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2008年01月30日

私の足跡 2 1948年から1959年

1948年

小学校6年生の時、地元にボーイスカウトが誕生し、私も 即入隊させてもらい野外活動の経験をさせてもらった。zitensha_r.jpg                         
 登山活動はなかつたが、米軍の中古のテントだったが、それを使い キャンプに何度も連れて行ってもらった。
 
booi_r.jpg高学年だったので、班長になり、班だけでの野外活動にも行った。
 大学時代も地元にいたので、指導者の手伝いもし、度々後輩を野外活動に連れて行った。                                            



 このボ-イスカウトの経験が、私の目を山に向けさせてくれた一因と感謝している。




1950年7月
 
 中学1年生の時 先生に仲間6人と大峰山(山上ヶ岳)に連れて行ってもらった。今思うと、下市から懐かしいボンネット型の煙をたくさん出し、音も大きいバスだった。デコボコの地道で、窓を全開にして走ったと思われる。途中 休憩を入れ、3時間以上かけて,洞川に到着したと思われる。長距離バスに乗るのは初めてなので、車外の風景に酔いしれていたので、あっと言う間であった。
 若かったからか登・下山の苦しさ等は記憶に無いが、鐘掛け岩の所で、先達さんが、唱えた後を我々も唱え岩山をよじ登ったのを覚えている。
 また、西の覗きで、先達さんが「親の言うことをよく聞くか」と言った途端身体を崖の下に放り出されたので、恐ろしさのあまり「はい」と言ったのを覚えている。最後に先生も同じようにしてもらっていたので、私たちは最後に「生徒に優しくするか」と聞いてもらうよう先達さんに頼むと先達さんがその通り言った。すると 先生も「はい」と言ったので皆で大笑いした。
 それよりも、強烈に印象に残っているのは、山上の宿舎を早く出、頂上より見せてもらったご来光・さわやかな風・そして朝露に濡れている高山植物の花の美しさだった。                     
                                   この朝の体験が、山上の素晴らしさに惹きつかれて何度も山に登るようになった第一歩だと思っている。

1957年7月

 大学の同期生と二十歳の成人を祝し、富士登山を計画した.先ず、河口湖で宿泊したが、持っていったテントは米軍の中古のため、夜中の雨で雨漏りがあり、眠れなかった。
 翌日は 晴天に恵まれ、バスを乗り継ぎ登山開始。初めは若さにまかせて、他の登山者を追い越し、頂上を極めた。
 頂上は うす曇で視界はよくなかった。気温は低く、寒いのですぐに下山し始めた。若さにまかせ、砂走りを走り降りた。運動靴だったので、靴の中に砂が入り、痛くなるので何度も靴を脱ぎ砂を出しながら降りた記憶がある。
 この旅行は 若さと馬力に任せた登山だった。


1959年7月25~31日

 就職した年、よき先輩MAに遭遇した。早速笠ヶ岳から双六岳・槍ヶ岳を通り、穂高への縦走する計画を企画してくれた。

 二日目
 大阪駅を夜行列車に乗り、高山駅からは一番のバスに乗ったが、夜行列車での睡眠不足で頭を何度もバスの窓に打ちつけながら中尾温泉で降りる。
 笠ヶ岳への急な登り道を黙々と登る。初めての本格的な登山で緊張したが、何とかついていけた。曇っていて、景色はあまり見えなかった。ジュースとお菓子で疲れをとる。荷物の重さがだんだんこたえてくる。3時すぎ、やっと到着。本格的な山小屋で寝るのも初体験.夜行列車の睡眠不足と疲れていたためか、意外によく眠れた。


 三日目
 翌日 天気も回復し始めた。抜戸岳・弓折岳を通る頃より、槍ヶ岳もぼんやりだがよく見えるようになった。双六小屋に泊まる。近くに池もある。
また、周辺には黒百合が咲き乱れ,はい松の海が広がり、素晴らしい。

 四日目
 朝早く目が覚め、朝食まで散策する。朝食を済ますと7時に出発.樅沢岳を通り、千丈沢乗越を過ぎる頃より雨が降り出す。道も険しくなり,痩せた馬の背なので、疲れも多い。12時すぎ槍ヶ岳山荘へ。疲労と寒さでぐったりしていたが、ラジウスで暖かい物をつくり、充分な休養をとる。4時ごろ、雨があがり、眼前に槍の穂先が見えたとき、小屋一杯に歓声が沸き立つ。さすが「槍ヶ岳」、その険しさはスゴイ。これだけ、近くに、こんな大きなものがありながら、天候のため見えないとなれば、遭難の原因になるとつくづく思った。clip_image002.jpg
気の早い者は、早速「槍の穂先」へ登る者もいたが、我々は明朝のご来光を頂上でということで、付近を散策し雄大なアルプスの景観に酔いしれていた。
 さすが、3000mの雲上、セーターを着ていたが、寒くて1時間も外にいられず、小屋の中へ。山日記を書こうとしたが、寒くて手がかじかんで、自分でも読めないくらいの文字であった。
 明日の行動を考え、7時に床につく。





                                                  
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

              
五日目

4時起床、用意が終わると小屋を飛び出す。空には一点の雲も無い快晴。カメラだけを持ち、一番乗りにと思ったがもう20名ほど先にいる。当時、穂先へは登り20分 下り30分と言われ,上りも下りも道は殆んど同じ道だった。
(今は、混雑を避けるため、登りと下りの道を別にし、梯子や鎖を多くしたのでスム-スになった。)
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  槍の穂先からのご来光                           槍の穂先にて     
 
頂上は満員であった。西を見れば我々が昨日歩いてきた西鎌尾根・双六岳が見え、北を見れば烏帽子岳、東を見れば常念岳・富士山が見え、南に目を転ずればこれから歩く穂高岳への山々というように四方八方の山々に酔いしれていると、富士山の方向よりご来光。槍の穂先で歓声が上がった。頂上に上がれず、待っている人に場所を譲るため、名残惜しいが穂先より降りる。
 小屋を7時に出発。緊張する槍・穂高の縦走です。でも大キレットは思ったよりスム-スに通過。
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北穂高岳の滝谷側の絶壁はスゴカッタ。途中 常念岳を見ながらの昼食。にぎり2個,沢庵4切れだけだったが絶景を見ながらなので、美味だった。

 
                              

 後方に槍ヶ岳                                   下方の白い線が梓川
                                                     
       涸沢岳を超え,奥穂高小屋で宿泊。背中の米もすべてなくなり、荷が軽くなる。時間があったので、ゆっくり過ごす。夕食の味噌汁が美味しく、お変わりをする。koya_r_r.jpg



   六日目
  7時に小屋を出て、鎖・梯子を使い奥穂高へ。頂上から、視界に入る景色を脳裏に納めるため、時間をとった。上高地の梓川は白い糸のようだった。
 小屋の赤や青の屋根とあわせると、箱庭のようであつた。
 前穂高へ登る途中、雷鳥親子に励まされ元気をもらった。
 途中、紀美子平・岳沢ヒュッテを通る頃より、急坂のため、膝が痛くなり始める。
  時間がたつが、上高地がなかなか近づいてくれない。やっと、梓川につき、一時間足らずで「山のひだや」へ。
 そこでの一週間ぶりの風呂・そしてビ-ルの味は今でも忘れられない。
 夜、スライドで四季の上高地や山を見せてもらった。

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七日目          

 9時に宿舎を出る。上高地でゆっくりし、久方ぶりに町の雰囲気にひたる。
 5時ごろ松本に着いたが、夜行列車までの時間を映画[鍵]を見て、23時半の夜行列車に乗る。

 今から50年ほど前の話だが、小屋へ荷物を運ぶのは、ヘリコブタ-等でなく、すべて人の力だった。だから、米を持って行くと宿泊代が安くなった。
 田舎育ちの私は、米を持って登った。多い時には、米だけで5㎏近くもあった。最後の日,残った米を渡して、宿泊代を安くしてもらったことが 度々あった。

 この時期、小屋の食事・弁当などは、今の時代に比べると質素だったので、発売間もない『ふりかけ』をよく利用した。
 
 でも、よいこともあった。それは、今ほど登山ブ-ムでなかったので、小屋の宿泊もゆったりしていた。それで山小屋の人達や他の登山者との談笑が多くあったことだ。


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