2008年12月

2008年12月31日

私の足跡 24 登山のまとめ 私の百名峰


  「私の足跡」の山登りの部も一応終わります。
   私の登った山の中で「私の百名峰」を地域別に記すことにします。 


  北海道地方

   利尻山           黒岳           旭岳     
    

  東北地方

   八甲田山         八幡平          早池峰

   鳥海山          月 山           蔵王熊野岳

   吾妻山          磐梯山          安達太良山

   那須岳          ひうち岳         秋田駒ヶ岳

   岩手山          白神岳(マテ山)         岩木山

  関東地方
   至仏山          谷川岳          日光白根山

   四阿山          根子岳          草津白根山


  中部地方
   富士山          白馬岳          小蓮華山
   
   鑓ケ岳          杓子岳          唐松岳

   雄山(立山)        大汝山          大日岳

   鷲羽岳          双六岳          樅沢岳

   笠ケ岳          抜戸岳          槍ヶ岳

   大喰岳          南 岳          北穂高岳

   涸沢岳          奥穂高岳         前穂高岳

   西穂高岳         蝶ヶ岳          常念岳

   大天井岳         燕 岳          長塀山

   焼 岳            乗鞍岳          御 嶽

   美ヶ原           霧ヶ峰          蓼科山

   北横岳           縞枯山          鉢伏山

   硫黄岳          南横岳          宝剣岳
   
   木曽駒ヶ岳        将棋頭山         剣 岳 

   剣御前          真砂岳          千枚岳 

   悪沢岳          中 岳          赤石岳    

   北 岳          間ノ岳          三俣蓮華岳


 近畿・北陸地方

   白 山          伊吹山          大台ケ原

   山上ヶ岳        普賢岳          高見山

   行者還岳        弥 山          八経ヶ岳

   釈迦ヶ岳        伯母子岳         護摩壇山

   八鬼山          金剛山          稲村ヶ岳

   葛城山          岩湧山          


  中国・四国地方
   大 山          剣 山          石鎚山 


  九州地方 

   阿蘇高岳         祖母山          久住山 

   韓国岳          獅子戸岳         新燃岳 

   高千穂          由布岳          開聞岳      

   宮之浦岳

   

  以上の山は、私が今までに登った山の中から特に印象に残っている山を選んだ「私の百名峰」です。
  この百名峰には、それぞれの百の顔があり、また、日によって表情を変えて、登山者に接してくれた。ご機嫌の悪い時は雨・風に痛められたが、その反対に、ご機嫌の良い時は私達を喜ばすために素晴らしい景色・花を見せてくれた。そんな時には、山に向かって「ありがとう。今度も頼むよ」と感謝して帰ってきた。

 どの山にもいろんな思い出があり、私の宝物になっているが、特に20才頃より何度も登り、思い出深い山は「金剛山」です。
 この山には、毎年登り足腰を鍛えてもらった山だ。特に登山のシ-ズンが近づくとトレ-二ングで度々登った。ラッキーなことにこの山の山麓の近くに職場があり、冬の積雪期には、職場の仲間5~6人と土曜日の午後を利用して度々登山した。
また、1980~1990年代は 小・中学生の耐寒登山として、金剛登山は大流行だった。自分も山好きだったので何度も下見をして引率もした。その後、耐寒登山が大盛況になると頂上の休憩場所の確保のため、決められた日に頂上で早い者勝ちで権利を得るということになり、宿泊所に泊まったり、テントを張つたりして先陣争いをした時期があった。その時は夜明け前に懐中電灯を頼りに登って早い者勝ちに加わったこともある。
 金剛山は花の綺麗な山で、カタクリ等の花の時期にはカメラを持って登ることもある。
 この山には、独身時代からご来光を見るため元日の日の早朝に登ってきたが、子どもができてからは早朝登山はやめた。しかし、子どもをおんぶして、午前中の登山をし続け、年始の挨拶「おめでとうございます」を登山者と交わすのが嬉しくて登山を続けている。今では、その子どもも自分の子ども(私の孫)を背負い一緒に登り続けている。50年以上過ぎた今では、孫も私以上に体力がつき、追いつくのがたいへんになった。
 もう一つの楽しみは、知人に元日登山をしていることを話すとその知人も元日登山を始め、頂上でその知人と出会うことです。
 2009年の元日登山は昨年にくらべ、暖か(-3度)かったが、バス4台の団体客も
いて、人数も多くなり、若い人や家族連れが増えているのが嬉しいことです。
 体力の続く限り、元日登山を続けて60年連続をめざして続けていきたいと思っている。



私の日本の高山ペスト10登頂は 「私の足跡7」に記載 。


2008年12月15日

私の足跡 23 乗り放題切符で 熊野岳と縞枯山

 今年1年間にわたり、約50年前の私の少年時代からの登山歴を記してきました。  
 この年齢になると山登りも終わりだと思い、かねてから登りたいと思っていた富士山より高いギナバル山(4095m)をツア-での登頂計画に申し込んだが いろんな事情で無理だといわれ断念した。

 
 今年中に何か記憶に残る旅をしたいと思った。それで独身時代に良く利用した一人旅で、他人の気持ちを気にしない気楽な旅行をしたいと思った。国外旅行では言葉の問題があるが、国内旅行であれば、自分で計画を立てれば何の支障も無いと思い、青春切符より割高だが(青春切符は5回で11500円 この切符は3回で9180円) 、
img20081225_1.jpg
好季節の秋に使用できる「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を購入した。そして、三日間で出来るだけ遠くへ(乗り放題というこの切符の特性を生かすため)、そして自分の未踏峰の山と考え、「時刻表」と睨みっこして考えたのが次のプランです。そして、計画ができたので早速実行した。
(当初は、栗駒山の登山を計画したが、震災の復帰が充分でないので都合がつかず変更した。)




2008年10月 8 ~11日


 一日目

 10月8日(水)を出発日にした理由は三日目に乗る「ム-ンライト信州」は10月10日までの金曜日に「新宿」を出発する列車で本数の少ない列車です。それで、この計画ではこの日に出発しなければいけない。
 早くから行動に移ったがが、関東の人達は秋の信州の山を楽しむため人気があり、指定席券が発売と同時に売り切れたとのこと。私の良く利用する「ム-ンライトながら」では考えられないことです。(「ながら」の指定席券の場合は同じ日でも、窓際の席が良いですかと聞いてくれた。)「ム-ンライト信州」の指定席券を手に入れることはできなかったので最寄の窓口に日を変え、何度も尋ねたが駄目。ただ、考えられることは私は一人旅なので一枚ぐらいのキャンセルはあると思い、それに2日間の時間があるので、時間があれば窓口で聞いていればチャンスはあるかも知れないと思った。しかし、駄目な場合の案も考え、出発した。(これが 人に迷惑をかけない一人旅のよさである。)
 家を夜八時に家を出、新今宮・新大阪の切符売り場でを聞くも駄目。img20081225_5.jpg次に大垣で聞くとあるとの事。やはり、23時頃キャンセルした人がいてラッキ-と思い購入。これで、第一案で旅行できる。早速、第二案の宿泊所のキャンセル。
 大垣発、11:19の「ム-ンライトながら」に乗る。意外に空いていてホットする。名古屋ぐらいで、私の隣の席も詰まると思っていたが、東京まで空いたままだったので2人分使用でき、ゆっくりできた。






 二日目 

 東京駅に予定通り、5:05着。上野発、5:47で出発。宇都宮、黒磯、郡山で乗り換える。郡山に近づく頃より、同年輩の一人旅の人と話し友達になる。今は宇都宮だが、かつて勤務した所が東北で、その東北は好きで年に2~3回はくるとの事。「塔のへつり」とか「大内宿」「喜多方」等東北の名所のことで話が盛り上がる。彼は、地酒を求めての旅行らしい。私は山登りが趣味で違いがあったが楽しいひとときを過ごす。img20081225_3.jpg
 車窓より、乳首に見える特長のある安達太良山の山頂が見え、登山した3年前を思い出す。
 この日は列車の都合で(福島・山形間の奥羽本線は特急の本数が多いが私の「乗り放題 きっぷ」では乗れない。 )仙台経由で山形へ。
 おかげて、仙山線に初めて乗ることができた。


山形の手前の山寺の見学。img20081222.jpgimg20081222_1.jpg







 



一度来たことがあるが、暑かったので頂上まで行っていなかったので紅葉には少し早かったが約一千段以上の階段を登り、最高所の奥の院まで登り、素晴らしい下界の景色と遠景の山々を見る
img20081222_2.jpg
img20081225_2.jpg
門限の5時まで寺で。その後、周辺の見学。
 山形に行き、インタ-ネットで調べた記念のために格安だというホテルで一昨夜の夜行列車の疲れを癒す。

 三日目

 朝、早く起き、6時にホテルを出、一番のバスで蔵王へ。以前、苅田岳へは登っているが最高峰の熊野岳へは行っていないので挑戦するため山形まで来たのだ。img20081225_6.jpgバスの次はロ-プウェイで樹氷高原駅へ。ロ-プウェイから見る景色は今は盛りと紅葉した木々で素晴らしかった。また、冬になると木々に樹氷がつき、それがここでしか見られないモンスターになるらしい。一度は見たいものだと思った。
 頂上に登るには もう一つロ-プウェイがあり、これを使うと早く頂上に行けるがそれを使わず頑張り歩くことにする。ロ-プウェイに乗る客と別れ、一人で登山開始。
 一人旅なのでピッチも上がる。途中、また悲しい遭難碑がたっていた。img20090102.jpg
 木曽駒での遭難事故を思い出し遭難者のご冥福をゆっくり祈った。岩の多い道を二時間少し登りつめれば熊野岳の頂上(1841m)へ。img20081222_3.jpg
 頂上には熊野神社があり、斉藤茂吉の歌碑もあった。img20081222_4.jpg











天気は良く、頂上は遮るものはなく、360度の展望が得られた。
 ここで、初めて登山者と出会い、言葉を交わす。約2時間少し、一人歩きの登山だったので彼との話が弾む。深田久弥の百名山を登っている途中で昨日も一昨日も雨だったが今日やっと晴れたと喜んでいた。
 私も時間があるし、良い天気なので苅田岳まで行くことにした。
img20081222_5.jpg
急いで頂上から20分程下ると真っ青な「お釜」が見えてきた。馬の背付近まで来ると観光客が多くなる。img20081225.jpgそこから、30分ほどで苅田岳の頂上(1758m)。
 ここは、バス停・ロ-プウェイが近いのでお客さんの多いことにビックリ。
 急いで、元来た道を引き返し、ロ-プウェイ・バスを乗り継ぎ、山形へ。
 列車の都合で、仙台経由で福島・郡山・黒磯等で乗り換え、東京へ。夜、九時半ごろ着。すると、「中央本線人身事故のため列車の到着が約一時間遅れる」との報あり。茅野駅に早く到着するので「まあ いいや」と思い、新宿の町へ出、牛丼を食す。十一時過ぎにホ-ムへ。すると、遅れが半時間の報になり、最後は十分遅れで、憧れの「ム-ンライト信州」が到着。
img20081225_7.jpg

 やっとの思いで取れた指定席券で列車に乗る。乗客の九割は大きなリュックを背負った登山客だ。超満員かと心配したが新宿ではそうではない。大月を過ぎても席はうずまらず、私の隣も空いたままでラッキーだつた。多分指定券は510円なので都合で不要になったがキャンセルしなかったのだと思う。

 四日目

 さて、列車は 茅野に到着したが早すぎる(3:39分着)のでそのまま松本駅まで(4:32分着)乗る。これも 予定通り。乗客の八割はリュックを背負い、松本電鉄の方へ。多分、上高地方面だろう。今回の私の旅行の日程では無理だ。羨ましいが仕方がない。
 今回 北八ヶ岳にしたのは 時間的ということもあるが14年前Wと蓼科山から横岳へ歩いているのでその続きを歩いて特徴のある縞枯山に登ってみたいと思ったからだ。
 松本駅前の食堂で朝食を。
 松本発、5:42。茅野、6:25着。バスで麦草峠へ。乗客途中より6人。横岳方面へは私と横浜の若い男子だけ。彼も「乗り放題きつぷ」を使ってきているとの事。
 二人で行こうと思ったが彼の若さについて行くのが不安になり、先に出発。
 頂上に近づくにつれガスが出て、見通しも悪くなり、カッパを着けないと服が濡れるようになった。
 茶臼山の頂上(2384m)では 車で寝泊りしながら歩いているという男性に出会い、しばらく話を交わす。一人旅での登山者に出会うと話が長くなる。(今、街道歩きを4人でしているが出合った人が一人であっても挨拶程度だが、一人で歩いていて一人で歩いている人に出会うと必ず立ち話をするのと同じと思う。)
img20081225_8.jpg

 その後、縞枯山の頂上(2403m)では3人の女性パ-ティに出合っただけだ。
 結局、気になっていた若い男性に会えなかった。自分の脚力に自信ができたように思う。

 予定通りの計画で通過。列車も計画通りに乗れ、大阪駅に20時前に着き、家着、21:30分頃。
  

 今回の旅行は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題切符」を9180円で買い、約2000kmの距離(但し、私鉄のバス・ロ-プウェイ等の距離・代金は除く。)
を3日間乗り、登山するという自分のたてた計画が無事終了し、満足している。

                 





2008年12月01日

私の足跡 22 高千穂登山

 
 2008年5月30~31日

 ツア-でK氏・M氏と高千穂登山へ

img20081127.jpg


 一日目

  16時に家を出 17時難波 3人でかもめフェリ-タ-ミナルへ。
 19時30分発のフェリ-で宮崎へ。2等寝台だったのでゆったりし、よく眠れた。

 二日目

  予定通り、8:20、宮崎港着。すぐにバスで高千穂河原へ。
 ここは、2年前、霧島連峰を縦走し、降りてきた所で懐しい。
img20081128.jpg
登山開始前に、これから登る高千穂の峰を登る前に 無事登山を祈る
  ビジタ-センタ-より登山開始、10:30。この鳥居の上の霧島古宮跡へ。ここは以前霧島神宮のあった場所だが何度かの火山爆発等により新しい場所に移されている宮跡です。



img_0993_1.jpg




















 最後は急登りだったが一時間足らずで御鉢を覗ける御鉢火口縁に到着。  登ってきた道や火口跡の御鉢もバッチリ見えた。あちこちにミヤマキリシマの花も咲き、綺麗だった。
img_0984_1.jpg

 この後、高千穂峰の頂上との鞍部で昼食の弁当。
 鞍部出発、12:45。急登が続いたが頂上(1574m)着、13:10。




img20081127_1.jpg



 頂上に「天の逆鉾」があった。天孫降臨の神話的伝説のある山だけあってその伝説にふさわしい秀麗な山容であった。
 頂上発、13:20。


img_1136.jpg

天気は良し、ミヤマキリシマの花の時期も良し等で登山者も多く山は混雑していた。

帰りは道が混雑していたので健脚者用の道を使って下山した。




ビジタ-センタ-着、14:30.img_1259.jpg宮崎港までの途中、温泉に入る。
 温泉の底の足元は泥だ。露天風呂の縁に泥がありそれを身体中にぬりつけるとよいというので皆で塗りつけた。      
 
風呂上りに水分補給。冷たいビ-ルの味は格別だった。
 宮崎港着、18:30。 コンビ二で夕食と朝食を買う。
 宮崎港発、19:10。2等寝台でゆっくり寝る。
 でも、夜中より風雨が強くなり、高知沖では波が高く、船の揺れが大きく何度か目を覚ます。
 夜明けと共に船内放送で到着が1時間以上遅れて到着との事。
 結局、大阪南港・かもめ埠頭へは一時間半遅れの9:00だった。



 この日は帰宅時間も中途半端なので武奈ヶ岳への登山をして帰る予定だったが都合が悪く、「十時頃大阪駅に着く」と考えると遠くへは行けないので一応「山」の名のつく山崎の天王山に行くことにした。
img_1302.jpg

 豊臣秀吉軍と明智光秀軍との天下分け目の合戦地を「明智光秀の気持ちは? 豊臣秀吉の行動は?」と思いながらの見学img20081130_1.jpgimg20081130_3.jpg











 頂上、12:00。下山し、駅前で昼食。
 難波15:00。帰宅、16:00。