私の足跡 72 東海道の完歩 7  御油宿 ~ 二川宿  私の足跡 74 東海道の完歩 9  浜松宿 ~ 袋井宿  

2011年01月01日

私の足跡 73 東海道の完歩 8  白須賀宿 ~ 舞阪宿  

   rabbitzentre_b05[1]
 
旧年中は 多くの人にアクセスして頂き ありがとうございました。
 一時 ブログ会社の変更時のトラブルで一定期間記事を書けなくなりご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
 やっと軌道にのりアクセスの数も昨年の7割近くになり、本年の最高の月はこの12月で200を越え、順調に回復していますのでよろしくお願いします。

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東海道の完歩  8

   32白須賀宿→ 31新居宿→ 30舞阪宿

  
htm84[1]
    「32」 白須賀 「汐見阪図」   遠州灘や海岸沿いの松林を一望できる塩見坂。
     しかし、大名行列の一行は脇目もふらずに進む。

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   31」 新居(荒井)宿  「渡舟の図」 
           新居関の船着き場。乗客がしばしのうたた寝から目をさます。

   hiroshige043[1]
   30」 舞阪  「今切真景」  
    前面に波除け杭と松が配され、右奥にはかすかに富士が見える。  色彩豊かな作品。

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   二川宿から南進して行くとキャベツ畑が広がり、広大な土地を歩く。

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    この白須賀は 古くから景勝地として名高い「塩見坂」の上にある宿場町である。
  もともとは、坂の下に置かれていたものが、1707年の大地震と津波で、大半の家屋が流されてしまうなどの大きな被害を出し、坂の上に移された。
  したがって、高台にあるため、風が強く、火事が大敵だった。そこで、空き地をつくりそこに緑樹で火に強い槇等を植えて火防とした。   

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 火防のための槇の木の一部が残っている。

  この高台の白須賀からは太平洋が一望できる。「塩見坂公園跡」は1582年武田勝頼を滅ぼした織田信長をもてなすために、茶室をつくった所と伝えられる。  



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 道路にも いろんな工夫があると感心した。

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 この坂の下は 昔の白須賀宿があった。

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 坂の下の宿場は、大きな建物は残っていないが、面影の残る建物もある。

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 そして、海からの風を防ぐための松並木も残っていた。

 そして、東海道五十三次での関所・新居宿に到着。

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 各地に設けられた関所の内、唯一当時の建築がそのまま残っている。
 但し、此の建物は1855年建築のものである。
 建物の中には、蝋人形の取り調べの役人も配され、当時の雰囲気がよくわかった。

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 関所は 男性より女性の方が厳しかった。いわゆる「入り鉄砲に出女」だが、箱根の関所が本来の意味の出女 いわゆる幕府の人質として江戸に住む大名の妻子の逃亡を防ぐため、東から西へ向かう女性だけに手形を求めたのに対し、ここではその逆の場合も手形が必要だった。
 この手形には、旅の目的や行き先、人相や特徴などが事細かに(髪形・背丈・手足の特徴等)記され、すこしでもそれと違いがあれば通行を止められた。その「改め」のために「人見女」と呼ばれる専門監視員がいた。

 また、この厳しさを逃れるために御油宿から東海道を分かれ、浜名湖の北を通って見附宿に至る脇街道が発達した。女性の旅人が多かったので「姫街道」の別名で呼ばれている。
 (私の足跡 72 に前記)


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 新居宿と別れて、今は徒歩で立派な橋を渡り、舞阪宿へ行くが、当時は舟で行った。
 その理由は もともと浜名湖は海とは切り離された完全な淡水湖であった。それが、1498年の大地震で海岸に切れ目ができ、湖は遠州灘と繋がってしまった。いらい、それまで徒歩で行けた新居宿と舞阪宿の間は渡し船に頼らなければならなくなった。この「切れ目」の部分は今では「今切口」の名で呼ばれている。
 今切口から遠州灘の荒波がひっきりなしに打ち寄せてきたため、渡し船の航路に沿って「波除け杭」と呼ばれる杭が立てられた。広重絵のてまえに描かれているのはそれである。現在海水浴等で賑わう弁天島は、此の杭に砂が堆積してできた島だとも言われている。ここには、海上の安全を祈願して建てられた弁天神社がある。

   
   
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舞阪宿に入るとすぐに昔の船着き場跡があり、常夜燈も残っている。
  

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  その近くに、本陣は本陣跡の碑のみだが、脇本陣が復元されて残っていて、公開している。

  
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  脇本陣の遺構としては、東海道中唯一の物です。
  
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 玄関の入り口から二部屋の次に庭があり更にその奥に二部屋があり、その奥の上段の間までの見通しである。
  
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  上段の間です。

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 お風呂
  
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  トイレ

  
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  舞阪宿を出て、松並木を通り、浜松宿に向かった。



  通行手形について


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 上の通行手形(往来手形)は、男性の一般的なものである。発行した人は、名主・住職等身近な人でよかった。行き倒れの場合は知らせてもらわなくても結構です。その土地の習わしで処理してくださいと書いている。(昨年 四国遍路でたくさんの無縁仏を見た)
 当時の社会を考えると庶民では止むをえないと思う。
 
 でも、女性は大変だったという。次号で
 
    


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