2013年02月
2013年02月15日
私の足跡 128 18切符を使って雪国へ
私の足跡 128
18切符を使って雪国へ Ⅲ
三日目 (8日)
高山の朝市は、冬場は7時頃から始まると聞いていたので 7時前に宿を出て「宮川の朝市」へ行ったが まだ準備中だった。
時間もあるので 早朝の高山の街の見学を兼ねて もうひとつの「陣屋跡の朝市」へも行ったがまだ誰もいない。
初めの宮川の朝市の場へ戻ると3軒が並んでいたが ある一軒に寄る。販売品は高山の漬物だった。おばさんの話では 品物の大半は自分が作る。家のことはお嫁さんに任せている。毎日 店に来てお客さんと話が出来るのは幸せですと。正月が過ぎた今頃は一番客が少ないとか。時間も10時頃にはもっと店もお客も多くなるそうだが 我々は予定があるので宮川朝市に心をひかれながらも立ち去った。
そして、朝食をホテルで済ませ、高山駅へ。
高山駅近くのバスターミナルで切符を買い白川郷行きのバスに乗る。
白川郷BT着後 出会い橋を渡り 見学に行く。
建築後200年以上も経ている明善寺の見学。全国でも珍しい合掌造りの寺院。
見事なのは、隣の庫裏です。 江戸時代末期の構造で、5層の合掌造りは白川では最大の建物。、
合掌造りと言えば 白川郷。 白川郷と言えば 合掌造り。と言われる程 歴史的文化遺産である茅葺き屋根の合掌造りの家屋が100余も残る。1995年に世界遺産に登録された。 8年前に比べ、今回は 雪が少なかったが この付近は雪が多かった。
合掌造りの中でも 大きな建物です。屋根の葺き替えは 数十年ごとに行われる。
作業は、村を挙げての大仕事。茅と木だけで組み上げていく昔ながらの工法で、数日を要する。
家族単位ではとても出来ないから 村人総出の仕事となる。この助け合いの精神は「結」と呼ばれ、いまに受け継がれている。
にごり酒と昼食を胃袋におさめた後、バスで金沢へ向かう。途中より降るものが雪から雨に変わる。
金沢駅でバスを降りてから JRの駅西口から入り、ショッピングモールの中に入り込み 改札駅迄の道を間違え時間をロスする。(4年前 東口から出入りした時のイメージとは違いが大きかった。)
外はまだ雨が降っていたので、兼六園の「雪つり」の見学を中止して、「ジパング倶楽部」の3割引き切符を使い サンダーバードで帰った。
旅に出ると、素晴らしい景色・出来事に出会えて 時間がたっても忘れられないものがある。
今回の旅行でも 心に残った人 3人に出会えた。
その一人は 一日目に気比から米原への帰路 待合室の人のいない隅で小さい音でハーモニカで「ふるさと」を吹いている70歳ぐらいの男性を見つけた。気になり近づき話してみると二人暮しをしていた奥さんを最近亡くした。それ以後 寂しくてハーモニカをふき始めた。息子の家で正月を今日まで過ごしていたが、奥さんと共に過ごした金沢にこれから帰る途中という。二人暮らしの私達二人もこの人の人生を自分に被せて、寂しい思いになった。哀愁をおびた「ふるさと」のメロディが今も耳に残っている。
二番目の人は 「18切符を使っての雪国へ」のⅡでも書いていますが、平湯の大滝の結氷状況を尋ねた土産物店の店員さんです。自分の商売に一切関係ないのに 地図をかいてくれたり、確認のため、店を空けて調べてくれた店員さん。 本当にありがとうございました。お陰で 平湯の大滝の結氷を見る事ができました。
三人目の人は、 「18切符を使っての雪国へ」のⅢで 金沢駅で道に迷ったと書いたがその時 多分じぶんの用もあるのに親切に案内してくれた娘さん お世話になりました。
そして 最後に案内マップを探してきて 私達に手渡してくれた心遣いに 寒い金沢で 暖かい心のおもてなしを頂きました。本当にありがとうございました。
18切符を使って雪国へ Ⅲ
三日目 (8日)
高山の朝市は、冬場は7時頃から始まると聞いていたので 7時前に宿を出て「宮川の朝市」へ行ったが まだ準備中だった。
時間もあるので 早朝の高山の街の見学を兼ねて もうひとつの「陣屋跡の朝市」へも行ったがまだ誰もいない。
初めの宮川の朝市の場へ戻ると3軒が並んでいたが ある一軒に寄る。販売品は高山の漬物だった。おばさんの話では 品物の大半は自分が作る。家のことはお嫁さんに任せている。毎日 店に来てお客さんと話が出来るのは幸せですと。正月が過ぎた今頃は一番客が少ないとか。時間も10時頃にはもっと店もお客も多くなるそうだが 我々は予定があるので宮川朝市に心をひかれながらも立ち去った。
そして、朝食をホテルで済ませ、高山駅へ。
高山駅近くのバスターミナルで切符を買い白川郷行きのバスに乗る。
白川郷BT着後 出会い橋を渡り 見学に行く。
建築後200年以上も経ている明善寺の見学。全国でも珍しい合掌造りの寺院。
見事なのは、隣の庫裏です。 江戸時代末期の構造で、5層の合掌造りは白川では最大の建物。、
合掌造りと言えば 白川郷。 白川郷と言えば 合掌造り。と言われる程 歴史的文化遺産である茅葺き屋根の合掌造りの家屋が100余も残る。1995年に世界遺産に登録された。 8年前に比べ、今回は 雪が少なかったが この付近は雪が多かった。
合掌造りの中でも 大きな建物です。屋根の葺き替えは 数十年ごとに行われる。
作業は、村を挙げての大仕事。茅と木だけで組み上げていく昔ながらの工法で、数日を要する。
家族単位ではとても出来ないから 村人総出の仕事となる。この助け合いの精神は「結」と呼ばれ、いまに受け継がれている。
にごり酒と昼食を胃袋におさめた後、バスで金沢へ向かう。途中より降るものが雪から雨に変わる。
金沢駅でバスを降りてから JRの駅西口から入り、ショッピングモールの中に入り込み 改札駅迄の道を間違え時間をロスする。(4年前 東口から出入りした時のイメージとは違いが大きかった。)
外はまだ雨が降っていたので、兼六園の「雪つり」の見学を中止して、「ジパング倶楽部」の3割引き切符を使い サンダーバードで帰った。
旅に出ると、素晴らしい景色・出来事に出会えて 時間がたっても忘れられないものがある。
今回の旅行でも 心に残った人 3人に出会えた。
その一人は 一日目に気比から米原への帰路 待合室の人のいない隅で小さい音でハーモニカで「ふるさと」を吹いている70歳ぐらいの男性を見つけた。気になり近づき話してみると二人暮しをしていた奥さんを最近亡くした。それ以後 寂しくてハーモニカをふき始めた。息子の家で正月を今日まで過ごしていたが、奥さんと共に過ごした金沢にこれから帰る途中という。二人暮らしの私達二人もこの人の人生を自分に被せて、寂しい思いになった。哀愁をおびた「ふるさと」のメロディが今も耳に残っている。
二番目の人は 「18切符を使っての雪国へ」のⅡでも書いていますが、平湯の大滝の結氷状況を尋ねた土産物店の店員さんです。自分の商売に一切関係ないのに 地図をかいてくれたり、確認のため、店を空けて調べてくれた店員さん。 本当にありがとうございました。お陰で 平湯の大滝の結氷を見る事ができました。
三人目の人は、 「18切符を使っての雪国へ」のⅢで 金沢駅で道に迷ったと書いたがその時 多分じぶんの用もあるのに親切に案内してくれた娘さん お世話になりました。
そして 最後に案内マップを探してきて 私達に手渡してくれた心遣いに 寒い金沢で 暖かい心のおもてなしを頂きました。本当にありがとうございました。
2013年02月01日
私の足跡 127 18切符を使って雪国へ
私の足跡 127
18切符を使って雪国へ Ⅱ
二日目(7日)
東京駅に 5:05分に到着. 5:22分発の中央線で松本へ向かう。
甲府を過ぎたころより雪を被った山が見えて来た。
右側に八ヶ岳の山並みが遠くに見えて来た。
左側には甲斐駒ヶ岳の雄姿がせまってきた。
松本駅に到着(因みに 18切符を使ったので家からここ松本まで運賃 約4500円)。 バスの乗車券購入後、 昼食。
バスターミナルに早く行き、バスの最前列に席をとり、景色を眺め カメラにおさめる。
前方に見えるのは 蝶ヶ岳か常念岳かわからないが素晴らしい雄姿を見せていた。(バスの運転手に聞くもわからなかった)
前方に 親子滝が見えて来た。見事に凍っていた。
途中 釜トンネルとの分岐があったが、鉄柵がしていて、通行止めであった。
( 8年前の3月に ここからスノーシューを履いて上高地まで行ったのを思い出す。cf 私の足跡 24 )
少し行くと、長い長い安房トンネル(長さ5,6Km)の中に入り、平湯に向かう。
資料によると、このトンネルの当初の完成時期は2005年だったが、1998年の長野オリンピックに間に合わせる為、1997年に完成させた。このトンネルの開通により、松本と高山間は不通であった冬季も通行可能になり、通常5~8時間かかったのが5分となったらしい。
平湯BTに到着し、氷結した平湯の大滝の見学に行く予定。でも、この時期 氷結しているかが問題だ。情報を得るために 店員さんに聞くと他の人にも聞いてくれて、氷結しているとの事。早速 往復1時間をかけて 雪の道を歩いて 山に登って行くことにした。
途中 ゲレンデの茶店の屋根の雪下ろし や スキーの楽しんでいるのを見ながら山を登る。 ( 30年ほど前の夏に 見に来たことがあるが 記憶はない)
平湯大滝についての説明板も半分ほど雪に埋まっている。
何枚も写真を撮ったがその一部。
帰路 50年ほど前の夏に登った笠ヶ岳が見えた。
平湯BTに戻り滝の情報を提供してくれた人にお礼を言い、早いが土産物を買う。
そして、バスに乗り、高山に向かう。
高山BTに到着後、ホテルに荷物を置き、早速高山市内観光に出る。
過去に 高山の名所で行っていない所ということで、国分寺に行く。奈良時代創建だが、他の国の国分寺と同じく昔の面影がなかった。
ただし、飛騨国分寺の大イチョウ(国指定)があり、推定1200年前とある。
新しい博物館の見学。 庄屋等の米蔵・酒蔵の豪華さにビックリ。
夕食をとるため、食堂に入り、飛騨牛入りの食べ物を食していると、隣のテーブルに予約席が一つある。 しばらくすると、OL風の3人がその席にきて、ブドウ酒・ウイスキーと飛騨牛のシャブシャブを豪快に食べ始めた。時間がたつにつれて、彼女達のテンションがあがってきたので私ら年金生活者二人はそそくさと席をたち、夜の高山市街に出て、人出の少ない夜の街を歩いてホテルに帰った。
18切符を使って雪国へ Ⅱ
二日目(7日)
東京駅に 5:05分に到着. 5:22分発の中央線で松本へ向かう。
甲府を過ぎたころより雪を被った山が見えて来た。
右側に八ヶ岳の山並みが遠くに見えて来た。
左側には甲斐駒ヶ岳の雄姿がせまってきた。
松本駅に到着(因みに 18切符を使ったので家からここ松本まで運賃 約4500円)。 バスの乗車券購入後、 昼食。
バスターミナルに早く行き、バスの最前列に席をとり、景色を眺め カメラにおさめる。
前方に見えるのは 蝶ヶ岳か常念岳かわからないが素晴らしい雄姿を見せていた。(バスの運転手に聞くもわからなかった)
前方に 親子滝が見えて来た。見事に凍っていた。
途中 釜トンネルとの分岐があったが、鉄柵がしていて、通行止めであった。
( 8年前の3月に ここからスノーシューを履いて上高地まで行ったのを思い出す。cf 私の足跡 24 )
少し行くと、長い長い安房トンネル(長さ5,6Km)の中に入り、平湯に向かう。
資料によると、このトンネルの当初の完成時期は2005年だったが、1998年の長野オリンピックに間に合わせる為、1997年に完成させた。このトンネルの開通により、松本と高山間は不通であった冬季も通行可能になり、通常5~8時間かかったのが5分となったらしい。
平湯BTに到着し、氷結した平湯の大滝の見学に行く予定。でも、この時期 氷結しているかが問題だ。情報を得るために 店員さんに聞くと他の人にも聞いてくれて、氷結しているとの事。早速 往復1時間をかけて 雪の道を歩いて 山に登って行くことにした。
途中 ゲレンデの茶店の屋根の雪下ろし や スキーの楽しんでいるのを見ながら山を登る。 ( 30年ほど前の夏に 見に来たことがあるが 記憶はない)
平湯大滝についての説明板も半分ほど雪に埋まっている。
何枚も写真を撮ったがその一部。
帰路 50年ほど前の夏に登った笠ヶ岳が見えた。
平湯BTに戻り滝の情報を提供してくれた人にお礼を言い、早いが土産物を買う。
そして、バスに乗り、高山に向かう。
高山BTに到着後、ホテルに荷物を置き、早速高山市内観光に出る。
過去に 高山の名所で行っていない所ということで、国分寺に行く。奈良時代創建だが、他の国の国分寺と同じく昔の面影がなかった。
ただし、飛騨国分寺の大イチョウ(国指定)があり、推定1200年前とある。
新しい博物館の見学。 庄屋等の米蔵・酒蔵の豪華さにビックリ。
夕食をとるため、食堂に入り、飛騨牛入りの食べ物を食していると、隣のテーブルに予約席が一つある。 しばらくすると、OL風の3人がその席にきて、ブドウ酒・ウイスキーと飛騨牛のシャブシャブを豪快に食べ始めた。時間がたつにつれて、彼女達のテンションがあがってきたので私ら年金生活者二人はそそくさと席をたち、夜の高山市街に出て、人出の少ない夜の街を歩いてホテルに帰った。