れは残っている。
残りの3分の一の60町は 疲れのひどい人もおり、予定のペースより遅れ、大門着も遅れた。しかし、幸運に恵まれ、大門からの夕日百選の景色をカメラにおさめて、高野山で宿泊する5名と別れて帰る。
三回目
関西の某銀行の互助会のような組織が主催して、高野山町石道の出発点・慈尊院から約7km先の丹生都比売神社までの案内です。
予定より 少し早く到着。約40名のお客さん。二つの班に分けて、二人のガイドと案内する。思った通り、子ども連れのファミリーや友達同志 それに年配の人もいたので 話の内容や歩く速さにも気をつける。
慈尊院の見学後、石段を登り、町石道に入る。子どもは 元気な初めは 案内人を追い越したり、途中の話を聞かなかったりする。それで、最初にきまりと問題を言っておくと良いので今回もして成功した。
大人には 町石道の歴史等の話をした。女性も多かったので道端の花の話をしながら登る。
丹生都比売神社には 予定より少し遅れたが無事到着。バスで九度山に戻り、解散。
四回目
6月3日 東京都江東区の岩田さん御夫妻と娘さんの三人の案内。よくあるパターンで難波周辺のホテルに宿泊し、翌日電車で九度山又は細川駅で待ち合わせをして案内する。今回は11時に紀伊細川駅で待ち合わせだったが、私の乗る電車と同じで途中より一緒になり共に行動する。
駅から矢立(花坂)まで約1時間。東京では見られない珍しい風景だと喜んでくれた。特に女性達はこの時期さかりの「うつぎの花」や「花いかだの葉」に喜んでくれた。
うつぎの花
花いかだ
矢立で昼食。休憩後、60町の町石から1町石までがんばろう。
途中、「二人静」や「一人静」の花にも喜んでくれた。
ふたりしずか
ひとりしずか
大門下の厳しい登り坂を過ぎれば突然現れる壮大の大門に感激。写真をたくさん撮っていた。
数日後 写真付きのお礼のお便り有難うございました。未熟な案内にかかわらず、心のこもったお便りでありがとうございました。
2013年06月01日
私の足跡 135 明石大橋の主塔と工事中の白鷺城を訪ねて
私の足跡 135
明石大橋の主塔に登頂
と
工事中の白鷺城を訪ねて
今回 ジパング倶楽部を共によく利用しているN氏とで倶楽部主催の「世界最長の明石海峡大橋の主塔海上300mに登り、絶景を愉しむ」というイベントに5月22日に参加した。
(共に 日本の山の100以上の頂上に登ったり、しまなみ海道をウォークで渡ったり、サイクリングでも渡ったりと高い所が好きです。)
午後は ジパング倶楽部の三割引き切符を活用するため(JRの列車を片道100Km以上乗る必要がある) 姫路まで行き、工事中の白鷺城を訪ねるプランにした。午後2時からの見学をインターネットで予約した。
明石近くの舞子駅に 8時45分集合だったので、家を6時に出て、予期せぬ事態に対応するため、大阪駅を7時22分発で出発。
舞子駅に8時過ぎに到着。
ホールに入り 9時から説明を聞き、橋の科学館に入り、展示物の説明を聞く。
上の図の左端の主塔基礎は 主塔から受ける約12万トンの下向きの力を支えるため、水深60mの岩盤まで掘って造った。
次の主塔は ケーブルから約10万トンの力を受ける。高さは300mと高いため、耐風安定化のため、風洞実験を何度もした。
次のケーブルは、素線の直径5.23mmの高強度亜鉛メッキ鋼線を127本を一束として それを290を集めている。(素線の総延長は 約30万㎞で地球7周半にもなる) 潮風の錆対策等と点検で200年以上の維持を目指している。
ロープは最初は 細いパイロットロープから順に張っていく。
そして、世界最長橋(吊橋)のギネスブックもあった。
先輩(この橋より先に造られた橋)の良い所を学び造ったが、今後はこの橋の良さを後輩の橋に使ってもらうと言っていた。
科学館を出て、向こうに見える橋に向かう。橋の高さまでエレベーターを使う。
いよいよ橋を渡る。私達はこの通路を使う。ここは 工事用の車両も使用するので、車が来ると左側によけなければならない。通常の車はこの上を通っている。
足下は 風対策と軽量化のため、網の目状の通路です。約100m下の海が良く見える。(国際船の通行のため高くしている)
この通路を約1km歩くと最初の主塔に昇る。約200m昇るため約10名乗りのエレベーターに乗る。
海上からの高さ300mの主塔から今歩いてきた1km先の神戸側を見る。良く晴れていたが視界良好ではないがよく見えた。
目を南に転ずれば 次の主塔と淡路島が見える。
車の往来の様子
潮の流れが早くて有名でその様子が良くわかる。
主塔のてっぺんからの見学が終わり、エレベーターに乗るため、普段は閉めている鉄板を開けて降りる。青色のヘルメットは見学者。赤色のヘルメットは係員。カメラ・御茶など手で持たせないように用意したものを貸してくれて安全には気を配ってくれていた。勿論、最初に誓約書も書いて参加している。
降りると工事用の車がきて、作業を始めた。
帰りは歩行者専用の道を通って帰る。
帰り際は 海にもやがかかってきた。
姫路駅前で食事をとり、姫路城に向かう。
姫路城世界遺産登録20周年 大天守修理見学施設「天空の白鷺」での見学。
「昭和の大修理」から約半世紀過ぎ、姫路城大天守修理には傷みや汚れがが目立つようになった。それで、築城時そのままの美しい姿で次の世代へ引き継ぐため、漆喰壁の塗り直しや、屋根瓦の葺き直しを中心に、約5年をかけて行う工事です。その工事の様子を素屋根の内部に設けた見学スペースから大天守の大屋根を外側から間近に見れるのです。
工事前の姫路城の外観
現在の素屋根を被った姫路城の外観
素屋根の内部に設けられたエレベーターに乗り、7・8階の見学スペースへ。
エレベーターに乗り、カメラを城に向け撮影した。 一階
二階
四階
五階
七階
八階の見学スペースから大天守の屋根
スペースから城の反対側の南方面を見る。三の丸広場の向こうにのびる大通りの先が姫路駅
見学スペースに展示されていた大屋根の鯱のレプリカ
大屋根の瓦葺きの漆喰塗り。(写真)
そして出来上がった見事な大屋根。
大天守の大屋根をこんなに間近に見えたのはこの機会だけだったので本当に良かった。
そして、充実した一日だった。
帰りに梅田の新しい街を見学だけをして帰った。
本日の歩数 21650歩