その他

2016年01月04日

私の足跡 182   2016年 謹賀新年


 第  回のウォークは  します


私の足跡 184
              
                                       

                                               2016年 謹賀新年

  私はブログを始めて 8年近くが経過しましたが皆様方の暖かいご支援でいつもアクセクして頂き(アクセス数 20 000超) 私も続けていられるのは皆様のご支援の賜物と思っています。ありがとうございます。これからも 皆様が お気の入りの記事を書きますので よろしくお願い致します。



  さて、元日に目覚めると 天気も良さそうなので 家の近くの高台に「初日の出」の撮影に出かけた。
  カメラを持った先客がいた。日の出を待ったが雲がかなり多く 条件が悪いまま続いたが雲から顔を出すまで待った。

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    7寺22分 東の空がやっと赤味をあびて来た。

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   1分後 太陽の頭が見えて来た。日の出を送らせていた憎い分厚い雲。 

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  やっと 姿をあらわした太陽。日の出は何時・何処のも良いものだ。
  


  帰って しばらくすると 子どもの家からの℡。 毎年の通り 車に乗せてもらい 「金剛山の元旦登山。」 この元旦金剛登山は 50年以上も続けている私のライフ・ワークです。独身時代は早朝に登り 初日の出を待っていたが 子どもが授かった頃からは 朝のお祝をして 子どもをおんぶして登っていたが 今ではその子も自分の子ども(私の孫)を背負って登り、今では その上の孫は成人式も終えている。今は 年寄りの私達夫婦と子供4人家族にお付き合いをしてもらって
6人で登っています。 


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 今年は 年末の気温が高かったので 雪は少ないだろうと話していたが登山口に着いても暖かく 雪が無い。 こんな「金剛山の元旦登山。」は経験が無い。

 頂上についても 木陰には うっすらと雪があるが 他所には雪が無い。いつもの雪像の「かまくら」のかけらも無い。温度計で外気温を見るとマイナスⅠ度である。 昼食もゆっくり楽しく食べられた。



 例年にない気候だったのが 
例年にない景色が見られた。  

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 元旦の日に 金剛山の山頂に桜の花が?   とんでもない 紺碧の青空に樹氷がこびりつき白くなっている。

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よく見ると 小枝にきっちりと樹氷がついている。

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 例年になく暖かい日和で 樹氷を眺めながら下山した。


 今年こそ 内戦・テロの横行・地球温暖化等のない平和で穏やかな世界になることを祈っています。

  現在 「橋本から平城京までを歩く」を企画して約50名の人たちと楽しく歩いています。
  いつか記事を書きますので 楽しみにして下さい。


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2015年09月01日

私の足跡 180  写真撮影 Ⅱ




  私の足跡 180     写真撮影 Ⅱ

  
    今回も 隣の奈良県へ。今度は4人でM氏の車で参加した。

       途中 今後の見学地を詳細にするため 天川村の役場に寄り 資料を得る。

   夕方からの行事を撮影するので 途中 日本三大弁財天の一つと言われる神社に参拝する。

  
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  鬱蒼とした樹木に覆われ 立派な能舞台もあり厳かな感じがした。有名な芸能関係者が参拝するとある。
 
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枝ぶりは 日本一と思われる見事なイチョウです。(以前 小豆島遍路をした時 日本一高いイチョウと書いたイチョウの木があった)

今は ギンナンが鈴なりだが 紅葉の頃は見事だろうと話し合った。

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 その後 会場の道筋の見学を兼ねて 女人結界の所まで行き、山上が岳を仰ぎ見て 山上が岳のそれぞれの経験を話し合った。
 
 昼食後 暑気を取り除くため、鍾乳洞の中に入ることにした。

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 街道を離れ 登山道を登って行くと 上の写真のようなモノレールがあったので 物珍しさもあり 乗ってのぼることにした。

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上のように 樹間をぬって 登って行く。


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 終点から 町を見おろすと 登った高度がわかる。

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 早速 鍾乳洞の中に 入る。 さすが 一年中 気温が6度といわれる通り まさにヒンヤリ.暑気も吹っ飛ぶ。

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 足下が悪いから下を見てると 天井の岩に頭をゴッツンしながら進む。

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 いろんな見学をしながら 冷気にしたったのもつかの間 暑い外気に戻る。


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 いろんな行列があるが 昼ごろの稚児行列に続いてのヒョットコ踊りがスタートする。 行列の始まる時刻になったので、スタート地点に向かう

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 地元の子ども達の鬼の集団  行列出発前に気勢を上げる。

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 元気な鬼の行列達。彼らに聞くと 大阪の某高校のラグビー部の部員。 夏季合宿で昼は練習をして 夜は この祭りに参加しているとの事。 さすが スポーツマン達。元気が良い事。


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 この縁側を利用して、下のような写真のように 利用していた。


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縁側で 一杯飲みながらの祭の見学。

これ以外に 山上が岳に登って来て 美味しいアルコールでご機嫌の人。
また、明日 登る人達も見学していた。

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一杯飲みすぎて かんじんの時に酔っ払っている人もいた。

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 ヒョツトコ踊りが始まる。大人の人の踊りの所作がおもしろい。また、こどもの
ヒョツトコ踊りが楽しかった。

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   このあと、行者さん・鬼さん等が続き最後は阿波踊りだった。


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 最後に 阿波踊りがあったが 自分の子どもを背負って踊っている人がいた。
 後で その人の知り合いに聞いた話だが 生後半年の子どもで 来年は 子どもも歩けるので一緒に踊るのが楽しみと言っているらしい。そういえば ママの背中で手を叩いているのが見えた。

 



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2015年07月14日

私の足跡 178 山陰の島根へ一泊二日の旅


私の足跡 178
   
       島根へ一泊二日の旅

     
 5月と6月は 高野山1200年祭へのお客の案内で多忙だったが やっと落ち着いたので旅に出る事にした。 
     
 ファミリーで 山陰への旅です 

一日目

 8時59分の新幹線で大阪を出て 岡山で特急に乗り、出雲着、14時20分  バスで神社前まで行く。

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 昨年 遷宮された出雲大社へ。いくつもの鳥居をくぐり、途中 大国主神や因幡の白うさぎ達に迎えられて長い参道を通り、神聖な神殿に近づく。大社造りで国宝に指定されている。
 本殿の高さは 24mだが 以前は48m有ったという。

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そして、拝殿の巨大な出雲大社独特の大注連縄の下で 二礼 四拍手 一礼でお祈りをする。
荘厳かつ優美な姿に、背筋が伸びる思いがした。

 帰りは 宍道湖を違った角度から見るため JRではなく、一畑電鉄の列車で乗る。
 ワンマンカーだが 途中迄 車窓案内の女性乗務員が乗って 説明をしてくれる。

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 その一つ ここは 稲荷神社の参道の途中をこの鉄道が横切っている所。写真を撮りながら 列車の中からより 鳥居のハシに立ち、鳥居を横切る列車が撮りたいと思った。

 予約していた宿泊地の松江に 到着後 ホテルに向かう。

   
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 ホテルの部屋より国宝「松江城」をのぞむ。国宝になったのは今月の七月八日でまだ二日目です。
 (天守が 国宝になるのは 63年ぶりで 日本で5例目) 黒塗りの武骨な外観の中に凛とした美しさが認められたのでしょう。 


   夕食を早めにしてもらい、宍道湖に沈む夕日の撮影に向かった。

   
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 しかし 天気は悪く、夕日が見えず夕日に染まる宍道湖ではなかった。
  次回を期待して 宍道湖を後にした。
 ホテルに帰ると 国宝「松江城」がライトアップされていて綺麗だった。


二日目
   
 ホテルを7時過ぎに出て 石見銀山に向かう。この石見銀山は鎌倉末期に開発された。そして、16・7世紀に最盛期を迎え 産出量は日本一で 世界でも第二位であった。しかし 大正12年閉山した。

    
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 ここには、当時の鉱山跡や古い屋敷跡が残り、世界遺産に指定されている。
( 大田石見銀山への玄関口・
大田市駅は 7月11日は開業100年ということで吹奏楽の演奏や旗を使った体操等でお祝の行事をしていた。
 
 荷物を預け、最初に 銀山で働く抗夫の安全祈願と供養のために建てられた「羅漢寺」を見学。

25年の歳月をかけて1766年に完成したとある。500体の見事な羅漢さんは 一体ごとにそれぞれ人間の喜怒哀楽を表現して並んでいたが写真撮影は禁止で残念だった。

 次は 500余の「間歩(まぶ) (採掘跡) の内 最大の龍源寺間歩の見学から始める。
   
 見学する所は往復約4Kmあるので 自転車を借りる。但し ゆるやかだが坂道と聞き、電動自転車を借りる。(以前 しまなみ海道を走った時の苦しさを思い出して)
  
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 説明を聞き 出発。少々割高だったが 坂道も楽だった。

 駐輪所に自転車を置き 龍源寺間歩まで歩く。

 間歩の入り口    

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 龍源寺間歩は 見学用なので安全面を考慮して 当時の面影が失せている感がする。
 しかし、頭上が低かったり 彫ったノミの跡も残っている。

 この中では 気温が低いから冷気を味わう。メガネのレンズも曇る。係の人に聞くと 春夏秋冬を通して 約13度との事。(本日の外気温は 30度とのこと)
 
 有り難く ゆっくりさせてもらう。

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 側壁のあちこちに上のように人一人が通れる掘削あとの穴を開いている。
     

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 町のあちこちに代官クラスの屋敷が残っている。

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 代官所跡は資料館になっている。

 
大森地区には 古い建物が残っており、重要伝統的建造物群になっている。

  
 今回の旅は 石見銀山をゆっくり見学出来て良かった。




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2015年01月01日

170 謹賀新年


 170   謹賀新年

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 今年も 子どもや孫たちと金剛山で元旦を過ごしました。


 昨年は 「私の足跡」にたくさんの人達のアクセクを頂き有難う御座いました。
 今年は 高野参詣の記事が多くなると思います。(昨年も 高野参詣の記事が多く、一番の人気記事は 高野七口の「黒河道」でした。 cf  私の足跡140 と 
私の足跡141です。

 2015年は 高野山開創1200年記念祭の年です。高野山参詣道の案内に関わっている者としては ガンバル年です。
 「紀伊山地の霊場とその参詣道」が世界遺産に登録されて 11年目を迎えます。

 また、2015年は 和歌山県は 国体開催県となりますので、広報の手助けをします。

 
 


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2014年11月01日

私の足跡 166   スポーツの秋


 私の足跡 166     スポーツの秋

 カメラを持っての写真撮影 3回目 この時期 あちこちでスポーツが盛んに行われている。

 私達の住んでいる和歌山県は 来年 「紀の国わかやま国体」が行われます。その関係で「リハーサル大会が各市町村でそれぞれの競技が行われました。
 私の市では、サッカー・バレーボール・ソフトボールの一部が行われました。私達 カメラ好きのグループも広報のお手伝いとして参加しました。
 その中で ソフトボールは 「全日本女子ソフトボール選手権大会」を兼ねていましたので 「日本のエース 上野 由岐子さん」も参加ということで会場を沸かせました。しかし、一日目は出場があったが二日目は試合には出場しませんでした。 

 残念ながら 私は 以前からやっている観光ガイドの仕事があり、広報の仕事は一日目を欠席した。

 その二日目(9月13日)は 私も撮影に参加したしてので その様子を 皆様にも見ていただきたいと思います。

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「全日本女子ソフトボール選手権大会」も一試合目の結果は上記の通りです。
尚、この選手権大会は 会場は2か所で 行われていて橋本会場は2面のコートでおこなわれています




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早朝から ボランティアのスタッフが準備をしている。

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花壇では ボランティアの人達も早朝から花の水やりをして 大会を盛り上げています。

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エースの力投。 

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チーム全員で ホームラン打者を迎える日立チーム。選手の左端で ひと際背の高い選手はアメリカのエース投手「アポット」さん。


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あの長身のアメリカのエース投手「アポット」さんの投球ホーム。見てるとスピードがあり 私にはとても打てそうではない


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 このチームはチームワークは良く、仲間には精いっぱいの応援。そして 味方の好プレーには精いっぱいのハイタッチで喜ぶ。負ければ 応援してもらった観客には 心からの感謝の御礼。本当にさわやかなチームだった。次回は ガンバレと心よりの声援と拍手をした。

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 バックホームのボールと走者がどっちが早いか。ホームベース上でのクロスプレイ。


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 激しいプレイでこんな風景も。

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 汗びっしょりの応援もあった。

 厳しい残暑の残る一日だったが選手は勿論 応援もスタッフも精いっぱい大会を盛り上げて 素晴らしい一日だった。


   この機会に 夏休み中に近くの和歌山県立体育会館で各学校が広い体育会館で練習していたので都合のつく日は撮影に出かけた。その時撮影した写真を見てください。

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暑い時季での若きスポーツマンの熱闘の一場面を見て、元気をもらって帰った。


 長い間 街道歩きの記事から遠ざかっていましたが 次回から街道歩きに戻ります。
   


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2014年07月01日

私の足跡 158  その他(ホタル) 

私の足跡 158
  
     ホタルのシーズン

 6月の末は あちこちの小川でホタルの乱舞が見られると報じられています。
 私も 近在の知り合いのM氏が中心になり、「ホタルを育てる会」を作り、ホタルの世話を続けている所へ 今年も 
カメラを持ち、参加させてもらい楽しませてもらった。  

 
 産卵から後 水中での幼虫の時期に餌となるカワニナをたくさん食べます。そのカワニナの世話等多くの人の奉仕により ホタルは幻想的な光で風情のある光景を手軽に楽しませてくれている。
 そして 都会の喧騒を離れ、幽玄なひとときを過ごすため 大阪市内からの客も多い。

 未熟な作品ですが ご覧下さい。  


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       撮影場所       橋本市柱本 (冷谷川)     

 


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2013年12月31日

私の足跡 149 謹賀新年 

私の足跡 149

 
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   旧年中は 「私の足跡」に多数のクリックして頂き、有難うございました。
   私のこのブログを始めて 6年目を迎えます。このように続けられるのは皆さまがクリックして頂いてくれるお陰です・
   本年度も 街道ウォークを中心に書きますので、よろしくお願いいたします。 
                           
                                  
                                                                               2014年1月1日

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     今年も 55回目の金剛山(1192m)の元日登山をしてきました。(このことについては 私の足跡125をご覧ください。)

  IMG_3909                      今年は 気温も高く、近年にない気温の高さでした。(年末は 平地でも寒く雪も良く降り期待していたがガッカリ。)                           

    
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 気温が高かったが、昨年に比べ、積雪量は多かった。約10cm以上はあった。


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 牛の像が 布団を着たように 雪に埋もれていた。


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 今日の天気は 晴れたり、降ったりの天気で幻想的な風景も見られた

     


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2013年12月04日

私の足跡 148 滋賀の紅葉を訪ねて

私の足跡 148 


       滋賀の紅葉を訪ねて

 11月19日に「自宅の近くから 観光バスに乗り、湖国の紅葉めぐり」のツアーに申し込み、滋賀へ向かう。今回は 三ヵ所共 初めての紅葉名所なので 期待していた。
 好天に恵まれ、車中も楽しく 参加できた。

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まず「胡宮神社」の見学。祭神は イザナギノミコトとイザナミノミコト。
 一時、天台宗系のお寺もあり、湖東三山のように栄えていたが戦火により、焼失。その後、神社だけが再建されている。

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紅葉の時期には 少し早かった。

昼食は 近江牛しゃぶ御膳を頂く。

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 次は 彦根城内の玄宮園の見学。 

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玄宮園は、中国唐時代の離宮をなぞらえて命名されたと考えられている

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近江八景を模して作成されたといわれる廻遊式庭園です。

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彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園。

次は 今回の本命と思う鶏足寺(旧飯福寺)へ。

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バスを降りてから 約20分歩いて 鶏足寺へ。
735年 行基が開く。 荒廃する。 799年 最澄が復興。 その後 真言宗になる。
平安時代 五ヶ寺を構え、湖北の比叡山とも言われ、山岳信仰の修験道場の一つ。
中世には、僧兵を擁するほどの大寺だった。
でも、今はその面影は何もない。

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帰宅は予定通り、19時30分。


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2013年05月15日

私の足跡 134  九州の歴史を訪ねて

私の足跡  134

          
   九州北部の歴史の古里を訪ねて



  3日目  4月 1日

 本日の出発は 9時。 ゆったりとしている。今日は この旅行の最終日。

 最初の見学先は 別府見学の定番 地獄めぐりの一つ・海地獄

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 この海地獄は、1200年前 鶴見岳爆発によって出来た広大な池が海の色に見える所からこの名がついた。

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尚 この周辺には このように〇〇地獄とかが いくつもあるがこれは所有者が全て異なる。


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 園内に温泉を利用した熱帯植物園もあり、スイレンが咲いていた。

 次は 湯布院の町中散策に出かける。到着後、金鱗湖の手前までガイドさんの案内。その後、昼食を入れて約1時間半の自由行動。私は由布院は3度目だが、過去には考えられないほど観光客が多い。(勿論 過去2回は九州の山の登山が目的であったから町の中へは行かずに駅周辺であった。それに 今ほど人気が無かった)  cf 私の足跡 16



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解散後、各自で金鱗湖へ。写真では静まりかえっているが この周辺は人ごみで賑やかだった。 

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鷺が 騒々しい中で 悠々としていた。

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町外れに 由布岳が見える由布見通があった。この由布岳は 万葉集や豊後風土記にもあり、豊後富士としてしられている。山容は 双耳峰で私は特にこのような双耳峰の山容を好んでいる。2003年に阿蘇高岳と祖母山に登った後 由布駅の近くで宿泊した時からこの山への登頂をと思っていた。(cf 私の足跡 12)
そして、2005年に久住山の登山の後に由布岳登山をした。。(cf 私の足跡 12)

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深田久弥の百名山には入っていないが、燕岳等と共に「百名山の候補リストの山」としている。
鞍部の「マタエ」に到着。ここが東峰と西峰の分岐点。左の馬の背から障子岩の鎖場やロープを使って頂上へ行った時を思い出す。そして、ミヤマキリシマの綺麗だったことも忘れない。

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土産物屋の通りを通り、食事をとる。その後集合場所へ。


バスで 国東半島へ。

国東半島は 奈良・平安時代にかけて六郷満山(奈良・京都の文化と宇佐八幡や天台仏教 修験道が混ざった神仏習合のこの地独自の文化)と言われ、仏教文化の栄えた所。今も、その遺跡が半島の至る所に散在し、人々は「み仏の里」と呼んでいる。

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駐車場から15分の坂道と長い階段を登ると魔崖仏に到着。

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熊野魔崖仏の説明

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不動明王  高さ8メートル   右に大日如来が見える

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大日如来  高さ6.7メートル

両者とも 制作年代は 奈良か鎌倉時代か?    大日如来より不動明王の方が古い。
国の重要文化財と国の史跡の指定を受けている。

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魔崖仏から、鬼がひと夜で作ったと言われるひどい乱積みのきつい石段

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魔崖仏から、約10分で奥の院に到着


次は 同じ国東半島にある富貴寺に移動する。


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到着すると多くの参拝客がいた。

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山門の左手には仁王像 阿形

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山門の右手には仁王像 吽形

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本堂(大堂)は 国宝で西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和洋建築物です。

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内陣中央には 重要文化財の本尊阿弥陀如来座像が安置されている。不鮮明だが堂内の壁画(重要文化財)は平安三壁画に指定されている。
(堂内写真撮影禁止の為、パンフレットの写真を使用)

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境内には 笠塔婆等石造物が多数ある。

これで今回の旅行の見学を終え、バスで小倉駅へ向かう。  到着 18時40分 

出発の20時17分まで食事を入れた自由行動。  新大阪着 定刻の22時28分に到着。

家に到着したのは 24時の少し前。


            本日の歩数      10671歩


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2013年05月01日

私の足跡 133  九州の歴史を訪ねて

私の足跡  133

          
   九州北部の歴史の古里を訪ねて



  2日目  3月31

    
  
ホテルの傍を流れる川の堤が桜並木になっていて、綺麗だと聞いていたが、昨夜はトラブルがあり到着時には暗くなっていて駄目だった。それで、朝食前に散歩に出かけた。

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話の通り、桜の最盛期だった。

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約20分の散歩をしてきた。ツアー客も多く見に出てきていた。

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途中 トウモロコシを干している風景を見た。

 
朝食後 8時に阿蘇へ向け、出発。

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最初は 米塚を車窓見学。火山跡だが 「神様の米塚だが苦しんでいる農民のため、この米塚の米を与えたので上部がなくなった」という優しい神様の話がある。

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広々と広がる草はらの草千里。ここから10年前にミヤマキリシマを見ながら登頂した高岳や噴煙も見える。(cf 私の足跡 12)


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阿蘇5岳の一部だが この山並みをお釈迦様の寝姿だと言われていて 今回もガイドさんの説明にも度々あった。

見学後、バスを高千穂峡へ走らせる。高千穂は天孫降臨の地と言われている。天孫降臨の地とは近くの坂本龍馬も登ったと言われる高千穂の峰とも言われている。5年前 その高千穂の峰に登って頂上の「天の逆鉾」を見て来た。(cf 私の足跡 22)
 今回は もう一つの高千穂にきた。ここも天孫降臨の地と言われている。神話の伝説が多く残されている所です。

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高千穂神社 夜 神楽の舞があり素晴らしいというが今回は日程の都合で見学は駄目。

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高千穂神社の拝殿  

 
この近くに神話で天照大神が隠れた「天の岩戸」の神社があったが時間の都合で行けなかった。

 
この後、昼食を入れ、2時間かけて高千穂峡の見学。自動車道から急な石段を下りて峡谷へ。


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九州屈指の人気を誇る神秘の渓谷  長い年月で川の水で削られて出来た。

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バスで 本日最後の見学地 国宝の「臼杵の石仏群」へ。

 臼杵の石仏は 凝灰岩の岸壁に刻まれた60余体の磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたと言われています。だが、誰がどのような目的で造営したのか,はっきりは分かっていなく、今も多くの謎に包まれています。
 昭和55年から14年間に及ぶ保存修復工事が行われた。そして、平成7年6月臼杵磨崖仏4群59体が、磨崖仏ではわが国初、彫刻にあいても九州初の国宝に指定されました。見事な彫刻技術と仏の数。は、国内外で文化遺産として高い評価を得ている。
磨崖仏は8つの群れがあり、全部で60余体の仏がある。

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入り口に掲げられていた説明板

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保存・修理工事の説明板

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風雨からの風化を防ぐため、屋根をつけている。

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如来三尊像  中尊は大日如来 右は釈迦如来 左は阿弥陀如来
如来像の台座には、願文や経巻を納めたであろう円や四角の孔がある。
平安末期頃の作

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地蔵十王像 中尊は地蔵菩薩  彩色も鮮やかに残っている。
鎌倉期の作

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如来三尊像  中尊は釈迦如来 童願で親しみやい表情
平安末期頃の作。

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古園石仏   中尊は大日如来 切れ長の目に引き締まった口元が端正で気品あふれる表情で各方面から絶賛をうけている。
以前は、落ちた仏頭が台座前に置かれていたが修復時に復位された。
平安後期頃の作。

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古園石仏の説明板


見学後 バスで大分の別府湾ロイヤルホテルへ向かう。早めの到着だったので風呂も空いていて良かった。

                      本日の歩数         10137歩


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2013年04月15日

私の足跡 132  九州の歴史を訪ねて


  私の足跡  132

          
   九州北部の歴史の古里を訪ねて

  「高野山への街道」を3回(中高野街道と下高野街道)続けましたが、雰囲気を変えてWと参加した標記の旅行記を書きます。


  1日目  3月30日

新大阪駅 6時45分集合のツアーだったので、集合に余裕をもつため5時に家を出た。

予定通りに進んだので、6時20分過ぎに到着。7時12分の「のぞみ95」 に乗車。

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 上はN700系の列車 今回のツアーは定員45名の満席。84歳の一人旅の人から4歳の子どもから学校が春休みなので小中学生を連れたファミリー等で賑やかだった。 

 9時23分 小倉で下車。  バスで最初の見学地 門司港へ。

 門司港は 古くは平安時代から都と大宰府とを結ぶ重要な場所であった。
 その後も いつの世も 歴史上賑わした場所です。
 明治22年(1889年) 門司港が開港して以来 大正時代にかけて、欧州航路や上海・大蓮への大陸航路など1ヶ月に200隻近い外国船が入港する国際貿易になり、最盛期には年間600万人近い乗降客で賑わった所です。この当時の建物が残っていて、これに新しい町の中に取り入れ「門司のレトロ」として売り出している。


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旧大阪商船 三井船舶 門司支店

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1日 6回跳ね上がる「はね橋」のある風景。

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このはね橋は 「恋人の聖地」に認定されている。
 
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国際友好記念図書館

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 多くの歴史的建造物が残っている町の中に近代的建造物が建っている。これは、建築家・黒川紀章が設計した高層マンション。31階に展望室があり、ここからの眺望は素晴らしかった。東には 関門大橋。壇ノ浦の戦いの「壇ノ浦」。 本州と九州の最短距離である関門海峡。 西に目をやれば武蔵と小次郎が対決した「巌流島」など歴史上有名な所が眼下にあった。

 昼食時間を入れて、2時間ばかりの自由時間の散策では、見学時間は充分ではなかった。今度は夜も入れて ライトアップされた夜景の見学をして見たいです。

 バスで一般道から高速道路にのり、一路熊本城に行く。
 
 13時過ぎ、桜祭で賑わう城内へ。日曜日でもあるのでスゴイ賑わいだった。

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桜祭で仮装で出場した人達に迎えられた。城内の案内係も仮装をして仕事をしていた。
 

 熊本城と言えば加藤清正。天正16年 隈本城(古城)に入る。慶長6年から6年後に現熊本城落成。同16年清正50歳で病死。三男忠弘が家督を継ぐ。20年後改易。細川家入封。
さすが、築城の名手・清正の手腕が発揮されている。特に石垣の積み方がスゴイ。


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上の大小天守閣は西南戦争の直前に焼失した。現在は昭和35年に復元した。

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戦い前の焼失について 説明していた。

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この大天守閣は地上6階 地下1階。石垣の上から高さ30m。途中 展示した資料を見ながら6階まで登ったが息絶え絶えだった。

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大小天守閣と少し離れた所にある宇土槽。これは創建当時から残る唯一の多層槽(国指定重要府文化財) 
 
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本丸天守閣の手前は 本丸御殿大広間 (平成20年復元) 障壁画のある「昭君の間」「若松の間」などがある

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豪華絢爛の襖絵と天井絵。(フラッシュなしであれば撮影可だった)

 ガイドさんの話では 清正公が後10年存命していれば豊臣秀頼も助かったのでは?との裏話も聞かされた。


 その後 バスで阿蘇の内の牧温泉のホテルへ。


                  本日の歩数    13470歩


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2013年02月15日

私の足跡 128  18切符を使って雪国へ

私の足跡  128 


     18切符を使って雪国へ  Ⅲ


    三日目 (8日)
 

     
    
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    高山の朝市は、冬場は7時頃から始まると聞いていたので 7時前に宿を出て「宮川の朝市」へ行ったが まだ準備中だった。

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    時間もあるので 早朝の高山の街の見学を兼ねて もうひとつの「陣屋跡の朝市」へも行ったがまだ誰もいない。

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    初めの宮川の朝市の場へ戻ると3軒が並んでいたが ある一軒に寄る。販売品は高山の漬物だった。おばさんの話では 品物の大半は自分が作る。家のことはお嫁さんに任せている。毎日 店に来てお客さんと話が出来るのは幸せですと。正月が過ぎた今頃は一番客が少ないとか。時間も10時頃にはもっと店もお客も多くなるそうだが 我々は予定があるので宮川朝市に心をひかれながらも立ち去った。

   そして、朝食をホテルで済ませ、高山駅へ。


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   高山駅近くのバスターミナルで切符を買い白川郷行きのバスに乗る。

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   白川郷BT着後 出会い橋を渡り 見学に行く。

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   建築後200年以上も経ている明善寺の見学。全国でも珍しい合掌造りの寺院。
  見事なのは、隣の庫裏です。 江戸時代末期の構造で、5層の合掌造りは白川では最大の建物。、

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   合掌造りと言えば 白川郷。  白川郷と言えば 合掌造り。と言われる程 歴史的文化遺産である茅葺き屋根の合掌造りの家屋が100余も残る。1995年に世界遺産に登録された。      8年前に比べ、今回は 雪が少なかったが この付近は雪が多かった。

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    合掌造りの中でも 大きな建物です。屋根の葺き替えは 数十年ごとに行われる。
  作業は、村を挙げての大仕事。茅と木だけで組み上げていく昔ながらの工法で、数日を要する。
  家族単位ではとても出来ないから 村人総出の仕事となる。この助け合いの精神は「結」と呼ばれ、いまに受け継がれている。

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にごり酒と昼食を胃袋におさめた後、バスで金沢へ向かう。途中より降るものが雪から雨に変わる。  


 金沢駅でバスを降りてから JRの駅西口から入り、ショッピングモールの中に入り込み 改札駅迄の道を間違え時間をロスする。(4年前 東口から出入りした時のイメージとは違いが大きかった。)


 外はまだ雨が降っていたので、兼六園の「雪つり」の見学を中止して、「ジパング倶楽部」の3割引き切符を使い サンダーバードで帰った。


 旅に出ると、素晴らしい景色・出来事に出会えて 時間がたっても忘れられないものがある。     
 今回の旅行でも 心に残った人 3人に出会えた。

 その一人は 一日目に気比から米原への帰路 待合室の人のいない隅で小さい音でハーモニカで「ふるさと」を吹いている70歳ぐらいの男性を見つけた。気になり近づき話してみると二人暮しをしていた奥さんを最近亡くした。それ以後 寂しくてハーモニカをふき始めた。息子の家で正月を今日まで過ごしていたが、奥さんと共に過ごした金沢にこれから帰る途中という。二人暮らしの私達二人もこの人の人生を自分に被せて、寂しい思いになった。哀愁をおびた「ふるさと」のメロディが今も耳に残っている。

 二番目の人は 「18切符を使っての雪国へ」のⅡでも書いていますが、平湯の大滝の結氷状況を尋ねた土産物店の店員さんです。自分の商売に一切関係ないのに 地図をかいてくれたり、確認のため、店を空けて調べてくれた店員さん。 本当にありがとうございました。お陰で 平湯の大滝の結氷を見る事ができました。

 三人目の人は、 「18切符を使っての雪国へ」のⅢで 金沢駅で道に迷ったと書いたがその時 多分じぶんの用もあるのに親切に案内してくれた娘さん お世話になりました。
 そして 最後に案内マップを探してきて 私達に手渡してくれた心遣いに 寒い金沢で 暖かい心のおもてなしを頂きました。本当にありがとうございました。

  


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2013年02月01日

私の足跡 127  18切符を使って雪国へ 

        私の足跡  127 


     18切符を使って雪国へ  Ⅱ
  
  

    
二日目(7日)


       東京駅に 5:05分に到着.  5:22分発の中央線で松本へ向かう。

     甲府を過ぎたころより雪を被った山が見えて来た。

     
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     右側に八ヶ岳の山並みが遠くに見えて来た。

     
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     左側には甲斐駒ヶ岳の雄姿がせまってきた。  
   

    
 松本駅に到着(因みに 18切符を使ったので家からここ松本まで運賃 約4500円)。 バスの乗車券購入後、 昼食。    
   
    バスターミナルに早く行き、バスの最前列に席をとり、景色を眺め カメラにおさめる。
 



   
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     前方に見えるのは 蝶ヶ岳か常念岳かわからないが素晴らしい雄姿を見せていた。(バスの運転手に聞くもわからなかった)

   

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    前方に 親子滝が見えて来た。見事に凍っていた。

   途中 釜トンネルとの分岐があったが、鉄柵がしていて、通行止めであった。
   ( 8年前の3月に ここからスノーシューを履いて上高地まで行ったのを思い出す。cf 私の足跡 24 )

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        少し行くと、長い長い安房トンネル(長さ5,6Km)の中に入り、平湯に向かう。

      資料によると、このトンネルの当初の完成時期は2005年だったが、1998年の長野オリンピックに間に合わせる為、1997年に完成させた。このトンネルの開通により、松本と高山間は不通であった冬季も通行可能になり、通常5~8時間かかったのが5分となったらしい。

   平湯BTに到着し、氷結した平湯の大滝の見学に行く予定。でも、この時期 氷結しているかが問題だ。情報を得るために 店員さんに聞くと他の人にも聞いてくれて、氷結しているとの事。早速 往復1時間をかけて 雪の道を歩いて 山に登って行くことにした。
 
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   途中 ゲレンデの茶店の屋根の雪下ろし や スキーの楽しんでいるのを見ながら山を登る。  ( 30年ほど前の夏に 見に来たことがあるが 記憶はない)


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   平湯大滝についての説明板も半分ほど雪に埋まっている。

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   何枚も写真を撮ったがその一部。      

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   帰路 50年ほど前の夏に登った笠ヶ岳が見えた。
   

   平湯BTに戻り滝の情報を提供してくれた人にお礼を言い、早いが土産物を買う。
   そして、バスに乗り、高山に向かう。

 
  高山BTに到着後、ホテルに荷物を置き、早速高山市内観光に出る。

   
   

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   過去に 高山の名所で行っていない所ということで、国分寺に行く。奈良時代創建だが、他の国の国分寺と同じく昔の面影がなかった。
   
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   ただし、飛騨国分寺の大イチョウ(国指定)があり、推定1200年前とある。

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   新しい博物館の見学。 庄屋等の米蔵・酒蔵の豪華さにビックリ。
 

   夕食をとるため、食堂に入り、飛騨牛入りの食べ物を食していると、隣のテーブルに予約席が一つある。 しばらくすると、OL風の3人がその席にきて、ブドウ酒・ウイスキーと飛騨牛のシャブシャブを豪快に食べ始めた。時間がたつにつれて、彼女達のテンションがあがってきたので私ら年金生活者二人はそそくさと席をたち、夜の高山市街に出て、人出の少ない夜の街を歩いてホテルに帰った。




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2013年01月15日

私の足跡 126  18切符を使って雪国へ 


              私の足跡  126 


     18切符を使って雪国へ Ⅰ 

  昨年 東北の冬祭見学に同行したN氏から 今年は 時間がかかるが旅の一部で青春18切符を使っての旅をとの話があり 企画した。


  夜行列車「ムーンライトながら」の運転の今季の最終日は1月6日 青春18切符は10日までなので次のように企画し、実施した。  


  一日目(1月6日)


   18切符を使い JR橋本駅を9:50発。時間があるので和歌山経由で先ず敦賀へ。

  敦賀での目的は 気比神社に参ることです。理由は近くにある世界遺産の「丹生都比売神社」の1社は敦賀のこの気比神社から勧請しているので 以前からどんな神社か知りたかったからです。  
   

   敦賀は 雪が多くあったが、約2Km程商店街のアーケードの下を通って歩けたので助かった。

   
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          そして、そのアーケードの下に松本零士の世界 宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999のキャラクターの多くのモニュメントに心を癒されながら神社まで行けた。


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     アーケードが終わると信号の向こうに神社が見えた。


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     気比神社は、大宝2(702)年建立と伝えられている。高さ11mの大鳥居は春日大社・厳島大社と並ぶ三大木造大鳥居である。

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     境内も広く、昔から北陸道の総鎮守であり、明治時代に官幣大社となる。そして、越前の国の一宮でもあった。     

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      参拝後は 米原経由で大垣駅へ。そして夜行列車「ムーンライトながら」の出発まで駅周辺の見学をする。3年前に東海道を歩き通した時に度々寄った事がある。その時は 駅の北エリアが工事中でしたが今は完成して近代的な町になっており、ビックリした。

      私達は 南側の店で夕食をとる。丁度 大河ドラマの第一回目で一時間半テレビを見せてもらい時間を費やす。駅に戻り 暖房のついた待合室で列車の出発時間まで時間を費やす。10人程の客は 殆ど「ムーンライとながら」の客達だ。みんなとの話は「ムーンライトながら」と「青春18切符」の話題が中心となり、話が盛り上がる。


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     ホームの出発案内板には上記の表示が出た。出発まであと少しだ。

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             夜行列車「ムーンライとながら」   私達の座席は1号車の8番だった。


     列車は22:49分定刻に出発した。この列車は今シーズンの最後の運行でしばらく見られなくなるからか 空席は殆ど無し。

     我々は 例により 般若湯を飲み、明朝5時まで寝ることにした。しかし、バスのように部屋が暗くならないので落ち着かず、熟睡できなかった。 

      
     
             


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2013年01月01日

私の足跡 125  年賀

   
    私の足跡  125    

                    
 2013年 新春 


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                                               2013 元旦

 
  
             ブログを始めて 今年で5年目を迎えます。これも皆さまの励ましのお陰てす。               

     今年もブログを続けますのでよろしくお願いいたします。

     
54回目の金剛山(1195m)元日登山を報告し 年賀状に変えます。
     

     54回目の金剛山(1195m)元日登山

 
                今年の元旦も 孫達と共に金剛山で迎える事が出来たことは 本当に嬉しい事です。

  思い起こせば 私の独身時代より登り始め 子ども達を背負い登った金剛山元日登山もして、その後孫を背負って登っていたその孫も 来年成人式を迎える年になってしまった。私のこだわりで 金剛山元日登山に付き合ってくれている妻・子ども夫婦・孫達に感謝してしています。私も 後期高齢者になり  来年は登山出来るかどうか心配をしています。

  今年の正月は 暖かいので 寒い金剛山登山は 望めなかったが 6人で挑戦した。

  登山道に雪らしいものが見えて来たのは 頂上付近になり、やっと現われた。

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  広場にもうっすらと雪があったが、いつもより少なかった。

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  茶店前の温度計はマイナス4度と暖かかった。
  
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  広場の温度計もマイナス4度を指していた。

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  いつもの茶店前の「カマクラ」も貧弱だった。


  今年の元日登山は 例年に比べると気温も高い方で雪も少なかったので 食事をして すぐに下山した。  


  次回からは 私の念願にしている寒い所を発表します。


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