2013年04月15日
私の足跡 132 九州の歴史を訪ねて
私の足跡 132
九州北部の歴史の古里を訪ねて
「高野山への街道」を3回(中高野街道と下高野街道)続けましたが、雰囲気を変えてWと参加した標記の旅行記を書きます。
1日目 3月30日
新大阪駅 6時45分集合のツアーだったので、集合に余裕をもつため5時に家を出た。
予定通りに進んだので、6時20分過ぎに到着。7時12分の「のぞみ95」 に乗車。
上はN700系の列車 今回のツアーは定員45名の満席。84歳の一人旅の人から4歳の子どもから学校が春休みなので小中学生を連れたファミリー等で賑やかだった。
9時23分 小倉で下車。 バスで最初の見学地 門司港へ。
門司港は 古くは平安時代から都と大宰府とを結ぶ重要な場所であった。
その後も いつの世も 歴史上賑わした場所です。
明治22年(1889年) 門司港が開港して以来 大正時代にかけて、欧州航路や上海・大蓮への大陸航路など1ヶ月に200隻近い外国船が入港する国際貿易になり、最盛期には年間600万人近い乗降客で賑わった所です。この当時の建物が残っていて、これに新しい町の中に取り入れ「門司のレトロ」として売り出している。
旧大阪商船 三井船舶 門司支店
1日 6回跳ね上がる「はね橋」のある風景。
このはね橋は 「恋人の聖地」に認定されている。
国際友好記念図書館
多くの歴史的建造物が残っている町の中に近代的建造物が建っている。これは、建築家・黒川紀章が設計した高層マンション。31階に展望室があり、ここからの眺望は素晴らしかった。東には 関門大橋。壇ノ浦の戦いの「壇ノ浦」。 本州と九州の最短距離である関門海峡。 西に目をやれば武蔵と小次郎が対決した「巌流島」など歴史上有名な所が眼下にあった。
昼食時間を入れて、2時間ばかりの自由時間の散策では、見学時間は充分ではなかった。今度は夜も入れて ライトアップされた夜景の見学をして見たいです。
バスで一般道から高速道路にのり、一路熊本城に行く。
13時過ぎ、桜祭で賑わう城内へ。日曜日でもあるのでスゴイ賑わいだった。
桜祭で仮装で出場した人達に迎えられた。城内の案内係も仮装をして仕事をしていた。
熊本城と言えば加藤清正。天正16年 隈本城(古城)に入る。慶長6年から6年後に現熊本城落成。同16年清正50歳で病死。三男忠弘が家督を継ぐ。20年後改易。細川家入封。
さすが、築城の名手・清正の手腕が発揮されている。特に石垣の積み方がスゴイ。
上の大小天守閣は西南戦争の直前に焼失した。現在は昭和35年に復元した。
戦い前の焼失について 説明していた。
この大天守閣は地上6階 地下1階。石垣の上から高さ30m。途中 展示した資料を見ながら6階まで登ったが息絶え絶えだった。
大小天守閣と少し離れた所にある宇土槽。これは創建当時から残る唯一の多層槽(国指定重要府文化財)
本丸天守閣の手前は 本丸御殿大広間 (平成20年復元) 障壁画のある「昭君の間」「若松の間」などがある。
豪華絢爛の襖絵と天井絵。(フラッシュなしであれば撮影可だった)
ガイドさんの話では 清正公が後10年存命していれば豊臣秀頼も助かったのでは?との裏話も聞かされた。
その後 バスで阿蘇の内の牧温泉のホテルへ。
本日の歩数 13470歩