ウォ-ク 熊野街道 小辺路

2009年02月01日

私の足跡 27 高野山から熊野へ 十津川~本宮。高野山

 高野山から熊野へ  

 NO 2  十津川から本宮へ  距離 15km  日数  1日      

 2005年10月10日

三日目

  今日は 小辺路越えの三日目疲れも出てきている。
  十津川温泉の宿を早朝に出発。またもや雨。今回の登山は天気に恵まれない。
 宿の主人に登山口まで送ってもらう。登山口で雨具をつける。
熊野本宮大社への最後の峠越えのこの道は、今も古道の雰囲気を残しています。特に果無峠の登りには石畳が残っており、地元の信者によって祀られた三十三体の観音石仏は、峠を行く私達旅人を見守ってくれています。dscf3433.jpg
 この峠越えは、標高約100mの十津川温泉から標高約1100mの果無峠までの約5Kmを2時間弱で登り、また、同じように下るハ-ドなコ-スです。特に、今日は朝から雨で条件が悪い。気合を入れて頑張ろう。




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 約30分の急登で果無集落へ。ある民家の人がわざわざ雨戸をあけて、我々を休憩させてくれた。感謝・感謝。
 その後は石畳の道や落ち葉の土の道を。そして、緩い坂道、険しい坂道が続く。
 釈迦岳が見えると書いていたが雨天のため見えず、残念。
 約一時間半で、観音堂へ。観音さんを祀った社があった。旅の安全を祈願する。dscf3473.jpgそこには、トイレ・給水所もあり有難かった。ここは、標高約800m。あと30分で標高約1100mの果無峠だ。険しい道が続く。dscf3505.jpg








 やっと果無峠だ。木々に覆われた広場だ。宝キョウ印塔と十七番の観音像がある
 峠を過ぎれば、登りと同じように約1000mの下りが待っている。特に今日は雨なのでスリップに気をつけねばならない。慎重に 下る。
 観音さんの番号が減って行ったり、標識の距離が減っていくのを楽しみに歩く。dscf3600.jpg
 約一時間ほど歩くとはるか下方に十津川が見えた。元気が出る。dscf3605.jpg










 そして、一時間弱で八木尾バス停の国道にやっと到着。(12時15分)
 この八木尾は、木材の集散地として栄えた頃があり、旅館などが多くあり、栄えた頃があつたらしい。
 集まった材木を筏にして新宮まで運んだらしい。
 昔はここから船を利用して本宮へ、そして新宮まで行った人もあったらしい。

 わたし達は国道を歩いて道の駅「ほんぐう」へ。今日一日着けていた雨具を脱ぐ。心身共にスカットす。ビ-ルの味は格別だ。
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 本宮大社に参り、無事に旅を終えてお礼をする。そして、記念写真をdscf3609_1.jpg


 本宮大社が 明治時代の大洪水まで祀られていた大斉原に行く
今回の旅は 雨が多く痛められたが、自然界では雨が降るのは当たり前だ。
運が悪かっただけだ。それよりも、3人無事に完歩できたのはうれしい事と思う。
 
 15時過ぎのバスで田辺へ。17時45分発の列車にのる。帰宅、21時過ぎ。





小辺路の最終 高野~大股   距離 17km  日数 1日       

 2005年10月16日

 高野山から熊野までの小辺路を 都合により残しておいた高野~大股を歩くことにした。
 都合で車で大股へ行き、そこから高野山へ帰るようにした。
 大股では、前回の悪夢の雨を思い出し3人で話す。今回は 快晴。ゆっくり景色を楽しみながら歩く。img_0545_1.jpg
大股を出発して まもなく急にはげしい登りになる。近年、林道が開発されて
大事な古道がズタズタに寸断されているのは、とても残念だ。img_0573.jpg







 でも、古道の道端には、多くの旅人を見送った石仏がたくさん残っていたので、有難かった。
 2時間近く歩くと、本日の標高最高地点である林道と古道の合流点(標高 約1000m)へ。しばらく歩くと何軒かの水ヶ峰集落跡に到着。建物はなく、屋敷の石垣とお墓だけです。何年か前までは、子どもの遊び声や大人の会話が聞こえていたと思うと、寂しい思いがした。でも、このお墓に最近お参りしたのか新しい花がいけられていたので嬉しかった。
 すぐに、高野龍神道と合流し、そこを約30分歩く。ドライバ-は人が歩いているのでびっくりしている。我々も車には細心の注意をはらい歩く。 約2Kmだが、何とか改善できないだろうか。
 車の道と別れると、静かな古道に入る。約3Kmで大滝集落へ。この集落も
人口が減り、住民も高齢化しているそうだ。
 高野からこの大滝までは、年1回清掃ウォ-クに参加し歩いている道だ。
  ここから、急下降となり御殿川へ。そして、急上昇する。
 ほどなく、文久二年(1862年)に建立された丁石(道標)に着く
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丁石には「右側には高野山へ四十丁、くまの本宮へ十七里 左側には大坂十六里奈良へ十八里 和歌山へ十二里」と記してある。 
 坂道を約30分登ると薄峠に着く。img_0592.jpgここからなだらかなアップダウンの道を約30分歩くと大滝口女人堂跡だ。

この高野山への道は7口あり、それぞれの入り口に「女人堂」があり、女人禁制の時代はここより中には入れなかった。ここはその一つでロクロ峠といい、山内に入ることを許されなかった女性たちは、ここから伽藍を遥拝し、仏の救済を祈った。(現存している女人堂は不動坂の一つだけ)





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 約20分で ゴ-ルの高野山大学に着く。これで、約70Kmの小辺路を歩き通して、喜びのハイタッチ。そして、軽く祝杯。帰宅、5時半。

 ここで 小辺路を纏めると「熊野参詣道小辺路は、霊場「高野山」から一部奈良県に入り、1000mを越える伯母子岳・三浦峠・果無峠の三つの峠を越え、その間人家も少なく、(現在は携帯電話も殆んど圏外)という悪条件の険路だが、高野山と本宮を結ぶ道で約70Kmだが最も短期間に往来できる道である。それで、畿内・近国の人々、特に大阪方面から高野山を経て熊野に向かうには都合がよかったのです。そして、本宮から高野山へは「高野道」、高野山から本宮へは「熊野道」とよばれている。

 江戸時代の人は、この小辺路を何日で通っていったのか、気になる。
 記録に残っているのは少ないが、芭蕉の門弟・曽良は「熊野道」で2泊3日真別所の妙瑞師は「高野道」で2泊3日 伊丹の酒造家「八尾八左衛門」は3泊4日でいっている。(詳細は旅日記等を)
 今は00茶屋跡等となり廃屋になっているが、当時は茶店や旅籠が、賑やかに繁盛していたと記録には残っている。
 でも、昔の人は健脚だったということがわかる。





2009年01月20日

私の足跡 26 高野山から熊野へ 野迫川~十津川

 第一部   高野山から熊野へ

総延長  約 100Km      総延べ日数 6 日

NO 1  野迫川(大股)から十津川まで   距離 40km 日数 3日

 
 「高野山から熊野へ」を最初に選んだのは やはり世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」を歩きたかったからです。
 その為には 小辺路をどのように歩いて熊野まで行くか考えた。高野山から熊野までは普通3泊4日が必要です。ところが2泊目の三浦地区には現在は宿泊所がない。そこをどうするかが悩みの種だ。(勿論、三浦から約8kmを徒歩で宿泊所まで歩けばよいが)
 但し、2008年に宿泊所ができた
 いろいろ考え、友人に相談していると一度電話してみたらという所を教えてもらった。そこは、以前 民宿をしていたか゛今は営業者は年をとり、営業していない所。
 電話をすると食事の世話はできないが泊まるだけならという返事。早速お願いする。
 本来なら、3泊4日を連続して行きたかったが都合により、高野・野迫川を後にして、先ず 野迫川から本宮までの2泊3日を行くことにした.

 2005年10月 8日~9日    53Km
一日目

 K氏M氏と家を6時半に出、3人で高野山上へ。車で野迫川の大股に向け 出発。
 出発前より降っていた雨が一段と激しくなり出発地の北俣ではひどい雨。雨具をつける所もない。ふと見ると公衆便所。その中に飛び込み雨具をつける。
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 出発(9:00)をするとすぐに急登が始まる。幸いなことに雨が小降りとなり始める。 
、高度を約200m上げ菅小屋跡へ1時間足らずで。そこから1時間足らずで桧峠へ。雨はどんどんあがってきた。そこから約1時間で伯母子峠。img20090122_2.jpgそして約10分少々で本日の最高地点「伯母子岳頂上」(1344m)へ。昼食をする。
 雨はやっとあがり、コ-トを脱ぐ。頂上には、四方に見える山々の説明した物があったが、もやって何も見えず残念だった。img20090121_4.jpg







 頂上直下に 山小屋があった。(三浦峠を利用できなければ この小屋を利用して2泊3日の行程と一時は考えたこともある。)トイレも新しく綺麗だった。


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 雨がやや小雨になったり、止んだりだ。落ち葉の道で気持ちの良い所もあったがあちこちに崖下何mという所もあり、緊張する。 この小辺路は どの携帯電話も通じないので緊急の場合心配だ。
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 上西家から約1時間足らずで、上西家跡に着く。建物はないが石垣の大きさからみると相当でかい屋敷であったことが判る。トリカブトの花が群生していた
 そこから約1時間足らずで「弘法大師坐像」に着く。今回の旅も無事で終れるようお祈りした。頂上から、標高も約400m下がってきた。img20090120_2.jpg
 そこから約1時間少々で「伯母子岳登山口」へ。約4kmで高度を約500m下る道で雨の後で石畳の石が滑りやすくて マイッタ。

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 そこから、少しで五百瀬の宿泊所へ。宿の人は相当な年恰好だ。(幸いなことに、嫁いでいる娘さんが偶然 帰ってこられていたので助かった)    
 風呂も入れてもらった。そして、交渉しておいたようにその家が使用しているガスコンロとなべを借り、持参したレトルトの食品をお湯の中に入れ、豪華?な食事をして、熟睡した。(宿泊料 4000円)

二日目

 朝早く起き、朝食の用意をし、食後 出発。ありがたい事に、雨があがっていた。                                
 本日の予定は、三浦峠を越え、十津川温泉までだ。img20090122.jpg
 早速、標高 約300mの五百瀬から約1000mの三浦峠(距離は 約4.5km)への登りが始まる。この急登を2時間少々で登る予定。頑張ろうと自分自身に気合を入れる。img20090122_1.jpg






  出発後、急登だったが民家の間を通り人々と声を交わしながら約30分で大杉の防風林に囲まれた「吉村家跡」に予定通り到着。家の跡もないが庭木だけが残っていた
 丁石が所々に残っているので目標となり、歩きやすい。dscf3240.jpg
 そこから更に約30分少々のキツイ急登をすると「三十丁の水」に到着。美味しい水をしっかり頂く。dscf3255.jpg









お水で元気が出たのでがんばり、予定より速く30分で三浦峠へ。標識が多くあり、休憩をしたが、ただ林道と合流しただけという感じがした。木が多く、見晴らしもよくない。 
 すぐに、下山し始める。防護柵の間の細い道等の約30分で「古矢倉跡」に着く。dscf3278.jpg地蔵菩薩坐像もある。
 そこから約30分足らずで「出店跡」に到着。ここで、新道と旧道に分かれていたので旧道をとる。途中より、今西の集落が見えた。五輪の塔もある。dscf3298.jpg












 この小辺路は 丁石・石仏とかの標識やいもせ小学校の児童のかわわいい標識があった。 それに同じ規格で、距離もいれた標識等でどんなに元気づけられたことでょう

「出店跡」から約1時間足らずで「矢倉観音堂」到着。ここから、約30分は急な下りの連続だったが、昨日に比べ、食料などの荷物がへったのと、天気も良かったので標準時間より速く歩け、予定より早く12時すぎに「西中」に到着。車道を約30分で川合神社へ。そして、福田寺跡。そして、販売店の横の石段と道を登ると「大津越大師堂」へ寄る。旅の安全を祈る。
 「昴の郷」を過ぎて、三叉路を左へ。宿舎は宿泊費が格安ということでここから1時間近く歩く。dscf3383.jpg
 ここを歩いたため、観光用の「野猿」に乗り、楽しむことができた。川幅約200mほどを「野猿」に乗り川を往復できる。(但し 有料)
 この「野猿」は車の普及していない時代は これを利用して対岸との行き来に利用した物で当時は欠かせないものだった。
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 宿舎着、16:00。今夜は、ホテルの風呂・ホテルの料理で何かホットする。
 今夜は昨日のレトルトの豪華な料理?とは違い、まさに豪華な夕食と水分補給で疲れを癒す。そして、ゆっくり熟睡。