2011年12月01日
私の足跡 98 熊野古道の伊勢路を歩く 11 栃原・女鬼峠・田丸
大辺路・伊勢路を歩く
伊勢路 11 栃原から女鬼峠を越え田丸まで 2011.10.27
今日は18kmの道のりを出来るだけ早く歩き終えたいから、朝5時に起き、三瀬谷駅を5時57分の始発列車で栃原駅へ。
5時40分の三瀬谷駅
6時15分の栃原駅
駅から伊勢路への道がわからなくて人に尋ねようにも早朝だったので人に会えずに約20分ほど時間を浪費した。
中国から伝わり、日本各地にひろがっている信仰の庚申さん等がある。
柳原観音千福寺。本尊は聖徳太子の作といわれる観世音菩薩。手引観音ともよばれる今も人気があり、参詣者の多い古刹です。大祭日には、臨時バスが伊勢・松阪等から往復するという。
まんじゅうや跡・寺小屋跡等とある。
ここは、寺小屋跡で建物が残っている。
左手の上に小堂がある。浄保法師は この地の伝染病の広がりを防ぐため127cmの像をつくったとある。1684年の銘がある。
やっと、女鬼峠の標識が見え始めた。
よく手入れされた銘産の茶畑を見ながら、しばらく歩くと、女鬼峠まであと1.5kmの標識になってきた。
神宮寺相鹿瀬寺跡 奈良時代に仏教が広まり、各地に大寺院が建てられた。その一つに称徳天皇が766年に建立されたとある。七堂伽藍の華麗な寺院であったと伝えられるが、775年に廃止された。 奈良時代の軒丸瓦などが出土している。
女鬼峠まで400m標識が見えた。ほっとする。
右側の石は 高さ145cmの「南無阿弥陀仏」の名号碑である。
中央の赤い前掛けの53cmの如意輪観音はかなり古い。
小祠の中には 140cmの如意輪観音は1738年と刻まれている。
急坂を登り切ると やっと女鬼峠(120m)に到着。伊勢路には16個の峠があったが、最後は一番低くて良かった。 千枚岩の岩盤を切りとおした昼でもほの暗い道です。
昔 荷車の通ったと思われる轍(わだち)跡。くつきりと二本の轍の跡が残っている。
坂道を下りきった所から振り返ると女鬼峠が見える。
背の高い道標(天保4年)がある。ここが和歌山別街道と熊野街道との分岐点である。
3年前 和歌山市から奈良・高見山を通って伊勢までの街道を歩いた時 この道を通って田丸から伊勢まで歩いている。ここからは2度目の道である。
永昌寺に立ち寄る。曹洞宗の寺院で 千手観音菩薩(室町時代作)が祀られている。隣には大日堂がある。
旧道では 軒を連ねた街並みに、築百年を越えた蔵持ちの家もあって、往時が偲ばれる。
巡礼道引観世音を祀る石仏庵の向かいには 観音堂かあり、西国三十三カ所霊場の観音石像が三十三体並ぶ。台座の施主名には周辺の国だけでなく、江戸・知多等広範にわたっている。
前方に見える小高い山は 田丸城址である。江戸時代はこの付近は紀州藩の領地であった。
田丸駅は 小山から右へ行ったところにある。
田丸駅前の広場には、昔の旅人の像があった。
田丸駅構内の写真。11時50分に着き、12時12分の列車に乗ることができた。今日は、18kmの道を約5時間少しで歩けた。これは、女鬼峠は 高い峠ではなかったからです。これで 19時頃には家に着けて、明日の語り部の仕事の準備も余裕ができた。予定では、14時頃に到着すると思ったが1時間早く出発したのと急いだので計約2時間早く到着することが出来た。
ここは伊勢路ですから 本来は伊勢まで行くべきと思うが、和歌山から奈良の高見山を越えての伊勢街道を通った時 今回の永昌寺の所から伊勢までは同じ道になる。それと伊勢参りの人は ここで西国巡礼の服装で熊野詣でをして、熊野詣の伊勢路は熊野から田丸までとなっているらしい。
これで、大辺路 4回と伊勢路11回 通算計15回の大辺路・伊勢路を終え 次回からは東北地方の旅を書きます。