2011年12月10日
私の足跡 99 頑張れ 東北 1
私の足跡 99 頑張れ 東北 1
今回の東北旅行の目的
本年の最大事故と言えば何と言っても「東日本大震災」に違いない。それには、私は義援金を出しただけでボランティア活動にも行けずに何かをと思いつつ月日がたってしまった。
ところが、夏頃になると東北の地元から元気になった地区へ来てほしいと言う記事を目にするようになった。
今年の大震災にあった人々に少しでも元気になってほしい。 世界遺産めぐりをしたい。
登山もしてみたい。 2008年6月の岩手・宮城内陸地震での栗駒山周辺の復興はどうなっているかも確かめたい という目的をもってM氏とナンパを夜行バスで出発した。
3週間前に計画をたて、すぐに切符の購入にとりかかったが、東北三大祭と重なり、切符が獲れない。次にと思うと帰省客と重なったので夜行バスの切符も2枚が残っていただけ。現地でのレンターカーを借りるのも5~6軒の店でやっと手に入れたとの事。今回は、やむをえなかったが出発の月日が問題だった。
第一日 2011.8.10 ナンパOCAT発 20:20。OCATを出て10分後の大阪市内。
予定では満員のバスだったが 幸運なことに京都を過ぎても6席ほど空いたままだったので、我々2人は互いに近くの席をとることができ、仙台までユッタリ グッスリ眠れて行くことができた。
第二日 2011.8.11
仙台着 8:27の予定だったが約40分近く遅れたため、一関行きのJRに乗り遅れ、今後の計画(本日中に平泉の見学を終えてしまう)に狂いが生じた。
これから、仙台から青森まで青春切符を使っての旅だから乗り継ぎ乗り継ぎの連続だった。仙台発 9:42.に乗り、小牛田、一関、盛岡、好摩、大館と乗り継ぎ青森着19:58
乗り継ぎ駅で時間があれば、外に出て、駅前の見学をする。
一関駅では、世界遺産に登録されたばかりの平泉を列車の車体に描いて走らせていた。
一昨年も岩手山登山のおり、立ち寄った駅だ。
待ち時間も多くあったので外に出てゆっくり見学。ここは、啄木の故郷・渋民村の近くで岩手山もくっきり。一昨年の岩手山登山の思い出が湧いてきた。
大館は秋田犬の故郷。駅構内には、ハチ公神社もあった。
青森駅に着くなり、レンターカーを借り、一路弘前の町へ。
弘前ユースホステルに到着し、近くの食堂で夕食をとり、帰って2階の6人部屋に3人で宿泊。私達はべットで。
少し古いが、ユースホステルの雰囲気のある宿舎。
この宿舎に、ある高校の剣道部の生徒男女約20人が高校総体に参加するため宿泊していた。感心したのは礼儀のよいこと。そしてそれ以上に感心したのは、食後 食堂で もくもくと各自勉強していたことです。「先生は?」と聞くと」「先生たちは町に出かけている」という。あたかも 当たり前のように。何と近年稀な素晴らしい高校生に出会えて感激。 私達は「頑張れ」と応援して、別れた。
第三日
宿舎を 7時に出発。一路前方に見える岩木山を目指して車を走らせる。この旅行のドライバーはM氏一人にしてもらう。
近づくにつれて、頂上に厚い雲が。 不吉な予感。
到着すると、強風のためロープウエイが休止とのこと。再開時刻は相当遅れるとのこと。
二人で相談して、本日のもう一つの目的地・白神山地を先に見学することにする。
一路車を津軽峠へ。2年前は日本海側の白神岳の途中の「まて山」に行ったが今度は南側の、「アクアグリーンビレッジANMON」を経由して津軽峠からにする。
車を駐車場へおき、細い道を進む。
ブナの巨木を見る。太古からのブナの木の原生林が世界遺産に認定されている。その中で一番古い木で推定400年と言われているのがこの木である。
白神山地は、1993年に世界遺産に認定された。ブナは1300平方キロメートルに広がる日本固有の広葉樹で7年おきに大量の種を落とし、約300年ほど生きるという。
木に耳をあてると地中から水分を吸い上げる音が聞こえるということで挑戦したがだめだった。
帰路、「アクアグリーンビレッジANMON」に寄り、休憩する。
ここには、過去2回来ている。1度目は紅葉の頃「ブナ林散策道」を約1時間ほど歩き、2度目は暗門の滝歩道コースを約2時間かけて歩き、3つの滝を見て、さわやかなしぶきとマイナスイオンを味わってきた。
第三の滝 落差42m (前回撮影したもの)
楽しみにしていた世界遺産「白神山地」に4回訪れたがまた訪れたい所だ。
白神山地の見学を終え、午前中の岩木山へ。
途中、岩木神社があったので安全を祈願してお参りをする。
正面の岩木山神社の楼門は 1628年建立で重要文化財に指定されている。
本殿も重厚な構えで 昔から地元の神様として信仰されていたのが良くわかる。
この神社で 多分狛犬さんだと思うが変わっていて珍しいので写真におさめた。
駐車場に着くと ロープウエイが動いていたのでホットする。でも、風が強くて頂上は霧で包まれていたので心配だ。
相変わらず がれ場でガスがかかって視界が悪かったがそれよりも頂上に近づくと強風で吹き飛ばされる感じの風だった。その時、強風でバランスを失いスリップしてお尻を地面で強打した。痛かったが我慢をして頂上を目指す。(こんな気象・岩場で転ぶとは後期高齢者の年齢になったからかなと悲しくなった。しかし、この現実を受け入れなければと痛感した。)
やっと、頂上に到着。視界が悪く、残念だった。岩木山奥宮が祀られていた。
帰り道、一瞬ガスも晴れた時の風景。相変わらず片側が断崖で 足場はがれ場の連続が続いた。
「この近くで、学生達が遭難して、多数の犠牲者を出した」とある。後輩たちが寄金を集めて先輩達の冥福と遭難防止のため、建てたとある。私は 犠牲者の冥福を祈り、避難小屋を後にした。
M氏の運転で車を走らせ、今回の旅行の目玉であるランプの宿「青荷温泉」に向かう。
(今回の旅行は4泊だが、1泊は夜行 2泊はユースホステル そしてもう1泊はこのランプの宿「青荷温泉」である。)
ユースホステルは 夜遅く到着して 朝早く出発するので素泊まりにしたが、ここでは旅の中頃になるので身体を休めるためにもゆったりとした時を過ごしたくて私達にとっては早くて4時過ぎに到着した。
駐車場に車をとめ、谷川の近くまで降りて「青荷温泉」に到着する。
建物はいくつもあったが、ここは本館の建物です。
夕食前に4つの温泉のうち2ヶ所の湯につかった。
散策をしながら次の湯へ。ヒバの香りに包まれて、自然と溶け合った温泉であった。
そして、楽しい夕食です。ランプの宿の名の通り、照明器具は全てランプである。
夕食は 近くの山で採れた山菜に近くの谷川で獲った魚など盛り沢山であった。
フロントです。
廊下です。
そして、何よりも素晴らしく楽しかった経験をさせてもらった。それは、滞在中 電気のない生活が送れたということです。(勿論 宿舎には 電気が来てないのではなく、宿として必要なもの(洗濯機・冷蔵庫・電話等)以外の電気製品は意図的に私達には何も目に触れさせないだけです。したがって、部屋にもどっても、テレビもない ラジオもない 電燈もない一夜を過ごした。私達が電気として見えるものは廊下の非常口の青色の電燈だけです。したがって、滞在中は、社会から完全に隔離された状態になったということです。
貴重な体験をさせてもらった。
夕食後、外に出ると静寂な暗闇に谷川の瀬音が聞こえる素晴らしい宿だった。
今は夏だが 紅葉の秋、すべてが雪に覆われた冬、新緑の木々の下に群生するカタクリの花。それぞれの季節を思い浮かべて一人で楽しいひとときを過ごした。