私の足跡 48 四国遍路 伊予の国 41~51私の足跡 50 四国遍路 讃岐の国 66~82

2010年01月01日

私の足跡 49 四国遍路 伊予の国 52~65

新 年 明 け ま し て

        お め で と う
 
                 ご ざ い ま す


 旧年中は 多くの方々にアクセスして頂き(特に、その数は最近になりどんどん多くなり、始めてからの2年間の最高は昨年の12月で一ヶ月に385) 感謝しています。
 本年もよろしく 御願いいたします。
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  愛 媛 県  (菩提の道場)  
 
 第七回   52~65番
 
      10月11~16日     
 


 前日の11日の23:10発の松山行の夜行バスに乗る。連休の中日(なかび)だったので客が多く、増発して2台のバスだったが超満員だった。何時ものように23:10までの待ち時間が長かった。乗ればユッタリしていて窓際でよく眠れた。 


  第二日目

 予定通り、6:00に松山市駅に着く。しばらく待って電車でみつはまへ。
 そして、歩き始める。途中で、地図を見て道を調べているとある男性が私の遍路姿を見て、「太山寺なら途中まで行くから一緒に行きましょう」と言われ、共に歩く。この付近のことや仕事のことなどいろいろ話しながら歩く。楽しい一時を過ごさせてもらった。感謝。感謝。
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 アット言う間に太山寺に到着。寺の約1Km手前に「一ノ門」があった。今回の最初の寺なので開経文から始め、丁寧にお参りをする。
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 続いて 53番さんの円明寺までは 約3Km弱ですぐに到着。 ここから本日の目的地「大西」までは 約30Km。約10Km先の本日の宿泊地「ユ-スホステル」に荷物を預け、荷物を最小限にして歩く。
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   左手に海を見ながらの道を進む。

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 途中、瓦の町「菊間町」では瓦の灯篭があった。近くの接待所で休憩させてもらう。 予定時刻に「大西」に到着。そして、列車で「ユ-スホステル」に帰り(6;00頃)、買い込んだ飲食物をお腹に入れ、睡眠。36

 第三日目

 「ユ-スホステル」を 出て、一番列車で昨日の「大西」へ。そして、徒歩で約4Km先の54番「延命寺」へ。そして、約4Km先の「南光坊」へ。お参り後、九州からの歩き遍路夫婦と話をしていると一組の子どもを連れた遍路家族がきた。何気なく、「家族一緒でいいですね」と言うと「とんでもない、先日この子たちの父が急死したのでお参りしているんです」との話。悪いことを聞いたと反省し、四国参りには いろんな事情のある人がいると再度思った。

 ここ「南光坊」で、堺のHさんという歩き遍路さんに出会う。参拝後、休憩していると、伯方から来たという車椅子を押した母娘がいた。そして、私たちに「歩いてお参りしているんですか」と聞き、「母がお大師さんを信仰しているが、もう自分は歩けないので何かに使ってください。お接待です」と言い、大金をいただく。私たちは有難く頂く。そして、お名前を聞き、その後の賽銭として使い彼女の健康とご多幸を祈ることにした。
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 そして、堺のHさんと泰山寺・榮福寺・仙遊寺へと共に歩く。特に心に残ったのは「四国遍路無縁墓地」です。無縁墓地は 遍路道のあちこちにまつられているがこんなに多くがあるのは珍しい。無念にも、四国遍路を歩き終えなかった遍路さんのご冥福を祈った

 仙遊寺への途中、悲しい話のある犬の塚の傍を通りお寺へ。

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 ここより、車道と別れ、山門をくぐり、舗装のない約2Kmの遍路道になる。
 最後の急坂の遍路道には暑くてまいったが、汗ビッショリで仙遊寺に到着。
 Hさんは仙遊寺で宿泊するのでそこから一人歩きとなる。
 先ほどの急坂の遍路道の途中に弘法大師お加持水と伝えられる井戸がある。この霊水は、多くの村人の諸病から救ったと伝えられている。その大師水でのどを潤し、元気づく。
 国分寺へお参り後、4000円の補助券が使用できる「休暇村瀬戸内東予」へ。立派な建物で遍路は私一人だけ。歩き遍路だと知り、宿泊料を割り引いてくれた。入浴後、洗濯をする。夕食は豪華なバイキングで満足する。部屋はツインを一人で使わせてもらう。



 第四日目

 6:00に歩き始め、先輩遍路の言うとおり伊予小松へ向かう。
 
 そして、伊予小松駅前の「ビジネス旅館小松」に荷物を預け、香園寺へ参拝した。そして、「大頭」経由で横峰寺へ。約11Kmは舗装した道で淡々とした道だった。img20091212.jpgimg20091211_7.jpg














  予定していた通り、秋祭りの最中だった。(この後、何度も山車を曳いた場面に遭遇する) その山車の責任者はその山車の話をして記念に写真をというので撮ってもらう。





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 しばらく歩くと舗装した道から別れ、細い未舗装の急坂(約2Km)の遍路道に入る。「丁石」が建っていたので、歩いた道のりが判ったがもくもくと歩くより方法がなかった。ここにも、遍路さんの無縁墓がいくつかあった。
参拝後、大師が修行したといわれる「星ヶ森」へ行き、修行をしていた大師を想像する。
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やっと、山門が見えた時、無事到着とホットする。
 過去、二度この横峰寺に来ているが車に乗りお参りしているので山門をくぐったのは初めてだ。(歩き遍路をしているから、山門をくぐってお参りするというのはよくあることだ。車の道は別の道を通って寺に入ることが多い。)

 
 その後の下りは 登った遍路道とは違え、二回目の一部歩き遍路(登りは車道)で通った道を下ることにした。標高差約700mを約10kmの道のりで下ることになる。前回はツア-で団体だったが、今度は一人なので事故のないようにより慎重に下る。途中、白滝奥の院が見えてホットする。それから、一時間弱で宝寿寺へ。ここで、三日目に仙遊寺で別れたHさんに会う。仙遊寺の食事は良かったが朝の「おつとめ」が長く、出発が遅れたとぼやいていた。私は、荷物をもらい、64番「前神寺」の近くの湯之谷温泉に泊まるため、別れて先を急ぐ。途中「吉祥寺」に参り、続いて、霊峰石鎚山の別当寺として開創された「前神寺」へ参り、湯之谷温泉についたのは6時前だった。
 温泉には、近在の人々が利用していて賑わっていた。いつものように、買い込んだ飲食物を食し、一人部屋で寝る。





 第五日目

 宿舎を5時半に出発。今日は、35km先のY・Hまで頑張る。先ず、伊予西条市へ。さすかに大きな町で賑わっていた。そして、出発後、約23Kmを歩いて、五葉松食堂で昼食の計画だったが廃業していたので一時間後「えひめトラックステ-ション」て゛遅い昼食。祭りの山車で賑やかだった。気温も上がり、歩くのが辛くなる。ピッチも遅くなる。
 残り、5Kmがなかなか進まない。
 ス-パ-で夕食の買い物をして、外に出ると婦人からお接待だと言い、バナナをいただく。
 今日の宿泊はYH新長谷寺。お寺がYHをしているのは珍しいので興味を持って向かった。最後の220段の石段の登りにはまいった。到着、5時過ぎ。建物は新しく立派だが素泊まりだった為か冷たい接待だった。
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 220段の石段を上がったので夜の景色は良かった。  
 買い込んだ飲食物をお腹におさめて、寝る。  

 
 第六日目

 ユ-スホステルを6時前に出て、一路三角寺を目指す。少しでも早く歩き終え、早い列車で帰るため黙々と歩く。三角寺に近づくと坂道も急になる。
img20091211_9.jpgimg20091211_10.jpg 












 やっと、三角寺に到着した。境内には、櫻の花が!  ビックリしたが四季咲き?の櫻とわかる。 
 参拝後、次回の計画では 椿堂迄歩いておかなければ都合が悪いのでがんばり歩き終える。
 そして、予定していたバスで川之江駅へ。
 川之江駅(12:36発)からはJRでジパングの切符(y3,390)を使い、岡山経由で大阪へ。(特急券を使用せず)



  今回の歩行記録

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 第一日目   大阪  -  松山

 第二日目  白線 松山 ~ 大西                36Km

 第三日目  赤線  大西 ~ 休暇村瀬戸内東予     27Km
  
 第四日目  緑線  瀬戸内東予~前神寺          37Km

 第五日目  黄線  前神寺 ~ 新長谷寺          36Km
  
 第六日目  青線  新長谷寺~椿堂-川之江-岡山-大阪  16Km

 




  


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この記事へのコメント

1. Posted by 坊内 正二   2010年01月19日 16:56
早速見ました、素晴らしいです.

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