2009年12月15日
私の足跡 48 四国遍路 伊予の国 41~51
愛 媛 県 (菩提の道場)
第六回 第四十一番 ~ 第五十一番 10月21日 ~ 10月26日まで
今回の歩き遍路に この機会を利用して紅葉の石鎚山へは未だ登っていないので登山計画を入れた。登山道も前回と道を変えて土小屋からにした。紅葉の最も良い時季に登りたいから多くの情報を得て、十月下旬とした。したがって、次回の第七回と順序をかえています。
第一日
宇和島への夜行バスは阪神バスで大阪駅近くのハ-ビスからの発車だ。
前回の帰りに、発車場所の確認と乗車券の購入の為、ハ-ビスに行ってきた。
したがって、当日はゆっくりと大阪駅へ。そして、22:20分発で車中の人となる。
平日なので、空いていてゆったり乗れ、よく眠れた。
宇和島に予定通り、6:40分に到着。早朝の駅前通りは閑散としていた。 宇和島から前回歩いている高光まで列車にのり、そこから龍光寺まで涼しい気候の間にと思い、ピッチを上げ、急ぐ。
龍光寺をお参りした後、遍路道をどこかをある遍路さんに尋ねると「私も行くから一緒に」と言ってくれた。さっそく、話をしながら歩き始める。彼は、東京のAさんで歩き遍路も4回目とのこと。歩き始めると3年前のツア-での「一部歩き遍路」で通った道だと思い出す。(このような事が何箇所かあった。その時はツア-だったので添乗員の後をもくもくと追っかけていただけ)途中、Aさんから龍光寺前の店で買った饅頭だと言って一つ頂く。おいしい饅頭だった。
しばらく歩くと 歯長峠への坂にさしかかる。前方の夫婦の遍路さんに追いつく。Aさんは彼等と遍路としての知り合いだった。その後、4人で急坂を登り歯長峠(480m)に到着。そこから急坂を下った歯長地蔵で昼食。そこへ、軽トラに乗ったおじさんが来てお接待だと言ってミカンを頂く。4人の宿泊地が異なるため出発時間を変える。私は、後20Km程あるので急いで出発。一人なのでピッチを上げて明石寺へ。参拝後も、ピッチを上げて予定の札掛太師へ。薄暗く5時過ぎに到着。予定のバスで伊予大洲の宿舎「ときわ旅館」へ。若夫婦が経営している宿で精一杯頑張っていて感じが良かった。宿泊の自筆の礼状も送ってきた。
買い込んだ食品で食事をし、記録を書き寝る。
第二日
6時半に荷物を持たずに 前日の札掛太師へバスで。そこから、徒歩で宿泊地の伊予大洲へ。ここにも名所・旧跡があったが、急ぐので預けていた荷物を持ち、十夜ヶ橋へ。
(大師が一夜の宿を頼んだが断られここで一夜を過ごしたと言われる所 寒くて辛くて一夜が十夜に感じだという。これ以後 四国では杖を突くのは普通だが、橋の上では突かないようにしているのはこのためです。この絵の上はR56)
そして、古い家並みの残る町として有名な内子町へ。内子の町はタイムスプリットしたような古い家並みの残る町だ。
まだ現役として使用している立派な内子座がある。
和ロ-ソク屋があつたので和ロ-ソク作りを見学した
ハゼの実を煮詰めて木蝋をつくり、それを暖めて素手で重ね塗りのようにしていた。よく使われているロ-ソクとは違い炎も大きく安定して燃えるとの事。以前は 多くの店があったが 今はこの店だけ。
芸術の町らしく、いろんな展示の中にこの絵があった。
ただの絵ではなく、説明板があった。
それには、「古米を使って一粒ひとつぶボンドでくっつけた。
使ったお米は2.6Kで 日数は一ヶ月半」と書いてあった。
本日の宿舎「高橋旅館」へ。途中、一人の遍路にあい、今日はどこでお泊りですかと聞くと彼から「遍路にもいろいろある あなた達とは違う遍路さんもいて宿泊所で寝ない人もいる。遍路とは」とかいろいろ話を聞く。その後、この遍路さんとは松山まで何度か出合ったが互いに話をしなかった。
曽我五郎十郎クビ塚の標識があったが片道20分と書いていたのでやめた。
4時半頃「ふじや旅館」に到着。遅く宿に到着したので、洗濯終了も遅れる。買い込んだ夕食を般若湯と共に食し、TVのない部屋(初めての体験)だったので何時ものように日記を書き、9時には寝てしまった。
第三日
早く寝たのと今日の日程が気がかりで4時前に目覚め、6時過ぎに出発。
今日は、標高200mから標高570mの新真弓トンネルを越え、
標高651mの農祖峠(のうそのとう)を過ぎ、下野尻の集落へ下る行程だ。途中、殆んど人に会わなかったが、ラッキ-なことに道に不安を感じた時に人に会い、助けてもらったりした。また、みかんをもらったりもした。ここ野尻でお接待を受けた冷たい栄養剤の入った飲み物の美味しかったこと 感謝・感謝。
久万町の「おもご旅館」へは、11時過ぎに到着。荷物を預け、昼食を摂り、岩屋寺へ。大きな荷物が背中になく軽ザックだけなのでどんどんピッチを上げる。八丁坂を登り、セリ割り禅定の傍を通り、岩屋寺の参拝。その後、出発前からの計画では 参拝後本堂横の梯子や穴禅定は前回済んでいる。残るは弘法大師が修行したといわれる「セリ割り禅定」の修行だけだ。納経所で入り口の「鍵」を借り、禅定へ。
多くの不動明王の一つ一つに納め札を納めてお祈りする。
そして、禅定の入り口へ。
運よく、通りかかった遍路の人にカメラのシャッタ-を押してもらい、写真を。
その後、一人だけなので事故が起こらないように慎重に進む。(事故があっても勿論自己責任だ。)
ロ-プを使い登り、次は鎖を使い登り、
最後は梯子を使い不動明王(白山権現)の祀った頂上へ。絶景の景色。ここに仙人が住んでいたが大師に帰依した所らしい。大師はこの寺を開基し修行したらしい。
その後、久万町の旅館へ急いで引き返す。食料を買い込み旅館着、6時前。
買い込んだ食事を般若湯と一緒に食して、いつものように、その日の記録を書き、日本シリ-ズを見て寝る。
第四日
9時過ぎのバス発車迄の時間に「大宝寺」へ 参拝。
その後、弘法大師 空海が修行したと言われる 石鎚山登山へ。 後日 記します。
登山の部の「四国の山」を見てください。
第五日
</大 6時半に出発。途中、桃季庵の傍の遍路道で道を間違え約20分のロス。
三坂峠でバスを降りた遍路さんに途中追い越される。
途中、坂本屋で追い越した遍路さんが接待を受けていたので私も甘えてコ-ヒ-や果物をいただく。お接待はほんとうに有難いことだ。>
そこへ、何という巡り会わせか。第一目に出会い饅頭をもらった東京のAさんが降りてきた。お大師さんの慈悲で会わせてくれたと互いに喜んだ。その後約2時間行動を共にして「浄瑠璃寺」で別れる。彼は「西林寺」迄行き、この寺の近くにある「長珍屋」で泊まるらしい。
私の一人歩きが始まる。次の「八坂寺」でバスで降りた遍路さんに会い、行動を共にする。歩き遍路2回目で北九州のEさん。共に話に熱中したのか道に迷って約1時間のロス。途中、昼食を急いで食べ、ピッチを上げる。「西林寺」の手前で「長珍屋」に戻る参拝後の東京のAさんに出会う。
「浄土寺」を参拝後、Eさんはフェリ-の都合で急ぐというので別れて「繁多寺」へ参拝。
その後、「石手寺」の参拝を明日にして松山YHへ。山の中腹にあり、時間がかかったが無事到着。外国人のファミリ-を含め、総数約20人の宿泊客。 風呂には不満が会ったが二人部屋を一人で使用させてもらったし、夕食・朝食も良かった。一人歩きの遍路さんとアルコ-ルで盛り上がった。談話室もあり、パソコンを自由に使わせてくれた。それよりも夜のマスタ-の「気」の話が良かった。自転車で回っている兵庫県の兄さん。北海道からの一人歩きの遍路のお兄さんと感激して聞いた。帰ったら早速友達に話してみると楽しみにして帰った。私も早速、29日の語り部で使い、案内した小学6年生のみんなに喜んでもらう。
第六日
今日は、松山を見学をする日だ。朝食をいただくと
先ず、「石手寺」に参拝後、YHを出て、次回歩き始めた「みつはま駅」まで歩く。途中、お接待として、中年の男性より大金をいただく。ご母堂は弘法大師を信仰していて歩き遍路さんを大切にといつも言っているからだという。ありがたく頂き、次回からの賽銭として、使わせてもらうことにする。
その後、今話題の「坂の上の雲」の舞台になる所の正岡子規の記念館や「坂の上の雲ミュ-ジアム」等の見学。
JRで岡山経由で大阪へ。勿論ジパング倶楽部の3割引を利用。楽しい列車の旅をする。
今回の歩行記録
一日目 大阪 宇和島
二日目 白線 宇和島(高光)龍光寺 伊予大洲 33Km
三日目 赤線 伊予大洲 内子町小田 34Km
四日目 緑線 小田 久万町(岩屋寺往復) 36Km
五日目 石鎚山 登山
六日目 黄線 久万町 松山Y・H 35Km
七日目 松山Y・H 8km 松山 大阪
第六回 第四十一番 ~ 第五十一番 10月21日 ~ 10月26日まで
今回の歩き遍路に この機会を利用して紅葉の石鎚山へは未だ登っていないので登山計画を入れた。登山道も前回と道を変えて土小屋からにした。紅葉の最も良い時季に登りたいから多くの情報を得て、十月下旬とした。したがって、次回の第七回と順序をかえています。
第一日
宇和島への夜行バスは阪神バスで大阪駅近くのハ-ビスからの発車だ。
前回の帰りに、発車場所の確認と乗車券の購入の為、ハ-ビスに行ってきた。
したがって、当日はゆっくりと大阪駅へ。そして、22:20分発で車中の人となる。
平日なので、空いていてゆったり乗れ、よく眠れた。
宇和島に予定通り、6:40分に到着。早朝の駅前通りは閑散としていた。 宇和島から前回歩いている高光まで列車にのり、そこから龍光寺まで涼しい気候の間にと思い、ピッチを上げ、急ぐ。
龍光寺をお参りした後、遍路道をどこかをある遍路さんに尋ねると「私も行くから一緒に」と言ってくれた。さっそく、話をしながら歩き始める。彼は、東京のAさんで歩き遍路も4回目とのこと。歩き始めると3年前のツア-での「一部歩き遍路」で通った道だと思い出す。(このような事が何箇所かあった。その時はツア-だったので添乗員の後をもくもくと追っかけていただけ)途中、Aさんから龍光寺前の店で買った饅頭だと言って一つ頂く。おいしい饅頭だった。
しばらく歩くと 歯長峠への坂にさしかかる。前方の夫婦の遍路さんに追いつく。Aさんは彼等と遍路としての知り合いだった。その後、4人で急坂を登り歯長峠(480m)に到着。そこから急坂を下った歯長地蔵で昼食。そこへ、軽トラに乗ったおじさんが来てお接待だと言ってミカンを頂く。4人の宿泊地が異なるため出発時間を変える。私は、後20Km程あるので急いで出発。一人なのでピッチを上げて明石寺へ。参拝後も、ピッチを上げて予定の札掛太師へ。薄暗く5時過ぎに到着。予定のバスで伊予大洲の宿舎「ときわ旅館」へ。若夫婦が経営している宿で精一杯頑張っていて感じが良かった。宿泊の自筆の礼状も送ってきた。
買い込んだ食品で食事をし、記録を書き寝る。
第二日
6時半に荷物を持たずに 前日の札掛太師へバスで。そこから、徒歩で宿泊地の伊予大洲へ。ここにも名所・旧跡があったが、急ぐので預けていた荷物を持ち、十夜ヶ橋へ。
(大師が一夜の宿を頼んだが断られここで一夜を過ごしたと言われる所 寒くて辛くて一夜が十夜に感じだという。これ以後 四国では杖を突くのは普通だが、橋の上では突かないようにしているのはこのためです。この絵の上はR56)
そして、古い家並みの残る町として有名な内子町へ。内子の町はタイムスプリットしたような古い家並みの残る町だ。
まだ現役として使用している立派な内子座がある。
和ロ-ソク屋があつたので和ロ-ソク作りを見学した
ハゼの実を煮詰めて木蝋をつくり、それを暖めて素手で重ね塗りのようにしていた。よく使われているロ-ソクとは違い炎も大きく安定して燃えるとの事。以前は 多くの店があったが 今はこの店だけ。
芸術の町らしく、いろんな展示の中にこの絵があった。
ただの絵ではなく、説明板があった。
それには、「古米を使って一粒ひとつぶボンドでくっつけた。
使ったお米は2.6Kで 日数は一ヶ月半」と書いてあった。
本日の宿舎「高橋旅館」へ。途中、一人の遍路にあい、今日はどこでお泊りですかと聞くと彼から「遍路にもいろいろある あなた達とは違う遍路さんもいて宿泊所で寝ない人もいる。遍路とは」とかいろいろ話を聞く。その後、この遍路さんとは松山まで何度か出合ったが互いに話をしなかった。
曽我五郎十郎クビ塚の標識があったが片道20分と書いていたのでやめた。
4時半頃「ふじや旅館」に到着。遅く宿に到着したので、洗濯終了も遅れる。買い込んだ夕食を般若湯と共に食し、TVのない部屋(初めての体験)だったので何時ものように日記を書き、9時には寝てしまった。
第三日
早く寝たのと今日の日程が気がかりで4時前に目覚め、6時過ぎに出発。
今日は、標高200mから標高570mの新真弓トンネルを越え、
標高651mの農祖峠(のうそのとう)を過ぎ、下野尻の集落へ下る行程だ。途中、殆んど人に会わなかったが、ラッキ-なことに道に不安を感じた時に人に会い、助けてもらったりした。また、みかんをもらったりもした。ここ野尻でお接待を受けた冷たい栄養剤の入った飲み物の美味しかったこと 感謝・感謝。
久万町の「おもご旅館」へは、11時過ぎに到着。荷物を預け、昼食を摂り、岩屋寺へ。大きな荷物が背中になく軽ザックだけなのでどんどんピッチを上げる。八丁坂を登り、セリ割り禅定の傍を通り、岩屋寺の参拝。その後、出発前からの計画では 参拝後本堂横の梯子や穴禅定は前回済んでいる。残るは弘法大師が修行したといわれる「セリ割り禅定」の修行だけだ。納経所で入り口の「鍵」を借り、禅定へ。
多くの不動明王の一つ一つに納め札を納めてお祈りする。
そして、禅定の入り口へ。
運よく、通りかかった遍路の人にカメラのシャッタ-を押してもらい、写真を。
その後、一人だけなので事故が起こらないように慎重に進む。(事故があっても勿論自己責任だ。)
ロ-プを使い登り、次は鎖を使い登り、
最後は梯子を使い不動明王(白山権現)の祀った頂上へ。絶景の景色。ここに仙人が住んでいたが大師に帰依した所らしい。大師はこの寺を開基し修行したらしい。
その後、久万町の旅館へ急いで引き返す。食料を買い込み旅館着、6時前。
買い込んだ食事を般若湯と一緒に食して、いつものように、その日の記録を書き、日本シリ-ズを見て寝る。
第四日
9時過ぎのバス発車迄の時間に「大宝寺」へ 参拝。
その後、弘法大師 空海が修行したと言われる 石鎚山登山へ。 後日 記します。
登山の部の「四国の山」を見てください。
第五日
</大 6時半に出発。途中、桃季庵の傍の遍路道で道を間違え約20分のロス。
三坂峠でバスを降りた遍路さんに途中追い越される。
途中、坂本屋で追い越した遍路さんが接待を受けていたので私も甘えてコ-ヒ-や果物をいただく。お接待はほんとうに有難いことだ。>
そこへ、何という巡り会わせか。第一目に出会い饅頭をもらった東京のAさんが降りてきた。お大師さんの慈悲で会わせてくれたと互いに喜んだ。その後約2時間行動を共にして「浄瑠璃寺」で別れる。彼は「西林寺」迄行き、この寺の近くにある「長珍屋」で泊まるらしい。
私の一人歩きが始まる。次の「八坂寺」でバスで降りた遍路さんに会い、行動を共にする。歩き遍路2回目で北九州のEさん。共に話に熱中したのか道に迷って約1時間のロス。途中、昼食を急いで食べ、ピッチを上げる。「西林寺」の手前で「長珍屋」に戻る参拝後の東京のAさんに出会う。
「浄土寺」を参拝後、Eさんはフェリ-の都合で急ぐというので別れて「繁多寺」へ参拝。
その後、「石手寺」の参拝を明日にして松山YHへ。山の中腹にあり、時間がかかったが無事到着。外国人のファミリ-を含め、総数約20人の宿泊客。 風呂には不満が会ったが二人部屋を一人で使用させてもらったし、夕食・朝食も良かった。一人歩きの遍路さんとアルコ-ルで盛り上がった。談話室もあり、パソコンを自由に使わせてくれた。それよりも夜のマスタ-の「気」の話が良かった。自転車で回っている兵庫県の兄さん。北海道からの一人歩きの遍路のお兄さんと感激して聞いた。帰ったら早速友達に話してみると楽しみにして帰った。私も早速、29日の語り部で使い、案内した小学6年生のみんなに喜んでもらう。
第六日
今日は、松山を見学をする日だ。朝食をいただくと
先ず、「石手寺」に参拝後、YHを出て、次回歩き始めた「みつはま駅」まで歩く。途中、お接待として、中年の男性より大金をいただく。ご母堂は弘法大師を信仰していて歩き遍路さんを大切にといつも言っているからだという。ありがたく頂き、次回からの賽銭として、使わせてもらうことにする。
その後、今話題の「坂の上の雲」の舞台になる所の正岡子規の記念館や「坂の上の雲ミュ-ジアム」等の見学。
JRで岡山経由で大阪へ。勿論ジパング倶楽部の3割引を利用。楽しい列車の旅をする。
今回の歩行記録
一日目 大阪 宇和島
二日目 白線 宇和島(高光)龍光寺 伊予大洲 33Km
三日目 赤線 伊予大洲 内子町小田 34Km
四日目 緑線 小田 久万町(岩屋寺往復) 36Km
五日目 石鎚山 登山
六日目 黄線 久万町 松山Y・H 35Km
七日目 松山Y・H 8km 松山 大阪