2011年11月10日
私の足跡 96 熊野古道の伊勢路を歩く 9 荷坂峠越え
大辺路・伊勢路を歩く
伊勢路 9 紀伊長嶋駅から荷坂峠を越え梅谷駅へ
かつて 伊勢と紀伊の国境であった峠。二つの峠道があるが中世はツヅラト峠だったが、徳川氏が紀州の殿様になって新しい荷坂峠の道を開発し、以後荷坂峠が中心になり、現在の国道42号線に受け継がれている。
どちらの道を通るか迷ったが、我らの(和歌山出身)かつての藩主であり八代将軍の徳川吉宗はじめ歴代藩主の何人かも通ったと思われる荷坂峠を通ることにした。
前回到着した「紀伊長嶋駅」をスタートする。
しばらく歩くと 国道42号線に出る。片上池を見ながら進む。
大きな道の駅「紀伊長嶋マンボー」があり、立ち寄る。
道は 片上川にそって、進んで行くと、一里塚があった。
道は だんだん山の中に入っていく。
いよいよ世界遺産に認定されている荷坂峠への登り坂にかかる。
ここにも見事な「ししがき」が連なっていた。農民の工夫と努力が偲ばれる。
シダに覆われた道を気持ちよく歩けた。
足下遥か下、杉林をとおして谷を渡る鉄橋が見え隠れする。昭和5年に開通した旧国鉄の鉄橋だ。
また、伊勢から紀伊へのこの区間にはトンネルが13もあり、日本一多い。それだけ険しい地形の所を通っているということだ。
沖見平へは 50mの標識がある。
「憩いの石」の標識がある。旅人はここで腰をおろして休んでいったのでしょう。
峠には 茶屋跡の標識がある。江戸時代のいつの頃からかこの峠に旅宿を兼ねた茶屋が開かれ、西国巡礼や伊勢参拝をする人々の憩いの場となっていた。
明治末期から昭和初期の鉄道開通までは 峠は人力車の中継地として客待ちの車が数台とまっており、車夫の休憩所となっていた。
坂を登り切ると平坦な道が続いていた。
旅人の信仰を集めていた石仏三基は道路改修のため、二度移転され現在地に移って来た。
如意輪観音 宝暦3年(1753年)
足守り地蔵 文化7年(1810年)
地 蔵 尊
ここから、梅谷駅への約3km弱は国道42号に沿って舗装された道を約1時間弱かけて歩いた。
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この記事へのコメント
1. Posted by 和歌山のイケテルぼやきおやじ 2011年11月15日 00:50
こんばんは 少しづつ拝見させて戴いていますが健歩ぶりには感心するとともに、細かい年表とかコメントには事前によく調べておられることが推察されます。ただただ敬服するばかりです。 私もいつになるかわかりませんが伊勢路(旧街道)を歩くときに参考にさせて戴きます。ありがとうございました。