2016年07月09日
私の足跡 190 真田父子の足跡を追う
「橋本から古道を通り平城京へ」 の掲載中ですが
7月初旬の旅行分を掲載します。
私の足跡 190
真田家二代の生涯を追う
今 TVの話題は 今年の大河ドラマの「真田丸」である。
幸い 私の住まいは 昌幸・幸村親子が 関ヶ原の敗戦後 14年間蟄居生活を強いられていた九度山慈尊院の近くにあるため、子供の頃から 関心の高いものです。
そのドラマも中盤にさしかかり、盛り上がってきているので、九度山以外の真田家の住んだ実際の地域が見たくなり、旅の計画をたてた。
旅の順序で書くのではなく、年を追って書いてみます。短い時間の旅だったので ほんの一部分です。
(実際は 大阪の真田山エリア⇒天王寺エリア⇒善光寺⇒上田エリア⇒松代エリア⇒別所温泉⇒八島湿原)
夜行バスを入れ 2泊3日の旅行
真田家の家系図
先ず 真田一族の過ごし、信幸・信繁も生まれたと思われる所・「真田の里」に行く。
この地は 幸隆氏があの武田信玄でさえ難攻不落と言わせた砥石城を智慧をしぼり、攻め落とし信玄よりこの周辺の土地をいただき、この地に住み着いたと言われている。いろんな真田氏の遺跡が多く残っている。
真田兄弟も一時期ここで過ごしたと思われます。
先ず、最初に 幸隆氏御夫妻と昌幸氏が眠っている長谷寺にお参りする。
長い石段の向こうにおおきな石門が見える。その石門の先端に六文銭の家紋があった。
そこには 信幸・幸村の父・昌幸と祖父・幸隆御夫妻のお墓があり、お参りして ご冥福を祈り、長谷寺を後にした。
次は 真田氏の上田城を守る大事な戦いの場となる山城(米山城・砥石城・本城・枡形城)の見学に出かける。
上の山は米山城です。頂上まで20分足らず。気温 約30度。汗だくで登る。
登山口を少し登ると雰囲気を出すためか「模擬門」があった。
初めは ゆったりとした道だったが、途中から険しくなり、よく滑る道となり ロープを頼りに登る。
やっと、頂上に到着。上田市も良く見える。以前 この城の持ち主だった「村上義清」の碑が立っていた。
この「真田の里」には 他に新しく上田城をつくるまでの城跡・「真田本城跡」 や 真田一族の「真田氏館跡」 もある。
その後 昌幸の上田進出に伴い新しく築いた上田城の見学に出かける。
昌幸が 父幸隆からの教えと自身の知恵と研究により完成させた歴史に残る名城と言われる「上田城」に到着。
「真田丸」のパンフレットにもよく出る楼門。写真でよく見る所だ。
第一次・第二次上田合戦
徳川・北条の和睦により、真田昌幸が徳川家康にそむくかたちで起った第一次上田合戦。
関ヶ原の合戦の前哨戦となり、真田父子が分かれて戦った第二次上田合戦。
二度もの実戦経験をもち、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも他に例がありません。
昌幸氏のつくつた当時の城は 徳川軍により建物や濠も完全に破壊されている。
(現存している建物は 江戸時代の建物)
その門の入口に 大きな石(真田石)がある。長男 信幸が関ヶ原戦後 家康より隣の松代にお城替えを命じられた時、尊敬する父が使った巨大石を自分の松代城(海津城)に持っていきたいと思ったが大きすぎて叶なかったという石。長男 信幸の人柄が滲んでいる話です。(真実ではないともいわれているが。)
次は 真田井戸がある。この井戸は城外に繋がっている抜け穴の伝がある。
これは 西楼.(現上田城では 最古の建物 県宝)
上田城築城の工事を1583年 4月に始めています。
天正13年(1585)8月に徳川軍が7,000人余の大軍で、上田城を攻撃します。しかし昌幸は巧みな戦略を用いて、わずか2,000人足らずでこれを撃退します。この第一次上田合戦に際しては、上田城の普請が上杉方の多くの武将を動員して行われています。そして、天正13年の9月に、上田城は一応の完成をみます。
この後は、豊臣秀吉が天下を統一し、しばらく動乱は治まりますが、慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが起こります。秀吉没後の覇権を、徳川家康と石田三成が争ったこの戦いで、昌幸と次男の幸村は石田方に、長男の信之は徳川方に別れて戦うことになります。
石田方についた昌幸と幸村は、上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対して、わずか2500人で籠城(ろうじょう)戦を行います。
この第二次上田合戦では、徳川秀忠軍は、7日間上田に釘(くぎ)づけとなり、関ケ原での石田三成との決戦に間に合わず、家康の激怒をかっています。しかし関ケ原の戦いは、石田方の敗北に終わり、昌幸と幸村は、九度山(和歌山県)に幽閉されます。
慶長5年(1600)12月13日 昌幸と信繁の妻子と16名の家臣を連れ、上田城を後にして高野山に向かいます。上田城での生活は 僅か15年でした。この時以来、二度と帰れなかった。
次は 現在 TVで放映されている「真田丸」の画面がたくさん見れる「大河ドラマ館」に入る。
涼しいのと楽しいのとで 予定の時間がすぐに過ぎてしまった。
市民会館を改装し、ドラマ館としている。素晴らしいアイデアである。
ドラマで使われた真田家6人の衣装(一部レプリカ)。中央には信繁と兄・信幸、左右に父・昌幸とその妻・薫、信繁の姉・松と幼馴染のきりが並んでいる。
赤甲冑姿の像前では 数少ないカメラOKの場所なので 人が多かった。
また、「真田丸」の立体的の模型等 素晴らしい展示が並んでいたが撮影禁止のため、皆さんに伝えられないのは残念です。
この続きは 次号で
drecom_yama_ya617 at 13:00│Comments(0)│TrackBack(0)