2020年05月04日
私の足跡 224 カメラを持ってぶらり旅 8
私の足跡224
カメラを持ってぶらり旅 8
前回の冬の日本海の旅の続きです。
次は 独特な妖怪で有名な水木しげるの博物館と周辺のロードへ。
1922年3月8日大阪市で生まれ。鳥取県境港市で育つ。
太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受
け左腕を失う。
復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「日本妖怪大全」「河童の三平」
「悪魔くん」など。
2015年11月30日 死去。
お馴染みの妖怪の絵がびっしりと展示され、外に出ると道端にも妖怪が並んでいた。
次は江島大橋へ。
島根県側より撮影
鳥取県側より撮影
(上の2枚の写真は 傾斜が急な坂になるように撮影している)
島根県松江市八束町から鳥取県境港市渡町へ中海をまたいで結ぶ、日本一のPCラーメン橋。全長1,446.2メートルで、5千トン級の船が下を通れるよう最上部は高さ約45メートルに達する。松江市側の勾配が高く、橋の横から見ると、よくわかる。
通称「ベタ踏み坂」と呼ばれている坂は、正式名称を「江島大橋」といいます。某自動車のCMに登場し、それ以来観光スポットになっているそうです。アクセル全開=べた踏みということで、「べた踏み坂」といわれています。
横から撮影。
最後に足立美術館館に寄る。
地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう、1899年 - 1990年)が1970年(昭和45年)、71歳のときに開館したものである。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、足立コレクションの柱となっている。
足立全康は裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげたが、その絵画収集にかける情熱は並外れたものであったらしく、数々の逸話が残されている。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む「北沢コレクション」を1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名である。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園である。庭園は 全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたという。 専属の庭師や美術館スタッフが、毎日手入れや清掃を行っていて「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも評価が高い。
drecom_yama_ya617 at 15:02|Permalink│Comments(1)
2020年04月12日
私の足跡223 カメラを持ってぶらり旅 7
私の足跡223
カメラを持ってぶらり旅 7
今年の最初のブログで 今年は頑張って、ブログを続けると記しましたが、私の事情で2月を休んでしまいました。
3月になると、今度は新型コロナウイルスの猛威で テレビ等では連日報道されている毎日です。
仕事を持たない私は 今は外出もままならない生活が続いています。私の日々の生活は まるでモグラになったように散歩等で我が家の巣から出て外気を吸う程度の生活です。
そして、食べ物の買い出しに 家内とスーパーマーケットに出かける程度です。
3月に楽しみにしていた公民館での「三谷坂と天野の里」のお話し会 や 念願の仲間たちとの「写真展」も延期・延期でいつになることやら ?
ここで、以前の旅ですが 未発表の作品ですので書きます。
私の好きな冬の日本海側への旅の写真です。
車中から最初に目に入ったのは、大山の勇姿です。
今回は、登頂は無理でしたが見えただけで満足した。
今回の旅行の主な目的は、先ず、米子水鳥公園に行き、コハクチョウが夜を過ごす為に仲間と帰ってくる池に行き、池に飛び降りるのと朝の飛び立ちとを待って写真を撮ることでした。
米子水鳥公園とは、鳥取県と島根県との県境にある中海にある湖です。
コハクチョウの集団越冬地としては日本の南限である水鳥の楽園。
何台かの望遠鏡がガラス張りの中に置かれた水鳥観察室があり、設備は良かった。
しかし、上記のように水鳥観察台から遠い所に着水し、写真撮影は困難だった。
時期により、寝場所が変更するらしい。 翌朝も行ったが同じく駄目だった。
公園の係の人に 日中の餌場を教えてもらい、地図をたよりにして行くことにした。
別れる時に 次のことを守ると約束した。
(これは、コハクチョウがここは越冬するには良い環境だと思っているが怖い所と思うと来年からこの地に渡ってこなくなる。)
大きな音等を出さない。見えても そこから絶対に近寄らない。(出来たら車中から写真撮影をする)
昼過ぎだったので、夕方にかけてお腹いっぱいにしている時と思う。
(600mmレンズ)
この旅の続きは 次回にします。
2020年01月13日
私の足跡222 カメラを持ってぶらり旅 6
私の足跡222
カメラを持ってぶらり旅 6
近くの紀ノ川へ 橋本市の出初式の写真撮影。
今迄は、会場の後ろの方の決められた所で撮影をしていた。
以前から、次回は会場の反対の対岸から撮影したいと思っていたので今年は実行した。
放水の40分前に、現地に行くと市内の各地から大小の消防車が集まり、放水のテストをしたりしていた。
堤防から川縁に近づき撮影場所を変えた。しばらくすると、小雨がぱらつき心配したが
すぐに止んだ。
予定通りの時刻になると仲間の隊員や来賓・観客を背に放水が始まった。
全消防車が最大の放水開始をする。
観客が見守る中、全隊員が整列をして、終了。