2010年01月
2010年01月15日
私の足跡 50 四国遍路 讃岐の国 66~82
讃 岐 の 国 (涅槃の道場)
第 8 回 11月 4日 ~ 11月 8日
第一日
大阪南港発、22:30.
第二日
東予港、6:00.JRで観音寺駅へ。
ここには、石段で離れているが、一箇所に観音寺と神恵院の二院がある。(高知県の岩本寺から金剛福寺まで約90kmある。) 歩き遍路にとっては、嬉しいやら何だという複雑な気持ちだ。
早速、「観音寺と神恵院」に参拝する。今回の最初の寺なので、開経ぶんから始め時間をかけていつもより丁寧にお祈りする。
観音寺と神恵院といえば、琴弾山の頂上より見える「寛永通宝」の文字が有名だ。
寛永10年に領主を迎えるため一夜で造ったもので、その後、地元の人達が修復して歴史を今に伝えているという。何度、見てもスバラシイ。
「本山寺」へ。本堂・仁王門は鎌倉時代の建造物(国宝・重要文化財)で、歴史を感じながら参拝。また、五重の塔も見事だった。遍路さんの団体さんも来て、賑わっていた。
途中、三豊市のス-パ-で食事を買い、食す。
急いで、弘法大師幼少の頃勉学に励んだと言う「弥谷寺」への長い長い坂道を汗だくになり、登ると見事な山門があった。思い出のある「俳句茶屋」の前の道を通り、最後の急階段を登り、到着すると汗ビッショリ。 参拝後、来た道を通って帰っていると遍路さんの団体が来た。「あいさつ」を交わしているとある一人が「歩き遍路さんですか」と聞き、これは「お接待です。和歌山の梅です。」といい渡された。自分も持っているとか、自分も和歌山だとの事情を言ったが「仲間にも分けてあげてね」というのでそうすることにして頂くことにする。感謝。
途中、夫婦の遍路さんを追い越し、埼玉の一人歩きの若い遍路さんと「曼荼羅寺」と「出釈迦寺」へお参りする。
梅の話をしたが苦手ということなので、もらっていたみかんをあげた。
そして、二人で出釈迦寺の奥の院「捨身ヶ嶽禅定」へ行くことにした。荷物を預け、急いだが途中より普通の車は通れない急の坂道が続き、喘ぎながらもやっと捨身ヶ岳の奥の院へ到着。後方の山は我拝師山。
奥の院から「捨身ヶ嶽禅定」への途中は、くさり場が多く、緊張の連続だった。
その禅定とは、弘法大師7歳の時 我拝師山に登り、「仏門に入って多くの人を救いたい。このねがいがかなうなら釈迦如来よ現れ給え。もし願いがかなえられないならば一命を捨てて、この身を仏に供養する」と崖上から谷底へ身を投じた所
下の写真は、禅定より出釈迦寺を俯瞰する。(出釈迦寺とは 標高差約350m)
私は時間の都合(宿舎へは5時に入らねばならない)で 大師が飛び降りた所までだったが、彼は我拝師山の頂上まで行くというので途中で別れた。
戻って 荷物をもって出発すると一人の修行僧(Yさん)と出会い、二人で行動を共にするようになる。
話をすると高野山大学で4年間修行し、現在東京のお寺で仕事をしているとの事。高野山の事。彼のいたお寺の事。師事した先生(静 慈園教授)のこと(私はお目にかかってなく先生の書物を読んだだけ)などいろいろ話しながら「甲山寺」と「善通寺」とに参り、私の念願の善通寺に宿泊することにする。
さすが弘法大師の生誕地だけあって、唐の青龍寺を模して建てたと言う広い境内には御影堂・中殿・供養殿などがあり、立派だった。
風呂に入り、いつものように一人遍路が集まり、食事をして盛り上がる。その時、例の梅を出し、みんなで食した後、Yさんが美味しいと言ってくれたので、残りを東京のYさんに渡す。
部屋に帰り、今日のことを記録し、明日の行程を確認し、アルコ-ルを補充し寝る。
第三日
今日は バスの時刻の都合で変則的な行程だ。6時からのお勤めの途中に出発し、「金倉寺」にお参りして多度津駅より川之江駅へ。そこから、バスで「椿堂」へ。本日は、ここから再スタ-トする。(前回、三角寺に参拝後歩いた所)最初は、上り坂だったが歩道の狭い境目トンネルを出ると緩やかな下り坂となる。大きな水車のある食堂を過ぎると小さな佐野集落があった。そして平行して走っていた徳島自動車道の下をくぐると道が細くなり、急激な坂道となる。約2Kmだけだが不安になる。ここで高度差を約350m程上がらなければならない。苦しくなったので休憩し、昼食を。あとの残りを頑張ると自動車道に出た。今度は約2Kmを高度差を約220mの距離なのでたいしたことがなかった。
「雲辺寺」は3度目なので、記憶もバッチリ。山門は初めてくぐる。(前二回はロ-プウェイを使ったので通っていない)羅漢像は以前は雪をかぶっていたがこの季節も迫力満点だった。
お寺を 降りはじめたが急下降の連続なので休憩を入れながらくだる。
やっと、急坂も終わると民家が見えてきた。
本日の宿「おおひら」に到着。荷物を置き、大興寺にお参り。帰って風呂に入り、洗濯をした。客は札幌からの車遍路のYさんと二人だけ。料理もよく、二人で楽しく般若湯をいただく。(先日、暖かい内容の葉書を戴く感謝。)
四日目
宿を早く出て、本山駅へ。JRで昨日の多度津駅へ。そこから昨日の続き「
道隆寺」そして、丸亀城を右手に見ながら丸亀市を通り、「郷照寺」へ。途中、単車のおじさんにミカンの接待をいただく。その時、『和歌山から」というと「先ほどの女性遍路さんも和歌山といっていたよ」と聞き、関心があり、ピッチをあげ、追いつく。和歌山のどこかを尋ねると橋本市という。同じ市なので親しみを持ち、話す。
彼女の宿舎は私より近いので私が先に出発。バナナを買いすぎたといい2本頂く。私は大きな店のある町を見ながら進み、牛丼のチェ-ン店があったので寄り、昼食とする。(四国ではこんな店が少なかった)
上左 広い境内に多くの観音像のある道隆寺 上右 瀬戸大橋の見える郷照寺
下左 鳥居をくぐっ参拝した天皇寺 上右 色:#0000cc>四国の4つの国分寺の一つ
そして「高照院」を過ぎて疲れた足を引きずるように「国分寺」に到着。
そして、遍路宿「えびすや旅館」に。客は 総数4名。一人の女性は善通寺で出会った人。他の遍路は道で何度か合った人。一人は、足を痛め、リタイヤするらしい。夕食は、4人揃って盛り上がる。
五日目
朝、6時10分に朝食。6時半出発。
約5Km先の峠(400m)を超え、約2Kmの道を約100m下った所にある「白峯寺」へ。暑かったので、お接待のみかんが美味しかった。
そして、来た道を一部通り、落ち着いた雰囲気のある「根香寺」へ。山門をくぐると階段があり、ここからの紅葉は以前もそうだったが今度も印象的だった。
前の寺で以前知り合った京都の自転車の一人遍路のお兄さんが石の上に座り、尺八を吹き、お祈りしていた。一般の人のお祈りでないので皆も関心をもつて見ていた。九州の親元に何年ぶりかで帰ると言っていた。自分の子どもと同じような年齢なので気にかかる。
「根香寺」を 後にした。3時間かけて、鬼無駅へ。そして、そこからJRの踏み切りを越えて、琴平電鉄の「いちのみや駅」へ。
ここから、電車で「高松築港」へ。そして、JRで岡山経由で大阪へ。
今回の歩行記録
第二日 白線 観音寺・神恵院・本山寺・弥谷寺・曼荼羅寺・出釈迦寺・ 甲山寺・善通寺 30km
第三日 赤線 金倉寺・雲辺寺・大興寺 32km
第四日 緑線 大興寺・本山駅・道隆寺・郷照寺・天皇寺・国分寺 25km
第五日 黄線 白峯寺・根香寺・一宮寺 23km
2010年01月01日
私の足跡 49 四国遍路 伊予の国 52~65
新 年 明 け ま し て
お め で と う
ご ざ い ま す
旧年中は 多くの方々にアクセスして頂き(特に、その数は最近になりどんどん多くなり、始めてからの2年間の最高は昨年の12月で一ヶ月に385) 感謝しています。
本年もよろしく 御願いいたします。/色>
愛 媛 県 (菩提の道場)
第七回 52~65番 10月11~16日
前日の11日の23:10発の松山行の夜行バスに乗る。連休の中日(なかび)だったので客が多く、増発して2台のバスだったが超満員だった。何時ものように23:10までの待ち時間が長かった。乗ればユッタリしていて窓際でよく眠れた。
第二日目
予定通り、6:00に松山市駅に着く。しばらく待って電車でみつはまへ。
そして、歩き始める。途中で、地図を見て道を調べているとある男性が私の遍路姿を見て、「太山寺なら途中まで行くから一緒に行きましょう」と言われ、共に歩く。この付近のことや仕事のことなどいろいろ話しながら歩く。楽しい一時を過ごさせてもらった。感謝。感謝。
アット言う間に太山寺に到着。寺の約1Km手前に「一ノ門」があった。今回の最初の寺なので開経文から始め、丁寧にお参りをする。
続いて 53番さんの円明寺までは 約3Km弱ですぐに到着。 ここから本日の目的地「大西」までは 約30Km。約10Km先の本日の宿泊地「ユ-スホステル」に荷物を預け、荷物を最小限にして歩く。
左手に海を見ながらの道を進む。
途中、瓦の町「菊間町」では瓦の灯篭があった。近くの接待所で休憩させてもらう。 予定時刻に「大西」に到着。そして、列車で「ユ-スホステル」に帰り(6;00頃)、買い込んだ飲食物をお腹に入れ、睡眠。36
第三日目
「ユ-スホステル」を 出て、一番列車で昨日の「大西」へ。そして、徒歩で約4Km先の54番「延命寺」へ。そして、約4Km先の「南光坊」へ。お参り後、九州からの歩き遍路夫婦と話をしていると一組の子どもを連れた遍路家族がきた。何気なく、「家族一緒でいいですね」と言うと「とんでもない、先日この子たちの父が急死したのでお参りしているんです」との話。悪いことを聞いたと反省し、四国参りには いろんな事情のある人がいると再度思った。
ここ「南光坊」で、堺のHさんという歩き遍路さんに出会う。参拝後、休憩していると、伯方から来たという車椅子を押した母娘がいた。そして、私たちに「歩いてお参りしているんですか」と聞き、「母がお大師さんを信仰しているが、もう自分は歩けないので何かに使ってください。お接待です」と言い、大金をいただく。私たちは有難く頂く。そして、お名前を聞き、その後の賽銭として使い彼女の健康とご多幸を祈ることにした。
そして、堺のHさんと泰山寺・榮福寺・仙遊寺へと共に歩く。特に心に残ったのは「四国遍路無縁墓地」です。無縁墓地は 遍路道のあちこちにまつられているがこんなに多くがあるのは珍しい。無念にも、四国遍路を歩き終えなかった遍路さんのご冥福を祈った。
仙遊寺への途中、悲しい話のある犬の塚の傍を通りお寺へ。
ここより、車道と別れ、山門をくぐり、舗装のない約2Kmの遍路道になる。
最後の急坂の遍路道には暑くてまいったが、汗ビッショリで仙遊寺に到着。
Hさんは仙遊寺で宿泊するのでそこから一人歩きとなる。
先ほどの急坂の遍路道の途中に弘法大師お加持水と伝えられる井戸がある。この霊水は、多くの村人の諸病から救ったと伝えられている。その大師水でのどを潤し、元気づく。
国分寺へお参り後、4000円の補助券が使用できる「休暇村瀬戸内東予」へ。立派な建物で遍路は私一人だけ。歩き遍路だと知り、宿泊料を割り引いてくれた。入浴後、洗濯をする。夕食は豪華なバイキングで満足する。部屋はツインを一人で使わせてもらう。
第四日目
6:00に歩き始め、先輩遍路の言うとおり伊予小松へ向かう。
そして、伊予小松駅前の「ビジネス旅館小松」に荷物を預け、香園寺へ参拝した。そして、「大頭」経由で横峰寺へ。約11Kmは舗装した道で淡々とした道だった。
予定していた通り、秋祭りの最中だった。(この後、何度も山車を曳いた場面に遭遇する) その山車の責任者はその山車の話をして記念に写真をというので撮ってもらう。
しばらく歩くと舗装した道から別れ、細い未舗装の急坂(約2Km)の遍路道に入る。「丁石」が建っていたので、歩いた道のりが判ったがもくもくと歩くより方法がなかった。ここにも、遍路さんの無縁墓がいくつかあった。
参拝後、大師が修行したといわれる「星ヶ森」へ行き、修行をしていた大師を想像する。
やっと、山門が見えた時、無事到着とホットする。
過去、二度この横峰寺に来ているが車に乗りお参りしているので山門をくぐったのは初めてだ。(歩き遍路をしているから、山門をくぐってお参りするというのはよくあることだ。車の道は別の道を通って寺に入ることが多い。)
その後の下りは 登った遍路道とは違え、二回目の一部歩き遍路(登りは車道)で通った道を下ることにした。標高差約700mを約10kmの道のりで下ることになる。前回はツア-で団体だったが、今度は一人なので事故のないようにより慎重に下る。途中、白滝奥の院が見えてホットする。それから、一時間弱で宝寿寺へ。ここで、三日目に仙遊寺で別れたHさんに会う。仙遊寺の食事は良かったが朝の「おつとめ」が長く、出発が遅れたとぼやいていた。私は、荷物をもらい、64番「前神寺」の近くの湯之谷温泉に泊まるため、別れて先を急ぐ。途中「吉祥寺」に参り、続いて、霊峰石鎚山の別当寺として開創された「前神寺」へ参り、湯之谷温泉についたのは6時前だった。
温泉には、近在の人々が利用していて賑わっていた。いつものように、買い込んだ飲食物を食し、一人部屋で寝る。
第五日目
宿舎を5時半に出発。今日は、35km先のY・Hまで頑張る。先ず、伊予西条市へ。さすかに大きな町で賑わっていた。そして、出発後、約23Kmを歩いて、五葉松食堂で昼食の計画だったが廃業していたので一時間後「えひめトラックステ-ション」て゛遅い昼食。祭りの山車で賑やかだった。気温も上がり、歩くのが辛くなる。ピッチも遅くなる。
残り、5Kmがなかなか進まない。
ス-パ-で夕食の買い物をして、外に出ると婦人からお接待だと言い、バナナをいただく。
今日の宿泊はYH新長谷寺。お寺がYHをしているのは珍しいので興味を持って向かった。最後の220段の石段の登りにはまいった。到着、5時過ぎ。建物は新しく立派だが素泊まりだった為か冷たい接待だった。
220段の石段を上がったので夜の景色は良かった。
買い込んだ飲食物をお腹におさめて、寝る。
第六日目
ユ-スホステルを6時前に出て、一路三角寺を目指す。少しでも早く歩き終え、早い列車で帰るため黙々と歩く。三角寺に近づくと坂道も急になる。
やっと、三角寺に到着した。境内には、櫻の花が! ビックリしたが四季咲き?の櫻とわかる。
参拝後、次回の計画では 椿堂迄歩いておかなければ都合が悪いのでがんばり歩き終える。
そして、予定していたバスで川之江駅へ。
川之江駅(12:36発)からはJRでジパングの切符(y3,390)を使い、岡山経由で大阪へ。(特急券を使用せず)
今回の歩行記録
第一日目 大阪 - 松山
第二日目 白線 松山 ~ 大西 36Km
第三日目 赤線 大西 ~ 休暇村瀬戸内東予 27Km
第四日目 緑線 瀬戸内東予~前神寺 37Km
第五日目 黄線 前神寺 ~ 新長谷寺 36Km
第六日目 青線 新長谷寺~椿堂-川之江-岡山-大阪 16Km
お め で と う
ご ざ い ま す
旧年中は 多くの方々にアクセスして頂き(特に、その数は最近になりどんどん多くなり、始めてからの2年間の最高は昨年の12月で一ヶ月に385) 感謝しています。
本年もよろしく 御願いいたします。/色>
愛 媛 県 (菩提の道場)
第七回 52~65番 10月11~16日
前日の11日の23:10発の松山行の夜行バスに乗る。連休の中日(なかび)だったので客が多く、増発して2台のバスだったが超満員だった。何時ものように23:10までの待ち時間が長かった。乗ればユッタリしていて窓際でよく眠れた。
第二日目
予定通り、6:00に松山市駅に着く。しばらく待って電車でみつはまへ。
そして、歩き始める。途中で、地図を見て道を調べているとある男性が私の遍路姿を見て、「太山寺なら途中まで行くから一緒に行きましょう」と言われ、共に歩く。この付近のことや仕事のことなどいろいろ話しながら歩く。楽しい一時を過ごさせてもらった。感謝。感謝。
アット言う間に太山寺に到着。寺の約1Km手前に「一ノ門」があった。今回の最初の寺なので開経文から始め、丁寧にお参りをする。
続いて 53番さんの円明寺までは 約3Km弱ですぐに到着。 ここから本日の目的地「大西」までは 約30Km。約10Km先の本日の宿泊地「ユ-スホステル」に荷物を預け、荷物を最小限にして歩く。
左手に海を見ながらの道を進む。
途中、瓦の町「菊間町」では瓦の灯篭があった。近くの接待所で休憩させてもらう。 予定時刻に「大西」に到着。そして、列車で「ユ-スホステル」に帰り(6;00頃)、買い込んだ飲食物をお腹に入れ、睡眠。36
第三日目
「ユ-スホステル」を 出て、一番列車で昨日の「大西」へ。そして、徒歩で約4Km先の54番「延命寺」へ。そして、約4Km先の「南光坊」へ。お参り後、九州からの歩き遍路夫婦と話をしていると一組の子どもを連れた遍路家族がきた。何気なく、「家族一緒でいいですね」と言うと「とんでもない、先日この子たちの父が急死したのでお参りしているんです」との話。悪いことを聞いたと反省し、四国参りには いろんな事情のある人がいると再度思った。
ここ「南光坊」で、堺のHさんという歩き遍路さんに出会う。参拝後、休憩していると、伯方から来たという車椅子を押した母娘がいた。そして、私たちに「歩いてお参りしているんですか」と聞き、「母がお大師さんを信仰しているが、もう自分は歩けないので何かに使ってください。お接待です」と言い、大金をいただく。私たちは有難く頂く。そして、お名前を聞き、その後の賽銭として使い彼女の健康とご多幸を祈ることにした。
そして、堺のHさんと泰山寺・榮福寺・仙遊寺へと共に歩く。特に心に残ったのは「四国遍路無縁墓地」です。無縁墓地は 遍路道のあちこちにまつられているがこんなに多くがあるのは珍しい。無念にも、四国遍路を歩き終えなかった遍路さんのご冥福を祈った。
仙遊寺への途中、悲しい話のある犬の塚の傍を通りお寺へ。
ここより、車道と別れ、山門をくぐり、舗装のない約2Kmの遍路道になる。
最後の急坂の遍路道には暑くてまいったが、汗ビッショリで仙遊寺に到着。
Hさんは仙遊寺で宿泊するのでそこから一人歩きとなる。
先ほどの急坂の遍路道の途中に弘法大師お加持水と伝えられる井戸がある。この霊水は、多くの村人の諸病から救ったと伝えられている。その大師水でのどを潤し、元気づく。
国分寺へお参り後、4000円の補助券が使用できる「休暇村瀬戸内東予」へ。立派な建物で遍路は私一人だけ。歩き遍路だと知り、宿泊料を割り引いてくれた。入浴後、洗濯をする。夕食は豪華なバイキングで満足する。部屋はツインを一人で使わせてもらう。
第四日目
6:00に歩き始め、先輩遍路の言うとおり伊予小松へ向かう。
そして、伊予小松駅前の「ビジネス旅館小松」に荷物を預け、香園寺へ参拝した。そして、「大頭」経由で横峰寺へ。約11Kmは舗装した道で淡々とした道だった。
予定していた通り、秋祭りの最中だった。(この後、何度も山車を曳いた場面に遭遇する) その山車の責任者はその山車の話をして記念に写真をというので撮ってもらう。
しばらく歩くと舗装した道から別れ、細い未舗装の急坂(約2Km)の遍路道に入る。「丁石」が建っていたので、歩いた道のりが判ったがもくもくと歩くより方法がなかった。ここにも、遍路さんの無縁墓がいくつかあった。
参拝後、大師が修行したといわれる「星ヶ森」へ行き、修行をしていた大師を想像する。
やっと、山門が見えた時、無事到着とホットする。
過去、二度この横峰寺に来ているが車に乗りお参りしているので山門をくぐったのは初めてだ。(歩き遍路をしているから、山門をくぐってお参りするというのはよくあることだ。車の道は別の道を通って寺に入ることが多い。)
その後の下りは 登った遍路道とは違え、二回目の一部歩き遍路(登りは車道)で通った道を下ることにした。標高差約700mを約10kmの道のりで下ることになる。前回はツア-で団体だったが、今度は一人なので事故のないようにより慎重に下る。途中、白滝奥の院が見えてホットする。それから、一時間弱で宝寿寺へ。ここで、三日目に仙遊寺で別れたHさんに会う。仙遊寺の食事は良かったが朝の「おつとめ」が長く、出発が遅れたとぼやいていた。私は、荷物をもらい、64番「前神寺」の近くの湯之谷温泉に泊まるため、別れて先を急ぐ。途中「吉祥寺」に参り、続いて、霊峰石鎚山の別当寺として開創された「前神寺」へ参り、湯之谷温泉についたのは6時前だった。
温泉には、近在の人々が利用していて賑わっていた。いつものように、買い込んだ飲食物を食し、一人部屋で寝る。
第五日目
宿舎を5時半に出発。今日は、35km先のY・Hまで頑張る。先ず、伊予西条市へ。さすかに大きな町で賑わっていた。そして、出発後、約23Kmを歩いて、五葉松食堂で昼食の計画だったが廃業していたので一時間後「えひめトラックステ-ション」て゛遅い昼食。祭りの山車で賑やかだった。気温も上がり、歩くのが辛くなる。ピッチも遅くなる。
残り、5Kmがなかなか進まない。
ス-パ-で夕食の買い物をして、外に出ると婦人からお接待だと言い、バナナをいただく。
今日の宿泊はYH新長谷寺。お寺がYHをしているのは珍しいので興味を持って向かった。最後の220段の石段の登りにはまいった。到着、5時過ぎ。建物は新しく立派だが素泊まりだった為か冷たい接待だった。
220段の石段を上がったので夜の景色は良かった。
買い込んだ飲食物をお腹におさめて、寝る。
第六日目
ユ-スホステルを6時前に出て、一路三角寺を目指す。少しでも早く歩き終え、早い列車で帰るため黙々と歩く。三角寺に近づくと坂道も急になる。
やっと、三角寺に到着した。境内には、櫻の花が! ビックリしたが四季咲き?の櫻とわかる。
参拝後、次回の計画では 椿堂迄歩いておかなければ都合が悪いのでがんばり歩き終える。
そして、予定していたバスで川之江駅へ。
川之江駅(12:36発)からはJRでジパングの切符(y3,390)を使い、岡山経由で大阪へ。(特急券を使用せず)
今回の歩行記録
第一日目 大阪 - 松山
第二日目 白線 松山 ~ 大西 36Km
第三日目 赤線 大西 ~ 休暇村瀬戸内東予 27Km
第四日目 緑線 瀬戸内東予~前神寺 37Km
第五日目 黄線 前神寺 ~ 新長谷寺 36Km
第六日目 青線 新長谷寺~椿堂-川之江-岡山-大阪 16Km