2010年09月10日
私の足跡 64 スイス四大名峰へ 1
スイスアルプス4大名峰
ヨーロッパアルプスのアイガー・メンヒ・ユングフラフ地方には他のツアー旅行の時に行ったことがある(1999年)が、他の山群は知らなかったから念願の旅だった。
今回は正式な登山ではなく、普通の旅行の範疇に入れようと思った(三日間のハイキングで歩いた総時間等は、約4時間かけて約11kmを歩くだけであり、標高差は合わせて約 1000m位である)が、2ヶ所では標高1500~2500m以上の高地の歩行だから、カテゴリを「登山」にして、ブログに書くことにした。
第一日
2010年8月20日の10時15分発のKLMで関西国際空港を出発だったが、飛行機の整備の都合で二時間半遅れて出発。今回の旅行は、27名の団体である。
途中、アムステルダムで乗り換え、ドイツのミュンヘンへ。
そして、バスでアジミュートホテルには夜遅くに到着。
第二日

8:00 アジミュートホテル発。

そして、約90km離れた南ドイツのババリアアルプス地方に専用バスで向かう。

ヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会の一つで、のどかな草原に建つヴィース教会。

ユネスコの世界遺産に登録されたヴィース教会の見学。

外からは小さくあまり目立たないが一歩内部に足を踏み入れると華麗な装飾や鮮やかな色彩に目を奪われた。
フラッシュ付きで写真を撮った人のカメラの記録を取り上げられたと聞いたので慎重に撮影をした。

1732年 ある修道院に放置されていた「むち打たれる姿のキリスト像」が涙を流したという奇跡が起きた。
この像のため、この教会が建てられ、今も祭壇に奇跡のキリスト像が安置されている。
その後、一度見学をしている(1999年)ノイシュバンシュタイン城の見学のため、約25km離れたホーエンシュバンガウへ、専用バスで。

ノイシュバンシュタイン城
当時バイエルン国王・ルートゥ゛ィヒ2世(1848~1886)が17年の歳月と巨額の費用を自己実現のため造ったという。
この美しい城の裏には ルートゥ゛ィヒ2世は妃をめとらず孤独で数奇な運命は謎の死に至るまで多くの人の関心を集めている。
作曲家・ワグナーのパトロンとして異常なまでにオペラに取りつかれた王はオペラの名場面を場内の壁画に描かれていた。
ノイシュバンシュタイン城撮影のビューポイントはマイエン橋で 前回来た時は撮影したが今回は時間の都合で駄目だった。

ホーエンシュヴァンガウ城
12世紀の荒れ果てた城をルートゥ゛ィヒ2世の父・マクシミリアン2世が5年の歳月をかけて再建し、夏の狩りの城とした。
ルートゥ゛ィヒ2世は この父の城からノイシュバンシュタイン城の建築状況を眺めていたという。

ノイシュバンシュタイン城の室内は見事な装飾の部屋がたくさんあったが、撮影は禁じられていたが、
窓から見える景色はガラス越しに撮影ができる。

同じく、ホーエンシュヴァンガウ城とアルプ湖が綺麗に見えた。
昼食は、ドイツ名物のソーセージとドイツ特産のビールで。
今回は、アルプ湖に沿って、ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を眺めながらのハイキングに出かける。

お陰で、ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を同時にカメラに収めることの場所まで行け、ラッキーだった。
アルプ湖では、小鳥や魚が泳いでいた。人目のつかない所では暑かったので人間も泳いでいた。
その後、バスで282km走り、ドイツとの国境を越えて、スイスに入る。
国境だから、それぞれの国の係の人が車を止めて、各人のパスポートの検閲があると思ったが、ユーロ圏では今は事件がなければフリーパスだった。(但し、それぞれの国の検問所が残っている。スイスはユーロ圏ではないが例外) 時間の浪費もなく、助かる。
グラッドブルグのホテル ノボテルエアーポート メッセに到着し宿泊。
第三日
ホテルを7時30分し出発し、約200km離れたサンモリッツへ(1775m)。

このバス道路は 先日事故を起こして死者を出した氷河特急と平行して走っているようだ。

先ほど通った集落が下方に見えてきて、だいぶ高度も上げてきた。いつの間にか氷河特急もトンネルに入ったのが視界から消えてしまった。

大きな峠・ユリア峠(2284m)に到着。若者が自転車で峠越えをしている。交通事故に気をつけてガンバレと応援する。
周辺には、高山植物が咲き乱れていた。
バスは、峠を下り、サンモリッツへ。

昼食の魚料理を済ませた建物からSt Moritz(サンモリッツ)の駅が見えたが、時間の都合で事故を起こした氷河特急の同型の姿は見られなかった。
高級リゾートとして名高いSt Moritzの町は森と湖の町であった。
長い時間のバスの旅だったが、いよいよ四大名峰の一つ・ベルリナアルプスの観光へ。
バスを降り、ロープウェイに乗り換え約2984mのディアボレッツア展望台へ。

眼前には、ビッツ・バリュ、ビッツ・ベルリナ等の雄大な4000m級の名峰が見えて素晴らしかった。

そして、眼下に目をやればモルテラッチ氷河が壮大であった。

頂上では 男性の楽器演奏で 女性が笠を持ち踊り 我々観光客を歓迎してくれていた。
以前 燕岳の燕山荘でホルンを拭いて聞かせてくれた人は高山では酸素が少ないから長時間吹くのが辛いと言っていたのを思いだす。
見学後、約300km離れたインターラーケンへ出発。
夜遅く、クリスタルインターラーケン・ホテルへ到着。
この続きは 10日後の 私の足跡65 で見てください。
ヨーロッパアルプスのアイガー・メンヒ・ユングフラフ地方には他のツアー旅行の時に行ったことがある(1999年)が、他の山群は知らなかったから念願の旅だった。
今回は正式な登山ではなく、普通の旅行の範疇に入れようと思った(三日間のハイキングで歩いた総時間等は、約4時間かけて約11kmを歩くだけであり、標高差は合わせて約 1000m位である)が、2ヶ所では標高1500~2500m以上の高地の歩行だから、カテゴリを「登山」にして、ブログに書くことにした。
第一日
2010年8月20日の10時15分発のKLMで関西国際空港を出発だったが、飛行機の整備の都合で二時間半遅れて出発。今回の旅行は、27名の団体である。

途中、アムステルダムで乗り換え、ドイツのミュンヘンへ。
そして、バスでアジミュートホテルには夜遅くに到着。
第二日

8:00 アジミュートホテル発。

そして、約90km離れた南ドイツのババリアアルプス地方に専用バスで向かう。

ヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会の一つで、のどかな草原に建つヴィース教会。

ユネスコの世界遺産に登録されたヴィース教会の見学。

外からは小さくあまり目立たないが一歩内部に足を踏み入れると華麗な装飾や鮮やかな色彩に目を奪われた。
フラッシュ付きで写真を撮った人のカメラの記録を取り上げられたと聞いたので慎重に撮影をした。

1732年 ある修道院に放置されていた「むち打たれる姿のキリスト像」が涙を流したという奇跡が起きた。
この像のため、この教会が建てられ、今も祭壇に奇跡のキリスト像が安置されている。
その後、一度見学をしている(1999年)ノイシュバンシュタイン城の見学のため、約25km離れたホーエンシュバンガウへ、専用バスで。

ノイシュバンシュタイン城
当時バイエルン国王・ルートゥ゛ィヒ2世(1848~1886)が17年の歳月と巨額の費用を自己実現のため造ったという。
この美しい城の裏には ルートゥ゛ィヒ2世は妃をめとらず孤独で数奇な運命は謎の死に至るまで多くの人の関心を集めている。
作曲家・ワグナーのパトロンとして異常なまでにオペラに取りつかれた王はオペラの名場面を場内の壁画に描かれていた。
ノイシュバンシュタイン城撮影のビューポイントはマイエン橋で 前回来た時は撮影したが今回は時間の都合で駄目だった。

ホーエンシュヴァンガウ城
12世紀の荒れ果てた城をルートゥ゛ィヒ2世の父・マクシミリアン2世が5年の歳月をかけて再建し、夏の狩りの城とした。
ルートゥ゛ィヒ2世は この父の城からノイシュバンシュタイン城の建築状況を眺めていたという。

ノイシュバンシュタイン城の室内は見事な装飾の部屋がたくさんあったが、撮影は禁じられていたが、
窓から見える景色はガラス越しに撮影ができる。

同じく、ホーエンシュヴァンガウ城とアルプ湖が綺麗に見えた。
昼食は、ドイツ名物のソーセージとドイツ特産のビールで。
今回は、アルプ湖に沿って、ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を眺めながらのハイキングに出かける。

お陰で、ノイシュバンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を同時にカメラに収めることの場所まで行け、ラッキーだった。
アルプ湖では、小鳥や魚が泳いでいた。人目のつかない所では暑かったので人間も泳いでいた。
その後、バスで282km走り、ドイツとの国境を越えて、スイスに入る。
国境だから、それぞれの国の係の人が車を止めて、各人のパスポートの検閲があると思ったが、ユーロ圏では今は事件がなければフリーパスだった。(但し、それぞれの国の検問所が残っている。スイスはユーロ圏ではないが例外) 時間の浪費もなく、助かる。
グラッドブルグのホテル ノボテルエアーポート メッセに到着し宿泊。
第三日
ホテルを7時30分し出発し、約200km離れたサンモリッツへ(1775m)。

このバス道路は 先日事故を起こして死者を出した氷河特急と平行して走っているようだ。

先ほど通った集落が下方に見えてきて、だいぶ高度も上げてきた。いつの間にか氷河特急もトンネルに入ったのが視界から消えてしまった。

大きな峠・ユリア峠(2284m)に到着。若者が自転車で峠越えをしている。交通事故に気をつけてガンバレと応援する。
周辺には、高山植物が咲き乱れていた。
バスは、峠を下り、サンモリッツへ。

昼食の魚料理を済ませた建物からSt Moritz(サンモリッツ)の駅が見えたが、時間の都合で事故を起こした氷河特急の同型の姿は見られなかった。
高級リゾートとして名高いSt Moritzの町は森と湖の町であった。
長い時間のバスの旅だったが、いよいよ四大名峰の一つ・ベルリナアルプスの観光へ。
バスを降り、ロープウェイに乗り換え約2984mのディアボレッツア展望台へ。

眼前には、ビッツ・バリュ、ビッツ・ベルリナ等の雄大な4000m級の名峰が見えて素晴らしかった。

そして、眼下に目をやればモルテラッチ氷河が壮大であった。


頂上では 男性の楽器演奏で 女性が笠を持ち踊り 我々観光客を歓迎してくれていた。
以前 燕岳の燕山荘でホルンを拭いて聞かせてくれた人は高山では酸素が少ないから長時間吹くのが辛いと言っていたのを思いだす。
見学後、約300km離れたインターラーケンへ出発。
夜遅く、クリスタルインターラーケン・ホテルへ到着。
この続きは 10日後の 私の足跡65 で見てください。
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この記事へのコメント
1. Posted by terakoya007 2010年09月13日 16:50
スイス旅行記・写真と共に楽しませて
頂きました。これからもちょくちょく
覗かせて頂きます。
ありがとうございます。
Na
頂きました。これからもちょくちょく
覗かせて頂きます。
ありがとうございます。
Na