2011年06月
2011年06月15日
私の足跡 86 熊野古道の大辺路を歩く 2 長井坂
熊野古道の大辺路・伊勢路を歩く
大辺路 2 長井坂 を越える 約10km 2,010年4月19日
(世界遺産)
早朝 国民宿舎を出て 一路南下を始める。
いよいよ 国道を離れて約4kmの長井坂の入り口に入る。この坂の歴史は平安時代からという話もあるが、史実はない。
この長井坂は、全長約5kmともある。 きつい坂を登りつめると稜線にかかり、これより見老津への下りまでは 標高250m前後の多少起伏はあるが、腐葉土の重なる平坦道で歩きやすい。
そして 木々の間を通して枯木灘が望め、二つの島が見え絶景の景色を呈している。
昭和初期まで 松の根株が残っていたと伝えられる一里塚松跡である。 9:30
和深川王子神社 寛永2年(1625)創建された。王子神社と春日神社が併せてつくられ
ている。
ナギ ムクの古木がある。 10:00
稜線を歩いていると 「 版築」という標識があった。
道の左右は高い傾斜になっている。
これは、版築(段築)によって土手状に整形して 古道平面のレベルを一定に保ち通行をスム
ースにした(アップダウンを少なくする)ものと考えられる。
古道の構築 維持管理上からみて極めて重要な事例である。
長井坂には版築とわかる顕著なものが2ヶ所ある。
そして、古びた道標が私達を和ませてくれる。
稜線から見老津への険しい険しい下り坂を降りると上記の標識があった。 12:05
この長井坂はすさみの八景の一つとなっている。
その後 列車で周参見に戻り、置いていた車で 帰宅。 一回目は終了。
世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」について
紀伊山地の熊野三山、高野山、吉野・大峯は古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来しわが国で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた修験道など、多様なしんこうの形態が育んだ神仏の霊場であり、高野山町石道などの参詣道(巡礼道)とともに広範囲にわたって極めて良好に保存している比類のない事例です。また、それらが今なお連綿と民衆の中に息づいている点においても極めて貴重なものです。
熊野三山への参詣道は 大峯奥駈道、中辺路、小辺路、大辺路、伊勢路とあるが 今シリーズは大辺路、伊勢路の約250kmを記しています。
2011年06月01日
私の足跡 85 熊野古道の大辺路を歩く 1 富田坂・仏坂
熊野古道の大辺路・伊勢路を歩く
以前 日本海の小浜から鯖街道を通り京都へ(私の足跡33)、京都から京・大坂道を通り大阪(天満橋)へ(私の足跡32)、そこから岸和田 和歌山を通り田辺へ(私の足跡35と36)の紀伊路を歩いた記録を残していますが、今回は部分的だが世界遺産としての古道の残っている田辺から新宮までの大辺路(約100km)と新宮から伊勢までの伊勢路(約150km)を歩くことにした。
(田辺と本宮間の中辺路は私の足跡37・38に、本宮と那智間の小雲越えと大雲越えは私の足跡28・29に 高野山と本宮間の小辺路は私の足跡26・27に 吉野と本宮間の大峯奥駆路の一部は私の足跡15・18に記しています。)
今シリーズは田辺から新宮迄の大辺路、新宮から田丸迄の伊勢路の約250kmを記しています。
大辺路1 富田坂 仏坂 を越える 約20km 2010・4・20
(世界遺産) (世界遺産)
この大辺路の街道歩きは3人で車を出し合い、一泊二日の旅で3回て゛歩いた。
1回目は 宿泊地の周参見の国民宿舎迄車で行き、周参見駅から富田駅迄列車で戻り、そこから歩くことにした。この区間には、世界遺産が部分的に三ヵ所(富田坂・仏坂・長井坂)残っている。是非歩きたかった所だった。
駅には次の張り紙がしていた。
幻 の 花
キイジョウロウホトトギス
多年草で かつては紀南地方の山間部に自生していたが
近年の乱獲によって自生地は激減し、幻の花となっていた。
しかし、20数年前に当町の山元茂氏が植えた1本を年々
増やし、今では約2500が咲きそろいます。
(開花時期は、9月下旬から10月下旬頃)
キイジョウロウホトトギス
(私の好みの花の一つですので、冒頭に載せました。高野山の一部でも見れます。)
早速目指す富田坂へ向かう。
そして、約30分の徒歩で、大きな草堂寺に到着。
草堂寺を左折した所から約30分林道を登る。林道が終わると約1時間登り続ける
「七曲り」の名のつく坂もあった。昔の面影が残り、世界遺産として価値のある所だった。
途中、白浜方面の眺望が開けて疲れもとれた。
そして、登り始めて約2時間後の11時20分に標高300mの茶屋跡に到着。
そして、30分後に標高400mの安居辻松峠に到着。12時 。
ここから林道と交差している所まではアップダウンも少なくて、すぐだったが「安居(あご)の渡し」まで8.6kmとある。 そして、ここから祝滝との分岐の所までは厳しい下りだった。(標高差約300mを2.3kmで下る)
三ヶ川梵字塔
同じ紀伊半島だが、高野山の周辺には見られない「うらしまそう」が目に入った。高野町石道で見かけるのは「まむしそう」。同じサトイモ科 テンナンショウ属です。
「安居の渡し場跡」へ行って渡し船を利用すれば時間のロスがないが予約をしていないので、三ヶ川バス停から 約700m下流の口ヶ橋を渡って対岸に渡り、日置川の南側の「安居の渡し場跡」へ来た。所要時間約一時間。
この標識を左の方に歩くと、川が見える。
南岸の対岸の「安居の渡し場跡」から 北側の対岸の「安居の渡し場跡」を見ると予約をしておくと乗せてもらえる渡し船が見える。
ここ安居の渡し場跡からは急激な登りにかかる。(1kmの道のりで約150m上がる)
所要時間約30分だった。2:50
15:20 やっと峠に到着。ここから約一時間後、最高地点300mに到着。
ここからの下りは また急傾斜で約30分で250mを下った。名前は仏坂という有り難い名だが、峠道は反対に地獄のように厳しいと知人が言っていたがその通りだった。
ss
d社殿がなく、森全体が御神体という神社です。
ここ熊野地方では 山や岩や滝を御神体としている神社が多くあります。
本日の見学を終え、宿泊予定の国民宿舎まで歩く。
今回歩いた区間は 黄色の部分。