2009年11月
2009年11月15日
私の足跡 46 四国遍路 土佐の国 35~中村
高 知 県 (修行の道場)
第四回 第三十五番 ~ 第三十七番 5月 6~ 10日まで
夜行バスで行くため、梅田の阪急バスタ-ミナルへ。
予約をしていたが、初めてと思い、余裕をと思ったが時間があり過ぎ退屈した。
予想通り、ゴ-ルデンウィ-クも終わり、人出も落ち着いていた。
定員の半数ぐらいで、三列の席で窓際をもらい予定通りの時刻(23:10)に出発。バスはリクライニングの席でよく眠れた。
第二日
高知にも予定通りの時刻(6:05)に到着。早速、バスで清滝寺の近くまで、(前回バスに乗った所)。そこから歩いて「三十五番 清滝寺」へ。
みかん畑の間の細い道を上がっていくと目に入るのが大きな薬師如来の像だ。 中は戒壇めぐりができるが以前来た時にめぐっているので、今回は止めた。
その後、土佐市街を通り、ちょっとした峠を越え、でっかい宇佐大橋を渡り、青龍寺へ向かう。大師が唐で修行した「青龍寺」を模して造ったと言われる名刹。
長い石段を降りてくる団体の遍路さん。年配の方は辛そうだがこの辛さも修行の一つ。ガンバレと心の中で声援を送る。
青龍寺からは、海岸線の道が多く、綺麗な海を見たり、サ-ヒィンを楽しむ若者たちを見ながら 本日の宿舎 須崎市のビジネスホテルへ。
今日は、約38Kmを約11時間かけて、歩いた。いつものようにホテルの近くのコンビにで食料・飲料水を買い入れ、ホテルに入り、風呂に入った後、喉をうるおし、食事をしてすぐ眠った。
第三日
今日も「三十七番 岩本寺」までの約35Kmのハ-ドな日程だ。
ホテルを6時に出発。涼しいうちにと思いピッチを上げる。一時間ほど歩くと福岡県の男性の遍路と一緒に歩く。通しでまわっているとのこと。勤務年数30年で長期の休暇がくれたので以前から考えていた四国遍路をしているとのこと。家族のこと等を共に語りながら歩く。共に岩本寺までとのこと。
約半分ぐらいで 中土佐町から四万十町に入る。そこで突然急坂が始まる。約1Km弱で約200mの標高差を登る坂道であった。坂を登り終えるとR56に出る。途中の距離を書いたのは実際の距離では無く、短く書いてあったねと話し合った。
そこには、食堂があったので冷麺を食べて休憩。
食堂のおやじさんの話では この付近を高速道路ができ、よくなるがインタ-チェンジがないので寂れると嘆いていた。
そういえば、あちこちで高速道路の建設が進み、完成するとすっかり変わってしまうでしょう。
それ以後 平坦な道が続く。台地の上を歩いていることになる。
宿舎の岩本寺が近づいたので飲み物を買い、お寺へ。
彼は旅館に予約しているということで別れる。
岩本寺に到着。宿坊は綺麗だった。 見事な絵天井だった。
一人部屋を所望すると与えてもらい使用する。
夕食は一人遍路はほかに3人 他は団体客。いつものように一人遍路が集まり盛り上がる。
今日もハ-ドな日程で疲れているので早く寝る。
第四日
朝のお勤めを済ますと出発。1時間ほど歩いて、コンビ二でお茶を買うと「お接待です」と言ってもう一本くれて有難かった。
また、コンビ二の前のベンチには「お遍路 優先席」と書いてあるのがあった。お遍路さんに気を遣ってくれているのがうれしい。(写真のリュックは 私の背中で四国を一周したリュックです。)。
また、この日 広島の遍路さんと歩いていて、道を間違えて困っていると(最近 家の外でいる人が少なく、道を尋ねる時に困る)ラッキ-なことに郵便の集配の人が来たので尋ね、詳しく教えてもらった。しばらく歩いていると 後ろで単車の音がするので振り向くと先ほどの郵便の集配人の方だった。きっと教えた通り歩いているか心配で覗いてくれたと思う。ほんとうに暖かい人が多くてうれしく、元気をいただく。
大きな声で心からのお礼を言い、彼の後姿を見送った。
四国では、こんなホットな気持ちにしてもらっているが、こんな張り紙をしているのを見た。車からのポイ捨てが多いらしい。
心身の修行にお参りしているのに何ということか。
何のための修行か。
仲間として 腹立たしくなる。
世界遺産「高野山町石道」も同じだ。自分のゴミをどうして捨てるのか。
いつも、腹立たしく思いながら世界遺産でのゴミを拾っている。
それから、2時間ほど歩くと遍路小屋の近くに温泉があり、ここを使う若者
が多いと聞いていたが本日で休業すると張り紙がしていた。
熊井トンネルがある。100年以上前に造られたが、まだ頑丈で現役で頑張っている。 新潟県の青年と一緒になり歩くことになる。好青年で 家との連絡もよくしているとの事。 彼も岩本寺に泊まったとのこと。詳しく話を聞くと無料の宿泊をさせてもらったとのこと。今日もお寺に頼み宿泊させてもらうとのこと。私はまだ宿泊地を決めてなかったので共に行動することにする。
土佐東寺大師堂でお世話になる。大師堂の座敷の部屋を借りる。二人いたが少し寂しかった。彼は度々なので一人でも平気になったとの事。初めてで最後かもしれない体験をさせてもらった。
。
第五日
翌7:00、出発。私は約15Km先の「中村駅」です。
彼は 通し遍路なので中村駅でお互いの健康と幸を祈って別れる。一夜を二人きりで過ごしたので何か寂しい。
中村駅発 12:03。窪川で乗り換え、高知へ。高知からバスで大阪へ。
大阪 21:00頃
今回の歩行記録
一日目 大阪 梅田 高知
二日目 白線 35清滝寺 36青龍寺 約39Km
三日目 赤線 37岩本寺 約35Km
四日目 緑線 岩本寺 ~ 宿舎 約30Km
五日目 青線 宿舎 ~ 中村 約15Km
第四回 第三十五番 ~ 第三十七番 5月 6~ 10日まで
夜行バスで行くため、梅田の阪急バスタ-ミナルへ。
予約をしていたが、初めてと思い、余裕をと思ったが時間があり過ぎ退屈した。
予想通り、ゴ-ルデンウィ-クも終わり、人出も落ち着いていた。
定員の半数ぐらいで、三列の席で窓際をもらい予定通りの時刻(23:10)に出発。バスはリクライニングの席でよく眠れた。
第二日
高知にも予定通りの時刻(6:05)に到着。早速、バスで清滝寺の近くまで、(前回バスに乗った所)。そこから歩いて「三十五番 清滝寺」へ。
みかん畑の間の細い道を上がっていくと目に入るのが大きな薬師如来の像だ。 中は戒壇めぐりができるが以前来た時にめぐっているので、今回は止めた。
その後、土佐市街を通り、ちょっとした峠を越え、でっかい宇佐大橋を渡り、青龍寺へ向かう。大師が唐で修行した「青龍寺」を模して造ったと言われる名刹。
長い石段を降りてくる団体の遍路さん。年配の方は辛そうだがこの辛さも修行の一つ。ガンバレと心の中で声援を送る。
青龍寺からは、海岸線の道が多く、綺麗な海を見たり、サ-ヒィンを楽しむ若者たちを見ながら 本日の宿舎 須崎市のビジネスホテルへ。
今日は、約38Kmを約11時間かけて、歩いた。いつものようにホテルの近くのコンビにで食料・飲料水を買い入れ、ホテルに入り、風呂に入った後、喉をうるおし、食事をしてすぐ眠った。
第三日
今日も「三十七番 岩本寺」までの約35Kmのハ-ドな日程だ。
ホテルを6時に出発。涼しいうちにと思いピッチを上げる。一時間ほど歩くと福岡県の男性の遍路と一緒に歩く。通しでまわっているとのこと。勤務年数30年で長期の休暇がくれたので以前から考えていた四国遍路をしているとのこと。家族のこと等を共に語りながら歩く。共に岩本寺までとのこと。
約半分ぐらいで 中土佐町から四万十町に入る。そこで突然急坂が始まる。約1Km弱で約200mの標高差を登る坂道であった。坂を登り終えるとR56に出る。途中の距離を書いたのは実際の距離では無く、短く書いてあったねと話し合った。
そこには、食堂があったので冷麺を食べて休憩。
食堂のおやじさんの話では この付近を高速道路ができ、よくなるがインタ-チェンジがないので寂れると嘆いていた。
そういえば、あちこちで高速道路の建設が進み、完成するとすっかり変わってしまうでしょう。
それ以後 平坦な道が続く。台地の上を歩いていることになる。
宿舎の岩本寺が近づいたので飲み物を買い、お寺へ。
彼は旅館に予約しているということで別れる。
岩本寺に到着。宿坊は綺麗だった。 見事な絵天井だった。
一人部屋を所望すると与えてもらい使用する。
夕食は一人遍路はほかに3人 他は団体客。いつものように一人遍路が集まり盛り上がる。
今日もハ-ドな日程で疲れているので早く寝る。
第四日
朝のお勤めを済ますと出発。1時間ほど歩いて、コンビ二でお茶を買うと「お接待です」と言ってもう一本くれて有難かった。
また、コンビ二の前のベンチには「お遍路 優先席」と書いてあるのがあった。お遍路さんに気を遣ってくれているのがうれしい。(写真のリュックは 私の背中で四国を一周したリュックです。)。
また、この日 広島の遍路さんと歩いていて、道を間違えて困っていると(最近 家の外でいる人が少なく、道を尋ねる時に困る)ラッキ-なことに郵便の集配の人が来たので尋ね、詳しく教えてもらった。しばらく歩いていると 後ろで単車の音がするので振り向くと先ほどの郵便の集配人の方だった。きっと教えた通り歩いているか心配で覗いてくれたと思う。ほんとうに暖かい人が多くてうれしく、元気をいただく。
大きな声で心からのお礼を言い、彼の後姿を見送った。
四国では、こんなホットな気持ちにしてもらっているが、こんな張り紙をしているのを見た。車からのポイ捨てが多いらしい。
心身の修行にお参りしているのに何ということか。
何のための修行か。
仲間として 腹立たしくなる。
世界遺産「高野山町石道」も同じだ。自分のゴミをどうして捨てるのか。
いつも、腹立たしく思いながら世界遺産でのゴミを拾っている。
それから、2時間ほど歩くと遍路小屋の近くに温泉があり、ここを使う若者
が多いと聞いていたが本日で休業すると張り紙がしていた。
熊井トンネルがある。100年以上前に造られたが、まだ頑丈で現役で頑張っている。 新潟県の青年と一緒になり歩くことになる。好青年で 家との連絡もよくしているとの事。 彼も岩本寺に泊まったとのこと。詳しく話を聞くと無料の宿泊をさせてもらったとのこと。今日もお寺に頼み宿泊させてもらうとのこと。私はまだ宿泊地を決めてなかったので共に行動することにする。
土佐東寺大師堂でお世話になる。大師堂の座敷の部屋を借りる。二人いたが少し寂しかった。彼は度々なので一人でも平気になったとの事。初めてで最後かもしれない体験をさせてもらった。
。
第五日
翌7:00、出発。私は約15Km先の「中村駅」です。
彼は 通し遍路なので中村駅でお互いの健康と幸を祈って別れる。一夜を二人きりで過ごしたので何か寂しい。
中村駅発 12:03。窪川で乗り換え、高知へ。高知からバスで大阪へ。
大阪 21:00頃
今回の歩行記録
一日目 大阪 梅田 高知
二日目 白線 35清滝寺 36青龍寺 約39Km
三日目 赤線 37岩本寺 約35Km
四日目 緑線 岩本寺 ~ 宿舎 約30Km
五日目 青線 宿舎 ~ 中村 約15Km
2009年11月01日
私の足跡 45 四国遍路 土佐の国 27~34番
高 知 県 (修行の道場)
第三回 第二十四番 ~ 第三十四番 4月20~4月25日まで
第一日
切符を買っていないので心配したが無事に、難波を7:30発で「あさかわ」へ。到着が昼なので降りる前に食事をする。今回は土佐の国なので 前回県境まで歩いて来ているので今日はさらに県境へ。
今回は、ハ-ドなスケジュ-ルなので、荷物を少なくした。途中、果物を道端で販売している人達の前を通ると「お接待させてください」と言ってはっさく等をたくさんあげるという。うれしいが今後のハ-ドなスケジュ-ルを考えて少しだけ頂く。何度も何度もお礼を言い、そこを去る。
予定通り、4時ごろ宍喰の宿舎「民宿ぬしま」に到着。明日、早朝出発なので宿泊料を払い、風呂に入って、買い込んだ食事をし、明日の事を考え早く寝る。寝る前のTVの天気予報では 明日は15時過ぎより天気が崩れるという予報だった。
第二日
4時過ぎに起き、5時出発。今日は「二十四番最御崎寺」までの40Kmを11時間をかけて歩く計画だ。薄暗いが、涼しく快調にとばす。
すぐに、徳島と高知の県境のトンネル。これで、やっと、徳島を終わり、高知に入る。そして高知まで118Km 室戸まで40Kmの標識がある。今回は高知の先の土佐市まで(約180Km)。本日は室戸まで目的地は決まっている。ガンバロ-。
朝早くから「サ-フィン」を楽しんでいる若者がいた。朝早くからと思うが自分も朝早くから歩いていると思えば他人を笑えない。
左手に海を眺めての歩きで楽しかったが変化が無く、退屈になってきた。するとぺ-スが落ちる。意識を高めて又歩く。
20Km過ぎに佐喜浜港に到着。(10時過ぎ)
大休止を兼ねて漁港の見学をさせてもらう。
皆は人がよく、快く迎えてくれた。
とってきた魚を舟から大網ですくい取りベルトコンベアに流し、選別して別々の入れ物に入れていく所だった。
大きな魚の名を聞くと聞いたこともない名を言った。
お礼を言い、気分一新して歩き始める。
一時間ほど歩くと夫婦岩があった。
奈良の夫婦で車での遍路をしている人がいて、私も休憩を兼ねて話をする。 昼近くになって一時黒い雲も出たが、天気は下る様子がなく、有難い。
歩いていると携帯に通信あり、話の後で今四国の高知を歩いていると言うとビックリしていた。30Km過ぎから持病の足がいたくなってきた。35Kmを過ぎると足をかばうために腰も痛くなってきた。もうすぐ、素晴らしい青年大師像が見えてくるはずだと思いながら岬を何度も越した。痛みがひどくなって来たのはきっと、雨を心配をしてピッチをあげ過ぎたからと思う。ここでの40Km歩き遍路の苦しみを評論家の家田荘子さんが講演の中でも話されていたし、先輩遍路もよく言っている。自分もその苦しみを体験できて満足だ。
やっと大師像が見えた。元気が出た。
大師が修行した「御蔵洞」に到着。(前回歩いた時は雨で大変だったのを思い出す。)
そこから、約30分足らずの急登がまた大変だったが4時に「二十四番最御崎寺」到着。以前 40Km歩いた経験もあるが大きな荷物を持っての40Kmは 初めてだ。達成感を味わう。
御願いすると 一人部屋で泊まることが出来、食事も以前宿泊した時に「皿鉢料理」出たが今回は一人用のミニ「皿鉢料理」が出て大満足。宿泊費は二食付で6500円。宿泊客少なく、一人遍路は私だけ。夜、お勤めをして寝るころより、雨。明日、雨が上がるのを期待して寝る。
第三日
朝、目を覚ますと雨。予定より早くに、雨の中を歩き始める。雨具をつけ、傘をさして歩く。
「二十五番津照寺」に到着。この頃より、雨も降ったり、止んだりになる。 10時過ぎに出発し、最後は急な坂を登ると「二十六番金剛頂寺」に11:00 到着。以前来た時は 特別天然記念物の「やっこ草」を見たが 今はその季節ではない。
この頃は、雨も上がっていたが霧がでて、周りがボヤットしていた。昨日の天気予報と違って、降り始めが遅れて夜になったため、昼前まで雨が降ってしまった。
そこから、神峯寺の麓の「浜吉屋」までの約20Kmの雨上がりの道を歩く。
途中、庭先でボタンの花をたくさん栽培している人に出会い話を聞く。
自分の家のボタンの花はまだ蕾だったがやはり暖かいから早く咲くのだろうと思い写真を撮らせてもらう。
太陽の光が無かったから涼しく歩け 予定の5時半に到着。
総数20名ほどの客だったが一人部屋で過ごせた。夕食の時は 歩き遍路の人達と本日の雨の事などを談笑しながら楽しく食べて飲んだ。
第四日
5時に宿を出発。簡単な食事を持ち、涼しい内にと思い、荷物を最小限にして、「二十七番神峯寺」へ向け、山を駆け上る。6時頃お参りをして、下山。
7時宿舎着。 小休止して、荷物を持ち、7:30に出発。約25Km先の「夜須駅」まで。夜須駅よりJRで高知駅へ。そして、割引券を利用できる宿舎「高知会館」に素泊まり。
到着後、高知市内の見学(はりまや橋・竜馬の生まれた町記念館・旧山内家下屋敷長屋門等)をする。その他、各時代の先覚者として活躍した板垣退助・後藤象次郎・中江兆民等の生誕地も見学した。
ホテルなので食べ物・飲み物を買い入れて一人で気楽に過ごす。
第五日
朝早くホテルを出て、昨日 列車に乗って「夜須駅」まで。
そこ(昨日歩いてきた所)から、7時半頃より歩き始め、9時過ぎに「二十八番大日寺」に到着。
そして、昼前に「二十九番国分寺」に着き昼食。そして、「三十番善楽寺」へ。
ここで、予定通り、是非行ってみたい所「牧野富太郎博物館」へ寄ることにする。時間一杯まで見学し、満足して、「三十一番竹林寺」へ。
遅かったので寺には人が少なかった。
竹林寺を後にして、本日の宿舎「高知YH」へ。久しぶりのユ-スホステルだから昔と変わっていて戸惑う。会計をして、フロントでキ-と敷布をもらい部屋へ。値段も安く(二食付で5000円未満)、食事や風呂もよく気にいった。部屋は 勿論望んでいた個室。少し狭いがこれで充分。
第六日
YHより乗り物に乗り、昨日歩いた所から歩いて「三十二番 禅師峰寺」へ。昨日、共に歩いた愛知の夫婦と会い、一緒に歩く。
最後は、急坂を登ってお参りをする。
参拝後、土佐湾を見渡せ、多くのビニ-ルハウスも見えた
帰りは、急坂を登ったので 急坂を下って、長閑な田舎道を多くの人に 気をつけてお参りをして下さいと元気付けられながら歩く。
次は「三十三番 雪渓寺」へ。
途中、浦戸大橋を渡って行くか、渡船に乗るか迷ったが予定通りの歩行をしているので渡船の時刻とも合う。
しばらく待つ間に昼食をして、船に乗る(無料)。
遍路3人(愛知の夫婦と私)と地元の人一人の4人。
下船後、愛知の夫婦と別れ、まもなく雪渓寺へ。町の中の寺です。
「三十四番 種間寺」まで一人旅を。歩いていると「ポン菓子」屋があったので匂いに負けて買い、食べながら歩く。
種間寺着、14頃。そして、土佐市を経由して予定していたバスで、高知駅へ。
待ち時間も少なく、16:10分発のバスで大阪へ。帰宅は23時前。
今回の歩行記録
一日目 白線 あさかわ ~ 宍喰 約11Km
二日目 赤線 宍喰 ~ 24最御崎寺 約40Km
三日目 緑線 24最御崎寺~25律照寺~26金剛頂寺~宿舎 約34Km
四日目 黄色 宿舎~27神峯寺~夜須 約33Km
五日目 青線 夜須~28大日寺 29国分寺 30善楽寺 3竹林寺
宿舎 約33Km
六日目 緑線 宿舎~32禅師峰寺 33雪けい寺 34種間寺
土佐市 約27Km
第三回 第二十四番 ~ 第三十四番 4月20~4月25日まで
第一日
切符を買っていないので心配したが無事に、難波を7:30発で「あさかわ」へ。到着が昼なので降りる前に食事をする。今回は土佐の国なので 前回県境まで歩いて来ているので今日はさらに県境へ。
今回は、ハ-ドなスケジュ-ルなので、荷物を少なくした。途中、果物を道端で販売している人達の前を通ると「お接待させてください」と言ってはっさく等をたくさんあげるという。うれしいが今後のハ-ドなスケジュ-ルを考えて少しだけ頂く。何度も何度もお礼を言い、そこを去る。
予定通り、4時ごろ宍喰の宿舎「民宿ぬしま」に到着。明日、早朝出発なので宿泊料を払い、風呂に入って、買い込んだ食事をし、明日の事を考え早く寝る。寝る前のTVの天気予報では 明日は15時過ぎより天気が崩れるという予報だった。
第二日
4時過ぎに起き、5時出発。今日は「二十四番最御崎寺」までの40Kmを11時間をかけて歩く計画だ。薄暗いが、涼しく快調にとばす。
すぐに、徳島と高知の県境のトンネル。これで、やっと、徳島を終わり、高知に入る。そして高知まで118Km 室戸まで40Kmの標識がある。今回は高知の先の土佐市まで(約180Km)。本日は室戸まで目的地は決まっている。ガンバロ-。
朝早くから「サ-フィン」を楽しんでいる若者がいた。朝早くからと思うが自分も朝早くから歩いていると思えば他人を笑えない。
左手に海を眺めての歩きで楽しかったが変化が無く、退屈になってきた。するとぺ-スが落ちる。意識を高めて又歩く。
20Km過ぎに佐喜浜港に到着。(10時過ぎ)
大休止を兼ねて漁港の見学をさせてもらう。
皆は人がよく、快く迎えてくれた。
とってきた魚を舟から大網ですくい取りベルトコンベアに流し、選別して別々の入れ物に入れていく所だった。
大きな魚の名を聞くと聞いたこともない名を言った。
お礼を言い、気分一新して歩き始める。
一時間ほど歩くと夫婦岩があった。
奈良の夫婦で車での遍路をしている人がいて、私も休憩を兼ねて話をする。 昼近くになって一時黒い雲も出たが、天気は下る様子がなく、有難い。
歩いていると携帯に通信あり、話の後で今四国の高知を歩いていると言うとビックリしていた。30Km過ぎから持病の足がいたくなってきた。35Kmを過ぎると足をかばうために腰も痛くなってきた。もうすぐ、素晴らしい青年大師像が見えてくるはずだと思いながら岬を何度も越した。痛みがひどくなって来たのはきっと、雨を心配をしてピッチをあげ過ぎたからと思う。ここでの40Km歩き遍路の苦しみを評論家の家田荘子さんが講演の中でも話されていたし、先輩遍路もよく言っている。自分もその苦しみを体験できて満足だ。
やっと大師像が見えた。元気が出た。
大師が修行した「御蔵洞」に到着。(前回歩いた時は雨で大変だったのを思い出す。)
そこから、約30分足らずの急登がまた大変だったが4時に「二十四番最御崎寺」到着。以前 40Km歩いた経験もあるが大きな荷物を持っての40Kmは 初めてだ。達成感を味わう。
御願いすると 一人部屋で泊まることが出来、食事も以前宿泊した時に「皿鉢料理」出たが今回は一人用のミニ「皿鉢料理」が出て大満足。宿泊費は二食付で6500円。宿泊客少なく、一人遍路は私だけ。夜、お勤めをして寝るころより、雨。明日、雨が上がるのを期待して寝る。
第三日
朝、目を覚ますと雨。予定より早くに、雨の中を歩き始める。雨具をつけ、傘をさして歩く。
「二十五番津照寺」に到着。この頃より、雨も降ったり、止んだりになる。 10時過ぎに出発し、最後は急な坂を登ると「二十六番金剛頂寺」に11:00 到着。以前来た時は 特別天然記念物の「やっこ草」を見たが 今はその季節ではない。
この頃は、雨も上がっていたが霧がでて、周りがボヤットしていた。昨日の天気予報と違って、降り始めが遅れて夜になったため、昼前まで雨が降ってしまった。
そこから、神峯寺の麓の「浜吉屋」までの約20Kmの雨上がりの道を歩く。
途中、庭先でボタンの花をたくさん栽培している人に出会い話を聞く。
自分の家のボタンの花はまだ蕾だったがやはり暖かいから早く咲くのだろうと思い写真を撮らせてもらう。
太陽の光が無かったから涼しく歩け 予定の5時半に到着。
総数20名ほどの客だったが一人部屋で過ごせた。夕食の時は 歩き遍路の人達と本日の雨の事などを談笑しながら楽しく食べて飲んだ。
第四日
5時に宿を出発。簡単な食事を持ち、涼しい内にと思い、荷物を最小限にして、「二十七番神峯寺」へ向け、山を駆け上る。6時頃お参りをして、下山。
7時宿舎着。 小休止して、荷物を持ち、7:30に出発。約25Km先の「夜須駅」まで。夜須駅よりJRで高知駅へ。そして、割引券を利用できる宿舎「高知会館」に素泊まり。
到着後、高知市内の見学(はりまや橋・竜馬の生まれた町記念館・旧山内家下屋敷長屋門等)をする。その他、各時代の先覚者として活躍した板垣退助・後藤象次郎・中江兆民等の生誕地も見学した。
ホテルなので食べ物・飲み物を買い入れて一人で気楽に過ごす。
第五日
朝早くホテルを出て、昨日 列車に乗って「夜須駅」まで。
そこ(昨日歩いてきた所)から、7時半頃より歩き始め、9時過ぎに「二十八番大日寺」に到着。
そして、昼前に「二十九番国分寺」に着き昼食。そして、「三十番善楽寺」へ。
ここで、予定通り、是非行ってみたい所「牧野富太郎博物館」へ寄ることにする。時間一杯まで見学し、満足して、「三十一番竹林寺」へ。
遅かったので寺には人が少なかった。
竹林寺を後にして、本日の宿舎「高知YH」へ。久しぶりのユ-スホステルだから昔と変わっていて戸惑う。会計をして、フロントでキ-と敷布をもらい部屋へ。値段も安く(二食付で5000円未満)、食事や風呂もよく気にいった。部屋は 勿論望んでいた個室。少し狭いがこれで充分。
第六日
YHより乗り物に乗り、昨日歩いた所から歩いて「三十二番 禅師峰寺」へ。昨日、共に歩いた愛知の夫婦と会い、一緒に歩く。
最後は、急坂を登ってお参りをする。
参拝後、土佐湾を見渡せ、多くのビニ-ルハウスも見えた
帰りは、急坂を登ったので 急坂を下って、長閑な田舎道を多くの人に 気をつけてお参りをして下さいと元気付けられながら歩く。
次は「三十三番 雪渓寺」へ。
途中、浦戸大橋を渡って行くか、渡船に乗るか迷ったが予定通りの歩行をしているので渡船の時刻とも合う。
しばらく待つ間に昼食をして、船に乗る(無料)。
遍路3人(愛知の夫婦と私)と地元の人一人の4人。
下船後、愛知の夫婦と別れ、まもなく雪渓寺へ。町の中の寺です。
「三十四番 種間寺」まで一人旅を。歩いていると「ポン菓子」屋があったので匂いに負けて買い、食べながら歩く。
種間寺着、14頃。そして、土佐市を経由して予定していたバスで、高知駅へ。
待ち時間も少なく、16:10分発のバスで大阪へ。帰宅は23時前。
今回の歩行記録
一日目 白線 あさかわ ~ 宍喰 約11Km
二日目 赤線 宍喰 ~ 24最御崎寺 約40Km
三日目 緑線 24最御崎寺~25律照寺~26金剛頂寺~宿舎 約34Km
四日目 黄色 宿舎~27神峯寺~夜須 約33Km
五日目 青線 夜須~28大日寺 29国分寺 30善楽寺 3竹林寺
宿舎 約33Km
六日目 緑線 宿舎~32禅師峰寺 33雪けい寺 34種間寺
土佐市 約27Km