2012年07月15日
私の足跡 114 小豆島八十八ヶ寺遍路 7
私の足跡 114
小豆島八十八ヶ寺遍路 7
最終回の二日目(最終日)
7 月 5 日
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昨夜の宿の「かつや旅館」 この裏は砂浜の海岸でもうすぐすると夏の海水浴場で賑わう事でょう。
かつやさんには車で送ってもらったり、忘れた杖を送ってもらったりと大変お世話になりました。


この旅館の特徴は 絵皿がたくさん並べていた。また 石臼の石を収集していること。

昨日 頑張って 81番恵門ノ瀧を打ち終えているのと雨も降っているので、予定よりゆっくりとして出発。
次の吉田庵までは 雨が降ったり止んだりしているので山越えではなく、安全のため 海岸線の県道を通る。
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ここだけではないが 石の採掘の為 自然破壊がひどい 早く回復させてほしい。
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瀬戸内の海は 静かに凪いでいた。
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吉田の町から吉田庵は少し入った所にある。
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吉田庵

途中から見える吉田ダムの堰堤が下から見るのですごく迫力がある。
ここから福田庵までは 山道を通っての遍路道もあるが、雨も時々降るので県道を通る。

相変わらず海は凪いでいる。

石切り場の跡で 自然破壊が進んでいる。

83番福田庵 福田の町から20分ほど山手にある。途中 道を尋ねた80代の女性「大阪からきたのかね」と聞くので「いいえ 和歌山です」と答えると 「へー そんなに遠い所から・・」と言われた。大阪は近いが 和歌山はとても遠いと思っているのかと感じる会話だった。

84・85番 雲海寺 本地堂 スゴイ立派なお寺です。

さすが 石の町 小豆島 石垣の石は全て花崗岩 すごーいと思った。

本地堂で納経。 納経は2ヶ寺をここでしてもらう。
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86番 当浜庵
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県道を南下していると 「石彫のまち」の標識がある。通りにはたくさんの作品を並べて通りがかりのひとの目を楽しませてくれている。



87番 海庭庵 相変わらず雨が降ったり止んだりしている。しかし、気温が低いので助かる。

海庭庵の近くの2体の地蔵さん。
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この近くで 大阪城石垣切丁場跡の標識があり、何ヶ所かの石切り場があったらしい。
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上の石切り場の一つ 八人石苑路がある。雨の為 ゆっくり見学は出来なかったが、昔の石切り場の作業跡が残っているらしい。石を運ぶ途中 8人の人夫が石の下敷きになって死亡するという事故が起こったので 八人石苑路の名があるという。延長240mで 数十個の残石があるという。(上の地図の四角い白い図)

南風台 名の通り南洋の雰囲気がある。雨のふりがひどくなる。

やっと 結願の寺 88番 楠霊庵に到着。四国の結願の寺 88番大窪寺での「やった~」という思いにはなれない。やはり、四国の苦しさの方が強かったのかなと思う。そして、最後の寺だが、庵で年配の女性が居るだけ。そして、庵だから朱印もない。
でも、お茶の接待をいただき、帰りの福田までのバス待ちまで話をする。

境内より 東を見ると海が見える。小さな漁村である。雨が止みました。
橘の88番 楠霊庵よりバスで福田港に到着。待合室で待っていると年配の女性から「珍しいものをあげる」と言って、下の写真のようなオリーブの葉っぱを頂く。

上は普通の葉っぱ。下は滅多に見られないハートの葉っぱ (若い人に人気があるそうです) 私には似合わないがありがたく頂く。 結願の日にもらえるとは 何か良い事が起こりそうなので大事にしょうと思う。

福田港を15時30分のフェリーに乗り、思い出の小豆島を後にした。お客は15人位 車6台 帰りもゆったり。
本日の徒歩数 32250歩
小豆島歩き遍路を終えて
小豆島の面積は153k㎡ 海岸線126km 瀬戸内海で2番目の大きさである。
今まで 小豆島と言えば 24の瞳の学校 オリーブ・醤油・そうめんの町との印象だったが石切り場の印象も強く残った。
遍路道は徒歩距離約160kmと短いが 平坦地が少なく国道 県道 その他の道も勾配があり激しく 厳しいコースだったが道しるべがあり(四国より少ない)、「おへんろ路案内図」をたよりに歩いたので道を間違えたのは2度だけ。地元の人も道を尋ねると親切に教えてくれた。中にはついてきて教えてくれた人もいました。ほんとうにありがとうございました。
この小豆島は 1000年以上の前 弘法大師が生国(讃岐)から京都への上京時 帰郷の道すがら ここに立ち寄り山野を徒渉され 修行された霊場です。88ヶ所の本霊場に加え 6ヶ所の奥の院を含めて94ヶ所からなっている。(このうち寺院霊場 30 山岳滝霊場 14 堂庵 50)
殊に山岳滝霊場は その幽玄・静寂の佇まいは優れた風光に恵まれ、まさに悟りの道であった。
この旅で 四国遍路一人歩きもそうだったが、困った時に お大師さんに出会って助けてもらったと思われることがありました。感謝しています。
合掌
小豆島遍路の次は 葛城修験道28宿を歩くを書きます。