2013年05月15日
私の足跡 134 九州の歴史を訪ねて
私の足跡 134
九州北部の歴史の古里を訪ねて
3日目 4月 1日
本日の出発は 9時。 ゆったりとしている。今日は この旅行の最終日。
最初の見学先は 別府見学の定番 地獄めぐりの一つ・海地獄

この海地獄は、1200年前 鶴見岳爆発によって出来た広大な池が海の色に見える所からこの名がついた。

尚 この周辺には このように〇〇地獄とかが いくつもあるがこれは所有者が全て異なる。



園内に温泉を利用した熱帯植物園もあり、スイレンが咲いていた。
次は 湯布院の町中散策に出かける。到着後、金鱗湖の手前までガイドさんの案内。その後、昼食を入れて約1時間半の自由行動。私は由布院は3度目だが、過去には考えられないほど観光客が多い。(勿論 過去2回は九州の山の登山が目的であったから町の中へは行かずに駅周辺であった。それに 今ほど人気が無かった) cf 私の足跡 16
![IMG_0963[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/b/6/b68feab6.jpg)
解散後、各自で金鱗湖へ。写真では静まりかえっているが この周辺は人ごみで賑やかだった。

鷺が 騒々しい中で 悠々としていた。

町外れに 由布岳が見える由布見通があった。この由布岳は 万葉集や豊後風土記にもあり、豊後富士としてしられている。山容は 双耳峰で私は特にこのような双耳峰の山容を好んでいる。2003年に阿蘇高岳と祖母山に登った後 由布駅の近くで宿泊した時からこの山への登頂をと思っていた。(cf 私の足跡 12)
そして、2005年に久住山の登山の後に由布岳登山をした。。(cf 私の足跡 12)


深田久弥の百名山には入っていないが、燕岳等と共に「百名山の候補リストの山」としている。
鞍部の「マタエ」に到着。ここが東峰と西峰の分岐点。左の馬の背から障子岩の鎖場やロープを使って頂上へ行った時を思い出す。そして、ミヤマキリシマの綺麗だったことも忘れない。

土産物屋の通りを通り、食事をとる。その後集合場所へ。
バスで 国東半島へ。
国東半島は 奈良・平安時代にかけて六郷満山(奈良・京都の文化と宇佐八幡や天台仏教 修験道が混ざった神仏習合のこの地独自の文化)と言われ、仏教文化の栄えた所。今も、その遺跡が半島の至る所に散在し、人々は「み仏の里」と呼んでいる。
![kunisaki[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/7/b/7b0772a6.gif)

駐車場から15分の坂道と長い階段を登ると魔崖仏に到着。

熊野魔崖仏の説明
![kumanom01[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/f/0/f05e0162-s.jpg)
不動明王 高さ8メートル 右に大日如来が見える
![kumanom33[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/a/4/a467b114.jpg)
大日如来 高さ6.7メートル
両者とも 制作年代は 奈良か鎌倉時代か? 大日如来より不動明王の方が古い。
国の重要文化財と国の史跡の指定を受けている。

魔崖仏から、鬼がひと夜で作ったと言われるひどい乱積みのきつい石段

魔崖仏から、約10分で奥の院に到着
次は 同じ国東半島にある富貴寺に移動する。

到着すると多くの参拝客がいた。

山門の左手には仁王像 阿形

山門の右手には仁王像 吽形

本堂(大堂)は 国宝で西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和洋建築物です。
![fukiji35[1] - コピー](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/1/3/1329c832.jpg)
内陣中央には 重要文化財の本尊阿弥陀如来座像が安置されている。不鮮明だが堂内の壁画(重要文化財)は平安三壁画に指定されている。
(堂内写真撮影禁止の為、パンフレットの写真を使用)

境内には 笠塔婆等石造物が多数ある。
これで今回の旅行の見学を終え、バスで小倉駅へ向かう。 到着 18時40分
出発の20時17分まで食事を入れた自由行動。 新大阪着 定刻の22時28分に到着。
家に到着したのは 24時の少し前。
本日の歩数 10671歩
九州北部の歴史の古里を訪ねて
3日目 4月 1日
本日の出発は 9時。 ゆったりとしている。今日は この旅行の最終日。
最初の見学先は 別府見学の定番 地獄めぐりの一つ・海地獄

この海地獄は、1200年前 鶴見岳爆発によって出来た広大な池が海の色に見える所からこの名がついた。

尚 この周辺には このように〇〇地獄とかが いくつもあるがこれは所有者が全て異なる。



園内に温泉を利用した熱帯植物園もあり、スイレンが咲いていた。
次は 湯布院の町中散策に出かける。到着後、金鱗湖の手前までガイドさんの案内。その後、昼食を入れて約1時間半の自由行動。私は由布院は3度目だが、過去には考えられないほど観光客が多い。(勿論 過去2回は九州の山の登山が目的であったから町の中へは行かずに駅周辺であった。それに 今ほど人気が無かった) cf 私の足跡 16
![IMG_0963[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/b/6/b68feab6.jpg)
解散後、各自で金鱗湖へ。写真では静まりかえっているが この周辺は人ごみで賑やかだった。

鷺が 騒々しい中で 悠々としていた。

町外れに 由布岳が見える由布見通があった。この由布岳は 万葉集や豊後風土記にもあり、豊後富士としてしられている。山容は 双耳峰で私は特にこのような双耳峰の山容を好んでいる。2003年に阿蘇高岳と祖母山に登った後 由布駅の近くで宿泊した時からこの山への登頂をと思っていた。(cf 私の足跡 12)
そして、2005年に久住山の登山の後に由布岳登山をした。。(cf 私の足跡 12)


深田久弥の百名山には入っていないが、燕岳等と共に「百名山の候補リストの山」としている。
鞍部の「マタエ」に到着。ここが東峰と西峰の分岐点。左の馬の背から障子岩の鎖場やロープを使って頂上へ行った時を思い出す。そして、ミヤマキリシマの綺麗だったことも忘れない。

土産物屋の通りを通り、食事をとる。その後集合場所へ。
バスで 国東半島へ。
国東半島は 奈良・平安時代にかけて六郷満山(奈良・京都の文化と宇佐八幡や天台仏教 修験道が混ざった神仏習合のこの地独自の文化)と言われ、仏教文化の栄えた所。今も、その遺跡が半島の至る所に散在し、人々は「み仏の里」と呼んでいる。
![kunisaki[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/7/b/7b0772a6.gif)

駐車場から15分の坂道と長い階段を登ると魔崖仏に到着。

熊野魔崖仏の説明
![kumanom01[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/f/0/f05e0162-s.jpg)
不動明王 高さ8メートル 右に大日如来が見える
![kumanom33[1]](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/a/4/a467b114.jpg)
大日如来 高さ6.7メートル
両者とも 制作年代は 奈良か鎌倉時代か? 大日如来より不動明王の方が古い。
国の重要文化財と国の史跡の指定を受けている。

魔崖仏から、鬼がひと夜で作ったと言われるひどい乱積みのきつい石段

魔崖仏から、約10分で奥の院に到着
次は 同じ国東半島にある富貴寺に移動する。

到着すると多くの参拝客がいた。

山門の左手には仁王像 阿形

山門の右手には仁王像 吽形

本堂(大堂)は 国宝で西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和洋建築物です。
![fukiji35[1] - コピー](https://livedoor.blogimg.jp/drecom_yama_ya617/imgs/1/3/1329c832.jpg)
内陣中央には 重要文化財の本尊阿弥陀如来座像が安置されている。不鮮明だが堂内の壁画(重要文化財)は平安三壁画に指定されている。
(堂内写真撮影禁止の為、パンフレットの写真を使用)

境内には 笠塔婆等石造物が多数ある。
これで今回の旅行の見学を終え、バスで小倉駅へ向かう。 到着 18時40分
出発の20時17分まで食事を入れた自由行動。 新大阪着 定刻の22時28分に到着。
家に到着したのは 24時の少し前。
本日の歩数 10671歩