2012年02月01日
私の足跡 103 竹の内街道を歩く 1
私の足跡 103
竹の内街道を歩く 1
2011.12.
お待たせしました。街道ウォークに戻ります。
竹の内街道の起源は、推古天皇21年(613)に整備されたことにあります。難波と飛鳥を結び、わが国最古の官道となったこの道とほぼ重なる竹の内街道を歩くことにした。
この道は、時代に応じて役割を変えて来た。飛鳥と大陸との行き来を担う「外交の道」 聖徳太子信仰を支える「信仰の道」 物資を運ぶ「経済の道」・・・今も大阪と奈良を結ぶ大事な道を歩くことにする。
街道は 堺の大小路(おおしょうじ)から始まる。上の写真は、今は川は無くなり、道路になっているが、昔の「おほせうぢばし」の標識が残っている所を通る。
堺市役所の前を通り、仁徳天皇陵を右手に眺めながら進むと西高野街道との分岐にかかる。
平安時代初期に、庶民の安全と五穀豊穣を祈願して創建されたといわれる金岡神社に参拝。
所々に標識があったが、少なくて道に迷うことがあった。
野中寺に到着。聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられ、「中の太子」と呼ばれており、竹の内街道に南大門を置く大寺院でした。
境内に残っている塔跡や金堂跡飛鳥時代の伽藍の一部は、国指定の史跡。
上記の古墳出土の石棺も国指定の重要文化財
浄瑠璃でおなじみのお染・久松の墓もあった。
上の写真は、正面からのお墓。下は碑の裏側。
野中寺を出て、道を間違え、北寄りの道を通り、応神天皇陵を左手に見ながら進む。今日の予定は、古市駅迄だったがピッチが速く、時間があったので駒ヶ谷駅まで進むことにする。
神社・仏閣の多く残る古市の街道を通り抜け石川を越えれば、ブドウで有名な駒ヶ谷駅に到着。
帰路、途中二人で忘年会を。