2009年12月01日
私の足跡 47 四国遍路 土佐の国 中村~宇和島
高 知 県 (修行の道場)
第五回 第三十八番 ~ 第四十番 5月26~5月30日まで
第一日
今回は、宿泊地の事等もあり、別の手段を使っての高知入りをする。JRの「ジパング倶楽部」を使う。特急券も新幹線もすべて3割引。バス代と変わらない。今回で高知県を終わる予定だ。
新大阪発 7:50。岡山発 8:51。 子どもに人気のアンパンマン列車。 中村着、13:25。列車の中で昼食を済ませているので早速、歩き始める。
本日は 13Kmを夕方までに歩く予定。四万十川の堤防を歩く。以前、見た時よりは水位が低く、水の綺麗さも落ちたように思う。(後で聞くと日照りが続いているのと水位が低いのは干潮だからだとの話)
小学校の体育の授業で リレ-を複数の教員で指導していた。昔を思い出し、何となく目がいく。京都の大文字山と似た山があった。京都を偲んで始めたのだろう。
新伊豆田トンネルは1600mあり、長くて心配したが、歩道も広く、前方に光が見え、安心して通れた。トンネルを出てすぐに市野瀬集落があり、明日通る道があった。本日の宿舎「安宿」に五時半に到着。六時半より、夕食。夫婦の遍路と三人だけ。私は二階で六畳一間を借りる。勿論一人部屋。主人はよく話をする。靴を楽に履く方法。足にマメが出ない方法。濡れた靴を乾かす方法等を教えてもらう。
夜、TVを見て、早く寝る。明日の天気は良くないとのこと。
第二日
六時より朝食。不要な荷物を預け、すぐに出発。雨はまだだが今にも降りそう。一時間もしない頃から降り始める。雨具をつけようとした所で遍路に出会う。共に歩いていると彼の仲間とも会う。三人は 昨日から行動が同じだったらしい。計四人は離れたりくっ付いたりで行動する。道も天気も良く、何も不安がなければ一人歩きにも不安がないが、天気が悪いとか長い遍路道で会う人が少ない所は不安があり、友を求めて歩く遍路が多いということがわかって来た。安全のためには、良いことだ。
雨がひどくなって来たので互いに行動を共にするようになる。
山の中の遍路道は 水は川のように流れている所もある。とにかく、早く足摺岬に到着したい気持ちは四人とも同じです。
本日 27Kmを六時間半で12時半に「三十七番 金剛福寺」に到着。四人でお参りして、近くの食堂で昼食。自分達の歩いた速さに互いにビックリ。話している内にやっと、四人の人柄がわかった。年配のAさんは、70才。東京の人。歩き遍路4回目のベテラン。雨具も独特。さすがと思う。Bさんは無口だが、仏さんの前で持ってきた尺八をふき、奉納していた。スゴイ人で名古屋の人。もう一人のCさんは、新潟の人で 東京から京都までの東海道を歩き、続いて和歌山経由で四国歩きをしているとのこと。これにも、ビックリ。話がはずみ、一時間以上話す。私も街道歩きの3000Kmを目指していることと現在高野町石道の語り部をしていることを話し、高野山へのお礼参りは是非高野町石道を通ってお参りしてもらうよう話す。後、予約している宿舎が四人とも違うので別れる。
私は、雨も止んできたし宿舎が近いので、以前行ったことがあるが時間もあるので海岸を散策して、足摺YHへ。(宿泊費は夜と弁当つきで5000円未満)二階の一室。勿論一人部屋。客は単車で遍路をしているお兄さんと計2人だけ。濡れた衣服・靴の手入れをして寝る。
第三日
今日も4時に起き、5時に出発。殆んど一路昨日歩いた道を北上するだけ。時々、これから「三十七番 金剛福寺」へお参りに行く人と出会う。 。昨日の「安宿」に11時頃に着き、荷物をもらい、本日の宿「清水川荘」を目指す。今日は殆んど一人歩きで昨日の4人歩きがなつかしい。イヤホンから聞こえる音を楽しみに頑張る。昨日の「真念庵」より初めての道になり、新鮮となり、ピッチをあげる。だらだら坂だが標高差120mぐらい上がる。宿舎は三原村のはずれにあり、やっと5時前に到着。近くに遍路小屋があるが宿泊には使用できない。
今日も41Kmを歩き、疲れきったので元気もなく、買い込んだ飲食料を食べて飲んで寝るだけだった。
第四日
今日は、6時に出発。「三十九番 延光寺」「四十番 観自在寺」をお参りして、「ひかりBH」に宿泊する計画だ。
やはり、昨日のハ-ドな日程がこたえたのか身体がだるい。
本日の行程は昨日より楽にしているので助かる。
土佐くろしお鉄道の踏み切りを渡って山の麓にある延光寺にお参りをする。
その後、国道に戻り、2時間ほどで宿毛の町に入る。やはり、宿毛市の中心地で賑やかだ。
約2時間で愛媛県の愛南町に入る。
高知県(修行の道場)を終わり、愛媛県へ(菩提の道場)。
長かった高知県が終わり、ホツトする。
今日は、くもり空で気温も低めで、歩行の調子もよく、距離を稼ぐ。
途中、過去2度回っているので、宿泊した所や休憩した所が思い出し、感慨にふけり、立ち止まったりもする。特に今は亡き兄たちと回った遍路旅は鮮明に記憶に残っている。
また、2度目の遍路の一部を歩くという遍路ツア-で夏の暑い時も寒いときも仲間と共に歩いた時を思い出したりする。
そして、約4時過ぎに観自在寺に到着し、お参りして食料と般若湯を買い込みBHへ。。
第五日
「ひかりBH」を 6時に出発。今日の歩行距離は約45Kmだが最終は22:00発の夜行バスなので時間的に余裕がもてる。
愛南町から峠を越えるか 距離は長いが海岸線の国道を歩くか迷ったが四国の人々の生活を少しでも多く見れるかも知れないと思い、海岸線を歩くことにした。
また、トンネルの多い所が続く。お陰で、昔に比べ、峠越えが減り、楽に回れるようになった。
トンネルにもいろいろあり、古いトンネルだと歩道もなく、狭いためにトラックがくると壁にへばりついて待っていて、生きた心地がしない所もあった。(そのため、徳島県でトンネルを通らず峠を越したこともあった。)
反対にうれしかったのは、新しいトンネルを造り、古いトンネルを修理して、町の人や遍路の歩行に・中学生の自転車通学用に使用していた所もあった。
ここは、古いトンネルはそのまま自動車専用に 歩行者・自転車には新しいトンネルが作られていた。中学生も楽しそうに自転車通学をしていた。(トンネルの名は「風の通る道」そして、傍に「風と一緒に歩いて行こう」と記していた。私も涼しい風を背中に受けて、気分爽快に通らせてもらった。
四国の人は 暖かい心を持ち、元気付けてくれるのは前にも書いたが、子どもたちからもたくさん元気をもらった。それは、大きな声で「あいさつ」をしてくれる事です。こちらも負けずに「ありがとう、頑張ってね。」と大きな声で返している。
ここは、真珠の養殖の村だ。三重県に次いで多い。
真珠の作業は、伊勢の真珠島観光用でよく見ているが、実際に仕事をしている所を見せてもらいたく、橋げたを渡って船の上の作業所へ。親子で貝から真珠を取り出している所だった。気さくな人で話をよくしてくれた。しばらくすると、奥さんも加わり、家内作業だ。
今は、需要がへり、真珠も下り坂だと言っていた。話しているうちにその男性は若い頃 ミカンの産地である和歌山で「ミカン作り」の研究に来ていて、今でも文通のある友達がいるとの事。その友達は私の故郷の近くの人だった。
すごく、親しみやすくなったが相手の仕事にも邪魔をするし、自分も歩かなければないから惜しいが別れる。
国道を歩くことにしたが歩道もあるので 車には安心して歩ける。途中、歩き遍路さんと追いつ・追われつの状態が続く。
四国遍路も国際化が進み、外国人の遍路さんをよく見かけるし、遍路小屋のノ-トに記事を書いているのをたびたび見てきた。標識も英語で
イギリスの青年が自転車で四国を回っている。日本の勉強はしているが日本に来たのは初めてという事。実に好青年だ。
無事に回り、日本に好印象を持って帰れるように祈った。
丁度真ん中の津島の遍路小屋で暑くなって来たので大休止。冷たい水をもらい昼食。お接待をしてくれる人たちとゆっくり話し、約一時間休む。村の人々の好意をありがたく頂く。
この後、時間的にゆとりがあるのでゆっくり歩き、休憩を度々する。
宇和島駅着 5時半頃。時間も早いので次回のことを考え、荷物を預け 次の駅まで(約4Km)歩いてくる。その後、近くを散策し時間を費やし南国の雰囲気を味わう。8時過ぎより食堂に入り、ゆっくり食事をする。9時過ぎに食堂を出て、10時の夜行バスに乗り、翌早朝大阪に。バスは 空いていてぐっすり寝る。
今回 約160Km歩いたが 3ヶ寺にお参りしただけの厳しい遍路だった。
今回の歩行記録
一日目 白線 中村駅 市野瀬集落 「安宿」 13Km
二日目 赤線 「安宿」 足摺岬(金剛福寺) 27Km
三日目 緑線 足摺岬 市野瀬集落 三原村 41Km
四日目 黄線 三原村 延光寺 観自在寺 ホテル 36Km
五日目 青線 ホテル 宇和島 高光 44Km
六日目 宇和島 大阪
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