2010年02月01日
私の足跡 51 四国遍路 讃岐の国 83~88
讃 岐 の 国 (涅槃の道場)
第 9 回 (最終回) 11月17日 ~ 11月21日
第一日
地元の橋本市内のコンビ二で買った高松までのバスの往復切符(7000円)を持って南海難波へ。
難波発 7:25 高松着 10:47
琴電「いちのみや」を昼前に出発し、大きな一ノ宮の「田村神社」傍の「一宮寺」にお参りする。今回の最初の寺なので お経も丁寧に。
参拝後、昼食に名物のうどんをと思って来たが、ラ-メン屋になっていたので牛丼屋へ。
後は、13km先の「屋島駅」までを歩くだけ。
本日の宿舎は割引券のつく「讃岐会館」 従って、「屋島駅」から「栗林公園北口」へ戻る。栗林公園は度々寄っているので今回はやめてゆっくりする。
いろいろ交渉して、安くしてもらい、買い込んだ食料と般若湯をゆっくり食す。
第二日
5;45発の列車に乗る。早朝なので空いていた。
約10分で「屋島駅」へ。 早速、屋島寺へ向け歩きだす。夜明け直前で家の光も見える。山もはっきりと見えない。 途中、人家が少なくなる頃より近くの人達のウォ-キングをしている人に出会う。どんどん多くなりビックリ。
ウォ-キングの人たちと話しながら歩く。おばさんの話では 福島県のおじさんが遍路をしているが農作業で使う車を運転して回っていたのでビックリしたと言っていた。約10日程前と言っていたので私は目にすることはできない。残念。
丁石が多く残っていた。享保18年と書かれた文字が見えた。
最後の急な坂を上ると「屋島寺」に到着。いつものように線香・ロ-ソクをつけ、納経・納め札と賽銭を入れ、お経をあげお参りする。
印象深い寺で細かい所まで覚えていた。
お寺近くで、ボランティアガイドをしている人と出会い、いろいろ話を聞く。
瀬戸内海の見える所に立つと、次の「八栗寺」が頂上の下によく見えた。約300mの所から一旦海抜0mまで降り、また、230mまで上がることになる。それに、橋がないのでずっと右(見えない)に回らなければならないと聞きガックリ。
最初の降り口を探すのに時間のロス。下り始めるとすごく厳しい厳しい下り坂。次の遍路宿で遍路さんたちとも四国一険しい下り坂だったねと話し合った。そして、下った所に遍路さんの休憩所があり、そこでのお接待のみかんの美味しかったことも話題になる。ほんとうに有難うございました。感謝・感謝。
「八栗寺」への途中、四国遍路を最初にしたという真念さんのお墓があった。
途中より「うどん本陣 小田家」の看板が何度も目にするうちに、食べたくなる。朝早く、パンを食べただけなので、お腹も空いていたので入って食す。(11時頃だったので、この日は2時ごろもう一度セルフのうどん屋に寄って、名物の美味しい讃岐のうどんに満足。)
「八栗寺」へのケ-ブルがあったが 歩く人が多かった。勿論私も歩く。
長い長い坂道を登るとやっと紅葉の「八栗寺」が見えてきた。そして、鳥居の向こうにお寺の山門が見え、両方をくぐってお参りをする。(神仏習合)
「八栗寺」から帰りから 遍路さんに追いついたが追いつ追われつで「志度寺」の近くまで。
平賀源内さんの遺品館・旧邸・お墓等をゆっくり見学。
「志度寺」は工事中で落ち着きがなかった。母・娘がお参りしていて娘の作ったクッキ-と言い、お接待として頂く。そして、クッキ-の入った袋の裏に「気をつけてお参りをして満願して下さい。」と書いてくれていた。ほんとうに、大勢の人に応援してもらっているのだなあと思い感謝し、母・娘に深く頭を下げた。
後は、約7km先の長尾寺まで歩くだけだ。車の通る平坦な道をもくもくと歩く。
4時すぎ、「長尾寺」に到着。(左上は志度寺)参拝後、遍路宿「ながお路」へ。私等は別館で新しくて良かった。
早かったので早速洗濯をする。食事済むまで乾燥も全て終わる。
食事は道を挟んで本館だった。
結願の前日で、みんなも心が高ぶり、般若湯も多くなり、今までの最高の賑わいとなる。大女将も気配りのある人で皆を盛り上げてくれた。
各自、部屋に帰り、明日の出発の準備をする。
第三日
女将さんも心得たもので、朝食を6時にしてくれた。
朝食は 各自そそくさと済ませ、各自出発。私もほどほどに6時20分頃に出発。
出発はバラバラだったが、ダム湖の近くの交流サロンで殆んど一緒になる。[四国遍路1200km完歩証]をもらう。
ここで、(A)車の通る道に沿っていくか、(B)標高774mの女体山を越える遍路道にするか二手に分かれる。私は以前(A)を通っているので迷わず(B)にする。(B)を行くのは私以外には一組だけだった。(皆はハ-ドだからと避けた)
私以外の一組は 私より一回りも若いので私は先発する。田和神社経由で行く。太郎兵衛館は廃屋同然だった。(標高約500m)いよいよ、道も険しくなる。誰にも出会わず不安になる。最後は緊張する所もあった。そこを過ぎるとやっと女体山頂上。(標高774m)小さな祠があり、そこから約600m下を俯瞰した景色は最高だった。しばらく、休憩していると人の気配がしたので出発した。
ここからは、約350m下の大窪寺まで下ることになる。途中、大窪寺の奥の院にも寄る。
紅葉の見事な大窪寺着、12時20分。 ホットして、お参りしていると何人かに「歩き遍路結願お疲れさんでした」と声をかけてもらい嬉しく良かったと心から思った。 自分を褒めてやるための昼食をする。私の後を来た二人組も服装を着替えてバスを待っていた。彼等は この大窪寺で結願にする。私は一番霊場「霊山寺」まで行くため、すぐに徳島へ向け約10km先の白鳥温泉に向け出発。
約5kmいった所で、車の道を行くか、標高差約100mの峠の遍路道があって迷ったが、やはり、遍路道だと決めた。しかし、山の中に入るにつれて荒れ放題の道になり、戻ろうかと迷ったが草や倒木を掻き分け峠を越え、人家の見える所に来てホットする。
そこで、遍路さん(岡山のTさん)と出会い、宿泊地が近いので共に歩く。
白鳥温泉は 以前国民宿舎であったようだ。温泉には近在の人がマイカ-で入浴に来ていた。
食事は夜だけ頼んでいたが、風呂も食事も良かった。
第四日
朝早く起き、6時過ぎに出発。約30km先の一番霊場「霊山寺」まで歩く。天気も曇り空でピッチを上げて歩く。予定通り、14時30分ぐらいに「霊山寺」に着き、無事88ヶ寺を回れたことのお礼を言い、開経文からの丁寧なお参りをした。車での遍路さんの中から何人かが、歩いて回られたんですかと聞き「お疲れさん。大変だったでしょう」と声をかけてくれたので疲れも吹っ飛ぶ気持ちでした。そして、バス停に行く途中の手前に先の大戦での悲しい遺跡(ドイツとのかかわりのある公園)を通る時 犠牲者のご冥福を祈り、バス停・高速鳴門西より、15:43発のバスに乗る。
これで、念願であったが長い長い 1200kmの遍路道を歩き通せたのも、弘法大師を初め、四国の人達、家族のお陰と感謝して思っている。
(歩き終えての気持ちは 後日書くことにする。私の足跡 53)
、 今回の歩行記録
第一日 白線 一宮寺 屋島駅 約12km
第二日 赤線 屋島駅・屋島寺・八栗寺・志度寺・長尾寺 約32km
第三日 緑線 長尾寺・大窪寺・白鳥温泉 約22km
第四日 黄線 白鳥温泉・大窪寺・鳴門西停留所 約32km
。
第 9 回 (最終回) 11月17日 ~ 11月21日
第一日
地元の橋本市内のコンビ二で買った高松までのバスの往復切符(7000円)を持って南海難波へ。
難波発 7:25 高松着 10:47
琴電「いちのみや」を昼前に出発し、大きな一ノ宮の「田村神社」傍の「一宮寺」にお参りする。今回の最初の寺なので お経も丁寧に。
参拝後、昼食に名物のうどんをと思って来たが、ラ-メン屋になっていたので牛丼屋へ。
後は、13km先の「屋島駅」までを歩くだけ。
本日の宿舎は割引券のつく「讃岐会館」 従って、「屋島駅」から「栗林公園北口」へ戻る。栗林公園は度々寄っているので今回はやめてゆっくりする。
いろいろ交渉して、安くしてもらい、買い込んだ食料と般若湯をゆっくり食す。
第二日
5;45発の列車に乗る。早朝なので空いていた。
約10分で「屋島駅」へ。 早速、屋島寺へ向け歩きだす。夜明け直前で家の光も見える。山もはっきりと見えない。 途中、人家が少なくなる頃より近くの人達のウォ-キングをしている人に出会う。どんどん多くなりビックリ。
ウォ-キングの人たちと話しながら歩く。おばさんの話では 福島県のおじさんが遍路をしているが農作業で使う車を運転して回っていたのでビックリしたと言っていた。約10日程前と言っていたので私は目にすることはできない。残念。
丁石が多く残っていた。享保18年と書かれた文字が見えた。
最後の急な坂を上ると「屋島寺」に到着。いつものように線香・ロ-ソクをつけ、納経・納め札と賽銭を入れ、お経をあげお参りする。
印象深い寺で細かい所まで覚えていた。
お寺近くで、ボランティアガイドをしている人と出会い、いろいろ話を聞く。
瀬戸内海の見える所に立つと、次の「八栗寺」が頂上の下によく見えた。約300mの所から一旦海抜0mまで降り、また、230mまで上がることになる。それに、橋がないのでずっと右(見えない)に回らなければならないと聞きガックリ。
最初の降り口を探すのに時間のロス。下り始めるとすごく厳しい厳しい下り坂。次の遍路宿で遍路さんたちとも四国一険しい下り坂だったねと話し合った。そして、下った所に遍路さんの休憩所があり、そこでのお接待のみかんの美味しかったことも話題になる。ほんとうに有難うございました。感謝・感謝。
「八栗寺」への途中、四国遍路を最初にしたという真念さんのお墓があった。
途中より「うどん本陣 小田家」の看板が何度も目にするうちに、食べたくなる。朝早く、パンを食べただけなので、お腹も空いていたので入って食す。(11時頃だったので、この日は2時ごろもう一度セルフのうどん屋に寄って、名物の美味しい讃岐のうどんに満足。)
「八栗寺」へのケ-ブルがあったが 歩く人が多かった。勿論私も歩く。
長い長い坂道を登るとやっと紅葉の「八栗寺」が見えてきた。そして、鳥居の向こうにお寺の山門が見え、両方をくぐってお参りをする。(神仏習合)
「八栗寺」から帰りから 遍路さんに追いついたが追いつ追われつで「志度寺」の近くまで。
平賀源内さんの遺品館・旧邸・お墓等をゆっくり見学。
「志度寺」は工事中で落ち着きがなかった。母・娘がお参りしていて娘の作ったクッキ-と言い、お接待として頂く。そして、クッキ-の入った袋の裏に「気をつけてお参りをして満願して下さい。」と書いてくれていた。ほんとうに、大勢の人に応援してもらっているのだなあと思い感謝し、母・娘に深く頭を下げた。
後は、約7km先の長尾寺まで歩くだけだ。車の通る平坦な道をもくもくと歩く。
4時すぎ、「長尾寺」に到着。(左上は志度寺)参拝後、遍路宿「ながお路」へ。私等は別館で新しくて良かった。
早かったので早速洗濯をする。食事済むまで乾燥も全て終わる。
食事は道を挟んで本館だった。
結願の前日で、みんなも心が高ぶり、般若湯も多くなり、今までの最高の賑わいとなる。大女将も気配りのある人で皆を盛り上げてくれた。
各自、部屋に帰り、明日の出発の準備をする。
第三日
女将さんも心得たもので、朝食を6時にしてくれた。
朝食は 各自そそくさと済ませ、各自出発。私もほどほどに6時20分頃に出発。
出発はバラバラだったが、ダム湖の近くの交流サロンで殆んど一緒になる。[四国遍路1200km完歩証]をもらう。
ここで、(A)車の通る道に沿っていくか、(B)標高774mの女体山を越える遍路道にするか二手に分かれる。私は以前(A)を通っているので迷わず(B)にする。(B)を行くのは私以外には一組だけだった。(皆はハ-ドだからと避けた)
私以外の一組は 私より一回りも若いので私は先発する。田和神社経由で行く。太郎兵衛館は廃屋同然だった。(標高約500m)いよいよ、道も険しくなる。誰にも出会わず不安になる。最後は緊張する所もあった。そこを過ぎるとやっと女体山頂上。(標高774m)小さな祠があり、そこから約600m下を俯瞰した景色は最高だった。しばらく、休憩していると人の気配がしたので出発した。
ここからは、約350m下の大窪寺まで下ることになる。途中、大窪寺の奥の院にも寄る。
紅葉の見事な大窪寺着、12時20分。 ホットして、お参りしていると何人かに「歩き遍路結願お疲れさんでした」と声をかけてもらい嬉しく良かったと心から思った。 自分を褒めてやるための昼食をする。私の後を来た二人組も服装を着替えてバスを待っていた。彼等は この大窪寺で結願にする。私は一番霊場「霊山寺」まで行くため、すぐに徳島へ向け約10km先の白鳥温泉に向け出発。
約5kmいった所で、車の道を行くか、標高差約100mの峠の遍路道があって迷ったが、やはり、遍路道だと決めた。しかし、山の中に入るにつれて荒れ放題の道になり、戻ろうかと迷ったが草や倒木を掻き分け峠を越え、人家の見える所に来てホットする。
そこで、遍路さん(岡山のTさん)と出会い、宿泊地が近いので共に歩く。
白鳥温泉は 以前国民宿舎であったようだ。温泉には近在の人がマイカ-で入浴に来ていた。
食事は夜だけ頼んでいたが、風呂も食事も良かった。
第四日
朝早く起き、6時過ぎに出発。約30km先の一番霊場「霊山寺」まで歩く。天気も曇り空でピッチを上げて歩く。予定通り、14時30分ぐらいに「霊山寺」に着き、無事88ヶ寺を回れたことのお礼を言い、開経文からの丁寧なお参りをした。車での遍路さんの中から何人かが、歩いて回られたんですかと聞き「お疲れさん。大変だったでしょう」と声をかけてくれたので疲れも吹っ飛ぶ気持ちでした。そして、バス停に行く途中の手前に先の大戦での悲しい遺跡(ドイツとのかかわりのある公園)を通る時 犠牲者のご冥福を祈り、バス停・高速鳴門西より、15:43発のバスに乗る。
これで、念願であったが長い長い 1200kmの遍路道を歩き通せたのも、弘法大師を初め、四国の人達、家族のお陰と感謝して思っている。
(歩き終えての気持ちは 後日書くことにする。私の足跡 53)
、 今回の歩行記録
第一日 白線 一宮寺 屋島駅 約12km
第二日 赤線 屋島駅・屋島寺・八栗寺・志度寺・長尾寺 約32km
第三日 緑線 長尾寺・大窪寺・白鳥温泉 約22km
第四日 黄線 白鳥温泉・大窪寺・鳴門西停留所 約32km
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