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2014年06月16日

私の足跡 157  大和街道ウォーク 4 

 私の足跡 157
  

     大和街道ウォーク 4




  今回(最終回)は 5月14日に船戸駅から和歌山城迄の約17kmを歩く。船戸駅を予定通り、9時過ぎに出発。
 歩き始めて、10分位で国道24号線を分かれて大和街道に入る。

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紀伊小倉駅を左に見て進むと右側に「巡礼の墓」があった。宝永(1705年)の6月、岩出の渡し場で根来寺に向かう40名余の乗った船が転覆してしまった。そのうちⅠ5名は岸に泳ぎ着き助かったが残りの人は遭難。その中に遠くからの巡礼者が多く、当地の人々はこの地に
巡礼者を葬った
 その後、現在までここ満屋地区の人々は当番を決め、祀っている。そして、春秋の彼岸やお盆には僧侶による法要もしている。地区の人々の心がすばらしい。

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馬次。旅で馬を利用した人は、ここで馬を乗り換えた所。

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この街並みを左に折れる。

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松下幸之助の生誕地に寄る。湯川秀樹氏の書で書かれた石碑。
右の写真は、明治の初めに姓をつける時 この松の下に家があったから「松下」とした松の木。
今は、天災等により、見る影もなくなっている。

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 全国で 7つしかないと言われる女子刑務所の一つ。
 私達は ここで刑を受けている人達が作った作品を買い、受刑者を影から応援する。

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大和街道の和歌山城からの一里塚。道の両側に造ってある。重要文化財

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地蔵の辻の「地蔵さん」

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 紀の川の堤防上の大和街道に造られた建物の一部。 「嘉家作」といい、和歌山藩主の造った建物。門前に建てられ、普段は裏の畑で農作物を作る百姓や宿屋。兵事の時は、刀や槍を持って戦う武士を住ませていたとう建物。今は、ほんの一部しか残っていない。江戸時代は 藩からの支援を受けていたが、今は立ち退きを迫られているようです。

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大和街道の終着点の京橋に到着。橋の上には 駕籠がのっかり、定時になると殿様などの人形が出てきて、「鞠と殿様」の曲が流れて癒してくれる場所てす。
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大和街道 終点 京橋上にて。

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この京橋の北側に 小さいが上記に門の有った場所になっている。ここから内は城内で用のないのは 立ちいられなかった。したがって、大和街道はここまで。

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私達は、この一の橋の橋の上での到着の記念写真を撮る。

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城内に到着し、大和街道隅田からの約60Kmを歩き通した喜びを表した写真。
人によりますが、隅田から伊勢遷宮までの約120Kmの合計とで180kmを歩いたという「喜びに満ちた写真」でもあります。

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本日の歩数   27806歩






drecom_yama_ya617 at 08:21│Comments(0)TrackBack(0)ウォーク 大和街道 

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