2011年05月

2011年05月15日

私の足跡 84  東海道の完歩  19  歩き終えて



  東海道を歩く 19

 東海道を完歩して

   今回の「東海道完歩」には五つの目標があった。

  一つ目は その年の大河ドラマは「篤姫」が主人公だった。彼女の嫁いだ道筋を辿り、今も 眠る墓所に参ること。                   私の足跡 82
    
  二つ目は 雪を被った富士山を一日中眺めて歩く。   
                         私の足跡 79 

  三つ目は 富士山を見ながら薩埵峠を越える。       
                         私の足跡  84 

  四つ目は 箱根の峠を江戸側から越える。     
                         私の足跡  80 


  五つ目は 沿道の各地の行事や名所・旧跡の見学をする等。

    豊川の手筒花火と花魁道中   私の足跡  70

    湘南のロングビーチ        私の足跡  81                                                      
    東海道 088
            夜の横浜とブリッジ                                                                

  1  歩いた年の大河ドラマは「篤姫」が主人公だった。

    篤姫の墓所は 上野の寛永寺というのは知っていたがTV放送の最終回に墓所をTVで「ここで眠っている」と放映したので、見れるのではないかと思い行ってみた。しかし、実際は駄目だった。管理人も「あの放送ではたくさんの人がくると思う」と言い、実際私達のような人は多いと言っていた。
 また、「和の宮」の墓所がある増上寺に行った。ここでも、見る事はできなかった。

 将軍の墓所の大部分は 寛永寺と増上寺に別れて葬られていますが これは将軍が自分でどちらにするか決めていたらしい。だから篤姫は寛永寺で、和の宮は増上寺となっている。 

 2 雪を被った富士山を一日中眺めて歩く。
  これは、過去に雪を被った富士山や雲のかかった富士山等を見たことが何度かあるが、殆どは乗物から見るとか、または、短時間でゆっくりとは見てなかった。一度飽きるぐらい見てみたいとの思いでこの企画をした。そして、桜の花の満開時で雪を被った富士山を飽きるほど見たかった。それが成功し、大満足。
  

 3  薩埵峠から富士山を見る計画は一度目は道を間違えて見れなかった。
    2度目は、一人歩きの時で、時間を作って挑戦した。
    東海・東高・神護寺等 059
 
前日から天気予報を調べ、確実なのを由比駅でも確かめて峠を目指した。少し、雲があったが見えて満足した。

    東海・東高・神護寺等 069
 少し離れた所から撮影した。暑い7月には下に見えるこの道を歩いたのを思い出す。  

  3度目は、東海道完歩の後、フルメンバー4人で雪を被った最高の景色を見た。 

    東海道 109

    東海道 113

  この東海道歩きは、中山道歩きもそうだったが青春切符をふんだんに使った。

  東海道 112

  そして、東海道歩きでは、その青春切符が使える今では珍しい夜行列車「ながら」をふんだんに使った。




 「豆知識」  旅人はどこへ行ったのか?

      第3部  どこが人気があったのか

  一番人気は、伊勢である。伊勢神宮は神道の総本山であるから、その利益は数ある神社の中でも別格とされた。誰もが「一生に一度はお伊勢さん」ということで年間約60万人というのも凄いが、「お陰参り」の時は年間約500万人といわれている。
、「お陰参り」とは 1650年 1705年 1771年 1830年 1868年とあったらしい。

 伊勢参りが終わると京都。かつての都、由緒ある古刹の町、祭礼の神輿や儀式は憧れであった。また、御所・公家たちの館・服装等も物珍しいものだった。

 そして、天下の台所・大坂。東海道の大津宿を分かれて伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿・大坂迄きて、新鮮な野菜等は勿論市場の熱気を見たことでょう。

 これで、帰る人もいると思うが、更に足を延ばして、金毘羅さん 厳島神社 四国遍路へと向かった。

 帰りは中山道を通り、善光寺にお参りして帰るのが定番だったらしい。

 どこを通ってどれくらいの日数を使い、旅をしたのか3例をあげておく。

 A  宮城県高木村から江戸を通り、伊勢参りをし、大阪、京都、善光寺、日光を通り帰る。
       全行程2330Km  日数72日間  8人での旅 
 
 B  
大宮に近い大和田村から善光寺、伊勢、吉野、大阪、京都、江戸を通り帰る。
        日数49日間  新居と箱根の関所を避けるためか、遠回りをしている。     

 C  清川村善光寺、伊勢、大阪、岡山、善通寺、宮島、岩国、京都、江戸、日光を通り帰る      日数168日間  
  幕末の志士、今までの自分の生活を詫び、孝行の為母と二人の旅




   東海道完歩も19回を7ケ月をかけて書きましたが、皆さんには長い間お付き合いをして読んで頂き ありがとうございました。お陰さまでこのシリーズの間で アクセス数は、1000を越えました。どんなに励みになったことか。ありがとうございました。


     
次回からは 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部 紀伊半島の南の縁にあり 世界遺産に指定されている所が多く残る大辺路・伊勢路を歩くことにする。 


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2011年05月01日

私の足跡 83 東海道の完歩 18  川崎宿 ~ 日本橋  




    東海道を歩く  18

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   この東海道シリ-ズの最終
    
「2」  川崎宿
→ 「1」 品川宿 → 日本橋 

        

         hiroshige015[1]

         [2]  川崎宿  「六郷渡船」 渡しののどかな風景。  

      
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     「1」  品川宿 宿場町が海岸脇に連なっていた。

           hiroshige013[1]

      日本橋  快晴の朝。仰々しい大名行列に遭遇し、魚屋が慌てて道をあける。


 神奈川宿より川崎宿に向かう。
 

東海道 081
  大名行列に英国人が横切り、それを武士が切りつけ、薩英戦争の引き金となった事件の場所。


東海道 078
  総持寺 以前能登に570年の歴史を持っていたが明治31年の大火のため、現在の位置に移る。石原裕次郎の墓がある。

東海道 073
 見事な曲線をもった鶴見橋を渡る。

東海道 068
「芭蕉の句碑」 麦の穂を たよりにつかむ わかれかな

江戸に滞在していた芭蕉が見送りにきた弟子たちとここで別れるときの返歌。
 その後、2度と江戸には来れずに亡くなった。

東海道 061
   この宿には3軒の本陣があった。その一つである。

東海道 056
  「長十郎梨のふるさと」  明治の中ごろ、病害に強く、甘い梨がここ大師川崎村で生まれた。発見者 当麻辰次郎の屋号をとり、「長十郎」と命名し各地へ広がった。

東海道 055

   「六郷橋」の欄干の上に当時の渡し船の形をしたモニュメントがある。これを渡れば川崎宿に入る。
  徳川家康よって架けられた六郷大橋は1688年の大洪水で流失。その後渡し船。1707年この経営を幕府から請け負い、渡し賃を「宿」の収入にすることにしたのは田中本陣の当主だった。この読みは見事に当たり、厳しい財政難に苦しんでいた川崎宿は、徐々に活気を取り戻していった。
 初詣で賑わうで有名な「川崎大師」が近くにある。

東海道 050

  歴史によく出る鈴ヶ森刑場遺跡があった。また、その近くに刑を受ける人を見送りに来たという「涙橋」もあった。
  
東海道 047
  火炙り台  八百屋お七をはじめ火炙りの処刑者は皆この石の上で生きたまま焼き殺された。真ん中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ、しばりつけて処刑された。

東海道 048
  「磔石」 丸橋忠弥を初め罪人がこの台に建てた角柱にしばりつけて刺殺したのである。

東海道 040

IMG_7349  品川宿
   品川宿の町並み 昔の面影が残っていない。

IMG_7374  品川宿本陣跡
  品川宿本陣跡  今は公園になっている。

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  八つ山橋の説明とシンボル。

IMG_7332 品川駅
  品川駅前を北進する。

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 赤穂の四十七士が眠る泉岳寺前を通る。

東海道 035
 江戸の街を無血で救った両氏が会見した「薩摩藩邸跡」 


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  ゴールの日本橋が近づいてきた。見慣れぬ乗り物が走っていた。

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  何人かの江戸幕府の将軍が眠る増上寺に行く。すぐ後ろに東京タワーも見え、日本の新旧の建物が並んで見える。

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   箱根駅伝が近づき、その垂れ幕も見える。

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  銀座のど真ん中を我々4人がみすぼらしい姿で歩いた。

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  そして、念願の日本橋に到着。上は首都高速道路。その下に日本の道路元標があり、東海道のみならず五街道すべての起点であった。
 「日本橋」という名の橋が架けられたのは1603年です。その後、幾度もの焼失と再建を経て、現存する橋は、明治の終わりに完成した石造りの二連アーチ橋。1999年には、国の重要文化財にも指定されている。1963年に首都高速道路が橋の上を通るようになり、往時の雰囲気はすっかり失われたという。辺りには、当時から続く老舗商店も多い。

 ここ日本橋は2007年の暮れに中山道を歩いての到着から2回目となる。詳細は「私の足跡 63」


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 京都からの道中は、いつもこのフルメンバーではなかったが、終わりは揃ってゴールすることができた。
 東海道完歩を祝して般若湯を頂き、祝ったのは言うまでもなかった。


   「豆知識」  旅人はどこへ行ったのか?

      第2部  一世一代の大旅行には どれくらいの費用がかかったの?

   伊勢参りにかかる費用(片道11泊12日、伊勢滞在も含め往復25日27日で計算)
      (一番賑わった江戸後期の物価から)  

   宿泊費   食事代   人馬、川越代  伊勢滞在費   その他    合計

   5000文  2700文    2000文     1500文    2000文   
13200文

  一両は5000~7000文であったので約2両となり、現在の価値には単純に換算できないが、そばの価格で比較すると2両は約25万円 大工の賃金だと2両は約60万円になる。

   宿泊費          昼 食              川越え

普通の旅籠1泊2食   茶屋での昼食。そば、     渡船  10文
付きで200文       うどんは20文だが体力    肩車  50文
風呂もある。        のつく食べ物は70文程     蓮台 300文
 木賃宿(素泊まり)   の名物料理も
   70文         白酒は30文ほど

  風呂なし          
  雑魚寝



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