ウォ-ク 四国遍路

2010年03月01日

私の足跡 53 四国遍路一人歩きを終えて

            四国遍路一人歩きを終えて


 四国の人達の心はいつも暖かい

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 四国の美しい海や川・広々とした田や畑・美しい山並みは本当に素晴らしかった。

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特に山育ちの私にとっては、海を見ながらの遍路は本当に楽しかった。

 また、厳しい峠や山を喘ぎながら登った遍路道、それに風雨が強く、仲間とかばいながら歩いた足摺岬への道は厳しかったが、今では楽しい思い出です。(しかし、この帰りは天気もよく、海風の潮の香りを味わいながら歩けた。全行程中、風雨でレインコ-トを着たのは2度だけ)
 本当に、四国のいろんな大自然を楽しませてくれた。

長い間の夢・「四国遍路一人歩き」をしている時は、辛くなった時もあったが、その時の立てた予定を中止したことはなかった。それほど、楽しく回れたと思っている。(これは、私は四国一週を9回に分けて歩いたからかも知れない。通しで歩いている人とは違う)
 それは、お大師さん・四国の人・仲間の遍路さんの心の温かさ・優しさがあったからだと思う。(よく、遍路仲間との話の中で私はよく言ってきたのは 「四国の土地は暖かい。これは、気温が高いだけでなく、四国の人の心が暖かいのが原因だ」と。)
  
 道を尋ねるとよくわかるように丁寧におしえてくれた郵便屋さん。(足跡46)
 中学生やス-パ-の店員さんが挨拶の後にしてくれた励ましの言葉。(足跡46) 
 お接待だと言って品物を頂いたこと(足跡44・45・47。48。)
 ( 同  上 )お金を頂いたこと(足跡49・50)
 また、仲間の遍路さんからも頂いたこと(足跡50)
 遍路休憩所でのお接待(足跡44・48・51)
 その他、食事の後、お接待と言って頂いたり、遍路さんだからと安くして頂いたこと。
 
 ほかに、これはお接待ではないが、仕事中なのに遍路姿の私を見て、親切に教えてくれた人(足跡45・46) 
 
 暖かいのは これだけではなく、長い長い遍路道の草刈等の整備や数多い道しるべの「看板」や「シ-ル」をボランチィアで貼ってくれた皆さん。(遍路は この道標を見て、ホットして通ったり、また、どんなに助けられたか)ほんとにありがとうございました。(但し、一部だが道標のつもりでと思いますが、公道の遍路道に自分の名を書いた道標もあった。ボランチィアで作ってくれ、私たちの目に慣れ親しんだ四国共通の道標の中に上記の道標は馴染めなかったのは私一人ではなかったです。他の遍路さんも同感でした。)

 お遍路さんも皆良い人だ。会えば、必ず言葉をかけ、歩くぺ-スも同じようであれば一緒に歩く。そして、納め札の交換をして、住んでいる所や家族の事今の仕事等を話しながら歩く。私は、大師の開いた高野山の麓に住み、大師が開いた「高野町石道」の語り部をしていること。お礼参りには「高野町石道」を歩いて高野山へ行ってほしいと話している。このようなことは、同年配の人は勿論、20代の若い青年でも同じことだ。[善根宿(無料で宿泊させてくれる宿)で二人で泊まった青年も同じ事]
 そして、同宿で一緒に食事をし、般若湯を飲み疲れをとり、遍路道の苦労話を語り合ったり、はげましあったりもした。

 もう一つ、是非書いておきたいことがあります。
 私はある日、四国遍路1200kmのある峠への坂道を喘ぎながら歩いているといつもよりも頭上近くで鳥が飛び交っているので休憩をかねて足を止めてお茶を飲むことにした。相変わらず、鳥が頭上近くで飛び交っているので自分の食べているお菓子の一粒を手のひらに載せて、「どうぞ」と言って差し出すと何度も近づいては逃げ、近づいては逃げを繰り返しをしていたが最後は手のひらの菓子をくわえて、飛び去った。
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私は嬉しくなり、写真を撮ることにした。片方の手にはお菓子、もう一方の手にはカメラを持ち、待っていると鳥は飛んできて手のひらに止まる。シャッタ-を押す。緊張しているのと慣れてなかったので手ぶれで失敗。
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再度、挑戦。今度は、鳥も自分も緊張からとけ、バッチリ。 こんな、すばらしい体験をさせてもらえるなんて理由は一つ。「お大師さんのご褒美。」とその時思ったし、いまでもそう思っている。
 後日、鳥が好きで研究している友人に話すと「良かったね」と喜んでくれて、現場やその時の様子もわからないから違うかも知れないがと前置きして、こんな話をしてくれた。「それは、多分誰かが餌付けをしていると思う。毎日のように、雨の日も風の日もその山の中に通い餌を与えてやっている。鳥は「やまがら」だろう。多分、時間もよく似た時に運よく通ったから 鳥も待っていた餌付けの人を待ちきれなかったのでしょう。その人は、多分君のような歩き遍路が疲れている時に体験してくれたら良いと思い餌付けを続けているのでしょう。だから、雨の日も風の日もその山の中に通い餌を与えてやっていると思う。本当にすばらしい人ですね。」ということだった。そして、更に「でも、滅多に人の通らない所だから鳥も不特定の人間に近づいたが、大勢の人に知れ渡ると鳥も近づかないと思うから、遍路さんの一部の人にだけのものにしてあげて」との話でした。(あの鳥のため場所が広く知れないように、地名は書きませんでした。)
 科学的にはよく解りましたが、私はこの話を聞いても、月日がたった今でも、「その時季・時刻にそこを通れたというのはお大師さんのご褒美。」と思っている。


 88ヶ寺以外にも多くの所へも行った。
 遍路歩きの最初のブログ(私の足跡43)にも記したように四国で今までに行ってなくて行きたい所へ行ってみた。
 まず、四国遍路に関わり、弘法大師の修行したと言われる所
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 ○ 太龍寺の「舎心ヶ嶽」         (私の足跡44) 
 
 (○ 最御崎寺の「御蔵洞」(3度目))  (私の足跡45)
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 ○ 岩屋寺の「せり割禅定」        (私の足跡48) 

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 ○ 横峯寺の「星ヶ森」           (私の足跡49)

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 ○ 石鎚山                  (私の足跡52)  

(○ 祖谷寺       (3度目)) (私の足跡50)
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 ○ 出釈迦寺の奥の院・我拝師山「捨身ヶ岳」(私の足跡50) 

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 ○ 大窪寺へは女体山越えをした 等    (私の足跡51)


 次に、空海とは関係ないが、この機会に寄って見たい所へも
 ○ 坂本竜馬の生まれた町記念館等       (私の足跡45)
 ○ 植物学者 牧野富太郎博物館         (私の足跡45)
 ○ 遍路道にあるが内子町             (私の足跡48)
 ○ 「坂の上の雲」の舞台になった松山市内 等
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                  坂の上の雲ミュ-ジアム

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                   子規堂の見学
      玄関にある「旅立ち」         子規の書斎

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                   子規の書評        
         松山の著名な人        友人夏目漱石への書評


 ○  夏の風物 等
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  吉野川の川面一杯に広がる「シラス漁」の漁火は見事だった。 

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最後に、歩き遍路1200kmを完歩したことの証を頂き、四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使として勤めていきたいと思います。





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2010年02月01日

私の足跡 51 四国遍路 讃岐の国 83~88

 讃 岐 の 国 (涅槃の道場)

 第 9 回  (最終回)                11月17日 ~ 11月21日


 第一日 


  地元の橋本市内のコンビ二で買った高松までのバスの往復切符(7000円)を持って南海難波へ。
 難波発 7:25  高松着 10:47
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 琴電「いちのみや」を昼前に出発し、大きな一ノ宮の「田村神社」傍の「一宮寺」にお参りする。今回の最初の寺なので お経も丁寧に
 参拝後、昼食に名物のうどんをと思って来たが、ラ-メン屋になっていたので牛丼屋へ。
 後は、13km先の「屋島駅」までを歩くだけ。
 本日の宿舎は割引券のつく「讃岐会館」 従って、「屋島駅」から「栗林公園北口」へ戻る。栗林公園は度々寄っているので今回はやめてゆっくりする。
 いろいろ交渉して、安くしてもらい、買い込んだ食料と般若湯をゆっくり食す。
  

第二日

 5;45発の列車に乗る。早朝なので空いていた。
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 約10分で「屋島駅」へ。 早速、屋島寺へ向け歩きだす。夜明け直前で家の光も見える。山もはっきりと見えない。 途中、人家が少なくなる頃より近くの人達のウォ-キングをしている人に出会う。どんどん多くなりビックリ。
 ウォ-キングの人たちと話しながら歩く。おばさんの話では 福島県のおじさんが遍路をしているが農作業で使う車を運転して回っていたのでビックリしたと言っていた。約10日程前と言っていたので私は目にすることはできない。残念。
 丁石が多く残っていた。享保18年と書かれた文字が見えた。
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 最後の急な坂を上ると「屋島寺」に到着。いつものように線香・ロ-ソクをつけ、納経・納め札と賽銭を入れ、お経をあげお参りする。
 印象深い寺で細かい所まで覚えていた。
 お寺近くで、ボランティアガイドをしている人と出会い、いろいろ話を聞く。
 
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 瀬戸内海の見える所に立つと、次の「八栗寺」が頂上の下によく見えた。約300mの所から一旦海抜0mまで降り、また、230mまで上がることになる。それに、橋がないのでずっと右(見えない)に回らなければならないと聞きガックリ。 
 最初の降り口を探すのに時間のロス。下り始めるとすごく厳しい厳しい下り坂。次の遍路宿で遍路さんたちとも四国一険しい下り坂だったねと話し合った。そして、下った所に遍路さんの休憩所があり、そこでのお接待のみかんの美味しかったことも話題になる。ほんとうに有難うございました。感謝・感謝。
 「八栗寺」への途中、四国遍路を最初にしたという真念さんのお墓があった。
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 途中より「うどん本陣 小田家」の看板が何度も目にするうちに、食べたくなる。朝早く、パンを食べただけなので、お腹も空いていたので入って食す。(11時頃だったので、この日は2時ごろもう一度セルフのうどん屋に寄って、名物の美味しい讃岐のうどんに満足。)
「八栗寺」へのケ-ブルがあったが 歩く人が多かった。勿論私も歩く。
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 長い長い坂道を登るとやっと紅葉の「八栗寺」が見えてきた。そして、鳥居の向こうにお寺の山門が見え、両方をくぐってお参りをする。(神仏習合)
 「八栗寺」から帰りから 遍路さんに追いついたが追いつ追われつで「志度寺」の近くまで。
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 平賀源内さんの遺品館・旧邸・お墓等をゆっくり見学。 
 「志度寺」は工事中で落ち着きがなかった。母・娘がお参りしていて娘の作ったクッキ-と言い、お接待として頂く。そして、クッキ-の入った袋の裏に「気をつけてお参りをして満願して下さい。」と書いてくれていた。ほんとうに、大勢の人に応援してもらっているのだなあと思い感謝し、母・娘に深く頭を下げた。
 後は、約7km先の長尾寺まで歩くだけだ。車の通る平坦な道をもくもくと歩く。
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 4時すぎ、「長尾寺」に到着。(左上は志度寺)参拝後、遍路宿「ながお路」へ。私等は別館で新しくて良かった。
 早かったので早速洗濯をする。食事済むまで乾燥も全て終わる。
 食事は道を挟んで本館だった。
 結願の前日で、みんなも心が高ぶり、般若湯も多くなり、今までの最高の賑わいとなる。大女将も気配りのある人で皆を盛り上げてくれた。
 各自、部屋に帰り、明日の出発の準備をする。


第三日 

 女将さんも心得たもので、朝食を6時にしてくれた。
 朝食は 各自そそくさと済ませ、各自出発。私もほどほどに6時20分頃に出発。
出発はバラバラだったが、ダム湖の近くの交流サロンで殆んど一緒になる。[四国遍路1200km完歩証]をもらう。
 ここで、(A)車の通る道に沿っていくか、(B)標高774mの女体山を越える遍路道にするか二手に分かれる。私は以前(A)を通っているので迷わず(B)にする。(B)を行くのは私以外には一組だけだった。(皆はハ-ドだからと避けた)
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 私以外の一組は 私より一回りも若いので私は先発する。田和神社経由で行く。太郎兵衛館は廃屋同然だった。(標高約500m)いよいよ、道も険しくなる。誰にも出会わず不安になる。最後は緊張する所もあった。
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そこを過ぎるとやっと女体山頂上。(標高774m)小さな祠があり、そこから約600m下を俯瞰した景色は最高だった。しばらく、休憩していると人の気配がしたので出発した。
 ここからは、約350m下の大窪寺まで下ることになる。途中、大窪寺の奥の院にも寄る。
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紅葉の見事な大窪寺着、12時20分。 ホットして、お参りしていると何人かに「歩き遍路結願お疲れさんでした」と声をかけてもらい嬉しく良かったと心から思った。 自分を褒めてやるための昼食をする。私の後を来た二人組も服装を着替えてバスを待っていた。彼等は この大窪寺で結願にする。私は一番霊場「霊山寺」まで行くため、すぐに徳島へ向け約10km先の白鳥温泉に向け出発。
 約5kmいった所で、車の道を行くか、標高差約100mの峠の遍路道があって迷ったが、やはり、遍路道だと決めた。しかし、山の中に入るにつれて荒れ放題の道になり、戻ろうかと迷ったが草や倒木を掻き分け峠を越え、人家の見える所に来てホットする。
 そこで、遍路さん(岡山のTさん)と出会い、宿泊地が近いので共に歩く。
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 白鳥温泉は 以前国民宿舎であったようだ。温泉には近在の人がマイカ-で入浴に来ていた。
 食事は夜だけ頼んでいたが、風呂も食事も良かった。
 

第四日 

 朝早く起き、6時過ぎに出発。約30km先の一番霊場「霊山寺」まで歩く。天気も曇り空でピッチを上げて歩く。
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予定通り、14時30分ぐらいに「霊山寺」に着き、無事88ヶ寺を回れたことのお礼を言い、開経文からの丁寧なお参りをした。車での遍路さんの中から何人かが、歩いて回られたんですかと聞き「お疲れさん。大変だったでしょう」と声をかけてくれたので疲れも吹っ飛ぶ気持ちでした。そして、バス停に行く途中の手前に先の大戦での悲しい遺跡(ドイツとのかかわりのある公園)を通る時 犠牲者のご冥福を祈り、バス停・高速鳴門西より、15:43発のバスに乗る。

 これで、念願であったが長い長い 1200kmの遍路道を歩き通せたのも、弘法大師を初め、四国の人達、家族のお陰と感謝して思っている。
(歩き終えての気持ちは 後日書くことにする。私の足跡 53)

、 今回の歩行記録

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 第一日 白線  一宮寺     屋島駅               約12km

 第二日 赤線  屋島駅・屋島寺・八栗寺・志度寺・長尾寺    約32km                   

 第三日 緑線  長尾寺・大窪寺・白鳥温泉            約22km
             
 第四日 黄線  白鳥温泉・大窪寺・鳴門西停留所         約32km

             
 




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2010年01月15日

私の足跡 50 四国遍路 讃岐の国 66~82

 
 讃 岐 の 国  (涅槃の道場)

 第 8 回                  11月 4日 ~  11月 8日


 第一日 

 大阪南港発、22:30.

 第二日  
 
 東予港、6:00.JRで観音寺駅へ。
 ここには、石段で離れているが、一箇所に観音寺と神恵院の二院がある。(高知県の岩本寺から金剛福寺まで約90kmある。) 歩き遍路にとっては、嬉しいやら何だという複雑な気持ちだ。
 早速、「観音寺と神恵院」に参拝する。今回の最初の寺なので、開経ぶんから始め時間をかけていつもより丁寧にお祈りする。
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 観音寺と神恵院といえば、琴弾山の頂上より見える「寛永通宝」の文字が有名だ。
 寛永10年に領主を迎えるため一夜で造ったもので、その後、地元の人達が修復して歴史を今に伝えているという。何度、見てもスバラシイ。
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「本山寺」へ。本堂・仁王門は鎌倉時代の建造物(国宝・重要文化財)で、歴史を感じながら参拝。また、五重の塔も見事だった。遍路さんの団体さんも来て、賑わっていた。
 途中、三豊市のス-パ-で食事を買い、食す。

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 急いで、弘法大師幼少の頃勉学に励んだと言う「弥谷寺」への長い長い坂道を汗だくになり、登ると見事な山門があった。思い出のある「俳句茶屋」の前の道を通り、最後の急階段を登り、到着すると汗ビッショリ。 参拝後、来た道を通って帰っていると遍路さんの団体が来た。「あいさつ」を交わしているとある一人が「歩き遍路さんですか」と聞き、これは「お接待です。和歌山の梅です。」といい渡された。自分も持っているとか、自分も和歌山だとの事情を言ったが「仲間にも分けてあげてね」というのでそうすることにして頂くことにする。感謝。
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 途中、夫婦の遍路さんを追い越し、埼玉の一人歩きの若い遍路さんと「曼荼羅寺」と「出釈迦寺」へお参りする。
 梅の話をしたが苦手ということなので、もらっていたみかんをあげた。

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 そして、二人で出釈迦寺の奥の院「捨身ヶ嶽禅定」へ行くことにした。荷物を預け、急いだが途中より普通の車は通れない急の坂道が続き、喘ぎながらもやっと捨身ヶ岳の奥の院へ到着。後方の山は我拝師山。

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 奥の院から「捨身ヶ嶽禅定」への途中は、くさり場が多く、緊張の連続だった。
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 その禅定とは、弘法大師7歳の時 我拝師山に登り、「仏門に入って多くの人を救いたい。このねがいがかなうなら釈迦如来よ現れ給え。もし願いがかなえられないならば一命を捨てて、この身を仏に供養する」と崖上から谷底へ身を投じた所
 下の写真は、禅定より出釈迦寺を俯瞰する。(出釈迦寺とは 標高差約350m)



 私は時間の都合(宿舎へは5時に入らねばならない)で 大師が飛び降りた所までだったが、彼は我拝師山の頂上まで行くというので途中で別れた。

 
 戻って 荷物をもって出発すると一人の修行僧(Yさん)と出会い、二人で行動を共にするようになる。
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 話をすると高野山大学で4年間修行し、現在東京のお寺で仕事をしているとの事。高野山の事。彼のいたお寺の事。師事した先生(静 慈園教授)のこと(私はお目にかかってなく先生の書物を読んだだけ)などいろいろ話しながら「甲山寺」と「善通寺」とに参り、私の念願の善通寺に宿泊することにする。
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 さすが弘法大師の生誕地だけあって、唐の青龍寺を模して建てたと言う広い境内には御影堂・中殿・供養殿などがあり、立派だった。

 風呂に入り、いつものように一人遍路が集まり、食事をして盛り上がる。その時、例の梅を出し、みんなで食した後、Yさんが美味しいと言ってくれたので、残りを東京のYさんに渡す。
 部屋に帰り、今日のことを記録し、明日の行程を確認し、アルコ-ルを補充し寝る。


 第三日

 今日は バスの時刻の都合で変則的な行程だ。6時からのお勤めの途中に出発し、「金倉寺」にお参りして多度津駅より川之江駅へ。そこから、バスで「椿堂」へ。本日は、ここから再スタ-トする。(前回、三角寺に参拝後歩いた所)最初は、上り坂だったが歩道の狭い境目トンネルを出ると緩やかな下り坂となる。大きな水車のある食堂を過ぎると小さな佐野集落があった。そして平行して走っていた徳島自動車道の下をくぐると道が細くなり、急激な坂道となる。約2Kmだけだが不安になる。ここで高度差を約350m程上がらなければならない。苦しくなったので休憩し、昼食を。あとの残りを頑張ると自動車道に出た。今度は約2Kmを高度差を約220mの距離なのでたいしたことがなかった。
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 「雲辺寺」は3度目なので、記憶もバッチリ。山門は初めてくぐる。(前二回はロ-プウェイを使ったので通っていない)羅漢像は以前は雪をかぶっていたがこの季節も迫力満点だった
 お寺を 降りはじめたが急下降の連続なので休憩を入れながらくだる。
 やっと、急坂も終わると民家が見えてきた。
 本日の宿「おおひら」に到着。荷物を置き、大興寺にお参り。帰って風呂に入り、洗濯をした。客は札幌からの車遍路のYさんと二人だけ。料理もよく、二人で楽しく般若湯をいただく。(先日、暖かい内容の葉書を戴く感謝。)


 四日目

 宿を早く出て、本山駅へ。JRで昨日の多度津駅へ。そこから昨日の続き「
道隆寺」そして、丸亀城を右手に見ながら丸亀市を通り、「郷照寺」へ。途中、単車のおじさんにミカンの接待をいただく。その時、『和歌山から」というと「先ほどの女性遍路さんも和歌山といっていたよ」と聞き、関心があり、ピッチをあげ、追いつく。和歌山のどこかを尋ねると橋本市という。同じ市なので親しみを持ち、話す。
 彼女の宿舎は私より近いので私が先に出発。バナナを買いすぎたといい2本頂く。私は大きな店のある町を見ながら進み、牛丼のチェ-ン店があったので寄り、昼食とする。(四国ではこんな店が少なかった)
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 上左 広い境内に多くの観音像のある道隆寺  上右 瀬戸大橋の見える郷照寺

 下左 鳥居をくぐっ参拝した天皇寺   上右 色:#0000cc>四国の4つの国分寺の一つ 


 そして「高照院」を過ぎて疲れた足を引きずるように「国分寺」に到着。
 そして、遍路宿「えびすや旅館」に。客は 総数4名。一人の女性は善通寺で出会った人。他の遍路は道で何度か合った人。一人は、足を痛め、リタイヤするらしい。夕食は、4人揃って盛り上がる。

  五日目

 朝、6時10分に朝食。6時半出発。

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 約5Km先の峠(400m)を超え、約2Kmの道を約100m下った所にある「白峯寺」へ。暑かったので、お接待のみかんが美味しかった。

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 そして、来た道を一部通り、落ち着いた雰囲気のある「根香寺」へ。山門をくぐると階段があり、ここからの紅葉は以前もそうだったが今度も印象的だった。
 前の寺で以前知り合った京都の自転車の一人遍路のお兄さんが石の上に座り、尺八を吹き、お祈りしていた。一般の人のお祈りでないので皆も関心をもつて見ていた。九州の親元に何年ぶりかで帰ると言っていた。自分の子どもと同じような年齢なので気にかかる。
 「根香寺」を 後にした。3時間かけて、鬼無駅へ。そして、そこからJRの踏み切りを越えて、琴平電鉄の「いちのみや駅」へ。 
 ここから、電車で「高松築港」へ。そして、JRで岡山経由で大阪へ。





 今回の歩行記録
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 第二日 白線  観音寺・神恵院・本山寺・弥谷寺・曼荼羅寺・出釈迦寺・         甲山寺・善通寺            30km

 第三日 赤線  金倉寺・雲辺寺・大興寺        32km
             
 第四日 緑線  大興寺・本山駅・道隆寺・郷照寺・天皇寺・国分寺    25km

             
 第五日 黄線  白峯寺・根香寺・一宮寺        23km
   
          
 




    

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2010年01月01日

私の足跡 49 四国遍路 伊予の国 52~65

新 年 明 け ま し て

        お め で と う
 
                 ご ざ い ま す


 旧年中は 多くの方々にアクセスして頂き(特に、その数は最近になりどんどん多くなり、始めてからの2年間の最高は昨年の12月で一ヶ月に385) 感謝しています。
 本年もよろしく 御願いいたします。
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  愛 媛 県  (菩提の道場)  
 
 第七回   52~65番
 
      10月11~16日     
 


 前日の11日の23:10発の松山行の夜行バスに乗る。連休の中日(なかび)だったので客が多く、増発して2台のバスだったが超満員だった。何時ものように23:10までの待ち時間が長かった。乗ればユッタリしていて窓際でよく眠れた。 


  第二日目

 予定通り、6:00に松山市駅に着く。しばらく待って電車でみつはまへ。
 そして、歩き始める。途中で、地図を見て道を調べているとある男性が私の遍路姿を見て、「太山寺なら途中まで行くから一緒に行きましょう」と言われ、共に歩く。この付近のことや仕事のことなどいろいろ話しながら歩く。楽しい一時を過ごさせてもらった。感謝。感謝。
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 アット言う間に太山寺に到着。寺の約1Km手前に「一ノ門」があった。今回の最初の寺なので開経文から始め、丁寧にお参りをする。
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 続いて 53番さんの円明寺までは 約3Km弱ですぐに到着。 ここから本日の目的地「大西」までは 約30Km。約10Km先の本日の宿泊地「ユ-スホステル」に荷物を預け、荷物を最小限にして歩く。
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   左手に海を見ながらの道を進む。

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 途中、瓦の町「菊間町」では瓦の灯篭があった。近くの接待所で休憩させてもらう。 予定時刻に「大西」に到着。そして、列車で「ユ-スホステル」に帰り(6;00頃)、買い込んだ飲食物をお腹に入れ、睡眠。36

 第三日目

 「ユ-スホステル」を 出て、一番列車で昨日の「大西」へ。そして、徒歩で約4Km先の54番「延命寺」へ。そして、約4Km先の「南光坊」へ。お参り後、九州からの歩き遍路夫婦と話をしていると一組の子どもを連れた遍路家族がきた。何気なく、「家族一緒でいいですね」と言うと「とんでもない、先日この子たちの父が急死したのでお参りしているんです」との話。悪いことを聞いたと反省し、四国参りには いろんな事情のある人がいると再度思った。

 ここ「南光坊」で、堺のHさんという歩き遍路さんに出会う。参拝後、休憩していると、伯方から来たという車椅子を押した母娘がいた。そして、私たちに「歩いてお参りしているんですか」と聞き、「母がお大師さんを信仰しているが、もう自分は歩けないので何かに使ってください。お接待です」と言い、大金をいただく。私たちは有難く頂く。そして、お名前を聞き、その後の賽銭として使い彼女の健康とご多幸を祈ることにした。
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 そして、堺のHさんと泰山寺・榮福寺・仙遊寺へと共に歩く。特に心に残ったのは「四国遍路無縁墓地」です。無縁墓地は 遍路道のあちこちにまつられているがこんなに多くがあるのは珍しい。無念にも、四国遍路を歩き終えなかった遍路さんのご冥福を祈った

 仙遊寺への途中、悲しい話のある犬の塚の傍を通りお寺へ。

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 ここより、車道と別れ、山門をくぐり、舗装のない約2Kmの遍路道になる。
 最後の急坂の遍路道には暑くてまいったが、汗ビッショリで仙遊寺に到着。
 Hさんは仙遊寺で宿泊するのでそこから一人歩きとなる。
 先ほどの急坂の遍路道の途中に弘法大師お加持水と伝えられる井戸がある。この霊水は、多くの村人の諸病から救ったと伝えられている。その大師水でのどを潤し、元気づく。
 国分寺へお参り後、4000円の補助券が使用できる「休暇村瀬戸内東予」へ。立派な建物で遍路は私一人だけ。歩き遍路だと知り、宿泊料を割り引いてくれた。入浴後、洗濯をする。夕食は豪華なバイキングで満足する。部屋はツインを一人で使わせてもらう。



 第四日目

 6:00に歩き始め、先輩遍路の言うとおり伊予小松へ向かう。
 
 そして、伊予小松駅前の「ビジネス旅館小松」に荷物を預け、香園寺へ参拝した。そして、「大頭」経由で横峰寺へ。約11Kmは舗装した道で淡々とした道だった。img20091212.jpgimg20091211_7.jpg














  予定していた通り、秋祭りの最中だった。(この後、何度も山車を曳いた場面に遭遇する) その山車の責任者はその山車の話をして記念に写真をというので撮ってもらう。





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 しばらく歩くと舗装した道から別れ、細い未舗装の急坂(約2Km)の遍路道に入る。「丁石」が建っていたので、歩いた道のりが判ったがもくもくと歩くより方法がなかった。ここにも、遍路さんの無縁墓がいくつかあった。
参拝後、大師が修行したといわれる「星ヶ森」へ行き、修行をしていた大師を想像する。
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やっと、山門が見えた時、無事到着とホットする。
 過去、二度この横峰寺に来ているが車に乗りお参りしているので山門をくぐったのは初めてだ。(歩き遍路をしているから、山門をくぐってお参りするというのはよくあることだ。車の道は別の道を通って寺に入ることが多い。)

 
 その後の下りは 登った遍路道とは違え、二回目の一部歩き遍路(登りは車道)で通った道を下ることにした。標高差約700mを約10kmの道のりで下ることになる。前回はツア-で団体だったが、今度は一人なので事故のないようにより慎重に下る。途中、白滝奥の院が見えてホットする。それから、一時間弱で宝寿寺へ。ここで、三日目に仙遊寺で別れたHさんに会う。仙遊寺の食事は良かったが朝の「おつとめ」が長く、出発が遅れたとぼやいていた。私は、荷物をもらい、64番「前神寺」の近くの湯之谷温泉に泊まるため、別れて先を急ぐ。途中「吉祥寺」に参り、続いて、霊峰石鎚山の別当寺として開創された「前神寺」へ参り、湯之谷温泉についたのは6時前だった。
 温泉には、近在の人々が利用していて賑わっていた。いつものように、買い込んだ飲食物を食し、一人部屋で寝る。





 第五日目

 宿舎を5時半に出発。今日は、35km先のY・Hまで頑張る。先ず、伊予西条市へ。さすかに大きな町で賑わっていた。そして、出発後、約23Kmを歩いて、五葉松食堂で昼食の計画だったが廃業していたので一時間後「えひめトラックステ-ション」て゛遅い昼食。祭りの山車で賑やかだった。気温も上がり、歩くのが辛くなる。ピッチも遅くなる。
 残り、5Kmがなかなか進まない。
 ス-パ-で夕食の買い物をして、外に出ると婦人からお接待だと言い、バナナをいただく。
 今日の宿泊はYH新長谷寺。お寺がYHをしているのは珍しいので興味を持って向かった。最後の220段の石段の登りにはまいった。到着、5時過ぎ。建物は新しく立派だが素泊まりだった為か冷たい接待だった。
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 220段の石段を上がったので夜の景色は良かった。  
 買い込んだ飲食物をお腹におさめて、寝る。  

 
 第六日目

 ユ-スホステルを6時前に出て、一路三角寺を目指す。少しでも早く歩き終え、早い列車で帰るため黙々と歩く。三角寺に近づくと坂道も急になる。
img20091211_9.jpgimg20091211_10.jpg 












 やっと、三角寺に到着した。境内には、櫻の花が!  ビックリしたが四季咲き?の櫻とわかる。 
 参拝後、次回の計画では 椿堂迄歩いておかなければ都合が悪いのでがんばり歩き終える。
 そして、予定していたバスで川之江駅へ。
 川之江駅(12:36発)からはJRでジパングの切符(y3,390)を使い、岡山経由で大阪へ。(特急券を使用せず)



  今回の歩行記録

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 第一日目   大阪  -  松山

 第二日目  白線 松山 ~ 大西                36Km

 第三日目  赤線  大西 ~ 休暇村瀬戸内東予     27Km
  
 第四日目  緑線  瀬戸内東予~前神寺          37Km

 第五日目  黄線  前神寺 ~ 新長谷寺          36Km
  
 第六日目  青線  新長谷寺~椿堂-川之江-岡山-大阪  16Km

 




  


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2009年12月15日

私の足跡 48 四国遍路 伊予の国 41~51

       愛 媛 県 (菩提の道場)


 第六回 第四十一番 ~ 第五十一番  10月21日 ~ 10月26日まで 
 


今回の歩き遍路に この機会を利用して紅葉の石鎚山へは未だ登っていないので登山計画を入れた。登山道も前回と道を変えて土小屋からにした。紅葉の最も良い時季に登りたいから多くの情報を得て、十月下旬とした。したがって、次回の第七回と順序をかえています。


 第一日

 宇和島への夜行バスは阪神バスで大阪駅近くのハ-ビスからの発車だ。
前回の帰りに、発車場所の確認と乗車券の購入の為、ハ-ビスに行ってきた。
 したがって、当日はゆっくりと大阪駅へ。そして、22:20分発で車中の人となる。
 平日なので、空いていてゆったり乗れ、よく眠れた。
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 宇和島に予定通り、6:40分に到着。早朝の駅前通りは閑散としていた。   宇和島から前回歩いている高光まで列車にのり、そこから龍光寺まで涼しい気候の間にと思い、ピッチを上げ、急ぐ。
 龍光寺をお参りした後、遍路道をどこかをある遍路さんに尋ねると「私も行くから一緒に」と言ってくれた。さっそく、話をしながら歩き始める。彼は、東京のAさんで歩き遍路も4回目とのこと。歩き始めると3年前のツア-での「一部歩き遍路」で通った道だと思い出す。(このような事が何箇所かあった。その時はツア-だったので添乗員の後をもくもくと追っかけていただけ)途中、Aさんから龍光寺前の店で買った饅頭だと言って一つ頂く。おいしい饅頭だった。img20091110_1.jpg
 しばらく歩くと 歯長峠への坂にさしかかる。前方の夫婦の遍路さんに追いつく。Aさんは彼等と遍路としての知り合いだった。その後、4人で急坂を登り歯長峠(480m)に到着。そこから急坂を下った歯長地蔵で昼食。そこへ、軽トラに乗ったおじさんが来てお接待だと言ってミカンを頂く。4人の宿泊地が異なるため出発時間を変える。私は、後20Km程あるので急いで出発。一人なのでピッチを上げて明石寺へ。参拝後も、ピッチを上げて予定の札掛太師へ。薄暗く5時過ぎに到着。予定のバスで伊予大洲の宿舎「ときわ旅館」へ。若夫婦が経営している宿で精一杯頑張っていて感じが良かった。宿泊の自筆の礼状も送ってきた。
 買い込んだ食品で食事をし、記録を書き寝る。

第二日

 6時半に荷物を持たずに 前日の札掛太師へバスで。そこから、徒歩で宿泊地の伊予大洲へ。ここにも名所・旧跡があったが、急ぐので預けていた荷物を持ち、十夜ヶ橋へ。
 
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(大師が一夜の宿を頼んだが断られここで一夜を過ごしたと言われる所 寒くて辛くて一夜が十夜に感じだという。これ以後 四国では杖を突くのは普通だが、橋の上では突かないようにしているのはこのためです。この絵の上はR56

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そして、古い家並みの残る町として有名な内子町へ。内子の町はタイムスプリットしたような古い家並みの残る町だ

  まだ現役として使用している立派な内子座がある。
 
  和ロ-ソク屋があつたので和ロ-ソク作りを見学した

ハゼの実を煮詰めて木蝋をつくり、それを暖めて素手で重ね塗りのようにしていた。よく使われているロ-ソクとは違い炎も大きく安定して燃えるとの事。以前は 多くの店があったが 今はこの店だけ。img20091126_6.jpg

 芸術の町らしく、いろんな展示の中にこの絵があった。
 ただの絵ではなく、説明板があった。
 それには、「古米を使って一粒ひとつぶボンドでくっつけた。
 使ったお米は2.6Kで 日数は一ヶ月半」と書いてあった。





 本日の宿舎「高橋旅館」へ。途中、一人の遍路にあい、今日はどこでお泊りですかと聞くと彼から「遍路にもいろいろある あなた達とは違う遍路さんもいて宿泊所で寝ない人もいる。遍路とは」とかいろいろ話を聞く。その後、この遍路さんとは松山まで何度か出合ったが互いに話をしなかった。
 曽我五郎十郎クビ塚の標識があったが片道20分と書いていたのでやめた。
 4時半頃「ふじや旅館」に到着。遅く宿に到着したので、洗濯終了も遅れる。買い込んだ夕食を般若湯と共に食し、TVのない部屋(初めての体験)だったので何時ものように日記を書き、9時には寝てしまった。



第三日

 早く寝たのと今日の日程が気がかりで4時前に目覚め、6時過ぎに出発。
 今日は、標高200mから標高570mの新真弓トンネルを越え、
 
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 標高651mの農祖峠(のうそのとう)を過ぎ、下野尻の集落へ下る行程だ。途中、殆んど人に会わなかったが、ラッキ-なことに道に不安を感じた時に人に会い、助けてもらったりした。また、みかんをもらったりもした。ここ野尻でお接待を受けた冷たい栄養剤の入った飲み物の美味しかったこと 感謝・感謝。
 久万町の「おもご旅館」へは、11時過ぎに到着。荷物を預け、昼食を摂り、岩屋寺へ。大きな荷物が背中になく軽ザックだけなのでどんどんピッチを上げる。八丁坂を登り、セリ割り禅定の傍を通り、岩屋寺の参拝。その後、出発前からの計画では 参拝後本堂横の梯子や穴禅定は前回済んでいる。残るは弘法大師が修行したといわれる「セリ割り禅定」の修行だけだ。納経所で入り口の「鍵」を借り、禅定へ。

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多くの不動明王の一つ一つに納め札を納めてお祈りする。

img20091126.jpgimg20091126_3.jpg











そして、禅定の入り口へ。

  よく、通りかかった遍路の人にカメラのシャッタ-を押してもらい、写真を。
その後、一人だけなので事故が起こらないように慎重に進む
。(事故があっても勿論自己責任だ。)img20091126_1.jpg


ロ-プを使い登り、次は鎖を使い登り、


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 最後は梯子を使い不動明王(白山権現)の祀った頂上へ。絶景の景色。ここに仙人が住んでいたが大師に帰依した所らしい。大師はこの寺を開基し修行したらしい。

 その後、久万町の旅館へ急いで引き返す。食料を買い込み旅館着、6時前。
 買い込んだ食事を般若湯と一緒に食して、いつものように、その日の記録を書き、日本シリ-ズを見て寝る。
 
第四日


 9時過ぎのバス発車迄の時間に「大宝寺」へ 参拝。

   その後、弘法大師 空海が修行したと言われる 石鎚山登山へ。   後日 記します。
    登山の部の「四国の山」を見てください。   

第五日


</大 6時半に出発。途中、桃季庵の傍の遍路道で道を間違え約20分のロス。
 三坂峠でバスを降りた遍路さんに途中追い越される。
 途中、坂本屋で追い越した遍路さんが接待を受けていたので私も甘えてコ-ヒ-や果物をいただく。お接待はほんとうに有難いことだ。
> 
 そこへ、何という巡り会わせか。第一目に出会い饅頭をもらった東京のAさんが降りてきた。お大師さんの慈悲で会わせてくれたと互いに喜んだ。その後約2時間行動を共にして「浄瑠璃寺」で別れる。彼は「西林寺」迄行き、この寺の近くにある「長珍屋」で泊まるらしい。
 私の一人歩きが始まる。次の「八坂寺」でバスで降りた遍路さんに会い、行動を共にする。歩き遍路2回目で北九州のEさん。共に話に熱中したのか道に迷って約1時間のロス。途中、昼食を急いで食べ、ピッチを上げる。「西林寺」の手前で「長珍屋」に戻る参拝後の東京のAさんに出会う。
 「浄
土寺」を参拝後、Eさんはフェリ-の都合で急ぐというので別れて「繁多寺」へ参拝。
 
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 その後、「石手寺」の参拝を明日にして松山YHへ。山の中腹にあり、時間がかかったが無事到着。外国人のファミリ-を含め、総数約20人の宿泊客。 風呂には不満が会ったが二人部屋を一人で使用させてもらったし、夕食・朝食も良かった。一人歩きの遍路さんとアルコ-ルで盛り上がった。談話室もあり、パソコンを自由に使わせてくれた。それよりも夜のマスタ-の「気」の話が良かった。自転車で回っている兵庫県の兄さん。北海道からの一人歩きの遍路のお兄さんと感激して聞いた。帰ったら早速友達に話してみると楽しみにして帰った。私も早速、29日の語り部で使い、案内した小学6年生のみんなに喜んでもらう。
 

第六日


 今日は、松山を見学をする日だ。朝食をいただくと
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 先ず、「石手寺」に参拝後
、YHを出て、次回歩き始めた「みつはま駅」まで歩く。途中、お接待として、中年の男性より大金をいただく。ご母堂は弘法大師を信仰していて歩き遍路さんを大切にといつも言っているからだという。ありがたく頂き、次回からの賽銭として、使わせてもらうことにする。

 その後、今話題の「坂の上の雲」の舞台になる所の正岡子規の記念館や「坂の上の雲ミュ-ジアム」等の見学。

 JRで岡山経由で大阪へ。勿論ジパング倶楽部の3割引を利用。楽しい列車の旅をする
。  




 今回の歩行記録

   
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 一日目  大阪    宇和島      


 二日目   白線  宇和島(高光)龍光寺 伊予大洲       33Km           


 三日目   赤線  伊予大洲   内子町小田           34Km           
 
 四日目   緑線  小田      久万町(岩屋寺往復)          36Km    

 五日目      石鎚山 登山         

 六日目   黄線  久万町      松山Y・H              35Km
  

 七日目  松山Y・H   8km   松山   大阪




 

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2009年12月01日

私の足跡 47 四国遍路 土佐の国 中村~宇和島

  



      高 知 県 (修行の道場)


 第五回 第三十八番 ~ 第四十番      5月26~5月30日まで 
 


 第一日


 今回は、宿泊地の事等もあり、別の手段を使っての高知入りをする。JRの「ジパング倶楽部」を使う。特急券も新幹線もすべて3割引。バス代と変わらない。今回で高知県を終わる予定だ。
 新大阪発 7:50。岡山発 8:51。 子どもに人気のアンパンマン列車。 中村着、13:25。列車の中で昼食を済ませているので早速、歩き始める。
 本日は 13Kmを夕方までに歩く予定。四万十川の堤防を歩く。以前、見た時よりは水位が低く、水の綺麗さも落ちたように思う。(後で聞くと日照りが続いているのと水位が低いのは干潮だからだとの話)
 小学校の体育の授業で リレ-を複数の教員で指導していた。昔を思い出し、何となく目がいく。京都の大文字山と似た山があった。京都を偲んで始めたのだろう。
 新伊豆田トンネルは1600mあり、長くて心配したが、歩道も広く、前方に光が見え、安心して通れた。トンネルを出てすぐに市野瀬集落があり、明日通る道があった。本日の宿舎「安宿」に五時半に到着。六時半より、夕食。夫婦の遍路と三人だけ。私は二階で六畳一間を借りる。勿論一人部屋。主人はよく話をする。靴を楽に履く方法。足にマメが出ない方法。濡れた靴を乾かす方法等を教えてもらう。
 夜、TVを見て、早く寝る。明日の天気は良くないとのこと。
 
第二日


 六時より朝食。不要な荷物を預け、すぐに出発。雨はまだだが今にも降りそう。一時間もしない頃から降り始める。雨具をつけようとした所で遍路に出会う。共に歩いていると彼の仲間とも会う。三人は 昨日から行動が同じだったらしい。計四人は離れたりくっ付いたりで行動する。道も天気も良く、何も不安がなければ一人歩きにも不安がないが、天気が悪いとか長い遍路道で会う人が少ない所は不安があり、友を求めて歩く遍路が多いということがわかって来た。安全のためには、良いことだ。
 雨がひどくなって来たので互いに行動を共にするようになる。
 山の中の遍路道は 水は川のように流れている所もある。とにかく、早く足摺岬に到着したい気持ちは四人とも同じです。
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 本日 27Kmを六時間半で12時半に「三十七番 金剛福寺」に到着。四人でお参りして、近くの食堂で昼食。自分達の歩いた速さに互いにビックリ。話している内にやっと、四人の人柄がわかった。年配のAさんは、70才。東京の人。歩き遍路4回目のベテラン。雨具も独特。さすがと思う。Bさんは無口だが、仏さんの前で持ってきた尺八をふき、奉納していた。スゴイ人で名古屋の人。もう一人のCさんは、新潟の人で 東京から京都までの東海道を歩き、続いて和歌山経由で四国歩きをしているとのこと。これにも、ビックリ。話がはずみ、一時間以上話す。私も街道歩きの3000Kmを目指していることと現在高野町石道の語り部をしていることを話し、高野山へのお礼参りは是非高野町石道を通ってお参りしてもらうよう話す。後、予約している宿舎が四人とも違うので別れる。
 私は、雨も止んできたし宿舎が近いので、以前行ったことがあるが時間もあるので海岸を散策して、img20090802.jpg足摺YHへ。(宿泊費は夜と弁当つきで5000円未満)二階の一室。勿論一人部屋。客は単車で遍路をしているお兄さんと計2人だけ。濡れた衣服・靴の手入れをして寝る








 第三日

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 今日も4時に起き、5時に出発。殆んど一路昨日歩いた道を北上するだけ。時々、これから「三十七番 金剛福寺」へお参りに行く人と出会う。 。昨日の「安宿」に11時頃に着き、荷物をもらい、本日の宿「清水川荘」を目指す。今日は殆んど一人歩きで昨日の4人歩きがなつかしい。イヤホンから聞こえる音を楽しみに頑張る。昨日の「真念庵」より初めての道になり、新鮮となり、ピッチをあげる。だらだら坂だが標高差120mぐらい上がる。宿舎は三原村のはずれにあり、やっと5時前に到着。近くに遍路小屋があるが宿泊には使用できない。
 今日も41Kmを歩き、疲れきったので元気もなく、買い込んだ飲食料を食べて飲んで寝るだけだった。


 第四日


 今日は、6時に出発。「三十九番 延光寺」「四十番 観自在寺」をお参りして、「ひかりBH」に宿泊する計画だ。img20090802_1.jpg
 やはり、昨日のハ-ドな日程がこたえたのか身体がだるい。
 本日の行程は昨日より楽にしているので助かる。
 
 土佐くろしお鉄道の踏み切りを渡って山の麓にある延光寺にお参りをする。

 その後、国道に戻り、2時間ほどで宿毛の町に入る。やはり、宿毛市の中心地で賑やかだ。
 約2時間で愛媛県の愛南町に入る。

 高知県(修行の道場)を終わり、愛媛県へ(菩提の道場)。
 長かった高知県が終わり、ホツトする。

 今日は、くもり空で気温も低めで、歩行の調子もよく、距離を稼ぐ。


 途中、過去2度回っているので、宿泊した所や休憩した所が思い出し、感慨にふけり、立ち止まったりもする。特に今は亡き兄たちと回った遍路旅は鮮明に記憶に残っている。
 また、2度目の遍路の一部を歩くという遍路ツア-で夏の暑い時も寒いときも仲間と共に歩いた時を思い出したりする。
 
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そして、約4時過ぎに観自在寺に到着し、お参りして食料と般若湯を買い込みBHへ。


第五日


 「ひかりBH」を 6時に出発。今日の歩行距離は約45Kmだが最終は22:00発の夜行バスなので時間的に余裕がもてる。
愛南町から峠を越えるか 距離は長いが海岸線の国道を歩くか迷ったが四国の人々の生活を少しでも多く見れるかも知れないと思い、海岸線を歩くことにした。
 また、トンネルの多い所が続く。お陰で、昔に比べ、峠越えが減り、楽に回れるようになった。
 トンネルにもいろいろあり、古いトンネルだと歩道もなく、狭いためにトラックがくると壁にへばりついて待っていて、生きた心地がしない所もあった。(そのため、徳島県でトンネルを通らず峠を越したこともあった。)


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 反対にうれしかったのは、新しいトンネルを造り、古いトンネルを修理して、町の人や遍路の歩行に・中学生の自転車通学用に使用していた所もあった。

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  ここは、古いトンネルはそのまま自動車専用に 歩行者・自転車には新しいトンネルが作られていた。中学生も楽しそうに自転車通学をしていた。(トンネルの名は「風の通る道」そして、傍に「風と一緒に歩いて行こう」と記していた。私も涼しい風を背中に受けて、気分爽快に通らせてもらった。 

  四国の人は 暖かい心を持ち、元気付けてくれるのは前にも書いたが、子どもたちからもたくさん元気をもらった。それは、大きな声で「あいさつ」をしてくれる事です。こちらも負けずに「ありがとう、頑張ってね。」と大きな声で返している。

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 ここは、真珠の養殖の村だ。三重県に次いで多い。

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  真珠の作業は、伊勢の真珠島観光用でよく見ているが、実際に仕事をしている所を見せてもらいたく、橋げたを渡って船の上の作業所へ。親子で貝から真珠を取り出している所だった。気さくな人で話をよくしてくれた。しばらくすると、奥さんも加わり、家内作業だ。
 今は、需要がへり、真珠も下り坂だと言っていた。話しているうちにその男性は若い頃 ミカンの産地である和歌山で「ミカン作り」の研究に来ていて、今でも文通のある友達がいるとの事。その友達は私の故郷の近くの人だった。
 すごく、親しみやすくなったが相手の仕事にも邪魔をするし、自分も歩かなければないから惜しいが別れる。
 国道を歩くことにしたが歩道もあるので 車には安心して歩ける。途中、歩き遍路さんと追いつ・追われつの状態が続く。
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 四国遍路も国際化が進み、外国人の遍路さんをよく見かけるし、遍路小屋のノ-トに記事を書いているのをたびたび見てきた。標識も英語で 
 イギリスの青年が自転車で四国を回っている。日本の勉強はしているが日本に来たのは初めてという事。実に好青年だ。
 無事に回り、日本に好印象を持って帰れるように祈った。


 
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 丁度真ん中の津島の遍路小屋で暑くなって来たので大休止。冷たい水をもらい昼食。お接待をしてくれる人たちとゆっくり話し、約一時間休む。村の人々の好意をありがたく頂く。
 この後、時間的にゆとりがあるのでゆっくり歩き、休憩を度々する。
 宇和島駅着 5時半頃。時間も早いので次回のことを考え、荷物を預け 次の駅まで(約4Km)歩いてくる。その後、近くを散策し時間を費やし南国の雰囲気を味わう。8時過ぎより食堂に入り、ゆっくり食事をする。9時過ぎに食堂を出て、10時の夜行バスに乗り、翌早朝大阪に。バスは 空いていてぐっすり寝る。

 今回 約160Km歩いたが 3ヶ寺にお参りしただけの厳しい遍路だった。


 今回の歩行記録

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 一日目  白線  中村駅 市野瀬集落  「安宿」       13Km


 二日目  赤線  「安宿」  足摺岬(金剛福寺)       27Km


 三日目  緑線  足摺岬  市野瀬集落  三原村       41Km
 
 四日目  黄線  三原村  延光寺  観自在寺 ホテル   36Km  

 五日目  青線  ホテル  宇和島  高光            44Km

 六日目      宇和島  大阪


 




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2009年11月15日

私の足跡 46 四国遍路 土佐の国 35~中村

     高 知 県 (修行の道場)


 第四回 第三十五番 ~ 第三十七番      5月 6~ 10日まで 
  

 夜行バスで行くため、梅田の阪急バスタ-ミナルへ。
 予約をしていたが、初めてと思い、余裕をと思ったが時間があり過ぎ退屈した。       
 予想通り、ゴ-ルデンウィ-クも終わり、人出も落ち着いていた。
 定員の半数ぐらいで、三列の席で窓際をもらい予定通りの時刻(23:10)に出発。バスはリクライニングの席でよく眠れた。 


 第二日 

 高知にも予定通りの時刻(6:05)に到着。早速、バスで清滝寺の近くまで、(前回バスに乗った所)。img_1508.jpgそこから歩いて「三十五番 清滝寺」へ。
 みかん畑の間の細い道を上がっていくと目に入るのが大きな薬師如来の像だ。 中は戒壇めぐりができるが以前来た時にめぐっているので、今回は止めた。




 その後、土佐市街を通り、ちょっとした峠を越え、でっかい宇佐大橋を渡り、青龍寺へ向かう。大師が唐で修行した「青龍寺」を模して造ったと言われる名刹。

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 長い石段を降りてくる団体の遍路さん。年配の方は辛そうだがこの辛さも修行の一つ。ガンバレと心の中で声援を送る。
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 青龍寺からは、海岸線の道が多く、綺麗な海を見たり、サ-ヒィンを楽しむ若者たちを見ながら 本日の宿舎 須崎市のビジネスホテルへ。
 今日は、約38Kmを約11時間かけて、歩いた。いつものようにホテルの近くのコンビにで食料・飲料水を買い入れ、ホテルに入り、風呂に入った後、喉をうるおし、食事をしてすぐ眠った。



  第三日

 今日も「三十七番 岩本寺」までの約35Kmのハ-ドな日程だ。
 ホテルを6時に出発。涼しいうちにと思いピッチを上げる。一時間ほど歩くと福岡県の男性の遍路と一緒に歩く。通しでまわっているとのこと。勤務年数30年で長期の休暇がくれたので以前から考えていた四国遍路をしているとのこと。家族のこと等を共に語りながら歩く。共に岩本寺までとのこと。
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 約半分ぐらいで 中土佐町から四万十町に入る。そこで突然急坂が始まる。約1Km弱で約200mの標高差を登る坂道であった。坂を登り終えるとR56に出る。途中の距離を書いたのは実際の距離では無く、短く書いてあったねと話し合った。
 そこには、食堂があったので冷麺を食べて休憩。
 食堂のおやじさんの話では この付近を高速道路ができ、よくなるがインタ-チェンジがないので寂れると嘆いていた。
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 そういえば、あちこちで高速道路の建設が進み、完成するとすっかり変わってしまうでしょう

 それ以後 平坦な道が続く。台地の上を歩いていることになる。

  宿舎の岩本寺が近づいたので飲み物を買い、お寺へ。
 彼は旅館に予約しているということで別れる。
 img20090806_1.jpgimg20090804_5.jpg 












 岩本寺に到着。宿坊は綺麗だった。   見事な絵天井だった。
 一人部屋を所望すると与えてもらい使用する。
 
 夕食は一人遍路はほかに3人 他は団体客。いつものように一人遍路が集まり盛り上がる。

 今日もハ-ドな日程で疲れているので早く寝る。






  第四日

 朝のお勤めを済ますと出発。1時間ほど歩いて、コンビ二でお茶を買うと「お接待です」と言ってもう一本くれて有難かった。
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 また、コンビ二の前のベンチには「お遍路 優先席」と書いてあるのがあった。お遍路さんに気を遣ってくれているのがうれしい。(写真のリュックは 私の背中で四国を一周したリュックです。)

 また、この日 広島の遍路さんと歩いていて、道を間違えて困っていると(最近 家の外でいる人が少なく、道を尋ねる時に困る)ラッキ-なことに郵便の集配の人が来たので尋ね、詳しく教えてもらった。しばらく歩いていると 後ろで単車の音がするので振り向くと先ほどの郵便の集配人の方だった。きっと教えた通り歩いているか心配で覗いてくれたと思う。ほんとうに暖かい人が多くてうれしく、元気をいただく。
大きな声で心からのお礼を言い、彼の後姿を見送った。
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 四国では、こんなホットな気持ちにしてもらっているが、こんな張り紙をしているのを見た。車からのポイ捨てが多いらしい。
 心身の修行にお参りしているのに何ということか。
 何のための修行か。
 仲間として 腹立たしくなる。
 世界遺産「高野山町石道」も同じだ。自分のゴミをどうして捨てるのか。
 いつも、腹立たしく思いながら世界遺産でのゴミを拾っている。

 それから、2時間ほど歩くと遍路小屋の近くに温泉があり、ここを使う若者
が多いと聞いていたが本日で休業すると張り紙がしていた。
 
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 熊井トンネルがある。100年以上前に造られたが、まだ頑丈で現役で頑張っている。 新潟県の青年と一緒になり歩くことになる。好青年で 家との連絡もよくしているとの事。 彼も岩本寺に泊まったとのこと。詳しく話を聞くと無料の宿泊をさせてもらったとのこと。今日もお寺に頼み宿泊させてもらうとのこと。私はまだ宿泊地を決めてなかったので共に行動することにする。
 土佐東寺大師堂でお世話になる。大師堂の座敷の部屋を借りる。二人いたが少し寂しかった。彼は度々なので一人でも平気になったとの事。初めてで最後かもしれない体験をさせてもらった。



 第五日

 翌7:00、出発。私は約15Km先の「中村駅」です。
 彼は 通し遍路なので中村駅でお互いの健康と幸を祈って別れる。一夜を二人きりで過ごしたので何か寂しい。
 中村駅発 12:03。窪川で乗り換え、高知へ。高知からバスで大阪へ。
 大阪 21:00頃

 今回の歩行記録

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 一日目  大阪 梅田  高知

 二日目  白線  35清滝寺 36青龍寺         約39Km

 三日目  赤線  37岩本寺               約35Km
 
 四日目  緑線  岩本寺 ~ 宿舎            約30Km


  五日目  青線  宿舎 ~ 中村             約15Km


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2009年11月01日

私の足跡 45 四国遍路 土佐の国 27~34番

  高 知 県   (修行の道場)


 第三回 第二十四番 ~ 第三十四番      4月20~4月25日まで 
 

 第一日


 切符を買っていないので心配したが無事に、難波を7:30発で「あさかわ」へ。到着が昼なので降りる前に食事をする。今回は土佐の国なので 前回県境まで歩いて来ているので今日はさらに県境へ。
 今回は、ハ-ドなスケジュ-ルなので、荷物を少なくした。途中、果物を道端で販売している人達の前を通ると「お接待させてください」と言ってはっさく等をたくさんあげるという。うれしいが今後のハ-ドなスケジュ-ルを考えて少しだけ頂く。何度も何度もお礼を言い、そこを去る。
 予定通り、4時ごろ宍喰の宿舎「民宿ぬしま」に到着。明日、早朝出発なので宿泊料を払い、風呂に入って、買い込んだ食事をし、明日の事を考え早く寝る。寝る前のTVの天気予報では 明日は15時過ぎより天気が崩れるという予報だった。



 第二日

 4時過ぎに起き、5時出発。今日は「二十四番最御崎寺」までの40Kmを11時間をかけて歩く計画だ。薄暗いが、涼しく快調にとばす。
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 すぐに、徳島と高知の県境のトンネル。これで、やっと、徳島を終わり、高知に入る。そして高知まで118Km 室戸まで40Kmの標識がある。今回は高知の先の土佐市まで(約180Km)。本日は室戸まで目的地は決まっている。ガンバロ-。
 朝早くから「サ-フィン」を楽しんでいる若者がいた。朝早くからと思うが自分も朝早くから歩いていると思えば他人を笑えない。
 左手に海を眺めての歩きで楽しかったが変化が無く、退屈になってきた。するとぺ-スが落ちる。意識を高めて又歩く。
 
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 20Km過ぎに佐喜浜港に到着。(10時過ぎ)


 大休止を兼ねて漁港の見学をさせてもらう。
 皆は人がよく、快く迎えてくれた。
 とってきた魚を舟から大網ですくい取りベルトコンベアに流し、選別して別々の入れ物に入れていく所だった。
 大きな魚の名を聞くと聞いたこともない名を言った。
 お礼を言い、気分一新して歩き始める。






 
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 一時間ほど歩くと夫婦岩があった。
 奈良の夫婦で車での遍路をしている人がいて、私も休憩を兼ねて話をする。
 昼近くになって一時黒い雲も出たが、天気は下る様子がなく、有難い。
 歩いていると携帯に通信あり、話の後で今四国の高知を歩いていると言うとビックリしていた。30Km過ぎから持病の足がいたくなってきた。35Kmを過ぎると足をかばうために腰も痛くなってきた。もうすぐ、素晴らしい青年大師像が見えてくるはずだと思いながら岬を何度も越した。痛みがひどくなって来たのはきっと、雨を心配をしてピッチをあげ過ぎたからと思う。ここでの40Km歩き遍路の苦しみを評論家の家田荘子さんが講演の中でも話されていたし、先輩遍路もよく言っている。自分もその苦しみを体験できて満足だ。img20090729_5.jpg
 やっと大師像が見えた。元気が出た。
 大師が修行した「御蔵洞」に到着。(前回歩いた時は雨で大変だったのを思い出す。)
 そこから、約30分足らずの急登がまた大変だったが4時に「二十四番最御崎寺」到着。以前 40Km歩いた経験もあるが大きな荷物を持っての40Kmは 初めてだ。達成感を味わう。
 御願いすると 一人部屋で泊まることが出来、食事も以前宿泊した時に「皿鉢料理」出たが今回は一人用のミニ「皿鉢料理」が出て大満足。宿泊費は二食付で6500円。宿泊客少なく、一人遍路は私だけ。夜、お勤めをして寝るころより、雨。明日、雨が上がるのを期待して寝る。


 第三日


 朝、目を覚ますと雨。予定より早くに、雨の中を歩き始める。雨具をつけ、傘をさして歩く。img20090729_6.jpg


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 「二十五番津照寺」に到着。この頃より、雨も降ったり、止んだりになる。 10時過ぎに出発し、最後は急な坂を登ると「二十六番金剛頂寺」に11:00 到着。以前来た時は 特別天然記念物の「やっこ草」を見たが 今はその季節ではない。 
 この頃は、雨も上がっていたが霧がでて、周りがボヤットしていた。昨日の天気予報と違って、降り始めが遅れて夜になったため、昼前まで雨が降ってしまった。



 そこから、神峯寺の麓の「浜吉屋」までの約20Kmの雨上がりの道を歩く。img20090731_3.jpg

 途中、庭先でボタンの花をたくさん栽培している人に出会い話を聞く。
 自分の家のボタンの花はまだ蕾だったがやはり暖かいから早く咲くのだろうと思い写真を撮らせてもらう

 太陽の光が無かったから涼しく歩け 予定の5時半に到着。

 総数20名ほどの客だったが一人部屋で過ごせた。夕食の時は 歩き遍路の人達と本日の雨の事などを談笑しながら楽しく食べて飲んだ。
 


 第四日


  5時に宿を出発。簡単な食事を持ち、涼しい内にと思い、荷物を最小限にして、「二十七番神峯寺」へ向け、山を駆け上る。6時頃お参りをして、下山。
7時宿舎着。 小休止して、荷物を持ち、7:30に出発。約25Km先の「夜須駅」まで。夜須駅よりJRで高知駅へ。そして、割引券を利用できる宿舎「高知会館」に素泊まり。img20090731_1.jpg

到着後、高知市内の見学(はりまや橋・竜馬の生まれた町記念館・旧山内家下屋敷長屋門等)をする。その他、各時代の先覚者として活躍した板垣退助・後藤象次郎・中江兆民等の生誕地も見学した。

ホテルなので食べ物・飲み物を買い入れて一人で気楽に過ごす。








 第五日

 朝早くホテルを出て、img20090730.jpg昨日 列車に乗って「夜須駅」まで。
 

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そこ(昨日歩いてきた所)から、7時半頃より歩き始め、9時過ぎに「二十八番大日寺」に到着。
                           そして、昼前に「二十九番国分寺」に着き昼食。そして、「三十番善楽寺」へ。

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 ここで、予定通り、是非行ってみたい所「牧野富太郎博物館」へ寄ることにする。時間一杯まで見学し、満足して、「三十一番竹林寺」へ。

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遅かったので寺には人が少なかった。

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竹林寺を後にして、本日の宿舎「高知YH」へ。久しぶりのユ-スホステルだから昔と変わっていて戸惑う。会計をして、フロントでキ-と敷布をもらい部屋へ。値段も安く(二食付で5000円未満)、食事や風呂もよく気にいった。部屋は 勿論望んでいた個室。少し狭いがこれで充分。


 第六日


 YHより乗り物に乗り、昨日歩いた所から歩いて「三十二番 禅師峰寺」へ。昨日、共に歩いた愛知の夫婦と会い、一緒に歩く。
最後は、急坂を登ってお参りをする。
参拝後、土佐湾を見渡せ、多くのビニ-ルハウスも見えた
帰りは、急坂を登ったので 急坂を下って、長閑な田舎道を多くの人に 気をつけてお参りをして下さいと元気付けられながら歩く。


 次は「三十三番 雪渓寺」へ。img20090731.jpg

途中、浦戸大橋を渡って行くか、渡船に乗るか迷ったが予定通りの歩行をしているので渡船の時刻とも合う。
しばらく待つ間に昼食をして、船に乗る(無料)。
遍路3人(愛知の夫婦と私)と地元の人一人の4人。
下船後、愛知の夫婦と別れ、まもなく雪渓寺へ。町の中の寺です。




 「三十四番 種間寺」まで一人旅を。歩いていると「ポン菓子」屋があったので匂いに負けて買い、食べながら歩く。
種間寺着、14頃。そして、土佐市を経由して予定していたバスで、高知駅へ。
待ち時間も少なく、16:10分発のバスで大阪へ。帰宅は23時前。

今回の歩行記録

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 一日目  白線  あさかわ ~ 宍喰           約11Km

 二日目  赤線  宍喰  ~  24最御崎寺       約40Km

 三日目  緑線  24最御崎寺~25律照寺~26金剛頂寺~宿舎 約34Km

 四日目  黄色  宿舎~27神峯寺~夜須          約33Km

 五日目  青線  夜須~28大日寺 29国分寺 30善楽寺 3竹林寺
          宿舎                  約33Km

 六日目  緑線  宿舎~32禅師峰寺 33雪けい寺 34種間寺
          土佐市                 約27Km








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2009年10月15日

私の足跡 44 四国遍路 阿波の国 17~23

  徳 島 県 (発心の道場)


 第二回 第十七番 ~ 第二十三番      3月30~4月2日まで 
 

 第一日


早朝、難波をバスで7:15出発。二座席を一人で座れ、徳島駅着 9:37

 今回から一人歩き遍路が始まる。何か不安もあるが この一人歩きを長い間望んでいたのだ。大好きなお大師さんとも 一緒に歩ける。うれしいことだ。    

 JRで府中駅へ10:07。前回十八番を打ち終えて乗った駅なので記憶が生々しい。駅を出て、地図を頼りに寺へ向かう。
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 標識もあるが、不安になり道を尋ねる。予定通りの時刻に最初の寺十七番「井戸寺」に到着。立派な山門。大師にまつわる井戸や清水の伝説は各地にあるが、この寺は伝説がそのまま寺号となっている。井戸の水位は 昔はもっと高かったと近在の古老の話。親しく話してくれた古老とも別れて 出発。
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 これから、恩山寺へは徳島市内を通って行くか山の中を通るか迷ったが山の中を通ることにする。標識は少なかったので、何度も尋ねながら進む。峠で昼食(12:30)。山の中の古道には、手製の水車や水落としが作ってくれており、心を和ませてくれた。img20090727_3.jpg

また、木陰を利用してあちこちに休憩所が作ってくれていた。有難く、利用させてもらう。
 ある民家の前の道を通り過ぎてしばらくすると後ろの方から何か声がするので、振り向くと古老の女性だった。手には みかんを3個持ってきて、「お接待をさせてほしい」という。うれしくて、何度も何度もお礼を言う。ミカンの味も良かったがその温かい心に触れて心身ともに元気を頂いた。
 また、あるコンビ二でお茶を買うと「ありがとうございます。」の後に「お気をつけて」と言ってくれる店もある。四国の人たちは遍路さんをほんとうに暖かく迎えてくれているのがよくわかり、うれしく、感謝・感謝。
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 十八番恩山寺着 13:55。大師の母親を思う心と母親の大師を思う心が伝わる寺である。
 十九番立江寺着 15:15.関所寺の一つ。「心がけの悪い人は山門から前へ進めない。」という。

 途中、孫が全国テニス大会に出場しているので、その試合の結果をメ-ルで確かめながら歩いたので時間がかかり、やっと列車に間に合う。割引券の利用できる「東急イン」(前回も利用したBH)へ。

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 荷物を置き、急いで吉野川の「シラス漁」の撮影へ。ホテルやバス会社の人々の暖かい親切でスム-スに現地へ。肉眼では幻想的な光景だがそれを写真にするのは難しい。
 夕飯を買い込んで ホテルで食事をする。

 
 第二日

 ホテルを 6時に出、立江駅を7時 朝の涼しさを利用して、ビッチをあげる。

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 手前の急登も我慢をして、12時に「お鶴さん」と親しまれている「二十番 鶴林寺」へ。焼山寺につづく遍路泣かせの遍路道も克服
 勝浦川まで下り、標高800mにある「二十一番太龍寺」を目指す。下りで 膝が痛かったが途中一緒になった遍路(へばっていたのか、遍路道なので誰かを待っていたのか)を励ましながらやっと頂上へ。(15:00)(この下りと上りは以前の歩き遍路で経験済み)西の高野山ともいわれ広大な境内。

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  太龍寺という名の通り、絵天井は 見事な龍の絵が彫られていた

 老木の間に木の枠がある。そこから見える景色がスゴイ。はるか彼方に山が見えるがそれが今日歩いてきた鶴林寺である。この風景を他の遍路さんにも教えてあげると5回来ているが初めてだと言って喜んでくれた。


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  早速、お寺の許しを得て(自己責任で)、ロ-プを使いながら、舎心ケ嶽に登り、修行している大師の像の所に行く。
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 19歳の空海が ここ太龍寺の舎心嶽において、虚空像求聞持法の荒行(一日に一万遍から二万遍 虚空像菩薩の真言を唱える)を100日間 山岳修行を行ったと自分自身の書(三教指帰)に記している。

 16:20に下り始め、本日の宿泊所「龍山荘」へ。img20090731_1.jpg
 客は少なく、我々二人と計4名(4名とも一人歩き)だったので各自個室を使わせてもらう。コインランドリ-で洗濯をする。
 そして、4名揃っての夕食と朝食。話がはずみ、皆打ち解ける。
 管 直人氏が以前反省をこめて四国遍路をして、あちこちの宿泊した宿に何かを残している。

 





















 第三日

 6時半 宿を出発。出発は 4名とも各自出発。遍路をしている人の掟か何か知らないが 夜はあんなに打ち解けていても あくる日は殆んど一人だ。これが修行者かも知れない。

 途中の 大根峠はわずか標高200mと思っていたが意外につらい思いをした。 「二十二番平等寺」へは、8:50。
 途中より、海岸沿いか、山よりか迷ったが今後 海岸沿いが多いのでR55号を通ることにした。途中、30分ほどの雨。雨宿りをしたが、車の水はねにはマイッタ。途中、宿の予約を薬王寺周辺(橋本)にする。ここは善人宿で無料で宿泊させてもらう宿だ。こういう遍路宿にはいろいろあるがトイレや風呂で困ることが多い。しかし、この遍路宿は夕食を持ってきて食べさせてくれた。(主人は近くで食堂を経営している)       
 宿泊者は九州の若者と二人きり。遍路者は老若問わずすぐに打ち解けた。彼は、遍路宿を多く使い 通し遍路をしているようだ。前日は平等寺の近くの遍路宿を使った。宿泊料は要らないが 朝 軽い作業をして来たそうです。いろいろな遍路宿があることがわかった。
 時間も早いので荷物を置き、「二十三番薬王寺」へ参ることにする。

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 階段を上り、本堂からの日和佐の海に映える夕日がとても綺麗だった。明日の事を考え、「山河内」まで歩き、列車で帰る。帰って夕食をいただき、若い遍路さんと語り合う。彼は 考えることがあって遍路をしているとの事等いろいろ話してくれた。                                


 第四日
                            
 5時半、まだ寝ている彼を置いて一人で出発。「山河内」から歩き始め、左手に海を見ながらまたトンネルをいくつか越え、鯖大師まで歩く。

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途中、接待をしてくれる所があったので甘えて頂く。冷たい飲み物と大好きな和菓子を頂く。近所の皆さんが交代でお接待をしてくれているとの事。感謝・感謝。ここでも三重県の夫婦遍路さんとも知り合う。
 鯖太師で 昨夜共に過ごした若者と会う。すぐ別れるのでしばらく歩く。
 次回のことを考え、あさかわ駅まで歩く。そこで互いの健康と多幸を祈りあい別れる。私は 近くの食堂で遅い昼食。おじさんは昔大阪で働いていたということで、関西の話で盛り上がる。よいおじさんだった。
 列車で徳島へ。そして、バスで難波へ。


今回の歩行記録

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 一日目  白線  17井戸寺 18恩山寺 19立江寺 たつえ 約27Km

 二日目  赤線  たつえ駅  20鶴林寺 21太龍寺 宿舎  約24Km

 三日目  緑線  宿舎 22平等寺 23薬王寺 やまがわち  約34Km
 
 四日目  黄線  やまがわち  あさかわ まで        約18Km







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2009年10月01日

私の足跡 43 四国遍路 阿波の国 1~16 

四国遍路ひとり歩き(同行二人)

一昨年の「中山道歩き」に続き、 昨年は「東海道歩き」をした。その時から 次の街道歩きは[四国遍路ひとり歩き]と思っていた。
 年齢的にも、1200Kmを歩けるのは今年が最後かも知れないと思って始めた。
 四国遍路は過去二回いっている。

 一回目は、兄夫婦と私たち四人で車に乗って寺から寺へとお参りするよくあるパタ-ンで 二回に分けていった。
 途中、歩き遍路の人を見て自分も体験したくなり、一度約30分ほどさせてもらった。
 (次の年 番外霊場の20ヶ寺をお参りした。)

 2年後、ある旅行社が月一回 1年半かけて 一日平均約8Kmを歩くというツア-があったので申し込み参加した。(一泊二日の時 や 夜行便を使うこともあった。)  延べ日数は 21日だった。   
 毎日 約 8Kmを歩くので楽しかったが 地図に書いてみるとほんの少しでガッカリした。歩き遍路をするなら1200Km歩き通さなければと思い「中山道」歩き、「東海道」歩きを終えた今年実行することにした。
 
 
 実行するにあたり、次の5点を決めて歩く。

Ⅰ 年もとっている(72才)ので、他人(特に家族)に迷惑をかけないことを念頭に置き、へばったら無理をしないで 宿舎に入り休養する。医者にみてもらう。また、歩きを中止して家に帰る。を心にして出発。
   今年一年かけて歩くつもりだが 出来なければ二年かけて行けばよいと  いう軽い気持ちでいる。誰にも気を使わず自分のぺ-スで歩く。一人だから自分の好きな時に(日)に出発し、好きなだけ歩き、イヤになったらやめる。
  何日間で歩くんだということを絶対にしない。

Ⅱ 前二回と同じように各寺の本堂と大師堂に写経 と お札をおさめる。
  勿論 線香・ロ-ソク・賽銭をニヶ所に忘れずに。

Ⅲ 折角、四国をまわるのだから前二回は行きたくても行けなかった所は行ってみたい。
 ◎空海が四国で修行したとされている所(国道沿いの御蔵洞はよく行くが、 太龍寺の舎心ヶ嶽の岩場に攀じ登りそこで修行している弘法大師の像の所等)
 ◎好季節の名所(紅葉の石鎚山頂上等)                
      
 ◎季節の風物(吉野川の河口の漁り火の見事なシラス漁等)

等十数ヶ所を予定している。

 Ⅳ 高野山町石道の語り部をしているので 高野山へのお礼参りの時に 世界遺産の「高野山町石道」を使ってもらえるよう広報の仕事をする。   (共に歩いている時や夕食時の団欒の時)

 Ⅴ 費用の点もあるが宿泊施設もいろんな宿舎(ホテル・旅館・お寺・民宿・へんろ宿・YH・補助券の利用できる宿舎等)を利用する。

  出発にあたり、「四国遍路ひとり歩き同行二人」を購入。宿舎・コンビニ・医者・学校・交通機関の℡・標高等歩く人に必要なことが網羅した地図 です。 ひとり歩き遍路の九割の人が持っているスバラシイ本で歩き遍路の 必携本ということで 私も購入し、重宝している。
 


  徳 島 県 (発心の道場)

 第一回 第一番 ~ 第十八番  3月23~25日
 
 

 第一日


 早朝 なんば高速バス停発 高松行8時35分のバスで鳴門西で下車。
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 徒歩で一番札所「霊山寺」へ。12時着。一番札所なので開経・懺悔文・から始め回向文までお経をあげ、丁寧にお参りをする。弘法大師空海との「同行二人」の長い長い旅・四国巡礼がいよいよ始まる。無事八十八ヶ寺を歩き終えますようお大師さまに再度御願いする。
 綺麗な遍路に見送られて出発。今回だけは 4人組の遍路。

 二番札所 極楽寺に1,5Kmで約20分で到着。
 あっけないほどの感じで到着。 
  三番札所 金泉寺に2.5Kmで約40分で到着。
 一番から三番までは歩き遍路の人には足慣らしといわれ、札所と札所の距離は短い。
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 各寺は櫻の花が咲き、お遍路さんを迎えてくれていた

 四番札所 大日寺に5、0Kmで約1時間20分で到着。
 朱塗りの門は山の緑に映えていた。
 五番札所 地蔵寺に2,0Kmで約30分で到着
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 六番札所 安楽寺に5.0Km  昔は万病に効いたという湯が湧いていた

 七番札所 十楽寺に1.2Km  十の輝く楽しみが得られるという寺

 八番札所 熊谷寺に4.0Km  重厚な仁王門、そして仁王堂には圧倒される。

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 地元の方達の「お接待」という暖かいおもてなしを受けた。

 タオルと小物入れの自作の袋を頂く。賽銭入れ専用の袋として重宝させてもらっている。 

 本日は 最後2.7Km歩き、ここ「九番札所 法輪寺」で打ち終えることにする。

 徳島の割引のきくビジネスホテルで宿泊。



第二日

 昨日の法輪寺から 「十番 切幡寺」まで歩く。山の中腹まで歩く。
 
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img20090726_2.jpg 切幡寺をお参りした後、しばらくして振り返ると山中にある切幡寺がよく見えた。 
 そして、南へ進むと自動車一台が通るのが精一杯の幅の橋を渡り、吉野川の南側に来たことになる。

 そして、十一番 藤井寺に着く。藤がたくさん植えられている寺である。龍の絵天井が見事である。門の中の仁王堂に、堂一杯の大草履が奉納されている。


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 さあ、これからが四国遍路最大の難所・遍路ころがしの十二番 焼山寺への登りにとりかかる。 標高差約700m・距離約12Kmを約6時間かけて登る。
 道端には、いきだおれの遍路さんの供養碑もある。

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 途中、辛くてくじけそうになると目の前にお大師さんが立っておられ、我々を励まし、待っていてくれている。ありがたいことだ。img20090726_4.jpg
 また、なんともいえぬ笑みをもって、励ましてくれる地蔵さんにも元気と英気をもらった。 やっと予定通り、お寺に近づくと参道の両側の老杉群に圧倒される。深山の霊気がぞくぞく伝わってきて、身が引き締まる思いがした。
 本日は焼山寺の宿坊で宿泊。スト-ブをたいていた。風呂の後のビ-ルの味は格別。野球のW杯日本が勝つ。夜、外に出ると満天の星空でプラネタリゥムを見ているようだった。


第三日


 朝、お勤めをして、出発。昨日苦労して登った標高700mを約20Kmの道のりで下ることになる。

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 先ず,遍路の元祖といわれる衛門三郎の「杖杉庵」に着く。欲深かつた三郎は弘法大師に謝罪したいと思い、遍路をしていれば大師に会えると思い、21回まわったが会えず、22回目に逆に周り、やっと会えて謝罪できた場所といわれる所だ。img20090726_6.jpg

 しばらく、歩くと民家の空き地に猪の毛皮がほしてあった。聞くとあまり農作物を荒らすのでとったとのこと。

 そこから鮎喰川に沿って、里に下りてくると餅を焼いて食べている人に出会いお接待で餅を頂く。
 美味しく頂き、元気をもらい、歩くと「十三番 大日寺」に到着。

 こじんまりとした札所だが、平成6年に完成した宿坊は新しい。道路を挟んだ向かい側は、かって大日寺が別当寺を勤めた一宮城跡がある。
  

 「十四番 常楽寺」の境内は自然のままの流水岩で本堂も岩石上に建っている。
 「十五番 国分寺」は聖武天皇が各地に建立した国分寺の一つ。七重の塔の心礎といわれる心礎石などが当時の規模の大きさを偲ばせる。
 
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 途中に 遍路さんのために地元の人たちの好意で建てた建物がある。 水・コ-ヒ-・お菓子等が自由に食べさせてくれる建物である。
 
 本日最後のお寺 「十六番 観音寺」にお参りする。

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 時間があるので、夕食でうどんを食す
 近所の人達には味が好評だったので、立ち寄った。

 国府駅からJRで徳島へ。そして、バスでOCATへ。







 今回  歩いた記録

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 一日目 白線  1番霊山寺 2極楽寺 3金泉寺 4大日寺 5地蔵寺 6安楽寺 7十楽寺 8熊谷寺                                9法輪寺 約24Km


 二日目 赤線  9法輪寺 10切幡寺 11藤井寺 12焼山寺    約27Km


 三日目 緑線 12焼山寺 13大日寺 14常楽寺 15国分寺 16観音寺 約27Km





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