2012年08月
2012年08月15日
私の足跡116 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡116
葛城修験道28宿を歩く 2回目
2005.11.30
前回 大和葛城山より降りて来た水越峠を7:00に出発し、金剛山へ。車の乗り入れを禁止するための柵がしていた。
登り始めてすぐの所に 昭和59年1月31日の遭難碑が建てられていた。下の名は多分家族だろう。詳しいことは分からないがご冥福を祈ってその場を去った。
登山口に冷たい水飲み場があったが、この時期は寒くて要らない。
整備された登山道を登る。
人工ではなく、自然の残る道で足に優しく楽しく登れた。
振り返ると前回登った大和葛城山は紅葉していて綺麗だった。
登山口から4Km登ったので残り1Km。頑張ろう。
やっと金剛山の尾根道(一般の登山者の通る道)に合流。8:40
右に行けば金剛山の山頂。
法華経の一字一石塔がある。
メインルートから少し離れた「妙法蓮華経陀羅尼品第21経塚」に辿り着く。
第21経塚の説明板があった。
帰りは 今は使われていない旧道を通ったので荒れていた。
後半は クマザサに覆われた道で足下は見えなかった。
やっと 伏見峠に来た。9;10 右に行けば念仏坂 左に行けば久留野峠。我々は久留野峠へ。
大木の根っこが地表に出て歩きづらかった。
寒い季節に向かうためか 粋な服を着せてもらったお地蔵さんが祀られていた。
お地蔵さんの前に含蓄のある言葉が書かれていた。
一つの言葉で けんかして
一つの言葉で 仲なおり
一つの言葉で おじぎして
一つの言葉で 泣かされる
一つの言葉は それぞれに
一つのいのちをもっている
言葉は 心の鏡です
久留野峠に到着。9:40
中葛城山 937m に到着。 10:10 少し過ぎると素晴らしい景色
厳しい下りが始まる。
今度は厳しい登りが始まる
やっと行者杉に到着 11:50
行者杉には いろんな謂れがあり、役の小角に関わる話がある。
また、ここは和歌山県・奈良県・大阪府の県境が集まっている所でもある。
少し歩くと「杉尾峠」がある。地図を見て 進路の確認。
平らな道なのでピッチも上がり 距離もはかどる。
下り坂にかかると 小さな祠があった。
中を覗くと 役 小角の坐像が祀られていた。
苦しい下り坂の連続を終え、フラットな道になる。集落も近づいた。
畑で働いていた婦人にハヤトウリを頂く。獲れたハヤトウリを越冬させ て もう5年ほども続けて栽培しておいしくいただいている。
途中、ここに在住の知り合いに出会い、しばらく談笑。
この後、紀見峠駅に行き、別れて帰る。
2012年08月01日
私の足跡 115 葛城修験道28宿を歩く
私の足跡115
葛城修験道28宿を歩く 1回目
葛城修験道28宿を歩いてみたくて、計画をたて、4日歩いた。しかし、途中4回目以後道がわからなくなり 後で調べてわかれば歩き終えて、皆さんに見てもらうつもりでいたが数年経過してしまった。年月も経ってしまい、これ以後の歩行が難しくなったので、途中までを書くことにした。
この葛城修験道28宿の道は 大阪と奈良・和歌山の府県境にあるダイヤモンドトレールと同じだと思っている人がいるかも知れません。一部は同じ道だがスタートもゴールも異なります。
葛城修験道28宿の道は 和歌山市の友ヶ島から、奈良と大阪の県境の大和川の亀の瀬までとなっている。
私達は今回28宿の亀ノ瀬から歩くことにした。
一回目 2005.11.28
スタートは 奈良と大阪の県境の大和川の亀ノ瀬の亀石という所というので行ってみたがどこかわからなかった。本日の歩行計画もあるので、不確実のままにしてスタートした。
Mさんが 後日 調べてくれた写真を頂く。(前回行ったところから少し上流らしい)
友ヶ島から始まり 最後の経塚 「妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八塚」です。
これが 亀石です。
紅葉の時期は少し過ぎていたがアップダウンを繰り返して二上山の山頂を目指して歩く。
悲劇のヒロイン 大津皇子の墓所があった。
葛城修験道26宿の経塚がある。正式には「妙法蓮華経陀羅尼品第26経塚」とある。
葛城二上神社(延喜式式内神社)があり、お参りする。
整備され、紅葉の道を気持ちよく進む。
尾根道をアップダウンを繰り返して快調に進む。
史跡「鹿谷寺跡」で楽しい昼食とする。
日本最古の官道「竹の内街道」との交差点。
「妙法蓮華経陀羅尼品第25経塚」とある。
尾根道を歩くので 大阪と奈良を結ぶ道との交差点「峠」が多くあった。
659mの岩橋山の頂上を越えるとまた下り坂となる。
優しい顔のお地蔵さまに癒されながら進む。
葛城山の頂上にやっと到着。
葛城山からの厳しい下りも後少しで、ホットする。
とうとう水越峠に到着。今回も8時間の徒歩を無事歩き終え 般若湯で祝い、各自の家へ。