2008年08月
2008年08月15日
私の足跡 15 乗鞍と八方 山上・普賢岳・行者還岳
2004年 8月5~8日
兄夫婦と私達で、乗鞍と八方尾根へ
一日目
列車の乗り継ぎも予定通りに行き、乗鞍岳の畳平の山小屋に着く。 小屋に荷物を置き、軽装で頂へ。 畳平へ下山後、お花畑を散策していると雷鳥の親が子どもを連れて散歩しているのに遭遇。木道に立っている私達の傍を急ぎもせず、怖がりもせずゆっくりと歩いていた。子どもの雷鳥も立ち止まったりはあまりせず黙々と親の後を追いかけていた。多分、食べ物もしっかり食べねぐらに帰ろうとしているらしい。
宿舎へ帰る途中、ウスユキそうが咲き、見事だった。
夜、大学生のグル-プは星の観察をしていた。
小屋の主人は、若い頃から山が好きで、人生の大半は山暮らしで、いくつかの山小屋の管理をしているらしい。
壁にたくさん貼ってある著名人の色紙の内の一枚です。
二日目
朝、曇っていて、ご来光は駄目なので7:00発のバスで下山。列車等を乗り継ぎ予定通り、八方尾根に着く。13:00に登りはじめたが、晴れたり、ガスったりで景色は今一つだったが八方池あたりまでくると、天気は良くなり、目の前に岩だらけの唐松岳が迫ってきてきている。40数年前 白馬岳から縦走し、鎖場と梯子の連続だった不帰ミネを思い出した。そして、それが八方池に映り最高だった。
その夜の宿舎をペンションにしたので女性たちに喜ばれた。
三日目
早朝 、朝食前に素晴らしい朝焼けの山々を見に出かけた。
美術館・長野オリンピックのスキ-のジャンプ台等の見学をした後、予定通り14:40分の列車に乗るが、途中、突然の雷雨の影響で1時間ほど遅れて帰宅、22:20分。
2004年9月19~20日
K氏M氏と世界遺産の奥駆けの一部へ
一日目
8時前に家の近くでk氏の車に乗せてもらい、登山基地の洞川へ。
10:00 登山開始。女人結界の碑を通り、2時間ほどすると夫婦連れが降りてくるではないか。一瞬、目を疑い、通り過ぎてから友人に確認すると確かに女性とのこと。しばらく、女性に会えないと思っていたので意外に思った。
途中、鎖を使い岩山をよじ登る鐘掛岩等で修行をしながら、宿坊着、15:00.
半時間後、荷物を部屋に入れた後、宿坊の人に頼み、普段は表行場(西の覗き等)での修行が多いので裏(東)行場へ連れて行ってもらった。そこでは 細い岩の隙間を通る胎内めぐりをして生まれ変わったり、蟻の戸渡りと平等岩まわりをして、一歩間違えば奈落の底へという岩場を通り修行をしたりした。
終了後、頂上の本堂で、世界遺産に登録できたということを記念して今だけという秘仏をみせてもらった。
外に出ると雨が降っていたので傘を借りて宿坊へ。 夜、大相撲の土俵に女性が上っても良いという意見もある時代なので、宿坊の人と昼間会った女性のことを話し、女人禁制の山について話し合った。大峰山も宿坊の中や寺の中(私有地)へ入ることには強く拒むが 公道ては協力をして下さいとしか言わないと言っていた。彼の話では、日本に女性しかお参り出来ない神を祀った島があり、女性以外は島にも入らないでいるということもあるのだからわかって欲しいと話していた。私達も賛成した。
夜、寝ようとしたが雨が降っていた。
二日目
深夜より天気が気になり絶えず窓から空をみていた。星も見えていたので、出発決定。4時半起床。出発 5時半。昨日 借りた傘を返し歩いていると、ガスが出てきて、景色が見えにくくなった。でも、雨もないので、ビッチをあげる。山伏さん達の修験場の「宿」をいくつか通過。 小普賢岳が近づいた頃よりアップダウンが厳しくなり、岩場も出始める。
大普賢岳の頂上で初めて登山者に会う。 女性の登山者も3人いたので、女人禁制の山について話を聞くと我々の意見と同じで、無理にその山に登らなくても他にたくさん山があるのだからそこに登ればよいとの意見だった。
大普賢岳の前後からしばらく鎖や梯子の連続だったので、肉体的にも 精神的にも疲れ、思ったより時間を費やした。
国見岳付近よりアップダウンの厳しさがなくなり、岩場も減ってきて喜んでいた。
行者還岳付近の遭難碑を過ぎたあたりのアップダウンにはマイッタ。行者還のトンネルの上まではアップダウンが少なかったがそこからの下りの厳しさにはほんとうにマイッタ。
車で洞川温泉へ。そして、公衆浴場で入浴。帰宅 18:00。
兄夫婦と私達で、乗鞍と八方尾根へ
一日目
列車の乗り継ぎも予定通りに行き、乗鞍岳の畳平の山小屋に着く。 小屋に荷物を置き、軽装で頂へ。 畳平へ下山後、お花畑を散策していると雷鳥の親が子どもを連れて散歩しているのに遭遇。木道に立っている私達の傍を急ぎもせず、怖がりもせずゆっくりと歩いていた。子どもの雷鳥も立ち止まったりはあまりせず黙々と親の後を追いかけていた。多分、食べ物もしっかり食べねぐらに帰ろうとしているらしい。
宿舎へ帰る途中、ウスユキそうが咲き、見事だった。
夜、大学生のグル-プは星の観察をしていた。
小屋の主人は、若い頃から山が好きで、人生の大半は山暮らしで、いくつかの山小屋の管理をしているらしい。
壁にたくさん貼ってある著名人の色紙の内の一枚です。
二日目
朝、曇っていて、ご来光は駄目なので7:00発のバスで下山。列車等を乗り継ぎ予定通り、八方尾根に着く。13:00に登りはじめたが、晴れたり、ガスったりで景色は今一つだったが八方池あたりまでくると、天気は良くなり、目の前に岩だらけの唐松岳が迫ってきてきている。40数年前 白馬岳から縦走し、鎖場と梯子の連続だった不帰ミネを思い出した。そして、それが八方池に映り最高だった。
その夜の宿舎をペンションにしたので女性たちに喜ばれた。
三日目
早朝 、朝食前に素晴らしい朝焼けの山々を見に出かけた。
美術館・長野オリンピックのスキ-のジャンプ台等の見学をした後、予定通り14:40分の列車に乗るが、途中、突然の雷雨の影響で1時間ほど遅れて帰宅、22:20分。
2004年9月19~20日
K氏M氏と世界遺産の奥駆けの一部へ
一日目
8時前に家の近くでk氏の車に乗せてもらい、登山基地の洞川へ。
10:00 登山開始。女人結界の碑を通り、2時間ほどすると夫婦連れが降りてくるではないか。一瞬、目を疑い、通り過ぎてから友人に確認すると確かに女性とのこと。しばらく、女性に会えないと思っていたので意外に思った。
途中、鎖を使い岩山をよじ登る鐘掛岩等で修行をしながら、宿坊着、15:00.
半時間後、荷物を部屋に入れた後、宿坊の人に頼み、普段は表行場(西の覗き等)での修行が多いので裏(東)行場へ連れて行ってもらった。そこでは 細い岩の隙間を通る胎内めぐりをして生まれ変わったり、蟻の戸渡りと平等岩まわりをして、一歩間違えば奈落の底へという岩場を通り修行をしたりした。
終了後、頂上の本堂で、世界遺産に登録できたということを記念して今だけという秘仏をみせてもらった。
外に出ると雨が降っていたので傘を借りて宿坊へ。 夜、大相撲の土俵に女性が上っても良いという意見もある時代なので、宿坊の人と昼間会った女性のことを話し、女人禁制の山について話し合った。大峰山も宿坊の中や寺の中(私有地)へ入ることには強く拒むが 公道ては協力をして下さいとしか言わないと言っていた。彼の話では、日本に女性しかお参り出来ない神を祀った島があり、女性以外は島にも入らないでいるということもあるのだからわかって欲しいと話していた。私達も賛成した。
夜、寝ようとしたが雨が降っていた。
二日目
深夜より天気が気になり絶えず窓から空をみていた。星も見えていたので、出発決定。4時半起床。出発 5時半。昨日 借りた傘を返し歩いていると、ガスが出てきて、景色が見えにくくなった。でも、雨もないので、ビッチをあげる。山伏さん達の修験場の「宿」をいくつか通過。 小普賢岳が近づいた頃よりアップダウンが厳しくなり、岩場も出始める。
大普賢岳の頂上で初めて登山者に会う。 女性の登山者も3人いたので、女人禁制の山について話を聞くと我々の意見と同じで、無理にその山に登らなくても他にたくさん山があるのだからそこに登ればよいとの意見だった。
大普賢岳の前後からしばらく鎖や梯子の連続だったので、肉体的にも 精神的にも疲れ、思ったより時間を費やした。
国見岳付近よりアップダウンの厳しさがなくなり、岩場も減ってきて喜んでいた。
行者還岳付近の遭難碑を過ぎたあたりのアップダウンにはマイッタ。行者還のトンネルの上まではアップダウンが少なかったがそこからの下りの厳しさにはほんとうにマイッタ。
車で洞川温泉へ。そして、公衆浴場で入浴。帰宅 18:00。
2008年08月01日
私の足跡 14 冬の上高地 霧島縦走・開聞岳
2004年3月20日
K氏S氏M氏と冬の上高地へ
二日目
前日の夜行バスで平湯へ。4時半着。まだ早く暗いので5時半まで寝る。
6時半出発。防寒用具をしっかり着け、初めはスノ-シュ-を持って釜トンネルの入り口まで行く。
釜トンネルから奥へは4月下旬まで、車は一切通行止めである。
したがって、ここから上高地の駐車場までの車道は、歩行者天国である。
それも、人通りの少ない歩行者天国である。
釜トンネルの入り口の周辺は、でっかいツララが垂れ下がって見事である。
下の道は、部分的に凍っていて、ヘットランプで照らしながら、歩かないと滑って危険だ。
歩けば長く感じたトンネルを抜け出ると山々は真っ白な布を被せたように真っ白だ。
道は、勿論雪が積もっていて、それが凍てているので始末が悪い。
スノ-シュ-をうまく、しっかり使わないと危険だ。
焼岳も見えてきた。
噴煙が上がっているかどうかはここからは定かでない。
大正池で休憩。
焼岳が間近にせまってきて我々を覆いかぶさるようである。
噴煙もかすかに見える。
大正池に映える写真を何枚か撮影した。
ここで、河童橋まで、行く者とこの周辺で散策する者とに分かれる。
我々は河童橋まで行くことにした。
この後、ガイドさんは普段通ることの出来ない所(すべて雪に覆われているので、川さえ気をつければ良い。)を通って案内してくれた。
人が通っていない所なので足が深く入り込み、厄介だ。
河童橋で時間をゆっくりとるということでピッチをあげる。
穂高もだんだん近づいてきた。
色づいた柳の木が並んでいる梓川の堤防を歩いていくと河童橋に到着。
シ-ズンの河童橋の上は、人が一杯だが今は我々の仲間だけだ。 ゆっくりと写真を撮ることができるので、麓から頂上まで真っ白な穂高の写真を何枚も撮った。
橋の近くのみやげ物店の一階部分は完全に雪の中。
私達は二階の部分と同じ高さに立っている。
帰路は帝国ホテルの前を通ったがあとは殆んど同じような道を通って帰る。
帰りに「平湯」に寄り、温泉で汗を流した。勿論、ビ-ルで水分補給を。
夜22:00、帰宅。
2004年5月2~5日
K氏M氏と霧島山縦走と開聞岳へ。
二日目
前日の夜行列車で大阪を発ち、宮崎駅へ。途中、車のハプニングがあつたが、登山口へ向かう。天気は悪く、山に入るにつれて、もやのため、視界が悪くなる。えびの高原の登山口に到着する頃には、雨が降ってきた。
登山口で、雨具をつけて登る。)頂上まで1時間半で先ず硫黄山登山口へ。急登をしのぎ、頂上が近づくにつれ、より視界が悪く、頂上の三角点(1700m)に立っても頂上征服の感じがまったくしない。「頂上からの展望は実に素晴らしく、とくに美しい円錐形をした高千穂の峰が見事。大浪池の神秘的な輝きも目に焼き付けたいものだ」とガイドブックに書いてあったので期待して登ったのに何も見えずサッパリだった。でも、登山では悪天候もあって当たり前だ。次回を楽しみにしょう。
すぐに、高千穂河原を目指して、降り始めたが、ぬかるみの急坂の下りですべってスベッテまいった。獅子戸岳(1429m)を過ぎ新燃岳(1420m)に来ると風が強くなり、火口壁から落ちないように気をつけて歩く。中岳を過ぎた頃より急坂の下りになり、樹林帯に入り、長い長い道のりを歩いてやっと高千穂河原へ到着。すぐに、目的地の鹿児島市へ。そして、駅前のビジネスホテルで宿泊。
今日一日 悪天候のため、登山の様子の写真は良い物ナシ。
実際に自分自身も登った山はわからないので、天気が良ければどんな山かを知りたくて絵はがきを写真に撮った。
三日目
6:30にホテルを出る。鹿児島駅構内の食堂で朝食をとり、弁当を買い、列車で山川駅へ。バスで開聞岳の登山口へ。登山開始、10:00。初めは、展望がきかない道だ。高度を上げてくると視界がきかない霧の中を歩く。5合目あたりで一瞬、霧が晴れ、長崎鼻が見えた。歓声をあげて喜んだが無情にも霧の中に、消えた。7合目あたりから、佐多岬から屋久島等が見えると書いていたのでそれを信じ霧の晴れるのを待ったが駄目だった。岩場の難所を過ぎ、丁度島をらせん状に一周すると頂上(922m)。頂上直下の急登はきつかった。12:30着。昼食後、頂上発13:00。登山口着、15:00。 徒歩で開聞駅へ(16:00)。そして、列者で指宿駅へ。宿舎について風呂に入り、夕食の料理が揃う前にビ-ルのジョッキを一息に。
四日目
4:00に起床し、月食の観測。こんな九州の最南端で偶然観察することができるなんてラッキ-だった。
一度、宿舎に帰り、しばらく待って、5:30より、海から上がる日の出の写真撮影に出かけた。 天気も良かったので何枚も撮った。
朝食後、宿舎を出て、有名な指宿の砂風呂の体験をした。
天気が良いので、昨日登った開聞岳の写真撮影に長崎鼻などへ。 鹿児島に戻り、維新博物館の見学。
鹿児島駅より開通間もない新幹線とリレ-つばめ(超豪華な設備と接客)で博多へ。そして、新幹線で大阪へ。
K氏S氏M氏と冬の上高地へ
二日目
前日の夜行バスで平湯へ。4時半着。まだ早く暗いので5時半まで寝る。
6時半出発。防寒用具をしっかり着け、初めはスノ-シュ-を持って釜トンネルの入り口まで行く。
釜トンネルから奥へは4月下旬まで、車は一切通行止めである。
したがって、ここから上高地の駐車場までの車道は、歩行者天国である。
それも、人通りの少ない歩行者天国である。
釜トンネルの入り口の周辺は、でっかいツララが垂れ下がって見事である。
下の道は、部分的に凍っていて、ヘットランプで照らしながら、歩かないと滑って危険だ。
歩けば長く感じたトンネルを抜け出ると山々は真っ白な布を被せたように真っ白だ。
道は、勿論雪が積もっていて、それが凍てているので始末が悪い。
スノ-シュ-をうまく、しっかり使わないと危険だ。
焼岳も見えてきた。
噴煙が上がっているかどうかはここからは定かでない。
大正池で休憩。
焼岳が間近にせまってきて我々を覆いかぶさるようである。
噴煙もかすかに見える。
大正池に映える写真を何枚か撮影した。
ここで、河童橋まで、行く者とこの周辺で散策する者とに分かれる。
我々は河童橋まで行くことにした。
この後、ガイドさんは普段通ることの出来ない所(すべて雪に覆われているので、川さえ気をつければ良い。)を通って案内してくれた。
人が通っていない所なので足が深く入り込み、厄介だ。
河童橋で時間をゆっくりとるということでピッチをあげる。
穂高もだんだん近づいてきた。
色づいた柳の木が並んでいる梓川の堤防を歩いていくと河童橋に到着。
シ-ズンの河童橋の上は、人が一杯だが今は我々の仲間だけだ。 ゆっくりと写真を撮ることができるので、麓から頂上まで真っ白な穂高の写真を何枚も撮った。
橋の近くのみやげ物店の一階部分は完全に雪の中。
私達は二階の部分と同じ高さに立っている。
帰路は帝国ホテルの前を通ったがあとは殆んど同じような道を通って帰る。
帰りに「平湯」に寄り、温泉で汗を流した。勿論、ビ-ルで水分補給を。
夜22:00、帰宅。
2004年5月2~5日
K氏M氏と霧島山縦走と開聞岳へ。
二日目
前日の夜行列車で大阪を発ち、宮崎駅へ。途中、車のハプニングがあつたが、登山口へ向かう。天気は悪く、山に入るにつれて、もやのため、視界が悪くなる。えびの高原の登山口に到着する頃には、雨が降ってきた。
登山口で、雨具をつけて登る。)頂上まで1時間半で先ず硫黄山登山口へ。急登をしのぎ、頂上が近づくにつれ、より視界が悪く、頂上の三角点(1700m)に立っても頂上征服の感じがまったくしない。「頂上からの展望は実に素晴らしく、とくに美しい円錐形をした高千穂の峰が見事。大浪池の神秘的な輝きも目に焼き付けたいものだ」とガイドブックに書いてあったので期待して登ったのに何も見えずサッパリだった。でも、登山では悪天候もあって当たり前だ。次回を楽しみにしょう。
すぐに、高千穂河原を目指して、降り始めたが、ぬかるみの急坂の下りですべってスベッテまいった。獅子戸岳(1429m)を過ぎ新燃岳(1420m)に来ると風が強くなり、火口壁から落ちないように気をつけて歩く。中岳を過ぎた頃より急坂の下りになり、樹林帯に入り、長い長い道のりを歩いてやっと高千穂河原へ到着。すぐに、目的地の鹿児島市へ。そして、駅前のビジネスホテルで宿泊。
今日一日 悪天候のため、登山の様子の写真は良い物ナシ。
実際に自分自身も登った山はわからないので、天気が良ければどんな山かを知りたくて絵はがきを写真に撮った。
三日目
6:30にホテルを出る。鹿児島駅構内の食堂で朝食をとり、弁当を買い、列車で山川駅へ。バスで開聞岳の登山口へ。登山開始、10:00。初めは、展望がきかない道だ。高度を上げてくると視界がきかない霧の中を歩く。5合目あたりで一瞬、霧が晴れ、長崎鼻が見えた。歓声をあげて喜んだが無情にも霧の中に、消えた。7合目あたりから、佐多岬から屋久島等が見えると書いていたのでそれを信じ霧の晴れるのを待ったが駄目だった。岩場の難所を過ぎ、丁度島をらせん状に一周すると頂上(922m)。頂上直下の急登はきつかった。12:30着。昼食後、頂上発13:00。登山口着、15:00。 徒歩で開聞駅へ(16:00)。そして、列者で指宿駅へ。宿舎について風呂に入り、夕食の料理が揃う前にビ-ルのジョッキを一息に。
四日目
4:00に起床し、月食の観測。こんな九州の最南端で偶然観察することができるなんてラッキ-だった。
一度、宿舎に帰り、しばらく待って、5:30より、海から上がる日の出の写真撮影に出かけた。 天気も良かったので何枚も撮った。
朝食後、宿舎を出て、有名な指宿の砂風呂の体験をした。
天気が良いので、昨日登った開聞岳の写真撮影に長崎鼻などへ。 鹿児島に戻り、維新博物館の見学。
鹿児島駅より開通間もない新幹線とリレ-つばめ(超豪華な設備と接客)で博多へ。そして、新幹線で大阪へ。