2009年10月15日
私の足跡 44 四国遍路 阿波の国 17~23
徳 島 県 (発心の道場)
第二回 第十七番 ~ 第二十三番 3月30~4月2日まで
第一日
早朝、難波をバスで7:15出発。二座席を一人で座れ、徳島駅着 9:37
今回から一人歩き遍路が始まる。何か不安もあるが この一人歩きを長い間望んでいたのだ。大好きなお大師さんとも 一緒に歩ける。うれしいことだ。
JRで府中駅へ10:07。前回十八番を打ち終えて乗った駅なので記憶が生々しい。駅を出て、地図を頼りに寺へ向かう。
標識もあるが、不安になり道を尋ねる。予定通りの時刻に最初の寺十七番「井戸寺」に到着。立派な山門。大師にまつわる井戸や清水の伝説は各地にあるが、この寺は伝説がそのまま寺号となっている。井戸の水位は 昔はもっと高かったと近在の古老の話。親しく話してくれた古老とも別れて 出発。
これから、恩山寺へは徳島市内を通って行くか山の中を通るか迷ったが山の中を通ることにする。標識は少なかったので、何度も尋ねながら進む。峠で昼食(12:30)。山の中の古道には、手製の水車や水落としが作ってくれており、心を和ませてくれた。
また、木陰を利用してあちこちに休憩所が作ってくれていた。有難く、利用させてもらう。
ある民家の前の道を通り過ぎてしばらくすると後ろの方から何か声がするので、振り向くと古老の女性だった。手には みかんを3個持ってきて、「お接待をさせてほしい」という。うれしくて、何度も何度もお礼を言う。ミカンの味も良かったがその温かい心に触れて心身ともに元気を頂いた。
また、あるコンビ二でお茶を買うと「ありがとうございます。」の後に「お気をつけて」と言ってくれる店もある。四国の人たちは遍路さんをほんとうに暖かく迎えてくれているのがよくわかり、うれしく、感謝・感謝。
十八番恩山寺着 13:55。大師の母親を思う心と母親の大師を思う心が伝わる寺である。
十九番立江寺着 15:15.関所寺の一つ。「心がけの悪い人は山門から前へ進めない。」という。
途中、孫が全国テニス大会に出場しているので、その試合の結果をメ-ルで確かめながら歩いたので時間がかかり、やっと列車に間に合う。割引券の利用できる「東急イン」(前回も利用したBH)へ。
荷物を置き、急いで吉野川の「シラス漁」の撮影へ。ホテルやバス会社の人々の暖かい親切でスム-スに現地へ。肉眼では幻想的な光景だがそれを写真にするのは難しい。
夕飯を買い込んで ホテルで食事をする。
第二日
ホテルを 6時に出、立江駅を7時 朝の涼しさを利用して、ビッチをあげる。
手前の急登も我慢をして、12時に「お鶴さん」と親しまれている「二十番 鶴林寺」へ。焼山寺につづく遍路泣かせの遍路道も克服。
勝浦川まで下り、標高800mにある「二十一番太龍寺」を目指す。下りで 膝が痛かったが途中一緒になった遍路(へばっていたのか、遍路道なので誰かを待っていたのか)を励ましながらやっと頂上へ。(15:00)(この下りと上りは以前の歩き遍路で経験済み)西の高野山ともいわれ広大な境内。
太龍寺という名の通り、絵天井は 見事な龍の絵が彫られていた。
老木の間に木の枠がある。そこから見える景色がスゴイ。はるか彼方に山が見えるがそれが今日歩いてきた鶴林寺である。この風景を他の遍路さんにも教えてあげると5回来ているが初めてだと言って喜んでくれた。
早速、お寺の許しを得て(自己責任で)、ロ-プを使いながら、舎心ケ嶽に登り、修行している大師の像の所に行く。
19歳の空海が ここ太龍寺の舎心嶽において、虚空像求聞持法の荒行(一日に一万遍から二万遍 虚空像菩薩の真言を唱える)を100日間 山岳修行を行ったと自分自身の書(三教指帰)に記している。
16:20に下り始め、本日の宿泊所「龍山荘」へ。
客は少なく、我々二人と計4名(4名とも一人歩き)だったので各自個室を使わせてもらう。コインランドリ-で洗濯をする。
そして、4名揃っての夕食と朝食。話がはずみ、皆打ち解ける。
管 直人氏が以前反省をこめて四国遍路をして、あちこちの宿泊した宿に何かを残している。
第三日
6時半 宿を出発。出発は 4名とも各自出発。遍路をしている人の掟か何か知らないが 夜はあんなに打ち解けていても あくる日は殆んど一人だ。これが修行者かも知れない。
途中の 大根峠はわずか標高200mと思っていたが意外につらい思いをした。 「二十二番平等寺」へは、8:50。
途中より、海岸沿いか、山よりか迷ったが今後 海岸沿いが多いのでR55号を通ることにした。途中、30分ほどの雨。雨宿りをしたが、車の水はねにはマイッタ。途中、宿の予約を薬王寺周辺(橋本)にする。ここは善人宿で無料で宿泊させてもらう宿だ。こういう遍路宿にはいろいろあるがトイレや風呂で困ることが多い。しかし、この遍路宿は夕食を持ってきて食べさせてくれた。(主人は近くで食堂を経営している)
宿泊者は九州の若者と二人きり。遍路者は老若問わずすぐに打ち解けた。彼は、遍路宿を多く使い 通し遍路をしているようだ。前日は平等寺の近くの遍路宿を使った。宿泊料は要らないが 朝 軽い作業をして来たそうです。いろいろな遍路宿があることがわかった。
時間も早いので荷物を置き、「二十三番薬王寺」へ参ることにする。
階段を上り、本堂からの日和佐の海に映える夕日がとても綺麗だった。明日の事を考え、「山河内」まで歩き、列車で帰る。帰って夕食をいただき、若い遍路さんと語り合う。彼は 考えることがあって遍路をしているとの事等いろいろ話してくれた。
第四日
5時半、まだ寝ている彼を置いて一人で出発。「山河内」から歩き始め、左手に海を見ながらまたトンネルをいくつか越え、鯖大師まで歩く。
途中、接待をしてくれる所があったので甘えて頂く。冷たい飲み物と大好きな和菓子を頂く。近所の皆さんが交代でお接待をしてくれているとの事。感謝・感謝。ここでも三重県の夫婦遍路さんとも知り合う。
鯖太師で 昨夜共に過ごした若者と会う。すぐ別れるのでしばらく歩く。
次回のことを考え、あさかわ駅まで歩く。そこで互いの健康と多幸を祈りあい別れる。私は 近くの食堂で遅い昼食。おじさんは昔大阪で働いていたということで、関西の話で盛り上がる。よいおじさんだった。
列車で徳島へ。そして、バスで難波へ。
今回の歩行記録
一日目 白線 17井戸寺 18恩山寺 19立江寺 たつえ 約27Km
二日目 赤線 たつえ駅 20鶴林寺 21太龍寺 宿舎 約24Km
三日目 緑線 宿舎 22平等寺 23薬王寺 やまがわち 約34Km
四日目 黄線 やまがわち あさかわ まで 約18Km
第二回 第十七番 ~ 第二十三番 3月30~4月2日まで
第一日
早朝、難波をバスで7:15出発。二座席を一人で座れ、徳島駅着 9:37
今回から一人歩き遍路が始まる。何か不安もあるが この一人歩きを長い間望んでいたのだ。大好きなお大師さんとも 一緒に歩ける。うれしいことだ。
JRで府中駅へ10:07。前回十八番を打ち終えて乗った駅なので記憶が生々しい。駅を出て、地図を頼りに寺へ向かう。
標識もあるが、不安になり道を尋ねる。予定通りの時刻に最初の寺十七番「井戸寺」に到着。立派な山門。大師にまつわる井戸や清水の伝説は各地にあるが、この寺は伝説がそのまま寺号となっている。井戸の水位は 昔はもっと高かったと近在の古老の話。親しく話してくれた古老とも別れて 出発。
これから、恩山寺へは徳島市内を通って行くか山の中を通るか迷ったが山の中を通ることにする。標識は少なかったので、何度も尋ねながら進む。峠で昼食(12:30)。山の中の古道には、手製の水車や水落としが作ってくれており、心を和ませてくれた。
また、木陰を利用してあちこちに休憩所が作ってくれていた。有難く、利用させてもらう。
ある民家の前の道を通り過ぎてしばらくすると後ろの方から何か声がするので、振り向くと古老の女性だった。手には みかんを3個持ってきて、「お接待をさせてほしい」という。うれしくて、何度も何度もお礼を言う。ミカンの味も良かったがその温かい心に触れて心身ともに元気を頂いた。
また、あるコンビ二でお茶を買うと「ありがとうございます。」の後に「お気をつけて」と言ってくれる店もある。四国の人たちは遍路さんをほんとうに暖かく迎えてくれているのがよくわかり、うれしく、感謝・感謝。
十八番恩山寺着 13:55。大師の母親を思う心と母親の大師を思う心が伝わる寺である。
十九番立江寺着 15:15.関所寺の一つ。「心がけの悪い人は山門から前へ進めない。」という。
途中、孫が全国テニス大会に出場しているので、その試合の結果をメ-ルで確かめながら歩いたので時間がかかり、やっと列車に間に合う。割引券の利用できる「東急イン」(前回も利用したBH)へ。
荷物を置き、急いで吉野川の「シラス漁」の撮影へ。ホテルやバス会社の人々の暖かい親切でスム-スに現地へ。肉眼では幻想的な光景だがそれを写真にするのは難しい。
夕飯を買い込んで ホテルで食事をする。
第二日
ホテルを 6時に出、立江駅を7時 朝の涼しさを利用して、ビッチをあげる。
手前の急登も我慢をして、12時に「お鶴さん」と親しまれている「二十番 鶴林寺」へ。焼山寺につづく遍路泣かせの遍路道も克服。
勝浦川まで下り、標高800mにある「二十一番太龍寺」を目指す。下りで 膝が痛かったが途中一緒になった遍路(へばっていたのか、遍路道なので誰かを待っていたのか)を励ましながらやっと頂上へ。(15:00)(この下りと上りは以前の歩き遍路で経験済み)西の高野山ともいわれ広大な境内。
太龍寺という名の通り、絵天井は 見事な龍の絵が彫られていた。
老木の間に木の枠がある。そこから見える景色がスゴイ。はるか彼方に山が見えるがそれが今日歩いてきた鶴林寺である。この風景を他の遍路さんにも教えてあげると5回来ているが初めてだと言って喜んでくれた。
早速、お寺の許しを得て(自己責任で)、ロ-プを使いながら、舎心ケ嶽に登り、修行している大師の像の所に行く。
19歳の空海が ここ太龍寺の舎心嶽において、虚空像求聞持法の荒行(一日に一万遍から二万遍 虚空像菩薩の真言を唱える)を100日間 山岳修行を行ったと自分自身の書(三教指帰)に記している。
16:20に下り始め、本日の宿泊所「龍山荘」へ。
客は少なく、我々二人と計4名(4名とも一人歩き)だったので各自個室を使わせてもらう。コインランドリ-で洗濯をする。
そして、4名揃っての夕食と朝食。話がはずみ、皆打ち解ける。
管 直人氏が以前反省をこめて四国遍路をして、あちこちの宿泊した宿に何かを残している。
第三日
6時半 宿を出発。出発は 4名とも各自出発。遍路をしている人の掟か何か知らないが 夜はあんなに打ち解けていても あくる日は殆んど一人だ。これが修行者かも知れない。
途中の 大根峠はわずか標高200mと思っていたが意外につらい思いをした。 「二十二番平等寺」へは、8:50。
途中より、海岸沿いか、山よりか迷ったが今後 海岸沿いが多いのでR55号を通ることにした。途中、30分ほどの雨。雨宿りをしたが、車の水はねにはマイッタ。途中、宿の予約を薬王寺周辺(橋本)にする。ここは善人宿で無料で宿泊させてもらう宿だ。こういう遍路宿にはいろいろあるがトイレや風呂で困ることが多い。しかし、この遍路宿は夕食を持ってきて食べさせてくれた。(主人は近くで食堂を経営している)
宿泊者は九州の若者と二人きり。遍路者は老若問わずすぐに打ち解けた。彼は、遍路宿を多く使い 通し遍路をしているようだ。前日は平等寺の近くの遍路宿を使った。宿泊料は要らないが 朝 軽い作業をして来たそうです。いろいろな遍路宿があることがわかった。
時間も早いので荷物を置き、「二十三番薬王寺」へ参ることにする。
階段を上り、本堂からの日和佐の海に映える夕日がとても綺麗だった。明日の事を考え、「山河内」まで歩き、列車で帰る。帰って夕食をいただき、若い遍路さんと語り合う。彼は 考えることがあって遍路をしているとの事等いろいろ話してくれた。
第四日
5時半、まだ寝ている彼を置いて一人で出発。「山河内」から歩き始め、左手に海を見ながらまたトンネルをいくつか越え、鯖大師まで歩く。
途中、接待をしてくれる所があったので甘えて頂く。冷たい飲み物と大好きな和菓子を頂く。近所の皆さんが交代でお接待をしてくれているとの事。感謝・感謝。ここでも三重県の夫婦遍路さんとも知り合う。
鯖太師で 昨夜共に過ごした若者と会う。すぐ別れるのでしばらく歩く。
次回のことを考え、あさかわ駅まで歩く。そこで互いの健康と多幸を祈りあい別れる。私は 近くの食堂で遅い昼食。おじさんは昔大阪で働いていたということで、関西の話で盛り上がる。よいおじさんだった。
列車で徳島へ。そして、バスで難波へ。
今回の歩行記録
一日目 白線 17井戸寺 18恩山寺 19立江寺 たつえ 約27Km
二日目 赤線 たつえ駅 20鶴林寺 21太龍寺 宿舎 約24Km
三日目 緑線 宿舎 22平等寺 23薬王寺 やまがわち 約34Km
四日目 黄線 やまがわち あさかわ まで 約18Km