2010年04月10日
私の足跡 55 中山道をゆく 2 守山宿 ~ 醒井宿
中山道をゆく2 67次「守山宿」 ~ 61次「醒井宿」 約68km 
地図の青色の線は前回歩いた所 赤色の線は今回歩いた所
守山宿から武佐宿までの約7kmの所に「平宗盛終焉の地」がある。平清盛の子であり、平家最後の総大将であった平宗盛は、息子・清宗とともに壇ノ浦で敗れて、義経に捕らえられ、京都に近いこの地で首をはねられ、首だけが京都に運ばれ、胴体はここに埋められた。平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野洲町であるという説明板が立っている。 少し行くと、義経が鞍馬山を出て、奥州に向かう途中、ここで前髪を落として元服した所とある。
守山宿から約14kmで「武佐宿」に到着。ここは400年以上前の商家である大橋家。唯一今も営業を続けている旅籠(料理旅館)の中村屋等の建物があり、当時の雰囲気は充分ある。

武佐宿から約7kmの所に近江商人発祥の地といわれる五個荘の町並みがある。 近江商人博物館などいくつかの施設や旧邸があり商人文化を知ることができた。

武佐宿から約10kmで「愛知川宿」に到着。この宿の街道筋は現在商店街になっているが昔を偲ぶ建物もある。ポストは現役である。

愛知川から約2kmの所に丸紅・伊藤忠商事の創設者である伊藤忠兵衛の生家がある。伊藤家は代々呉服の行商をしていたが、伊藤忠兵衛が大阪で近江麻を扱ったことから成功し、発展をとげたらしい。
昔ながら提灯屋など古い町並みが続き、左手に当時の表門を残す本陣跡が見える。
愛知川から約8kmで「高宮宿」に着く。ここは、多賀神社の入り口で、1633年に建立された高さ8mの大鳥居がある。

小野小町と言えば全国的だが、ここに小野小町の出生地だと言われるところがある。

高宮宿から約6kmで「鳥居本宿」である。ここは、静かで落ち着いた雰囲気の中に情緒の残る町です。 この建物は200年前の物で格子窓のついた二階部分は当時の姿を残している。300年前の十辺舎一九も記した健胃薬を今も販売している。
鳥居本宿から約2kmで中山道第一と言われる琵琶湖の見える展望の良い所でその名前は「摺針峠」という。「針になるまで」と言って石で斧を研いでいた老人を見て、青年僧が自らの意志の弱さを恥じ、以後修行に励んだという故事に由来しており、この僧が弘法大師であるという。
摺針峠から約4kmで「番場宿」に着く。ここに蓮華寺があるので寄ってみた。1333年京都合戦に敗れた六波羅探題・北条仲時一行がここでの戦闘にも敗れ、430余名がことごとく自刃するに至った。境内の大小の五輪塔の群は、当時の住職が彼等を弔ったとある。冥福を祈って立ち去った。
久禮の一里塚である。
今回最後の宿「醒井宿」までは、約6kmです。

地図の青色の線は前回歩いた所 赤色の線は今回歩いた所

守山宿から武佐宿までの約7kmの所に「平宗盛終焉の地」がある。平清盛の子であり、平家最後の総大将であった平宗盛は、息子・清宗とともに壇ノ浦で敗れて、義経に捕らえられ、京都に近いこの地で首をはねられ、首だけが京都に運ばれ、胴体はここに埋められた。平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野洲町であるという説明板が立っている。 少し行くと、義経が鞍馬山を出て、奥州に向かう途中、ここで前髪を落として元服した所とある。

守山宿から約14kmで「武佐宿」に到着。ここは400年以上前の商家である大橋家。唯一今も営業を続けている旅籠(料理旅館)の中村屋等の建物があり、当時の雰囲気は充分ある。


武佐宿から約7kmの所に近江商人発祥の地といわれる五個荘の町並みがある。 近江商人博物館などいくつかの施設や旧邸があり商人文化を知ることができた。


武佐宿から約10kmで「愛知川宿」に到着。この宿の街道筋は現在商店街になっているが昔を偲ぶ建物もある。ポストは現役である。


愛知川から約2kmの所に丸紅・伊藤忠商事の創設者である伊藤忠兵衛の生家がある。伊藤家は代々呉服の行商をしていたが、伊藤忠兵衛が大阪で近江麻を扱ったことから成功し、発展をとげたらしい。

昔ながら提灯屋など古い町並みが続き、左手に当時の表門を残す本陣跡が見える。

愛知川から約8kmで「高宮宿」に着く。ここは、多賀神社の入り口で、1633年に建立された高さ8mの大鳥居がある。

小野小町と言えば全国的だが、ここに小野小町の出生地だと言われるところがある。

高宮宿から約6kmで「鳥居本宿」である。ここは、静かで落ち着いた雰囲気の中に情緒の残る町です。 この建物は200年前の物で格子窓のついた二階部分は当時の姿を残している。300年前の十辺舎一九も記した健胃薬を今も販売している。
鳥居本宿から約2kmで中山道第一と言われる琵琶湖の見える展望の良い所でその名前は「摺針峠」という。「針になるまで」と言って石で斧を研いでいた老人を見て、青年僧が自らの意志の弱さを恥じ、以後修行に励んだという故事に由来しており、この僧が弘法大師であるという。
摺針峠から約4kmで「番場宿」に着く。ここに蓮華寺があるので寄ってみた。1333年京都合戦に敗れた六波羅探題・北条仲時一行がここでの戦闘にも敗れ、430余名がことごとく自刃するに至った。境内の大小の五輪塔の群は、当時の住職が彼等を弔ったとある。冥福を祈って立ち去った。
久禮の一里塚である。

今回最後の宿「醒井宿」までは、約6kmです。