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2010年08月01日

私の足跡 60  中山道をゆく 7  薮原宿~和田宿

私の足跡     60

  
中山道をゆく 7  薮原宿~和田宿 62km 

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  青線の部分は既に公開した所 赤線の部分は今回公開した所

   薮原宿を出発し、今回は和田宿までを書きます。

 駅前に鳥居峠への案内の標識が立っている。
   車道はトンネルを通るが、我々は江戸時代の峠越えをする。すぐに登り坂になり鳥居峠まで約1kmの坂を上ると鳥居峠に着く。ここは日本海と太平洋の分水嶺である。この近くに御嶽遥拝所がある。峠からは木曽谷の集落を望むことができた。
 峠から約1kmで奈良井宿に着く。この宿は、天保年間には旅籠・茶屋等を合わせて39軒にも及び、その数は木曽十一宿中最大であった。


 
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 今も、狭い道の両側には、長い軒先を突き出した出桁造りで、くぐり戸などのある家が残り、馬籠宿にかわらぬ風情の残る宿なので我々も宿泊する計画をたてていた。上の写真は我々が宿泊した伊勢屋だが、越後屋等の旅館とともに江戸時代そのままの景観をつくりだしている。

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 部屋の中も 一部を除いて昔の建具そのままだった。階段や廊下が黒光りがしていた。

 途中、平沢には漆器の町として有名です。 奈良井宿から次の贄川宿までは約7kmです。

  贄川の地名の由来は 昔は温泉があり 熱川(にえかわ)と言ったからと木曽名所図会にある。
 今は、幾度かの火災のため、かつての町をしのばせる建物はほとんど残っていない。
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  復元された贄川番所跡。江戸時代、番所は「木曽路北門の関」として、婦女の通行と檜の白木の搬出を取り締まった。
 今見ることができるのは復元された番所の建物に過ぎないが、野太い柱、低い石垣屋根はかつての番所の厳しさを充分実感させてくれる。

  ここより、約8km先の本山宿の間に「是より南 木曽路」の石碑があり、木曽路も終わったことになる。
 
 本山宿は 静かな宿だ。かつての宿場の建物は道の左側に残り、かつての川口屋・博多屋・池田屋・村田屋等と屋号
を大書した看板を出している。宿場の雰囲気を残そうと、町民の協力が素晴らしい。

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 次の洗馬宿は のどかな田園風景が続く道を約2kmで到着。
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  洗馬宿の本陣も脇本陣の跡かたもなく標識が立っているのみである。 

  馬宿から塩尻宿までの約7kmの道中で見た主なものは下記の物である。
  

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  出の一里塚。これは、左右一対が完全な形で残っている貴重な一里塚である。

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 みずみずしいブドウ畑の傍を通る。辺りは一面ブドウ畑。
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 平出遺跡があり立ち寄り見学。復元された縄文時代の住居群があった。


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  重要文化財の堀内家住宅。詳細は下記の説明を。
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  塩尻宿は本陣や脇本陣はなく残念だが見事な鬼瓦を屋根にのせた旅籠風の家等はある。

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  塩尻宿から下諏訪宿に向かう途中に足腰にご利益があると旅人の信仰を集めた石船にある馬頭観音に、私にもご利益を頂けるようお願いをする。

 そして塩尻峠をめざす。峠には、富士浅間神社の石祠があり、御嶽遥拝所もある。
 展望台からの眺めが素晴らしかった。
    
IMG_2151 槍ヶ岳
       北アルプスの槍ケ岳や穂高。

IMG_2154 野尻峠 諏訪湖と八ヶ岳が見える
      諏訪市と諏訪湖を俯瞰する。(天気が良ければ富士山も)

  塩尻峠を後にして、茶屋本陣跡や一里塚跡を見ながら下諏訪宿に到着。

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  下諏訪は 温泉街でありながら宿場町の特徴も濃く残す町である。

IMG_2585 下諏訪秋宮 温泉の手洗い
  古来から湯の町と言われていたが今もお湯は豊富である。諏訪神社にお参り前に手を洗おうと思うと水ではなく、お湯(御神水でなく、御神湯と書いていた)でびっくりした
 また、以前下諏訪駅の構内で足湯を使ったこともある。

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    中山道で随一と称される庭園を持った本陣の岩波家がある。皇女「和の宮」も泊ったとある。


 諏訪といえば 諏訪大社に関わる場所が多い。2003年の御柱祭の木落としの撮影に来たのを思いだす。      
  その時は見物客が多くて、一般席はまさに立錐の余地がない状態で騒然としていたが今は誰もいないので別世界のようだった。        

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  夜行列車で K氏と二人で撮影に来た時のものを載せます。

800px-ONBASHIRA_festival_(tree_drop)_Nagano,JAPAN[1]
 樹齢200年程の樅の木を 山奥から切り出し、ロープをつけて多数の人達で引っ張り、傾斜地は「引き落とし」をしながら神社まで運ぶのである。堤防から川に引き落としそれを引き揚げるのはまさに爽快・痛快であった。(怪我人は勿論、時には死者も出ることもあるらしい。)
800px-Suwataisya_kamisya_kawagoshi[1]
 御柱は 坂を引くだけでなく、地道を引い(里引き)たり、川を渡ったり(川越え)しながら、目的の神社に地区民総出で約一が月かけて運ぶ行事である。

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 目的の神社に到着すると、各神社の四隅に立てる。上の写真の右端に立っている木が前回建てた御柱である。

IMG_2572 長さ20m、重さ10トンのモミの木
 これは、見学用に置いてある樅の木で、大きさは長さ約17m、太さ約1m。重さは10トンあるらしい。

  諏訪大社と言えば、上社と下社があり、祭神が異なる。下諏訪宿には 諏訪大社下社春宮と諏訪大社下社秋宮がある。下社の祭神は2~7月迄は春宮に鎮座し、8月1日に秋宮に遷座し翌2月1日に春宮に帰座するとある。
      
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  万冶の石仏   下の説明が読みづらいのて、補足します。

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  石工さんが、諏訪神社の鳥居を造ろうと思ってノミを打ち込むと岩から血が出てきた。石工さんはびっくりしてを手を止め、代わりの石で鳥居を造ったらしい。そして、この石を阿弥陀如来にしたとある。
1660年11月1日


  ここ下諏訪宿での見学を終えて、22km先の和田宿へ向かう。西餅屋跡までは古道は定かでなかったので、ここより本格的な古道で中山道有数の難所へ向かう。
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IMG_2549 和田峠頂上古峠看板
 急坂を登って和田峠(古峠)に到着。ここには御嶽遥拝所が復元されている。その他石仏もある。天気が良ければ駒ケ岳・御嶽山・浅間山等が見えるらしいが残念だった。旅人は暖かい季節の時は良いが寒い時には気温も低く、雪もあり苦労したことでょう

 峠からは急な下り坂になる。くねくね曲がって下っている霧ケ峰に通じるビーナスラインを1回はトンネルをくぐり、3回は横断して東餅屋跡(今はドライブインになっている)に着く。早速餅をいただく。
 体力を消耗する峠越えには 当時最高の栄養食として餅を食することだった。当時峠の東側には5軒・西側には4軒あったらしい。今は9軒の餅屋はなく、前記の東餅屋跡だけである。 

IMG_2534 永代人馬施行所
 文政11年(1828年)、江戸の豪商かせや与兵衛は中山道の旅人の難儀を救おうと金千両を幕府に献上した。その金を貸付に回してもらい、年に一割の百両を碓氷峠の坂本宿とこの和田峠の2ケ所に用いた。11月から3月まで峠を越える旅人にかゆと焚火を、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施行したとある。
 今も永代人馬施行所の茅葺きの家が復元されている。
 残る10km程は遺跡も少なく、国道を通って和田宿に入る。




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