2009年05月
2009年05月15日
私の足跡 34 東高野街道
私の足跡 yama-yafootprint24 からのウォ-キングの部の前回までは「太平洋側の那智から日本海側の小浜までのウォ-キング」を記しましたが、今回からはその道から派生している街道ウォ-クを記します。
今回は 「京・大阪道の八幡市より高野街道の河内長野市までの東高野街道」の3日間を記します。
高野山への「高野参拝道」の一つであるこの道は、河内長野 から、石川にそって下り、生駒山脈西麓から洞ヶ峠を越えて、石清水八幡宮までの大阪府内で最長(約 60Km)の縦貫街道です。
F氏と東高野街道の踏破を目指して計画を立て、実行をした。
一日目(7月17日)
今回は、河内長野から石清水八幡宮へ向けて歩くことにする。
夏の暑い季節なので、4:45分に家を出て、5:11分の電車に乗る。
歩き始めは薄暗かったがよく知った町なのですんなり過ぎた。
富田林に入ると丁度登校時間なのか子どもに話しかけながら歩を進める。
富田林の寺内町に入ると現在も創建当時の六筋七町の町割りや重要文化財の住宅があり、往時の繁栄を偲ぶことができる。
やがて 旧杉山家住宅に着く。ここは富田林の寺内町でも最古級の町屋敷です。
羽曳野市・藤井寺市では 面積では堺市の仁徳天皇についで第二位だが体積では第一位といわれる応神天皇陵等の古墳を見ながら、日本最古といわれる八幡宮の誉田八幡宮や道明寺天満宮に参りながら通る。
柏原市に入り、昼には少し早いが暑くなって来たので、昼食場所を探す。
市役所が目に入り、二人で市役所の食堂に入り、食し、暑くなった身体を冷やす。昼前になって、食堂も混みだしたので、食後(12時)スタ-ト、ぺ-スを落として日陰を選んで歩く。
本日のゴ-ル近鉄の恩智駅に13:00着。ス-パ-の中に入り、身体を冷やし、冷たい物を買う。
電車を乗り継ぎ、河内長野で寄り道をして帰る。
二日目(8月25日)
前回終了した恩智駅になんば経由で行くほうが速いと思って行ったがかえって時間がかかってしまった。
恩智駅をスタ-トし車の往来の激しい道を北へ北へと歩を進める。
この街道筋には、多くの神社があり、鳥居もたくさんあった。
途中、地元の人達から「石切さん」と親しまれている石切神社に寄る。
弘法大師がこの道を通った際、当地に10日間ほど滞在され、この橋の欄干を枕にして休息したことから、ネノコ橋と言われ、それがいつの頃からメノコ橋と呼ぶようになったと伝えられています。今は欄干石だけが残り、無造作に放置されている。
慈眼寺(野崎観音)
正式には曹洞宗の慈眼寺という。平安中期にある遊女が自分の病気平癒のため祈願したところ病気が治ったので、感謝の気持ちで再建したそうだ。
一時荒廃したが、近世の初頭頃より野崎参りが盛んになり「観音さん」で親しまれ、今も大勢の参拝者で賑わっている。
このように各市町村で街道の標識が工夫されているのが嬉しいことだ。
今日のゴ-ルは 交野市の星田駅だ。到着後、冷たい物を身体に入れ、帰宅の途につく。
三日目
本日のスタ-ト星田駅へ。
八幡市駅のゴ-ルを目指して、一路北へ・北へと歩を進める。
途中、洞ヶ辻の茶屋で昼食をとる。
次は 「松花堂の庭園」見学に。
石清水八幡宮の社僧で寛永の文化人といわれた松花堂昭乗ゆかりの庭園だ。
いくつもの茶室があり、庭の手入れも良かった。特に竹やぶが良かった。
エジソンが電球を発明した時、ここ八幡の竹をフィラメントにしたということで有名です。
美術館もあり、ゆっくり見学するには時間が必要。
やっと京・大阪道との合流点・八幡市に到着。
ケ-ブルに乗り、お参りした。
この石清水八幡宮は 九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡に挙げられる全国屈指の神社です。
これで、東高野街道約60Kmを延べ3日間を費やし、無事踏破した。
今回は 「京・大阪道の八幡市より高野街道の河内長野市までの東高野街道」の3日間を記します。
高野山への「高野参拝道」の一つであるこの道は、河内長野 から、石川にそって下り、生駒山脈西麓から洞ヶ峠を越えて、石清水八幡宮までの大阪府内で最長(約 60Km)の縦貫街道です。
F氏と東高野街道の踏破を目指して計画を立て、実行をした。
一日目(7月17日)
今回は、河内長野から石清水八幡宮へ向けて歩くことにする。
夏の暑い季節なので、4:45分に家を出て、5:11分の電車に乗る。
歩き始めは薄暗かったがよく知った町なのですんなり過ぎた。
富田林に入ると丁度登校時間なのか子どもに話しかけながら歩を進める。
富田林の寺内町に入ると現在も創建当時の六筋七町の町割りや重要文化財の住宅があり、往時の繁栄を偲ぶことができる。
やがて 旧杉山家住宅に着く。ここは富田林の寺内町でも最古級の町屋敷です。
羽曳野市・藤井寺市では 面積では堺市の仁徳天皇についで第二位だが体積では第一位といわれる応神天皇陵等の古墳を見ながら、日本最古といわれる八幡宮の誉田八幡宮や道明寺天満宮に参りながら通る。
柏原市に入り、昼には少し早いが暑くなって来たので、昼食場所を探す。
市役所が目に入り、二人で市役所の食堂に入り、食し、暑くなった身体を冷やす。昼前になって、食堂も混みだしたので、食後(12時)スタ-ト、ぺ-スを落として日陰を選んで歩く。
本日のゴ-ル近鉄の恩智駅に13:00着。ス-パ-の中に入り、身体を冷やし、冷たい物を買う。
電車を乗り継ぎ、河内長野で寄り道をして帰る。
二日目(8月25日)
前回終了した恩智駅になんば経由で行くほうが速いと思って行ったがかえって時間がかかってしまった。
恩智駅をスタ-トし車の往来の激しい道を北へ北へと歩を進める。
この街道筋には、多くの神社があり、鳥居もたくさんあった。
途中、地元の人達から「石切さん」と親しまれている石切神社に寄る。
弘法大師がこの道を通った際、当地に10日間ほど滞在され、この橋の欄干を枕にして休息したことから、ネノコ橋と言われ、それがいつの頃からメノコ橋と呼ぶようになったと伝えられています。今は欄干石だけが残り、無造作に放置されている。
慈眼寺(野崎観音)
正式には曹洞宗の慈眼寺という。平安中期にある遊女が自分の病気平癒のため祈願したところ病気が治ったので、感謝の気持ちで再建したそうだ。
一時荒廃したが、近世の初頭頃より野崎参りが盛んになり「観音さん」で親しまれ、今も大勢の参拝者で賑わっている。
このように各市町村で街道の標識が工夫されているのが嬉しいことだ。
今日のゴ-ルは 交野市の星田駅だ。到着後、冷たい物を身体に入れ、帰宅の途につく。
三日目
本日のスタ-ト星田駅へ。
八幡市駅のゴ-ルを目指して、一路北へ・北へと歩を進める。
途中、洞ヶ辻の茶屋で昼食をとる。
次は 「松花堂の庭園」見学に。
石清水八幡宮の社僧で寛永の文化人といわれた松花堂昭乗ゆかりの庭園だ。
いくつもの茶室があり、庭の手入れも良かった。特に竹やぶが良かった。
エジソンが電球を発明した時、ここ八幡の竹をフィラメントにしたということで有名です。
美術館もあり、ゆっくり見学するには時間が必要。
やっと京・大阪道との合流点・八幡市に到着。
ケ-ブルに乗り、お参りした。
この石清水八幡宮は 九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡に挙げられる全国屈指の神社です。
これで、東高野街道約60Kmを延べ3日間を費やし、無事踏破した。
2009年05月01日
私の足跡 33 鯖街道 京都~小浜
京都(三条)から小浜へ 距離 70km 日数 4日
小浜の人たちは「京は遠くても18里」 小浜で捕れた鯖に塩をして京都に着けば塩加減がちょうど良くなる距離にあるということで鯖等の鮮魚を京都に運んだといわれる。その「鯖街道」を4日かけて歩くことにした。
ここ京都(三条)は「鯖街道」の起点であるが中山道・東海道の起点でもある。
いつも高山彦九郎が京都に入る人達を出迎え、また京都を出る人を見送ってくれている。
一日目
今日は 一人旅である。
出発をしてしばらくは京都の街中を北へ北へと歩き始める。
しばらく歩いていると可愛い六地蔵さんの励ましを受けて北へ北へと歩く。
途中、有名な平八茶屋の前を通る。 往時は、さぞ賑わったことでしょう。
本日のゴ-ル(八瀬駅)を目指して急ぐ。
二日目
今日も小浜をめざして北へと歩く。
八瀬駅を出発後、まもなく漬物のみやげ店があったので休憩のつもりで寄ったが試食をしている内にみやげを買ってしまう。
ここは花折峠である。
日本有数の断層地帯らしい。
見た目ではわからない。
天気が悪かったがややよく
なってきた。
きれいに咲いている卯の花を見ながら本日のゴ-ル葛川へ。
そしてバスで堅田駅へ。
JRで大阪駅へ。
帰宅、9時頃。
三日目
今日で 三日目。やっと半分の朽木村に到着。
織田信長が越前の朝倉氏を討伐するため、兵を進めた。ところが、浅井長政の裏切りにあい、急遽京都へ帰るとき、ここ朽木に一夜を過ごしたらしい。
桜が満開で、歴史のある思い出に残る朽木村に未練を残しながら北へと歩を
進めた。
四日目
今日で鯖街道ウォ-キングのゴ-ル若狭です。いや、鯖街道ウォ-キング
のゴ-ルではなく、紀伊半島の最南端・太平洋の那智からの海水をペットボ
トルに入れ、遥か約300Km離れた日本海の若狭の海に延べ15日をかけ
注ぐ時でもあります。
NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の撮影があり、放送開始の時期であったので町が盛り上がっていた。(その後、米大統領オバマ氏の就任でまた盛り
上がる)
海岸には人魚の像があった。
最後に 太平洋の海水を日本海に注ぐ。全部を注がず半分にして残りの半分に日本海の海水を入れ、家に持ち帰った。
小浜といえば鯖。鯖といえば焼き鯖。匂いもよくたまらない。
<太>私の足跡 yama-yafootprint24 からのウォ-キングの部の今回までは「太平洋側の那智から日本海側の小浜までのウォ-キング」で近畿地方を縦断したことになる。 総延長距離 300Km 総 日 数 15日
小浜の人たちは「京は遠くても18里」 小浜で捕れた鯖に塩をして京都に着けば塩加減がちょうど良くなる距離にあるということで鯖等の鮮魚を京都に運んだといわれる。その「鯖街道」を4日かけて歩くことにした。
ここ京都(三条)は「鯖街道」の起点であるが中山道・東海道の起点でもある。
いつも高山彦九郎が京都に入る人達を出迎え、また京都を出る人を見送ってくれている。
一日目
今日は 一人旅である。
出発をしてしばらくは京都の街中を北へ北へと歩き始める。
しばらく歩いていると可愛い六地蔵さんの励ましを受けて北へ北へと歩く。
途中、有名な平八茶屋の前を通る。 往時は、さぞ賑わったことでしょう。
本日のゴ-ル(八瀬駅)を目指して急ぐ。
二日目
今日も小浜をめざして北へと歩く。
八瀬駅を出発後、まもなく漬物のみやげ店があったので休憩のつもりで寄ったが試食をしている内にみやげを買ってしまう。
ここは花折峠である。
日本有数の断層地帯らしい。
見た目ではわからない。
天気が悪かったがややよく
なってきた。
きれいに咲いている卯の花を見ながら本日のゴ-ル葛川へ。
そしてバスで堅田駅へ。
JRで大阪駅へ。
帰宅、9時頃。
三日目
今日で 三日目。やっと半分の朽木村に到着。
織田信長が越前の朝倉氏を討伐するため、兵を進めた。ところが、浅井長政の裏切りにあい、急遽京都へ帰るとき、ここ朽木に一夜を過ごしたらしい。
桜が満開で、歴史のある思い出に残る朽木村に未練を残しながら北へと歩を
進めた。
四日目
今日で鯖街道ウォ-キングのゴ-ル若狭です。いや、鯖街道ウォ-キング
のゴ-ルではなく、紀伊半島の最南端・太平洋の那智からの海水をペットボ
トルに入れ、遥か約300Km離れた日本海の若狭の海に延べ15日をかけ
注ぐ時でもあります。
NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の撮影があり、放送開始の時期であったので町が盛り上がっていた。(その後、米大統領オバマ氏の就任でまた盛り
上がる)
海岸には人魚の像があった。
最後に 太平洋の海水を日本海に注ぐ。全部を注がず半分にして残りの半分に日本海の海水を入れ、家に持ち帰った。
小浜といえば鯖。鯖といえば焼き鯖。匂いもよくたまらない。
<太>私の足跡 yama-yafootprint24 からのウォ-キングの部の今回までは「太平洋側の那智から日本海側の小浜までのウォ-キング」で近畿地方を縦断したことになる。 総延長距離 300Km 総 日 数 15日