2011年07月
2011年07月15日
私の足跡 88* 熊野古道の大辺路 伊勢路を歩く 4 紀伊浦上駅から有井駅迄
熊野古道の大辺路・伊勢路を歩く
2010年6月8・9日
大辺路 4 紀伊浦上駅から有井駅迄 約45km
伊勢路 1 (和歌山県) (三重県)
この「熊野古道の大辺路 伊勢路を歩く」のシリーズの既に歩いた部分は黒色で(数字は大辺路 伊勢路の数字) 赤色は今回歩く箇所です。
前回と同じく、3人で 一台の車を宿泊地の新宮に置き、列車で紀伊浦上駅に戻りスタートする。
前回のゴール・ 紀伊浦上駅をスタートする。
間もなく 臨済宗の海蔵禅寺にすぐ着く。
休平への道を登っていく。
茶屋跡らしい平坦な土地も残っている。 10:43
無料休憩所という「おもてなし」があったので、使わせてもらう。、(四国の歩き遍路の時は よく使わせてもらった。地元の好意に感謝)
平惟盛が一夜を過ごしたという市屋峠を通る。12:50
二河坂峠着。
駿田峠着。 13:50
近くに 地蔵尊が祀られていた。婦人の病に霊験あらたからしい。
15:10 補陀洛山寺に到着。偶然 面識のある熊野那智観光ガイドの会長に会い、歓談する。
補陀洛山寺と言えば、僧侶たちが観音の浄土 補陀洛山を目指して船出した最大の聖地だ。 上の写真は その船の模型です。
こんなに、多くの僧侶が船出をしたらしい。
神倉神社に到着。15:16
この険しい石段を 2月6日の夜の神燈祭には何百人の信者が松明をもって駆け下りる勇壮な祭りで 下の写真のような実風景を一度実際に見てみたいものだ。
上記の石段を登りつめると熊野速玉大社の飛地境内摂社ですが、もともとここが元宮であるといわれています。熊野三所大神が降臨した場所とも伝えられています。
ことぶき岩と呼ばれる巨岩が御神体とします。
熊野速玉大社に到着。16:16
この熊野速玉大社は 熊野本宮大社と熊野那智大社とともに熊野三山の一社。
1200点あまりの古神宝類が保管されています。
参道には熊野三山の神木で平重盛が植えたとされる樹齢800年以上のナギの巨木がある。幹回り6m 高さは20mまありナギでは日本一の巨木です。
この後、今夜の宿舎のある新宮駅前へ。
宿舎を出て、熊野市を目指す。
すぐ熊野川を渡り、三重県の紀宝町に入る。いよいよ伊勢路に入った。
国道42号線や脇道を通って有名な七里御浜を右手に見ながら北上を始める。
ここから 有井駅までのやく25kmは山越えもなく、殆ど平坦な道だったのでピッチを上げ、約6時間で歩く予定だ。
(二枚の地図があるか、下から上へ見てください。)
ガイドブックの地図を借用したが、緑色の世界遺産登録の道をできるだけ歩くようにした。
この七里御浜は 紀宝町 御浜町 熊野市にわたる海岸です。吉野熊野国立公園の代表的な名勝にして「21世紀に残したい日本の自然遺産」 「日本の名松百選」 「日本の白砂名松百選」 「日本の渚百選」の4冠に輝いています。
この25kmに渡り続く海岸線は 周辺にある熊野古道と同じく古の巡礼者が熊野三山を目指して歩いたことから「浜街道」として世界遺産に登録もされている。
この七里御浜を 松本峠から見た写真です。
この七里御浜を眺めながら歩いていると浅瀬に船が座礁して転覆していた。
外国籍の船で 鉄くずとして処分されるそうだ。
転覆船から機嫌良く歩いていた防波堤が突然 なくなっていた。予算の関係か?
津波が心配です。仕方なくロープをたよりに降りる。 12:10
この後、巡礼供養碑や龍神塔を見ながら防風林の松林の中の小道を約2時間歩いて本日の目標駅「ありい」到着。
新宮~有井駅までは約25kmあるが、朝7時に出て午後1時に到着。休憩入れて6時間で歩いたことになる。これは、平坦な道であったからだ。次回からはいくつもの峠越えがあるので大変だろうと今から心配だ。
列車で 新宮に戻り 車で帰る。
今回の街道歩きの一部ではないが、那智勝浦の語り部のグループと交流していた時に案内してもらって世界遺産の那智山周辺の素晴らしい地域もこの機会に記しておきます。
一回目は 2008年3月に今まで親交のあった那智勝浦の語り部(前年の秋 高野山町石道の案内をした)にガイド案内をしてもらった。
那智山の駐車場を那智勝浦の語り部の会長さんに見送ってもらい、案内はベテランの若林さんと江崎さんにお願いをした。
那智大社から妙法山に行き、富士見台を通り那智高原公園に戻るコースとする。
妙法山(740m)の山頂近くにあり、弘法大師の修行の土地と伝わり、女人高野と呼ばれていた。
片道約一時間半の山道だが、近くの大門坂の賑わいとは違い 人が滅多に通らない素晴らしい古道だ。
苔むした石坂・石段が続き、半分以上が自然石による石段路で 途中には古い町石や道標が残っている。
中近世はもっと厳しかったと思えるが、その難路を浄土を求めてひたすら歩いたであろう古人の熊野詣を偲ばせる山道である。
急坂を登っていくと、上の地図の現在地に到着。
阿弥陀寺が近づいてくると深い森林に覆われているせいか何か霊気を感じる。(ガイドさんの一人も良く感じると言っていた)
途中、見晴らし台に到着。
見晴らし台からの熊野灘の絶景。緑の木々・青い海。本当にスバラシカッタ。
梵鐘があった。
人が死ぬとこの鐘をひとつつくという。
上の写真は「火生三昧跡」といわれる所
平安時代 応照上人は すべての衆生の罪を一身にかぶり、火を持って自らの体を焼きつくすという薬王の姿にこころをうたれ 食物を絶ち 苦行を重ね 火生三昧を実践した場所(石で囲まれている)。
上人の身体が火に包まれても 読経の声は最後まで穏やかで、煙は 三日三晩 熊野灘に漂い続けたと言われている。。
阿弥陀寺より険しい石段道を喘ぎながら登る。
やっと、奥の院に到着。
那智高原公園への下山途中 富士見台(日本の最西端)があったが、天候は良すぎてか姿を見せてくれなかった。
曼茶羅図を見せてもらい、那智山の説明をしてもらった。
那智勝浦の語り部のスタッフのみなさんありがとうございました。
二回目は 2009年3月14日に前回と同じく、那智勝浦の語り部のスタッフのお世話で橋本エリアだけでなく、高野山町石の語り部全員から募集して20名で参加。
「那智の滝三名瀑を訪ねる神秘ウォーク」と銘うち企画した。一の滝(普通 那智の滝と言っている滝)は良く見るが、二の滝と三の滝は普段は立ち入り禁止で見る事が出来ない滝です。一の滝の滝そのものが、御神体だからその上流に自由に立ち入ることは考えられないわけです。
早朝 橋本を出発して、和歌山まわりで那智を目指す。(帰りは 五条まわり)
那智に到着すると、那智勝浦の語り部のスタッフの暖かいお接待を受ける。
そして、早速、駐車場よりウォーキング開始する。
那智神社にお参りをして、無事にお参り出来ますよう全員祈祷をうける。(那智大社の神域に入らせてもらうから)
そして 全員で境内を見学する。
烏が石になったという「烏石」
いよいよ滝めぐりに出発。
山道を約一時間登ると上の写真のような渓谷に到着。この渓谷の下流に那智の一の滝がある。近くにしめ縄の張り替え等に使用したと思われるものが置いてあった。
渓谷を右岸から左岸へというように横切るのも何箇所かあった。
二の滝 高さ23m、幅7mで一の滝に比べて女性的。
渓谷歩きは 大変危険なので鎖やロープが張られている所もあった。
三の滝 滝壺は奥深く、落下する水の勢いが早く魅力的だった。
帰り道に、杉の大木を見に行ってきた。
帰り路は 熊野市の花の窟に寄り、見学してから帰った。(詳細は 次回の「私の足跡 89」を見てください)
2011年07月01日
私の足跡 87 熊野古道の大辺路を歩く 3 見老津から紀伊浦神迄
熊野古道の大辺路・伊勢路を歩く
大辺路 3 見老津から紀伊浦神迄 約35km 5月26・27日
前回と同じく、3人で1台の車を使い、見老津まで行き、車を置いて歩きだす。
しばらく歩くと 突然真っ青な海が目の前に飛び込んで来た。
マップを見ると道路から離れて、海岸線を歩くようになっている。 距離は短かったが、なんと 素晴らしい街道歩きでしょう。(以前 紀伊路を歩いた時も体験したことがある)
潮の香りを味わいながら進んだ。
でも、すぐに山の中の石畳み道に入って 登ることになる。 10:50
石畳み道は 旅人達が楽しく行き来できるように幕府等の命により、また、地元の人達の暖かい好意により近世以後日本各地に造られたと言われる。
山の中を歩いたり、集落の中を歩いたりしていると また海岸線に出てホットする。
13:10
舗装された道を歩いていると博物館があったので休憩を兼ねて立ち寄ることにした。
明治32年 ハワイに移民した中筋氏が ハワイでの鰹の漁法を見て 新しい漁法をつくった。それは写真のようなケンケン船を使った漁法です。 16:30
途中 右前方のあれが潮岬の灯台かと言いながら進む。
くじの川の手前で国道を離れ、古道に入る。
人のいない所だったので、この道が正しいのかどうかわからず不安だったが、くじの川地蔵さんが見つかりホットした。
そして、ひと山越えると国道42号線に出た。
本日の宿泊は、橋杭岩の近くの旅館にした。
翌朝 4時過ぎに起き、写真を撮るために,海岸線に出る。4時40分から約30分間で上記の写真を撮りました。
朝食後、宿舎を出発。
「弘法の湯」を通り、北上。 7:30
道中、脱サラをしてこの好きな所で生活をしている人に出会う。時々、孫に会うのが楽しみとも言っていた。また、近所の人の暖かさも素晴らしいとも感謝していた。 10:00
相変わらず、素晴らしい景色を見ながら進む. 10:50
今回の目的地 「紀伊浦神駅」に到着。 13:15
その後は、見老津まで列車で戻り、置いていた車で帰る。
今回歩いた区間は 黄緑色の部分。このシリーズで歩いた部分は 燈色。